FIFA BALLON D'OR 2014

90歳の冬の旅 〜 フェアプレイ賞はボランティアに

2015/02/04(水)

ボランティアの代表たちがボールを手に舞台を降りると、アブドさんが、ここまでで投票を締め切りましたと言い、バロンドール候補2人目のリオネル・メッシの名を告げた。彼が舞台に上がると、映像がうつる。メッシは2009年から4年連続してFIFAバロンドールに選ばれている。クリスチアーノ・ロナウドは2008年と昨年の2度。

アブドさんとメッシのやりとりが終わり、ブラジルワールドカップの映像がしばらく皆の楽しみとなった。最後にドイツ対アルゼンチンの決勝となりゲッツェの決勝ゴールでは、右サイド(攻撃側からみて)からのカメラでなく、左サイドのカメラ位置からだったのが目新しく、プロデューサーの工夫と言うべきか――。

優勝チーム、ドイツのラーム主将とレーヴ監督が登壇してアブドさんの問いに答える。続いて、女子最優秀選手のノミネート3人目のワンバック選手が登場した。選手の言葉はどれも興味のあるものだが、ワンバックの、マルタのように技術のある選手は尊敬していて彼女のゴールはとても素晴らしいが、私のゴールはチームワークの賜物と強調したのは心に残った。

スイスのミュージシャンの演奏があり、今年6月カナダである女子ワールドカップの紹介が続いた。そして今年の大会でも活躍するであろうアビー・ワンバックとマルタとナディーネ・ケスラーの3人が舞台に上がり、司会者と問答したあと、クリスティアン・カランブー選手があらわれ、エボラ出血熱を防ぐ話をしたあと、プスカシュ賞の発表をした。ハメス・ロドリゲスがブラジル大会で見せた対ウルグアイ代表の反転左足ボレーシュートが受賞した。

バロンドールのノミネート3人目のマヌエル・ノイアーが登場した。すでに2014年ベストGK賞、ベストイレブン賞を受けている。彼は地味な守りのポジションで脚光を浴びるスターでもある。

そしていよいよ女子最優秀選手ということに。発表は澤穂希さん。2011年の受賞者はマイクに向かってはっきりとザ・ウィナー・イズ・ナディーネ・ケスラーと伝えた。予想していなかったというケスラーの涙ぐんでのスピーチは感動的だった。が、そのあとの映像にティエリ・アンリがあらわれたのには驚いた。バロンドールのプレゼンターになるらしい。

再び、3人のプレーを見せた後、ブラッター会長とジャン・エティエンヌ・アンリさん(ASO代表)の2人が壇にあがる。ティエリ・アンリがクリスチアーノ・ロナウドと発表し、バロンドール(黄金のボール)を渡した。

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90歳の冬の旅 〜 フェアプレイ賞はボランティアに

2015/02/03(火)

レーヴ監督が去ると司会の美人アナウンサー、アブドさんは女子の最優秀選手のノミネート2人目のマルタ(ブラジル)の名を挙げて、その映像を紹介をした。彼女の左足のボールタッチやシュートの巧みさだけでなく、右のシュートの正確さ、すばらしいドリブルが画面で見られた。
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先述のロナウドのところでは省略したが、彼の映像は左、右のシュート、ヘディング、ヒールキックなど、豪快さも、小ワザも、トーもカカトも、レアルのアンチェロッティ監督のいうようにどんな形でもゴールを決める――そのプレーを見せてくれる。名選手の名場面をふんだんに見せることで、2時間に及ぶ授賞式でも(いささか疲れはするが)飽きがこないところがすごい。

マルタの映像のあとは、今度は女子の優秀選手かと予想したらフェアプレイ賞だった。今回は大会には欠かすことのできないボランティアが対象となった。ブラジルワールドカップが世界中から参加したボランティアの様子が映像で紹介され、その14000人のなかからコスタリカ、モロッコ、ブラジル、カナダとアメリカの5カ国の各一人ずつが舞台に上がった。ハンス・ファン・デ・フルトさん(アメリカ)がトロフィーを受け、5人にひとつずつのサッカーボール、なんとバロンドール候補男女6人のサイン入りが贈られた。

熱烈なファンでもあるそれぞれのボランティア・グループには何よりのプレゼントだろう。贈呈に立ち会ったFIFAのジェローム・ヴァルケ事務局長があいさつのなかで、近くチューリヒに作られるFIFAミュージアムの中でも多くのファンがすべての大会でのボランティアの功績を高く評価することでしょうと述べた。ブラジル大会では、高齢の私のためにプレスルームからスタジアムの記者席までの往復に女性のボランティアが付き添ってくれたことを思い出した。そういえば94年のアメリカ大会では、日本女性がボランティアで働いていて、アメリカのスポーツイベントでのボランティアについて語ってもらって「旅」に書き込んだことが頭をよぎった。

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90歳の冬の旅 〜 プレーの映像を堪能しつつドイツの強さを思う

2015/02/02(月)

フットボールのオスカーとも言える華やかなバロンドールの授賞式に出席し、帰国して5日後から日本中の心を痛めるニュースとなったイスラム国を名乗る集団による後藤さん拘束は、2月に入って悲しい結末となった。こんなときに自分の楽しい思い出を綴るのも…と、書く手も鈍るが、これもサッカーの記録の一つと考え、バロンドール90歳の冬の旅を続けることにしました。


会長が壇を降りると、司会の、バロンドール候補のひとりとの声で、舞台にはクリスチアーノ・ロナウドがあらわれた。

昨年、2013年のバロンドールの受賞者としての紹介のあと、司会者との問答があり、次いで最優秀監督賞の女子の部で3人のノミネートが紹介され、ドイツのラルフ・ケラーマン監督が選ばれた。日本から佐々木則夫さんが3人のなかに入っていたが、今回はドイツ人に譲ることになった。

男子の最優秀監督は、カルロ・アンチェロッティ(レアル・マドリード)とヨアヒム・レーヴ(ドイツ代表)、ディエゴ・シメオネ(アトレティコ・マドリード)の3人のノミネートのなかから、ブラジルワールドカップ優勝のレーヴが選ばれた。私の席の横の通路を通って彼が階段に向かう時、彼の動きの早さに風が巻き起こった。大げさでなく、54歳、充実したレーヴの勢いを感じた。レーヴ監督の丁寧なお礼のスピーチを聞きながら、日本に関係の深い、ドイツ・サッカー協会(DFB)の歴代の監督に思いを巡らせた。

DFBに正式の代表チーム監督が置かれたのは1930年のオットー・ネルツ(36年まで)からで、私はベルリン・オリンピックのときに日本代表に随行した田辺五兵衛さん(故人)から、ネルツさんに会った話を聞かされた。ネルツさんの著書フスバル(ドイツ語のフットボール)は日本で慶應大学のソッカー部が創立期からテキストとして取り入れられ、浜田諭吉キャプテンを中心に自らの手で翻訳し、当時の先進校、東大、早大に追いつこうとしたことは日本サッカーの技術・戦術の歴史上で見逃すことのできないエポックだった。そのネルツさんから数えてレーヴは10人目だから84年間に10人、8年にひとりである。そして、この8人がすべてドイツ人であることを知れば、自ら、この国のサッカー人の自分たちのフスバルに対する自信が知れる。

それでいて今ブンデスリーガのトップチーム、バイエルン・ミュンヘンはバルセロナで成功したスペインのグアルディオラを迎え入れている。体格の優れたドイツ人のサッカーを丸写しはできないだろうが、ドイツ人のサッカーのやり方や哲学をわたしたちはもう少し勉強した方がいいのではないか…バロンドールの場で、男子、女子の優秀監督賞を受けるドイツをみると、改めて思ってしまう。

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90歳の冬の旅 〜 会長のフランス語スピーチ

2015/02/01(日)

スピーチを終わって、慎重に舞台から降りた。

ブラッター会長が司会に促されて、再び口を開いた。英語ではなく、フランス語だった。パリの新聞社へのテロ事件についてだった。会長賞を決定した後で起こったこの事件で、改めて言論の自由の大切さを感じたこと、そして今回の会長賞がひとりのジャーナリストへのものだけでなく、FIFAがすべてのジャーナリストを大切に思っていることのあらわれであることを述べた。

この日に応接室で面談した時にも「あなたに決めてから起こったパリの事件で、あらためて言論の自由の大切さを知った」と言っていたが、それをすぐにこういう形でFIFAの考えとして語るところに、この人の発信力を見る思いがした。

フランスの事件のことだからフランス語で語ったのは当然のことだが、この人のフランス語の力は36年前に知っている。1979年のワールドユースの神戸シリーズの終わりに、当時のアベランジェFIFA会長が記者会見で話した。日本人の通訳が立ち往生してしまい、ブラッターさんが英語に訳し、それを村田忠男さん(元JFA副会長・故人)が日本語に訳して記者たちに伝え、ピンチを切り抜けたこともあった。

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©KaiSawabe


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90歳の冬の旅 〜 舞台に上がりFIFA会長賞を

2015/01/29(木)

ベストイレブン(2人欠席)の表彰を受けた9人が私の目の前の階段を降りて行くのを見て、ぼつぼつ私の出番かな、と思っていたら、女子のワールドプレーヤーオブザイヤー候補の映像が映し出された。

ドイツのナディーネ・ケスラー、25歳のボルフスブルクのプレーヤーで、クラブのドイツ女子ブンデスリーガ優勝と欧州チャンピオンズリーグ優勝に貢献、ドイツ女子代表でも活躍していて、すでに2013-14のUEFA(欧州連盟)女子ベストプレーヤーなどに輝いている。彼女のゴールシーンを何度か見せ、あわせて今回も候補に挙がっているブラジルのマルタとアメリカのワンバックの姿も映し出された。不勉強であまりケスラーに馴染みのない私はプレーの画面に引き込まれ、彼女の右足アウトサイドでのシュート場面では私の少年時代のアウトサイドでのゴールを思い出したりした。

そんな、いささか私の余分な脳の動きに「かまけ」て壇上にFIFA会長のブラッターさんが登場するのをなんとなく眺めていた。
(ここで、さあボクの出番と気付くべきなのに…)

ぼくのことだと気がついたのは、ブラッター会長のプレジデンタル・アワードという言葉を聞いてからだった。会長が私の名を呼んだので、つい立ち上がってしまい、ブラッターさんがまだ早いと手で制したようだった。映像を見せるので、そのあと檀上に上がれということでしばらく自分の写っている画面を見る。前日にビデオ撮りしたもので、日本語でインタビューし、日本女性の通訳で構成してくれることになっていたが、画面と私の語りが全く合っていない。各国語で聞く場内の皆さんはどんな感じかな、と思ったりした。不満はないではないが、クライフやマラドーナやルムメニゲやケンペスなどを見れば、日本にもいろいろなスターが来たこともわかってくれるだろうと思っているうちに、こちらが舞台へ上がることになった。出番までの時間が予想外に長かったので、少し疲れていたのか、杖をついて階段を上がるとき、一度杖が空を突いた。ブラッターさんがやんわりと迎えてくれて「重いですよ」と言いながら会長賞のトロフィーを渡してくれた。受け取ったが、ほんとうに重くて、上にかざすわけにはゆかず、すぐに台に戻すと、ひとこととアブドさんに言われ、英語でお礼を言った。

原稿は私が日本語で書き、自分で作るよりも、と若いサッカー仲間のひとり、ベン・メイブリーという英国人に英文にしてもらった。オックスフォード大学出身の彼の英語はさすがにしっかりしていたが、はじめに作ったのは5分以上になりそうなので、どんどん縮めて、お礼の言葉と、1979年に初めてブラッターさんに会ったこと、そしてちょっとしたジョークだけにした。

世話役のブラウンさんが、その文章をバロンドールの台紙に貼り付けてくれたのだが、多分檀上ではライトなどの関係で字が読めないかもしれないと予想し、中学生のころのように暗唱できるまで練習した。もともと声の通りがどうかと心配していたのが、マイクが立派なのか、わり合いに自分の耳にもいい声に聞こえて安心した。

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©KaiSawabe

スピーチ原稿オリジナル版(日本語)
スピーチ原稿オリジナル版(英語)

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90歳の冬の旅 〜プスカシュ賞とベスト・イレブン

2015/01/22(木)

最初はプスカシュ賞、1950年代から60年代にかけてハンガリー代表とレアル・マドリードで活躍したストライカー、私もこの選手のことはたびたび書いた。今も彼の「キャプテン・オブ・ハンガリー」(英語版)は大事に持っている。そしてその表紙裏に彼のサインをもらったのは彼がハンガリーのクラブチームとともに来日したときだったと思いおこした。

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そのストライカーを記念しての2014年のグレイテスト・ゴールで、みごとなゴール10シーンが画面に映し出され、その中から3ゴールを候補にノミネートしたという。

アイルランドのステファニー・ロッシとハメス・ロドリゲスとファン・ペルシ。後者2人はともにブラジルワールドカップのゴールで、ロドリゲスは対ウルグアイ戦の反転左足ボレー、ファン・ペルシはスペイン戦での左後方からのロングボールをダイビングヘッドでGKの上を抜いたもの。日本のファンにも私にも強い印象が残っている。

女子のステファニーのシュートも、ゴールを背にしてのフェイクからの反転ボレー、左足のシュートだった。いまさら不勉強を思い知らされるとともに、こういう女性のシューターもいたかと感嘆する。

グレイテスト・ゴールに選ばれたのは、ハメス・ロドリゲスだった。いまレアル・マドリードでプレーしているこのハンサムなコロンビア人には、ブラジル・ワールドカップで日本代表は痛い目にあわされた。

日本選手といえば、候補となった10人のゴールのなかにはJリーグの佐藤寿人(広島)の対川崎戦でのボレーシュートもあった。自宅にもどってからWOWOWの録画を見直すと、候補にあがったシュートの多くがボレーシュートだった。ゴールキーパーにはボレーシュートは読みにくく、とりにくいが、見た目にも華やかであるから選んでいるうちにそうなったのか…あるいは選者の好みなのか?


イタリアのファンにはたまらないデル・ピエロが登壇した。ベスト・イレブンの表彰のプレゼンターらしい(彼はあとで私に挨拶してくれた)。

アブドさんがGK、4人のDF、MFの3人、FWの3人を次々に紹介する。紹介の言葉の端々に彼女のサッカーの精通ぶりが表れている。
DFの2人が欠席、FWがロナウドとメッシと、オランダのロッベンだった。いまFWではロナウドとメッシの別格ぶりはあらためて浮き彫りになる。

それにしてもいつもヒゲ面のセルヒオ・ラモスが同じヒゲをつけての登場だが、こういう舞台の上でもスマートな紳士ぶりに、やはりヨーロッパの男だなと思ってしまう。

考えてみれば、90歳まで生きたおかげでペレやヨハン・クライフやフランツ・ベッケンバウアー、マラドーナなどを見て、あとでメッシやロナウドを見ることができるのだから、長生きも悪くはないなどと感慨がよぎった。

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90歳の冬の旅 〜 長身美人の司会で

2015/01/21(水)

式の始まる前にロナウドがやってきて席についた。
カメラマンが殺到してシャッターを切り始める。
「3人のノミネートだが、クリスチアーノ・ロナウドに決まったのかな。メッシやノイアーでなく、彼にこれだけカメラが集中するのは」と思う。こちらはそれですむが、会場係はそうはいかない。これからFIFA会長が入場し、最前列中央席に座るのだが、カメラの群れで通路がない。もう撮影はストップですと叫んでも、ロナウドの表情を撮ろうと懸命な彼らは動こうとしない。業を煮やした女性の会場係がしゃがみこむカメラマンを突き飛ばすという一幕もあって通路が開けてブラッターさんがようやく着席し、バロンドール表彰のショーが始まった。

司会はKATE ABDO(ケイト・アブド)さん、バロンドールの司会は初めて(昨年は別の人だった)だが、現在、英国スカイテレビのスポーツニュース番組のホストをつとめヨーロッパ・サッカーの放送にも顔を出している。英国育ち、ドイツのテレビで仕事をはじめ、ロンドンやアトランタで経歴を重ねてきたと言う。ヨーロッパのアナウンサーらしくFIFAの公用語も自在と見える。長身で、前日のリハーサルのときもこちらは見上げるのに大変だった。

そのアブドさんが次々に紹介し、こなしてゆく授賞式はWOWOWで日本でもご覧になった方は多いはず。むしろ、テレビでご覧になった皆さんの方が馴れない表彰者席にいた私よりもバロンドール全体を楽しまれたかも知れないし、式の流れもよく覚えておられるかも知れない。いまさら繰り返すまでもないのだろうが、私自身の記憶のためにも、もう一度、表彰式を思い出してみることにしよう。

さきほどのアブドさん、美人の司会者がこの式では8つの賞があるが、まずはバロンドール(本来は男子の2014年最優秀選手賞だが、ここでは女子も同一にして)にノミネートされた3人ずつの登壇を告げた。

クリスチアーノ・ロナウドとナディーネ・ケスラー(ドイツ、ヴォルフスブルグ)、ついでメッシとマルタ(ブラジル、スウェーデンリーグ・ローゼンゴード)、最後にノイアーとアビー・ワンバック(USA、ウェスタン・ニューヨーク・フラッシュFC)が現れた。
女子として大型のワンバックもノイアーと並ぶとかわいく見える。
もともと美人だから――

簡単な紹介で6人が席に戻るといよいよ授賞式が始まる。

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90歳の冬の旅 〜 赤ジュータンを通って最前列席へ

2015/01/19(月)

1月15日、エミレーツ航空は無事に私と本多さんを関空まで運んでくれました。本来ならすぐにブログの続きを始めるところを、帰国するとテレビの取材などで机に向かうのが遅れて申し訳ありません。

帰って、我が家の録画を見直していました。WOWOWで式の模様を全て放送してくれたのは、まことに有難いことです。では、バロンドール授賞式本番の回想です。


FIFA BALLON D'OR 2014(FIFAバロンドール2014)は2015年1月12日午後6時15分からはじまることになっていた。

チューリヒ湖に面した私たちのホテル、ボーオーラック(Baur au Lac)から車で5分もかからぬところに、会場のコングレスハウスがある。午後4時45分にホテルロビーで会長秘書のブラウンさんと待ち合わせて、日曜日からずっと私のためにあてがわれている車で会場に着く。会場の前はすでにたくさんのファンがスター選手を見よう、サインをもらおうと待ちかまえていた。

彼らスター選手たちより前に到着した私にも声をかける少年たちもいた。レッドカーペットを通って入って行くのだが、左側を通ってくれと言われていたのが、ついついいつものクセで(スターを待ち構える側にいる職業病というのか)、スターたちとは別に右側の通路を通ってしまい、エントランスのところで待ち構えていたサワベカメラマンに呼び止められ、一枚パチリ。

ぞくぞくとスター選手が入ってくる様子をロビーで眺めていると澤穂希さんが入ってきて、アメリカのワンバックやブラジルのマルタといっしょになった。英語でスピーチすると言ったら、彼女は驚いた顔をした。

適当なイスに座ると、目の前にイニエスタがいた。好きな選手のひとりだから、さっそく自己紹介をした。ちょっと私の英語が聞き取れなかったのか怪訝そうな顔だったが、やがてテレビであなたのプレーを見ていつも感心していると言うとニコっとした。

最前列ですから込み合わないうちに席についてくださいとブラウン氏に促された。席についてみると、なるほど一番前で、すぐ右隣がFIFPro(国際プロサッカー選手会)の役員、その右がプラティニ、そしてその隣がブラッター会長夫妻となっていた。

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