テレビの放送が日本ではじまって50周年を記念するNHKの番組が、ラストにかかっていた2月1日の夜、いきなりテレビの画面にあらわれた文字がスペースシャトルの事故を伝えていた。しばらくして、青い空に白い煙を引いて落下するスペースシャトルとその破片らしいものが映し出された。なんともやりきれない休日となった。気をとりなおしてサッカーのお話にしましょう。
"兵庫出身のJリーグのプレイヤーを集めた試合を見たい"こういう夢が大震災から8年のちに実現した。1月26日に神戸ユニバー記念競技場でのこの試合にとても寒い日だったが一万人を超えるファンが集まり、奥大介(横浜Fマリノス)、木場昌雄(ガンバ大阪)といった熟練組から、林丈統(ジェフ市原)、朴康造(パクカンジョ)らの、「ドリーム兵庫」と「ヴィッセル神戸」の試合を楽しんだ。
【ヴィッセル神戸 1 (1-0、0-2) 2 ドリーム兵庫】
日本代表の明神選手と波戸選手が故障のために参加できなかったのはファンには残念だったろうが、懐かしい神戸のグラウンドに戻ってきた兵庫出身のプレイヤー達はほとんどが、まだ充分に体づくりのできていないなかで、家族や友人や母校の指導者たちの前でしっかりしたプレーを見せた。ヴィッセル神戸は、今回練習のスタート後5日というもっとも疲れのたまる時期で、動きは重かったが、レギュラーを揃えた前半には先制ゴールをあげて試合を面白くした。副島新監督は、後半どしどし交代を送りこんで総動員した。ドリーム兵庫側にも今期、ヴィッセル神戸に加わる朴選手や和多田選手などもいたから神戸のサポーターはこの日の試合でまず今年のヴィッセルの陣客を見たことになった。
【奥大介の存在】
この試合の計画を聞いたときに最初に私が言ったのは「ドリーム側に奥選手は来てくれるのだろうか」ということだった。チームの芯になる選手で、かついいパスを出して仲間のプレーを引き出す---といえば今の兵庫出身者で彼は№1。彼が来ればチームはまとまるだろうし、攻撃展開も出来ると思ったからだ。日程の面でやりくりして前夜祭には欠席して当日にかけつけ、前半の30分からピッチに立った。
後半の2ゴールはともに彼のパスからで、1点目(同点ゴール)は相手ボールを奪ってドリブルし、右前のスペースへ出して和多田選手がこれをとってGKをもかわして流しこんだ。2点目は中盤の左よりにいた奥選手が右へ開いた林丈統選手にロングパスを送り、林選手がドリブルして加地選手のあがりを待ち、加地選手が受けてDFをはずして深い位置(ゴールラインぎりぎり)から中へグラウンダーを送ったのがヴィッセルの山口選手に当たってオウンゴールとなったもの。奥選手の短と長の2本のパスがゴールを生んだのだった。1976年生まれの彼を神戸弘陵高校時代に一度だけ見た。関西協会の技術委員長をしていたときで、関西トレーニングセンターの高校の練習会で小柄なドリブルの上手な彼に感心したのだった。高校を出た奥選手がジュビロへいったと聞いて関西のチームは何故、彼を逃したのかと残念に思った。
【加地亮のこと】
2点目のゴールを奪う直接のプレーをした加地亮は、セレッソ大阪に在籍したとき何度かプレーを見ている。柔軟なボール扱いと身のこなし、スピードもあって将来性を期待されたが、どういうわけかセレッソから大分→FC東京へと移ってしまった。林選手の右横を駆け上がり、パスを受け、キックフェイントでDFをかわしてもうひとつ持ってフリーで中へ狙ってパスを送ったところが彼のプレー。もともと右に開いてボールを受けたときに内側にかかえこむようにボールを止め、体もいったん止まってしまうところが不満だったが、この日のプレーでは(相手のプレッシングも少なかったが)それは見られず、後半はじめにハーフラインあたりからダイレクトのやわらかいタテパスを林選手に送ってシュートまでゆかせたところに進歩ぶりが見られた。
サッカーというのは、プレイヤーの配置—いわゆるフォーメーションとかシステムということも大切だし、プレイヤー同士の確保も連係も重要なことだが、その基幹となる個々のプレイヤーがどういうテクニックを使えるか(あるいは使ったか)を見極めることがチーム力アップにつながると私は思っている。兵庫の指導者にとって身近な存在のプレイヤーが集まった「ドリームサッカー2003」で、コーチの皆さんは何を思い感じてくれただろうか。
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