ワールドカップ

原口、浅野のゴールでタイに勝利

2016/09/07(水)

2016/09/06
2018年FIFAワールドカップ アジア最終予選(Road to Russia)
日本 2(1-0、1-0)0 タイ

――勝ちました。2-0です

賀川:守りを厚くして失点を防ぎ、カウンターで得点しようというタイに対して、日本はサイドから攻撃をかけ、圧迫し、反復して攻め続けました。

――第一戦と先発メンバーを代えました。FWに岡崎ではなく浅野、MFには清武ではなく原口が入り、山口が大島に代わっていました

賀川:山口は、このチームのレギュラーだと思っていた。浅野はリオのオリンピック予選と本番で活躍し、新しくフル代表のFWに入ってきた新鋭といえるでしょう。速さという武器があって、相手側には脅威となるFWです。

――キックオフから攻撃が繰り返され、19分にゴールが生まれました

賀川:11分に左タッチ際でFKがあり、香川がファーポスト際へ蹴り、本田がヘディングでなかへ返したが、誰も中央へ飛び込まなかった。惜しい場面だった。

――この得点は、17分30秒に香川が右サイドでボールを拾い、スローインとなった後の攻めだった。そのスローインから右の酒井宏にわたって、酒井宏が早めのクロスを強いボールで送り込みました

賀川:ゴール正面にいた本田の上を越え、その背後にいた原口がヘディングシュートを決めた。ゴールキーパーの右手側を抜く、見事なヘディングでした。右・左のクロスを繰り返していた攻めのひとつですが、クロスの線上に日本側が3人入っていたことで、その一番外(ゴール正面)へ入ってきた原口がノーマークでした。

――この後も、再三チャンスをつくりました

賀川:23分に左から浅野がクロスを送り、本田がシュートできなかったのも惜しいチャンス。30分には右からの長いクロスを原口がノーマークで受けてシュートする場面もあった。

――41分には本田のシュートがあり、46分にも右からのクロスを本田がヘディングし、ポスト際でGKが防ぐなど、チャンスをつくった

賀川:相手の攻めを押さえ込んで、まず危なげない45分でしたね。

――後半も日本が攻め、タイが守り、ときに反撃する形が続いた。日本の攻めも、短いパスのつなぎだけでなく、早めに相手DFラインの裏へ出すボールや、長いパスが増え、18分には香川がノーマークでシュートして、GKが防ぐ場面もあった。

賀川:相手DFラインの裏へ出て、縦パスをもらってのシュートチャンスは、相手GKが飛び出してくるので、決してやさしいものではないが…

――浅野のスピードも生きてきた

賀川:25分にヒヤリとするピンチがあった。

――タイが右タッチラインのスローインからボールをつなぎ、鋭いスルーパスを右前へ送った。10番のティーラシルが飛び出して、エリア内へ持ち込んだところを、GK西川が飛び出して、シュートを顔にあてて防いだ。吉田が並走してフリーにしなかったことと、西川の飛び出しが、危ない場面を救った

賀川:ピンチにあとにチャンスありで、この3分後に日本が2点目を奪う。

――29分に左からのクロスを香川がヘディングして、ため息が出た後、ハーフウェイラインからの浮き球のパスを追って、浅野がDFに走り勝ち、右足のシュートを決めた。ゴールキーパーは体に当てたが、ボールはゴールに入った

賀川:攻め込んだ後、クリアされたボールをダイレクトで前へ送り、それを浅野が相手DFの後方からスタートして頭でボールを押し出し、エリア内に5メートルほど入ったところで、右足シュートしたのだった。シンプルな縦パスだったが、浅野の特色の生きたゴールだった。

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アラブの強国UAEに敗戦

2016/09/03(土)


日本代表 1(1-1、0-1)2 UAE戦

――楽しみにしていたワールドカップ予選の第1戦は1-2でした

賀川:最終予選だから、アジアの強いチームとの対戦になるとはファンの皆さんも覚悟はしていたはずですが、いきなりそれを見せつけられました。UAE(アラブ首長国連邦)のしっかり守ってカウンターという形が成功した。もちろん彼らの一人ひとりが局面の競り合い、ゴール前でのマークを確実に行ったことが彼らの成功となった。

――前半入ってすぐ、日本がボールを支配するようになり、前半11分に右FKから本田のヘディングで先制しました

賀川:FKの位置はペナルティエリア右外2から3メートルだった。キッカーの清武にはコントロールキックの範囲で、自信のある距離だった。彼は高くあがりつつファーポイント側へ落下するボールを蹴った。一番左外にいた本田が飛び込んでヘディングして、ボールは左ポスト内側に飛び込みました。

――テレビの前で、たくさんの人がこれで楽になると思ったでしょうね

賀川:UAEは20分に同点にしました。日本ゴールから9分後です。彼らが諦めることなく、日本のボールを奪いにくるプレーを続けていたのが生きました。

――この失点の少し前にも、日本は岡崎がDFラインの裏へ出て、シュートするチャンスもあったのです

賀川:そうですね。だが、岡崎のそのチャンスの前にもUAEのFKがあった。彼らの守りから攻めへの転換はなかなかのものという印象でした。

――その「守りから攻め」が20分のFKとゴールを生みます

賀川:日本が右側から攻め、本田がドリブルして一旦後方に戻って、バックパスした。これを長谷部が取り、すぐ右の大島に渡した。大島は右タッチライン際の酒井宏にパスした。この時の左足のインパクトが弱くて、パスのスピードが遅く、酒井に届く前に相手が一人潰しに来た。酒井は奪われまいと強く蹴り、これが中央へゴロでころがってUAEの10番のオマル・アブドゥラフマンのとこへ行った。アブドゥラフマンはすぐ中央へ来たマブフートにパスした。マブフートが突進し、吉田が止めようとしてファウルをとられた。

――マブフートが倒れたので、おやっと思ったらレフェリーが近寄り吉田にイエローカードを提示した

賀川:スロービデオを見ると吉田がマブフートのシャツを握ったところが映されていた。

――FKを蹴る前にUAEが色々かけ引きをしましたね

賀川:大切なFKだった。ボール際に3人が集まり、11番のハリルが右足で蹴った。シュートはゴール右上の方へ上がってから落下した。GK西川は両手で止めようとしたが左手にあたったボールはゴール内に落ちて1-1となった。

――西川は代表で難しいシュートを止めてきた実績があったが、今度は止められなかった

賀川:シュートの直前に西川は右へ(キッカーからみれば左)にステップしたように見えた。UAEが誰がどこへ蹴るかを読ませまいと事前のところに工夫をしたこともあった。

――レベルの高い戦い。さすがに最終予選だと改めて思いました

賀川:1-1になったあとも日本はよく攻めた。「これが入らないか」と驚くような場合も一度や二度ではなかった。ファンは前半が同点のまま終わったあとも、後半には何とかしてくれるだろうと期待していた。

――新しい選手もいますからね

賀川:普通なら遠征してきたチームは後半に動きの量が落ちるのだが、UAEはよく動いた。攻められるにつれて、守りの連係も強くなったように見えた。しっかりと準備してきたのでしょうね。

――日本側はヨーロッパ組がシーズン中で、全員がそろったのは2日前だった

賀川:それは初めから予想されたことですが、26本もシュートしながら、1本とったというような攻めが多くはなかった。

――後半9分にペナルティ(PK)のピンチがきた。相手一人に3人が奪いに行って、大島の脚が引っかかって倒し、PKとなった

賀川:PKというのは、私は一般論としてはキッカーが勝つのは当然と思っている。しかし心理面もあってゴールキーパーの方が優位に立つこともあります。PK戦になるとゴールキーパーがPKを防ぐ場面は増えています。

――いつも、GKは先に動くな、と言っていますね

賀川:相手のキックの方向を読んで蹴るより先に、その方向を防ぐ動きに出るゴールキーパーもいます。PK戦でもその成功例もあります、私はゴールキーパーはヤマはかけても相手が蹴るまで動かない方が得と考えています。1982年のワールドカップで西ドイツとフランスがPK戦で勝敗を決めた時からたくさんのPK戦や試合のPKを見てきた。また自分が選手であったころ、チーム内で試合中のPKは任されていた経験からいけば、GKは先に動かない方が得だと思っています。この試合では日本のGK西川は先に動いてしまい、相手は落ち着いて正面に切り込みました。

――このPKで1-2になりました。前半の互いのゴールはFKからで、3得点ともプレースキック(停止球)からでした。蹴り終わるまで相手がキッカーの「邪魔」をすることのないFK、CK、PKはやはり大きな得点源でした

賀川:1-2となってUAEは「守ってカウンター」に自信を持ったでしょう。

――ボールを保持して攻撃をつづけてから二つのミスでボールを失い、そこから攻め込まれてFKとPKで2点を失った日本ですが、1-2となってから何度も攻撃し、挽回をはかりました

賀川:いいシュートがあっても相手のDFの体に当たることもあり長身のGKエイサの好セーブもあってゴールは生まれないままに時間が過ぎた。

――ゴールキーパーが「のってくる」状態になると守る側にはいいが、攻める側はしんどい

賀川:UAEのイレブンは最後までよく動いて、自分たちのがんばりで勝運をつかんだ。日本側は26本ものシュートを打ちながら、点にならず、ゴールラインを越えたように見えたシュートも得点と認められなかった、相手の粘りに運が味方したということでしょう。

――試合中、何度か声が出ていました

賀川:日本の見事な先制ゴールは誰もが「うまいな」と言うでしょう。清武のクロスと本田のヘディングの合作、チームの動きで相手がゴール正面中央部に気を取られたことなどなど…

――そういう日本の攻めにUAEはよく守りました。ゴール前、ペナルティエリアでの守りだけでなく中盤でのプレスもよかった

賀川:それが日本のミスを起こし、彼らのゴールにつながるのですから。PKとなった場面でもペナルティエリア内で日本の3人を相手に囲まれながら、一旦倒れたあとボールを奪い返し前へ出ようとして日本側のトリッピングの反則を誘発させたのです。アラブ系の選手には年齢を問わず老獪なプレーをする人がいますが、今度のPKもそうでしたね。

――得点が1点に終わったのはやはりシュート力ということですか

賀川:運という言葉もありますが、サッカーではやはり実績がものをいいます。1試合に1点平均とはゆかなくてもそれに近い実績を残して(GKの能力アップでゴールを奪うのは難しくなっていますが…)いるようなストライカーが欲しいと誰もが思っているが、かつての釜本邦茂のような選手はなかなか現れません。

――まぁストライカー得点論、育成論は別に話してもらうとしても、この後の試合はどうですか?

賀川:UAE戦の負けは負けですが選手たちはともかく何度もせめて相手の3倍以上のシュートを打って得点できなかった。しかし、シュート練習は誰であってもしっかりと回数を重ねなければなりません。サッカーの技術の多くを身に付けている代表の選手たちがキックやシュートという最も基礎になるプレーを自分のものにするのは当然のことです。そのポジションに必要なキックを始め、その仕事に必要なキックを習得することはとても大切です。なんといってもサッカーは「蹴球(しゅうきゅう)」と昔から呼ばれ、ボールを蹴ることが重要とされてきました。今度の9月10日にJFAの殿堂入りするベルリン五輪の日本代表16選手の多くはキックの名手であったことを私はよく知っています。そうした先輩たちの後を継ぐ日本代表が練習によってちょっとしたコツを取り戻し、シュート力を向上させることはパスの能力アップやランの向上にもつながり、チーム全体が新しい力を備えることと思って見ています。

――アラブの強国UAEに第一戦を落としたからといって引き下がるわけにはいきませんね

賀川:アジア最終予選を戦うという大きな仕事を全員が一致して乗り切ってほしいものです。次のタイとのアウェイを楽しみたいと思っています。

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日独サッカー展とアジア第2次予選対シリア戦 久しぶりに香川真司の好プレーを見て

2016/04/12(火)

2018FIFAワールドカップロシア アジア2次予選 最終戦
日本代表 5(1-0、4-0)0 シリア戦

――神戸市立中央図書館で日独サッカー交流展が開催されていますが、4月9日には賀川さんの講演会も行われたそうですね

賀川:日本サッカー協会(JFA)が東京で昨年暮れから今年に冬にかけて日独サッカー交流展を行い、昨年12月にトークイベントを開催しました。その交流展の展示品をJFAから、そのまま借用して、神戸でも開催したいと考え、NPO神戸日独協会、NPOサロン2002、NPO神戸アスリートタウンクラブの協力をえて4月から開催しています。9日にはその日独のサッカー交流について講演しました。神戸という港町も独自のドイツとの交流がありましたから、その視点でもお話をし、また展示品の中には太平洋戦争中にドイツの商船で、のちに日本海軍の航空母艦(空母)に改装したシャルンホルストに関するものなどについての本もありました。私が神戸一中の3年生の頃には、このシャルンホルストの船員と兄・太郎たちのチームが神戸一中のグラウンドで試合をしたこともありましたからね。

――日本とドイツといえば、デットマール・クラマーさんを思い出しますね

賀川:この展示もデットマール・クラマーを記念する意味もあります。日本サッカーの大恩人ですからね。

――スピーチの会場にドルトムントの香川真司のユニホームが展示されましたが、スピーチのあとでユニホームと記念撮影をする人が多かった。賀川さんも何回も付き合ってカメラに収まっていました

賀川:神戸ですから、香川ファンはいっぱいいます。このユニホームも、前回のスピーチのときに香川選手のお母さんが、わざわざ持参して寄贈して下さったのです。

――楽しい会でした。こうしたスピーチや「このくにのサッカー」の対談などがあって、ここしばらくこのブログでの観戦記などが少なくなっていました

賀川:日本代表や香川真司がいいプレーをしたワールドカップアジア第2次予選対シリア戦(3月29日)についても、このブログではまだでしたね。申し訳ないことです。

――少し遅いけれど、2次予選の総括の意味を込めて振り返ってみたいところです

賀川:この試合についてはサンケイスポーツ新聞紙上に私の感想も掲載されましたが、先程話に出たように、香川真司がとてもいいプレーをしたのでそれについても語りたいところです。

――香川がこのシリア戦のあとドイツへ戻って、ドルトムントでとてもいいプレーだったそうです

賀川:ここしばらく調子がいいとは言えなかった香川についてはハリルホジッチ監督も気にしていたようで、シリア戦の前のアフガニスタン戦では本田圭佑は休ませたのに香川は試合後半途中に出場させました。そしてシリア戦はスタートから本田、香川、宇佐美貴史の第2列に、岡崎慎司をワントップに置きました。長谷部誠、山口蛍のMF、右が酒井高徳、左が長友佑都、CDFは吉田麻也、森重真人、GKは西川周作でしたね。

――はじめから速いテンポの攻めでした。とてもスピーディな動きでサッカー特有の爽快感のあるいい展開…と言っていましたが、これに緩急がつけばなぁと惜しんでいましたね

賀川:難しいことではあるが、緩急の落差の大きいプレーができると速さが生きるのです。この試合を見ているときにヨーロッパからヨハン・クライフ死亡のニュースが届きました。クライフは、ワールドカップのオランダ代表で、トータルフットボールを演じました。現代のサッカーのもととも言うべき、全員攻撃、全員守備なのですが、その時にもクライフによる緩急の変化が、オランダの速い攻撃を生かしていた。もちろん、緩急といったプレーのタイミングについて文字や言葉で説明するのはなかなか難しいのですが、ヨハン・クライフはそのタイミングについても語った人でした。

――前半のゴールは左CKから相手のオウンゴールでした。

賀川:ショートコーナーにして、香川がペナルティエリア近くから速いライナーを送り、GKアルメハがパンチしたのが仲間の頭に当たってオウンゴールとなりました。ショートコーナーで相手が予想していたよりも速いクロスを送ったのが活きたのでしょう。

――それまでの6本のCKとは違ってショートコーナーにしたことでまず最初にタイミングを遅くし、次いで強い速いクロスで、クロスに対する相手の反応を狂わせたとも言えますね

賀川:それが相手のオウンゴールにつながったと私は見ています。

――このあと日本側は何度もチャンスを作りながら得点できず、前半は1-0でした。後半も、相手は守りを厚くしながらも、積極的にカウンターに出てきたこともあって4点を奪われました

賀川:シリアの国情から見ても、シリア代表チームの環境は決してサッカーにいいとは言えないはずですが、彼らにも代表のプライドがあり、また国民を喜ばせたいという願いがあるのでしょう。そのためには、守りを厚くして失点を少なくするだけでなく、チャンスには攻めに出て1ゴールでも奪いたいと思ったのでしょう。何度もいい攻撃を見せました。日本側が前がかりになって攻めに多くの人をつぎ込み、ボールを奪われたときに守りが手落ちになったこともありましたね。

――ノーマークシュートの場面もあったので点を取られても不思議はなかったほどです

賀川:日本は長友、宇佐美のいる左サイドも、また酒井の右サイドも何度も攻め込みました。前半には短いパスがつながった驚くほど見事な場面もありました。

――最後は酒井がゴールキーパーと1対1になってシュートは左に外れましたね

賀川:まぁ見ていて、とても楽しい攻めを何度も作りました。相手がゴール前に引き込んでいるだけでなかったこともありますが、私はシリアのサッカーの意欲に感心したものです。

――後半20分の日本の2点目は相手CKをGK西川がキャッチし、原口へボールを投げたところから始まりました

賀川:山口蛍がジャンプヘッドのときに、送れて飛び込んできた相手にぶつかられて担架で運び出され、原口元気が交代で入っていました。その原口がドリブルしてハーフラインを越え、左の宇佐美にパスしました。宇佐美は縦に進み25ヤードあたりから内へ持ち込んで、3人に囲まれて香川にパス。香川から長谷部へ渡し、相手がそれを奪いに来てもみあいから高く上がったボールがペナルティエリア内に落下した。本田がいて、左足でそのボールをもう一度浮かせて香川へパスした。香川はこのボールを胸で止め、左足のボレーシュートを決めたのだった。

――香川がシュートのとき「うまい」と叫んでいましたね

賀川:胸でボールを止め反転して左足のボレーに持って行くところの形が良かったこと。そして、その難しい反転シュートを、利き足の右でなく、左足で決めたところにこの日の香川の好調さというのか、あるいは香川のゴール前での実力アップというのか…いいプレーが出ました。テレビではスローでのリピートを見せてくれました。このとき香川が左ボレーを蹴る形をよく見ることができます。ボールを注視して、精神が集中している一瞬をよくとらえていました。

――絶品という言い方で、ほめていました

賀川:選手は、こうした重大な場面でいいプレーをすることで、力をつけていくものだという、一つのうれしい見本でした。

――3点目は香川のペナルティエリア左一杯からの本田へのヘッドでした

賀川:本田のヘディングは日本代表の一つの武器であることに変わりはありません。このチャンスも相手のシュートをGK西川が足で防いで、相手のCKからというチャンスでした。日本側のクリアが香川に渡り、速攻のパス交換から香川が本田の頭上へ送ったクロスを本田がノーマークでジャンプヘッドしました。後半41分でした。本田のすぐ近くに日本の2人が走り込んでいました。

――4点目は香川が決めました。

賀川:金崎がヘディングを取りにいって、相手のヘディングが香川の近くに落ち、香川が右足でシュートし、相手GKの体に当たったリバウンドを香川が左足サイドキックで押し込みました。

――5点目は長友のクロスを原口がヘディングで決めた。左から相手に押し込まれた後のカウンターでした

賀川:この日の長友の何回もの攻め上がりを締めくくる後半48分のゴールでしたね。長友のタフさと技術はこの試合でも充分に見ることができました。原口もゴールを奪う気持ちが最後に報われたという感じでしたね。

――岡崎慎司は2度いいチャンスがありましたが得点できませんでした

賀川:この日のスターティングメンバーラインアップでの4人の攻撃陣は長身がいないので、監督さんもその点の組み合わせをどうするか考えているように見えました。

――2次リーグを勝ち抜き、いよいよ秋からのアジア最終予選を戦うことになります

賀川:アジアの強豪チームが顔を揃えます。2次予選の試合を足場に代表チームの一人一人がまた成長してもう一段上の最終予選も勝ち抜いてほしいものです。

――それにはJリーガーの国内代表も海外組も、よりたくましく強くなってほしいものですが、やはり香川や本田、岡崎たちもシーズン後半のヨーロッパで活躍し、力をつけてほしいものです

賀川:ドイツ、イタリアそしてイングランドのプレミアリーグも見なければならず、サッカーファンには忙しいが楽しい日々が続きますね。

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ゴールへの意欲が5得点を生む

2016/03/25(金)

2016年3月24日 埼玉
日本 5(1-0、4-0)0 アフガニスタン

――アフガニスタンに5-0で快勝しました。2018FIFAワールドカップロシア アジア2次予選の日本は7戦して6勝1引き分けとなりグループEのトップで29日に最終戦を迎えます

賀川:8戦目の相手シリアはアフガニスタンよりは手強い相手ですが、その前の格下相手のこの試合で監督は選手の組み合わせをテストできたと言えるでしょう。

――日本は珍しく2トップにしました。岡崎慎司と金崎夢生を組ませました

賀川:金崎は上背もあり(180センチ)いわゆるCF(センターフォワード)タイプ。この日も9本のシュートを放つなど得点への意欲満々のプレーを見せた。決めたのは後半33分のチーム5得点目だった。

――ハーフナーのヘディングの折り返しを突っ込んで体に当ててのゴールでした。金崎のゴールを目指す強い気持ちがこの日の日本チーム全員の姿勢を表していましたね。

賀川:そのチーム全体の積極性が新しい選手を起用した監督の狙いであったでしょう。選手間の競争も含めて…

――5得点を振り返ると

賀川:前半はじめから日本が攻め、アフガニスタンが守るという体勢になり、攻め込んでも多数防御の壁にはね返されていた。

――クロスからのヘディングシュートという手はあったが、はじめのメンバーでは相手ゴール前のヘディングは必ずしも取れていなかった。CKでも相手の方がはね返していましたね。

賀川:ずっと押し込み、右から左からのクロスの攻めを続けていた日本側が40分台すぎに押し返された。1点目のゴールは日本のDFからのパス展開で始まった。ハーフラインやや内から吉田が右前の柏木にパスを送り、柏木は右タッチラインぎわの酒井宏樹にパス。酒井は内側の長谷部に渡すと長谷部はひとつ止めてすぐ前方の清武につないだ。ノーマークで受けた清武は中央のスペースをドリブルし、ペナルティエリアすぐ外側、中央にいた岡崎にパス、岡崎は2人のDFの間でボールを受け、巧みなターンでゴールに向き直り、奪いに来たDFをかわして左足サイドキックで左ポストいっぱいにシュートを決めた。

――日本に押し込まれ、それまではエリア内に6人から7人いて防いでいたアフガニスタンはこのときペナルティエリア近くの最終守備ライン、その前方の守備ラインとの間に空白ができていた。そこを長谷部-清武のパスと清武のドリブルで突破し余裕を持って清武は岡崎へパスを出した

賀川:岡崎がボールを受ける前に2トップのもう一人金崎が右へ動いたのも効果があったはず。2人のディフェンダーが背後から岡崎をマークすることになり、その2人の間に岡崎がいる形になってしまった。このあたりがまたアフガニスタンの守備の感覚の低いところでしょうね。

――別の見方をすればその2人のディフェンダーの間でボールを受けたところが岡崎の上手さとも言えるでしょう。

賀川:岡崎はボールテクニックの上手さという点で高い評価を受けていないが、ゴール前の自分の働き場ではこのところとても落ち着いて見えます。レベルが高いイングランドのプレミアリーグの優勝争いのトップにいるレスターのレギュラーとして、ゴールを決め、チームに役立つ選手となっているという自信ができているように見える。その落ち着きとともに相手の意表をつく巧みなプレーもこなしている。このゴールはまさにイングランドのトップチーム・レスターのストライカー岡崎のゴールと言えるでしょう。

――後半13分の2点目清武のゴールは長谷部-金崎のパスを金崎がダイレクトで相手DFラインの裏へ送り、清武が走り込んで左足のダイレクトシュートで決めました

賀川:パスの攻撃の妙でした。金崎がボールを浮かせてそれがDFラインの背後に落下したところに清武が走り込みました。誰もが喝采したでしょう。

――後半18分には3点目が生まれました。右サイドの酒井がドリブル突破して、ゴールラインに迫り、なお内へドリブルしてペナルティエリア内に持ち込み、中へ送ったボールがアフガニスタンの選手の足に当たってゴールへ入りました

賀川:記録はオウンゴールですが、酒井のゴールへ突進していったドリブルと意欲に対するサッカーの神様のご褒美でしょう。

――4点目は清武の左CKをニアサイドで吉田が合せたヘディングです

賀川:ハーフナーが後半27分に岡崎と交代して入っていました。このCKもやはり194センチという長身のハーフナーが加わって相手の警戒が分散されていました。もちろんニアに飛び込んだ吉田のヘッドは彼の得意の形の一つですが、ハーフナー効果のあらわれのひとつです。

――そのハーフナーは清武のクロスをヘディングで折り返し、金崎のゴール(5点目)へつなげた。ジャンプヘッドは周囲のだれよりも高くかった。日本代表に“高さ”という武器が一つ加わるかもしれない。

賀川:本田と香川という攻撃の二枚看板なしでスタート(後半に香川を投入)した新しい組み合わせも良い結果を出した。もちろんアフガニスタンの力が弱いということもあるが監督にとってもテレビ観戦者にも埼玉スタジアムに集まった48,967人のファンにもまずは満足のゆく試合だったでしょう。

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Anything can happen in football

2015/06/19(金)

FIFAワールドカップ2018ロシア
アジア第2次予選
日本 0-0 シンガポール

――引き分けでした。0-0。20本以上のシュートがゴールできず、埼玉に集まった5万7千余りのサポーターもテレビの前の全国のファンも不満のままの90分でした

賀川:シンガポール側から見れば、会心の試合。サッカーでは実力が違っても、こういう結果をも生み出せることの良い実例でしょう。

――サンスポに賀川さんの観戦記が掲載されていました。「選手同士で考える」という見出しでしたね。

賀川:こういう試合を振り返ると、その原因はいろいろあります。まず、いつも言い続けていることですが、いい監督さんが来て、その影響力が強いと、監督の指示通りの試合をやろうとする。それが、その日の相手と合わないときには自分たちで考えることが大切でしょう。そうは言っても、簡単なことではない。

――賀川さんは元々、そういう心の問題や抽象論よりも具体的にどのプレーが…との指摘が多かったと思いますが

賀川:そう、根本的なところの話も面白いが、サッカーはゴールを相手より多く奪えば勝つという単純な競技ですからね。

――となると、23発のシュートが1点にもならなかったことから、シュートの話になりますか

賀川:もちろんそのシュートを蹴る当事者が、良い条件でシュート体勢に入れるかどうかというところに攻撃の妙味はあります。しかしそれでもシューターの問題も多いでしょう。

――試合後の談話で岡崎慎司が「ゴールキーパーに調子づかせてしまった。もっとも相手がそうなっても、ゴールを決めないといけないのだが…」と言っていました

賀川:ストライカーだけあって、ゴールキーパーのこともよく分かっていますね。開始早々の本田のロングシュートがGKイズワンのいい予備運動になりました(強い球であったが、グラウンダーで正面へ来た)。次に香川真司が後方からのパスをうまいトラッピングで受けて、前を向き右足でシュートした。これをGKイズワンは右へ(シューターから見れば左へ)飛んで左手で防いだ。良いシュートだったがイズワンの読み通りの方向だったし、高さも強さもGKには防ぎやすいところへ飛んだ。

――あのシュートコースは香川の形ですね

賀川:落ち着いたストライカーなら、右のニアサイドへ蹴ることもあるが、香川は自分の一番得意な形で蹴った。

――賀川さんの頭の中には、釜本の得意の形だったという思いがあるでしょう

賀川:彼が自分の形でシュートしたら、ボールの速さが違うから同じ位置へ飛んでもGKは取れないだろうね。まぁ、こういうシュート議論がメディアの間で交わされるようになればね。

――スポーツ紙では、シュートの解明をしようとの動きも出ています

賀川:それは結構なことですよ。そう、3本目は岡崎のシュート、宇佐美のドリブルからのパスが出て、岡崎が左足でシュートした。

――イラク戦でも、同様のシュートチャンスがありました。岡崎は決めましたが

賀川:同じ経験で作ったチャンスでも、相手の守りの人数が多い分、シューターも余裕がなくなっていたはずです。この岡崎のシュートでもGKイズワンは良いセービングができた。こうなって来るとゴールキーパーは調子づくものです。

――日本でも、オリンピックの対ブラジル戦で川口が難しいのを何回も防いで、逆に1-0で勝った一大番狂わせを演じました

賀川:そう、原因を突き詰めて、基礎的な考えに到ることもありますが、ピッチの上ではまず相手GKイズワンが調子づいたことが一つ、相手の最終防御ラインの引き方、そのラインの前進後退と、その前の5人の中盤での守りがうまくと統制されていた。

――そこへスルーパスを出しても、通らないし、裏へ出てもオフサイドの場合もある。やっと届いたと思うと相手は次の選手もきているということもあった

賀川:日本選手が欧州勢と試合するときは、相手の大型プレーヤーよりも「敏捷」という特色を生かす…という。シンガポールのような東南アジアのプレーヤーは、体のばねもあり、敏捷な動きができる上に、ボールテクニックも上手だ。今度のシンガポールは体も良くなっていた。

――思っていたより、やり難い相手だった

賀川:シュートが入らなかったのはGKイズワンの好プレーと、日本の不運もあった、とシンガポールのドイツ人の監督さんは言っていた。

賀川:1992年の欧州選手権でデンマークが予想を裏切って優勝したが、このときのデンマークのGKピーター・シュマイケル(マンチェスター・ユナイテッド)の働きは素晴らしかった。見ていてこれは、ちょっと点は取れないなという感じでした。

――それにしても、これだけ攻めて入らないとね

賀川:ヨーロッパの攻撃陣なら高さを利しての空中戦でいくとか、上げて競り合っての力強さでいくとかあったでしょう。日本でもそういうやり方で点を取ったこともあります。終盤には相手選手に足の痙攣を引き起こす者が増えていたでしょう。体力で勝つのも一つの手でありますが、別の見方をすれば、ボールテクニック、ときにパスの精度、つまりキックの精度がクロスを含めてまだ高くないこともあります。

――宇佐美は

賀川:こういう大事な試合で目立ってもらわなければいけない選手ですが、まぁこの次まで待ちましょう。

――なでしこで折角盛り上がったサッカーが、この0-0でちょっとトーンダウンします

賀川:シンガポールという、小さい国だが豊かで元々サッカーも盛んなところが、本格的に強化策に乗り出してきた。日本を相手に負けないサッカーをしてやろうというところに、今のアジアのレベルアップがあると言えます。日本は今やアジアではそういう目で見られていることを改めて知ったのも今度の試合のプラスです。1980年代、当時ヨーロッパでトップにあった西ドイツ代表のデアバル監督はこう言っていました。ワールドカップの予選でアルバニアなどの小国に1-0の僅差で勝ったりする、ドイツのメディアにガンガン叩かれる、万一、引き分けでもしたらまるで「この世の終わり」みたいに書かれてしまう…。

――釜本さんを指導してくれた、80年のEURO優勝、82年ワールドカップで準優勝の監督ですね

賀川:そんなときどうするのか…と聞いたら、彼は「Anything can happen in football」とね。サッカーではどんなことでも起こり得る…ということですね。

――そのハプニングの一つ一つを今後も見ていきましょう。

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2014ブラジルワールドカップ決勝

2014/07/20(日)

——FIFAワールドカップ2014ブラジル大会の決勝(7月13日・リオデジャネイロ)でドイツがアルゼンチンを延長で1−0で破りました。すごい試合でした

賀川:ドイツの優勝は54年、74年、90年に続き今度が4回目です。1954年は日本がはじめてワールドカップに目を向けて、初のアジア予選・日韓戦が行われて、日本にも記念すべき大会でした。

——それから60年ですね。3度の優勝はご覧になった

賀川:まさか。1954年は記者にはなっていて、ワールドカップの取材案内をFIFAからではなく航空会社から受け取ったと記憶しています。日本に勝って大会に参加し、ハンガリーやトルコに敗れた韓国の監督さんからその後にいろいろ話を聞きましたが…

当時の東アジアのレベルのはるか上の個人技術をハンガリーが示したし、体力の面でも大きな差があったそうです。

——FIFAのサイトに掲載された賀川さんの記事で、74年の決勝で現代サッカーのさきがけのプレッシング・フットボール、またの名をトータル・フットボールの決勝を見たとあります

賀川:クライフのオランダ代表とベッケンバウアーの西ドイツ、勝負は西ドイツが勝ったが、当時の最高レベル、最も新しいサッカーを見せてもらいました。

——そういえば、ドイツの優勝は54年、74年、90年とほぼ20年ごとですね。94年ではなく90年だったが…

賀川:今度の決勝は生でなく自宅のテレビ観戦だったが、ブラジルへは日本の試合などを取材に出かけ、短期間ながら現地の空気も感じたので、マラカナンの決勝も身近なものと見ましたよ。

——予想ではドイツを推す人が多かったが

賀川:いつの大会でも上位まで出てくるドイツサッカーの底力、体調管理や故障回復などといった医科学の面も含めて、ナンバーワンと言われているところです。今度はレーブ監督が2回目で、彼は2006年のドイツ大会(3位)の時にクリンスマン監督の下でコーチをつとめていて、2010年(3位)と今度、連続して監督です。

——コーチ時代から言うと3回目、経験も十分あると言うわけ

賀川:ドイツのサッカー、代表監督の話をすると、また長くなるから試合そのものに移りましょう。小柄なレーブ監督はクリンスマンほどの有名ストライカーではなかったが、選手時代はやはりユース代表のFWで、点取り屋だったと聞いていたので今度のドイツ代表のプレーにはこれまでと違った期待もしていた。

——ブラジルに大勝して、一気に評判を高めたドイツだが、決勝そのものは大接戦。リオネル・メッシが何度かチャンスを作り、あわやという場面もあった。

賀川:アルゼンチンの守りのうまさ、特に1対1での一人一人の粘りと対敵動作での狡猾さは伝統的なものだが、このチームはチーム全体がしっかり守るという意識がはっきりしていたから、これまでの代表の中でも固く巧みな守りだった。危険地域をカバーし、相手のシュートやパスの最後のところで足をいっぱい伸ばしてそれを食い止めるシーンはテレビのクローズアップでも何度もご覧になったでしょう。準決勝の相手オランダのロッベンのポスト近くからのクロスをマスチェラーノが右足を伸ばしてCKにした場面は多くの人に感銘を与えた。あの時間帯であれだけ足をいっぱいに伸ばせば足がつるのですが、そうした目一杯のプレーをアルゼンチンの選手はマスチェラーノだけでなく、多くの選手が演じたのです。

――その組織的で個人的にも強い守りを崩すにはドイツには時間が必要だった?

賀川:そう。守っていてボールがメッシに渡るとチャンスにすることができるアルゼンチンはドイツにとってもやっかいな相手です。今度のドイツ代表は中盤から速い攻めを仕掛けた時にチャンスになることが多いのだが、アルゼンチンはドイツのボールの時は早い後退で厚い守りをするので、ドイツ側は相手の防御網の前でボールをまわしつつ、シュートチャンスを狙うことになる。

――中盤から勢いに乗った攻めでブラジルの守りを粉砕したが、アルゼンチンはそうはいかない

賀川:昔から私はこう言ってきた「ドイツ代表選手は走り出せば戦車だが、立っていると電柱と同じだ」とね。

――天下のドイツ代表に対していささか失礼?

賀川:私はドイツサッカーを尊敬しています。デットマール・クラマーという「真の友人(彼は私のことをトゥルー・フレンドと言う。そのいきさつはまた別の機会に)」もいるし、日本サッカーが多くを学んだ国でもあります。それでもそういう大きな選手のプレーの特徴もあるのです。ドイツがその「動き」の大きさをどこで出し始めるかが、この試合の行方にかかわると見ていました。

――延長に入った頃にはアルゼンチンは疲れはじめていました

賀川:ドイツ代表も疲れてはいたが、まだ走ろうという意欲があった。

――互いにピンチを切り抜けた後、延長後半にドイツのゴールが生まれました

賀川:テレビの画面で延長の前にキャプテンがもう一度コイントスでエンドを決めたとき、メッシが少し疲れた様子を見せたのをとても面白く感じました。ラームの方は疲れた様子は見せなかった。

――ふーむ

賀川:延長に入ってアルゼンチンの足が止まり、ドイツが走って攻め込んだ。ただしメッシの一発攻撃があるから、用心しながらだった。

――延長に入る前にドイツはクローゼに代えてゲッツェを投入しました

賀川:延長前半にアルゼンチンの左からの高いボールのクロスをドイツのDFが目測を誤ってヘディングできずノーマークでアルゼンチン側に渡った。

――ドイツのDFフンメルスがいゆる「かぶった」のをパラシオ(イグアインと交代)がその後ろで胸に当てエリア内に落としてシュートしようとした。GKノイアーが前進したので、その上を抜こうとしてパラシオはボレーで蹴ったが、ボールはゴールの左ポスト外へ落ちた。

賀川:ドイツ側のベンチもサポーターもヒヤリとしただろう。ノイアーが前から近づいたのがベテランのパラシオにも圧迫感を与えたのかもしれない。フンメルスがジャンプの目測を誤るなんて、ちょっと考えられないミスだった。

――ドイツDFに疲れが重なればメッシのドリブルも生きてきますからね

賀川:メッシも、かつてのマラドーナも同じようにドリブル突破のチャンスを見抜く目がすごい。マラドーナは90分のなかで、ある時間帯になると相手のDFの足の伸び方が小さくなるのを感じているのか、と思うほど仕掛ければ必ずドリブル突破は成功する「いま」をつかんでいた。メッシもこの大会で終了直前にドリブルからゴールチャンスを生んでいるでしょ。こういう天才たちには自分のドリブルの「いま」をつかむ能力があるのかなと思っていた。だからドイツDFの疲れが見えたとき、危ないかなとも思ったが…

――延長後半に決勝ゴールが生まれました

賀川:3分にヘディングの競り合いでシュバインスタイガーが顔から出血して場外へ。そのFKからの競り合いの空中戦で、今度はミュラーが衝突して頭をおさえるという激しい競り合いがあったが、ボールをキープしたドイツはシュバインスタイガーの治療がすむまで自陣でキープするという慎重ぶりだった。そして7分、彼が戻るとともに攻撃を開始した。

――パスを回して、ひと休みした後の左からの攻めは、すごいスピードだった。ハーフウェイラインを越えて15メートル左タッチ寄りでボールを受けたシュルレがドリブルした

賀川:前方、左タッチライン沿いにゲッツェがいたが、シュルレはまっすぐドリブル、ゲッツェは内へ動き、それに牽制されてDFの詰めが遅れる。2人のアルゼンチン選手の間から、シュルレの短いクロスがフワリという感じでペナルティエリア内へ飛ぶ。ボールはCDFデミチェリスの上を越え、ゴールエリア左外角の手前でゲッツェがジャンプして胸でトラップでとらえ、落下するボールを見事に左足で叩いてGKロメロの右を抜いた。

――スロービデオのおかげで、ゲッツェのトラッピングからシュートの動作が堪能できますが、歴史に残るシュートですね

賀川:左サイドでボールを受けたシュルレは速いプレーヤーだが、この時もスピードがありアルゼンチン側は2人が引きつけられ、3人目も中途半端なポジションとなってゲッツェはノーマークで止めてシュートできた。ボールは右ポスト近くに飛び込み、サイドネットを揺さぶった。

――走れば戦車というドイツの速いドリブルと伝統的なタフさがチャンスを作り、新しいタイプの小柄なゲッツェのテクニックが結びつきましたね

賀川:バイエルン・ミュンヘンが同じブンデスリーガのドルトムントからゲッツェを獲得したときに注目されたが、いわば「ボールを止めることを苦にしない」という天性のボールプレーヤーのひとり。ドイツにはこういう天性のボールプレーヤーがこれまでもあらわれたけれど、バルセロナのようにこういう素材を伸ばすことがサッカー向上の本筋ということに注目するようになったのは、最近のこと(クラマーは年来そう唱えていた)。

――体が小さくて、上手ではあるが、今度の大会のようにぶつかり合いの多い試合では力を発揮するかどうか疑問視されていた

賀川:そういうタイプのプレーヤーが土壇場で生きた。あの局面で彼だから正確に胸で止め、ボレーシュートしたのだと言える。

――歴史を感じますね

賀川:そう。1954年に当時の世界のトップにあるハンガリーを破った西ドイツ代表には最高のボールプレーヤーと言われたフリッツ・ワルター主将がいて、彼のパスでチャンスを作った。74年の優勝の時の主将、フランツ・ベッケンバウアーは私の言う「ボールを止めることに気を使わない」天性のボールタッチ能力のある選手だった。若い頃はFWで1シーズンに100ゴールしたという彼がリベロとなって、守りを統率しつつ効果的なパスを出した。

90年の優勝はローター・マテウス主将のキャラクターから技術よりも(実際は技術も高かったが)体力、組織力が評価され、それ以降しばらくドイツのサッカーは低迷した。やがてバイエルン・ミュンヘンを中心にブンデスリーガの充実が進み、いまやこのリーグは欧州最高のひとつとなり、バイエルン・ミュンヘンは欧州のトップを常に争うまでになった。そういう状況のなかでバルセロナの監督だったグアルディオラを監督に迎えたバイエルン・ミュンヘンに、ドイツのサッカーの進歩への情熱が現れている。

――それが、今回の優勝にもつながった

賀川:それにしても、王国ブラジルでの2度目のワールドカップはすばらしい大会になった。ブラジルやスペインの大敗についても、私自身いろいろ勉強になった。また、日本サッカーの今後を考えるためにも、この大会の多くの試合はとてもいい勉強になると思う。

――行ったかいがありましたね

賀川:いずれいろいろお話できると思っていますが、とりあえず、ドイツの皆さん優勝おめでとう。ブラジルの皆さん、勝敗はともかく、ブラジルはこの大きな大会で広大な国土を世界に見せようとしたすばらしい企てを立派に成功したとお祝いを申し上げたい。私自身もブラジルについて、また知識が増え、この国の魅力をさらに深く感じたのです。

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進化したはずの日本の技術が相手より低かった

2014/06/28(土)

――1対1となって前半が終わり、誰もが後半に期待をかけました

賀川:コロンビアは1次リーグ突破は決まっているが、ここで負けるわけにはゆかないと後半の頭からハメス・ロドリゲスを投入してきた。

――バルデラマの後継者と言われるパスの名手

賀川:左足のパス、シュートがうまい。バルデラマのような人を食ったような感じではないのに、意表を突くプレーをする選手です。

――彼が入ってコロンビアはイキイキしてきた

賀川:後半4分に右から中へドリブルし、日本のDFをかわしてシュートし、右CKになった。チームを元気づけたでしょう。このドリブルは、日本側には厄介な相手が来たな、という印象を植え付けたでしょう。若くてスピードがあるからね。8分のペナルティエリア左角外からのFKも、鋭いカーブで誰も触らなかったが、ゴール前を抜けて、日本側はヒヤリとした。

――くせ玉を蹴る選手ですね

賀川:10分、彼からのパスを受けたジャクソン・マルティネスが決めて1-2となった。コロンビアが右サイドでキープした時は、日本側の守りの人数は揃っていたが、左にいたロドリゲスが小刻みなステップで内へ入ってきて、右からのボールを受け、左足で持ってシュートの形を見せながらのキープで日本DFをひきつけ、ノーマークのマルティネスにパスをしたのです。

――ロドリゲスに幻惑された?

賀川:若くてもベテランのようなプレーができるんだな、と改めて思いました。それにしてもこれだけの選手がいることを知っているはずだから、マンマークの対策とか、彼特有の防ぎ方を考えて徹底するはずですがね。

――古い話だが、アマチュアのメキシコ五輪銅メダルチームは1次リーグの対戦相手の写真を持たされて自分のマークの相手の顔を覚えたと聞いています

賀川:まあ事前準備に対しても、いい選手の方でも対応はするでしょう。このあたりまで、いささかロドリゲスにやられすぎの感じでした。

――これで1-2となり、1次リーグ突破という望みは困難になった

賀川:リードして守りに入り、ボールを奪えばカウンターというコロンビアには申し分のない展開となった。日本はシュートを打つが決定的なものとはならず、相手はピンチとみるとエリア外ではファウルを犯すことも平気になった。

――本田のFKで惜しいのもあったが…

賀川:19分に本田~内田と渡って、内田が速いクロスを送り、大久保が右足に当てたが、ゴールにはゆかなかった。決まっておれば、内田のマタ抜きダイレクトクロスとして記録に残るのだが。

――大久保が走りこむタイミングにボールが強すぎたのかもしれない。この時も、相手のマークはついていた

賀川:いずれはJFAの強化本部でも問題点になるだろうが、トップクラスの選手のキック能力をこの日の試合でも感じることになる。体の強さとも関係があるが、ボールを正確に強く蹴ることは外国にゆかなくても日本にいてもできることですからね。

――いいシュートもあったが、GKの正面にいった

賀川:ペナルティエリアの外、数メートルで蹴るよりエリア内に入ってシュートした方がいいのだが、それができない。香川がその意欲を見せたが、むずかしかったね。それにこちらのクロスを相手がヘディングでカットすると、そこからの早いカウンターがあって、そのたびにDFは全速力で帰陣することになって疲れが重なった。

――それでさらに失点することになる

賀川:37分には3点目を奪われた。攻め込んで右から左へボールを動かして中央へもどし、本田がキープした時につめられて奪われた。8人が攻撃に出ていて、そのボールがロドリゲスに渡って、彼がボールを右サイドで受けた時には日本は自陣に2人だった。左にいたマルティネスが右前へ走って、大きく内田のマークを外し、ペナルティエリア内側でボールを取り、追走してきた内田を切り返してかわし、吉田がつめる前に左足シュートを左隅に決めた。

このチームの一番のストライカーのファルカオが怪我でメンバーから外れた時に、ぺケルマン監督がうちには彼におとらぬいいFWがいると言ったほど。ポルトガルリーグではすでに定評ある力通りのシュートだった。

――1-3。やられました

賀川:望みを失っても、なお攻めようとする日本選手は見ていて痛々しい感じだった。3点のリードにも彼らは日本の攻めには9人の守りで対応した。40分には彼らの古くからの仲間、モンドラゴンを交代で登場させる余裕も見せた。

――43分に柿谷の左からのクロスが相手に渡り、コロンビアの攻めにかわり、左サイドにいたロドリゲスが中央へ出たボールを取ってドリブルで吉田をかわし、4点目を決めました

賀川:せっかく走って奪いに行った吉田が、ロドリゲスのフェイントでかわされシュートを決められた場面は、言いようのないさびしいものだった。厳しい現実だったが、これがワールドカップなのでしょう。

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岡崎慎司の十八番ゴール

2014/06/26(木)

――コロンビアは南米予選で2位、世界ランク6位でC組では一番強いとされていました。それに勝つ試合をしなければならなかった

賀川:世界ランキングの順位の差はあまり大きく考えなくてもよいと専門家たちは言います。それはそうですが、コロンビアの代表のひとりひとりはなかなかの選手がそろっています。

――彼らの先発メンバーは第1、2戦とは大幅に違っていました。8人が新しい顔で攻撃の組立て役、ロドリゲスもいなかった

賀川:といって11人のうち9人がヨーロッパで働き、2人がアルゼンチンのリーグです。国内リーグの選手はMFのメヒア(アトレチコ・ナシオナル)だけのはず。1987年の南米選手権でそれまでは評価の低かったこの国の代表が評判になり、90年イタリアワールドカップでは注目のチームでした。私は87年にたまたま南米でバルデラマという金髪のプレーメーカーを見て驚いたものです。イギータという前進してDFのようにドリブルで相手FWをかわすGKもいたが、足の速い攻撃陣が魅力的でした。

――94年アメリカ大会で敗れて帰国した後、選手が殺害されました

賀川:代表が負けたために賭けで損をしたマフィアがらみという話もあった。何しろ当時は麻薬で有名なところだった。いい時期の後の暗い時期を切り抜けて、サッカーのレベルアップが進み、代表も強化された。

――そう。もっと古い話で、ワールドカップ開催国となったが後で辞退した?

賀川:86年大会の開催国に決まっていたのが、経済状態が悪化して大会を返上した。それで70年大会の経験あるメキシコがアメリカと争って開催権を得た。アメリカは94年開催に回ったのです。つまりそれくらいサッカーに熱心な国なのです。87年の南米選手権の時にアルゼンチン代表監督のカルロス・ビラルドさん(86年ワールドカップ優勝)が「人口も多いコロンビアでサッカー強化が進むと、将来は南米でブラジル、アルゼンチンと並ぶ強国になるだろう。ウルグアイやパラグアイは伝統はあるが、人口は少ないからね」と言っていましたよ。

――そのコロンビアが今度の南米予選で評判になった

賀川:先述の通り、いい選手を生み出す素地はブラジルと同じようにあります。今度の代表を指揮したのがアルゼンチンのホセ・ぺケルマン(64歳)、プレッシングサッカーの信奉者らしく、この体力的にきついやり方を選手に厳しくやらせて効果を上げたらしい。

――ぺケルマンさんは2006年のドイツ大会でアルゼンチン代表の監督もつとめました。ドイツとの準々決勝でPK戦で負けましたが…

賀川:粒ぞろいの選手を練達の監督が見て、チーム力を上げたのでしょう。日本戦でも、当然のことながら日本の攻撃プレーに対してしっかり守ってカウンターに出た。守りも積極的で彼ら特有の「足を出す速さ」で日本を苦しめ、狡猾なファウルやアフタータックルで日本の攻撃展開を妨害した。

――日本はPKで1点を失った

賀川:奪ったボールを一つタメて一気にオープンスペースに出す、あるいはタメないでそのまま出す。いずれにしても広い場所で彼らの得意の1対1を仕掛けてきた。

――日本側には一番厳しいやり方ですね

賀川:日本のペナルティエリアの内に入ったところにアドリアン・ラモスがボールを持ちこんだ時、今野がスライディングタックルに行って相手を倒した。今野はボールに届くと判断したのだろうが、相手が右足でボールをカバーして、その足に今野がタックルした形になった。ちょっと厳しすぎるように思えたが、倒れ方がうまかったから笛が鳴ったという感じ。スロービデオで見ても、確かにラモスの右足に今野の足が当たっているから、取られても仕方ないが、身びいきでなく今野には気の毒だった。

――それだけ相手もうまかったし

賀川:エリア内でのタックルは慎重にということでしょう。

――その後相手のファウルに対してレフェリーは厳しくなりました

賀川:PKの基準を上げたからだろうか、日本にはよかった。もう少しファウルした選手に「重いことをしたのだぞ」という態度をみせてもらえばもっとよかったのだが…

――失点の前に、日本の攻撃でチャンスもあった

賀川:大久保のドリブルシュート、長谷部のシュートもあった。

――PKをフアン・クアドラドがど真ん中に決めました

賀川:GKの素人である私たちが言うのはおこがましいが、こういういきなりのチャンスでサイドネットへきっちり蹴るという心臓の持ち主はなかなかいないもの。相手のクアドラドのシュートのデータがどうだったのかは知らないが、蹴る瞬間まで動かない方が得な場合があります。

――岡崎慎司が見事なヘディングで1-1にしました

賀川:これも攻め込まれて奪ったボールを内田がすばらしいドリブルで持ち上がり、外へ開いた本田へパス、本田が左足でゴール正面の岡崎へライナーの低いクロスを送り、慎司が得意のヘディングで決めました。

――内田が自陣のペナルティエリアからドリブルを始め、ハーフウェイラインを越えた時に日本側は右の本田、中央付近に岡崎、左タッチ際に大久保、そしてセンターサークル内に香川がいた

賀川:それに対して相手は、4DFとその前のボランチ2人がいて6人だった。自分たちが攻め込んだ後のカウンターにもこれだけの人数が対応できるのが、前半の戦いぶりだった。それを内田のさらなる前進と本田のパスと、岡崎の十八番でゴールにしたのです。

――内田がドリブルし、相手ボランチの一人を前にして右外タッチ際にいた本田へ。本田が受けた時には、自分の前方には相手の4DFと中央の岡崎と、はるか左の大久保がいるだけだった

賀川:そこから本田がドリブルし、アルメロを前にしてペナルティエリア右角まで持ち込んで、得意のフェイントの後の左足キックでパスを出した。

――後方からペナルティエリア内に香川が切り込んできた

賀川:本田の蹴ったクロスは香川と、それをマークした相手の後方を通って中央へ。

――そこに岡崎がいた

賀川:内田から本田にパスが出た時、岡崎はエリア外10メートル、ほぼゴール正面にいた。本田がエリア右外角からクロスを蹴る前に、相手と位置取りを争いながら、キック直前に一歩後ろ(外へ)に下がり、キックの一瞬前に相手の前へ体を入れて飛んでくるボールに頭を当てた。

――岡崎の真骨頂ですね

賀川:パスが出る瞬間に相手DFの目はボールに注がれる。その少し前に岡崎は体をくっつけ合って位置取りをしていた態勢から相手を離れ、相手の注意がボールに集中するときにニアサイドへ体を持っていったのです。いわゆる消えて、出るストライカーの一瞬の妙技です。

――大一番でそれがゴールになった

賀川:岡崎慎司は滝川二高の時からヘディングがうまく、飛び込みのヘディングは彼の得意芸のひとつだった。

――彼の空中の強さが、得点の原点になっていると前に書いていました。今は足も上手になったが、コロンビア相手に本領が出た

賀川:今、言ってしまうものどうかですが、第一戦のゴールの本田のシュートは本田の一番いい形でボールを蹴る、つまり彼のフォーム、彼の角度で蹴っているのです。今度の相手のように強く、ゴールキーパーも上手な相手との試合で、2ゴールがそれぞれの得意な形であったこと、それだけしか得点できなかったことをよく考えておくべきでしょう。

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選手たちの努力に感謝しつつ、新しい経験と結果を分析

2014/06/25(水)

――日本代表、完敗でした

賀川:試合の流れはテレビでご覧になった通りです。選手たちは試合後、それぞれ自分たちの力が足りなかったと言っているはずです。私にはまず、彼らがアジア予選に勝ってこの大会に出場してくれたこと、それによって日本中がワールドカップという世界のスポーツの一大祭典をハラハラ、ドキドキして楽しむことができました。そのことにまず、代表全員に感謝したい。

大会のグループリーグC組で、3戦1分2敗で得点2失点6という冷徹な記録は日本代表の歴史にも残ることになるのだが、少なくともアジア予選を勝つ抜いてきたからこそ、こういう経験も出来たのだと考えたい。ただし、日本サッカーの前進のためにはプレーヤー自身が試合のひとつひとつの局面を振り返り、何が勝ちに結びつかなかったのかを考えてみてほしいもの。サポーターの皆さんも何がよかったか、何が悪かったか、惜しい場面、うれしかったシーンを思い出し、ビデオを見直して、サッカーへの造詣を深めていただきたい。
今は思い起こすのも残念でも、ここからの反省がなければ、前へ進めない。日本のサッカーは極東にあって遠くヨーロッパや南米のフットボール先進地から離れ、ベースボールという手でボールとバットを扱う全く異質のスポーツが盛んになっている中で、100年がかりで少しづつ広めて、東京オリンピックを足場にその速度を上げ、1993年のプロ化と2002年のワールドカップ共催で大幅に国民の間に浸透しました。そのプロ化から20年余がたち、ワールドカップ出場の経験も積んで、こんどこそと望みを抱いた人も少なくなかったでしょう。私はワールドカップのようなトーナメント(1か所に集まる大会)は1か月の短期決戦で長期のリーグと違い、チーム全体、選手の調子、そして試合地の気候、風土(暑い・寒い)、相手側のコンディションによっては第2ラウンド進出も可能で、日本の選手たちがベスト4や優勝を目指しても当然と思っていた。この大会では、必ずしも第1戦では心理的にも体調の面でもベストであったかどうかは疑問ですが…

――その点では悲観もあるでしょう

賀川:こちらがベストの条件で環境がよければという望みがなくなって、第1戦を落としたのが後々大きく響いて、このグループのなかで一番強いコロンビアに最終戦で勝たなければいけないという苦しい立場に自らを追い込んでしまった。

――反省や分析はまずそこから

賀川:いや、その前に頑張って試合をしたのだから、そこから見ることになるでしょう。

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ギリシャ戦 0−0

2014/06/21(土)

――C組第2戦(6月19日・ナタル・エスタディオ・ダス・デュナス)で日本はギリシャと0−0で引き分けました。1分1敗、勝点1、ゴール数は得1、失1です。数字の上ではまだグループリーグ突破の可能性がありますが、第3戦の相手が強いコロンビア(2勝)ですから、実際には苦しい立場です。

賀川:いい攻めもあったし、危ないピンチを逃れた見事な守りもあった。しかし勝てなかった。威勢のいい嘉人(大久保)がイエローをもらわないことを念じていたが、その嘉人に対するカツラニスのファウルが、2枚目のイエローとなり、退場処分、10人となった。その10人を相手に、後半は攻め続けながら1点も取れなかった。もったいないことだった。

――後半の頭から遠藤保仁が入り(長谷部誠と交代)、12分に大迫勇也に代えて香川真司を送り込んだ。相手の状態を見て、いい交代でしたか?

賀川:大迫は第一戦よりずいぶんよくなっていた。長谷部もしっかりやっていた。相手が一人少なく、疲れてくることを考えても、2人のパスの名手を投入したのは妥当なことでしょう。結局はゴールは生まれなかったが…

――その賀川から右へ振って、内田篤人が深いところから中へ通して、ファーポスト際で大久保が走り込んだが…

賀川:記者席で、私も立ち上がりましたよ。だが、彼が左足に当てたボールは高く上がり、バーを越えた。

――インステップで叩けとブラジルの記者席で声を出している姿を想像しました

賀川:さあ、スロービデオで見直していないので、何とも言えませんが、バウンドが予想外に高く上がったのでしょう。彼には生涯つきまとう悔しいシュートかもしれませんね。ここで決めておけば、功績者、大久保義人のゴールとして語り継がれる場面でしたね。

――若い頃から彼を見ている賀川さんには残念な局面でしたね

賀川:数多くの得点を記録している彼にとっても、ものにしてほしいゴールでした。この選手は若いときから、ここで一点とか、この試合では皆のためにも自分のためにもゴールがほしいという時に不思議にしっかりと点を取るプレーヤーなのです。スペインのマジョルカでの最初の試合でもゴールしました。高校の時も、Jリーグでも、そういうことの出来るプレーヤーなのです。

――この日は、その運がなかったとしか言いようがないですね

賀川:まあそうだが、それで片付けてはいけません。この場面、なぜ彼のところでバウンドが少し高かったのか、彼が左足のどのスイングでボールをとらえ、ボールがゴール枠を外れたのか――などは、彼だけでなく、日本中のストライカー、コーチがこのビデオを見て分析すべきでしょう。

――もともとゴールを決めた、決めなかったの各局面の反省あるいは分析、勉強が不足していないか…が賀川さんの意見ですからね

賀川:やっていますよ、という指導者も多いことでしょうが、一つのプレー、一つのゴール、一つのミスをおろそかにしないのが、フットボールのプレーヤー、指導者には大切なことでしょう。いや、余計なことを言いました。試合の流れに戻しましょう。

――左右にゆさぶっての惜しい場面は内田にもありました

賀川:いいところへ走りこむ、彼の最もおいしいところに来たはずですが、サッカーの神様は意地悪ですかね。ただし、これも神様のせいにして終わりにしてしまってはいけないのです。その時のボールの状態、足の当て方をスロービデオで何度も振り返ってみれば、自ずから疑問が解消され、次のゴールにつながります。

――ポスト際で流れてきたボールを決め損ねた話を聞かせてもらったことがありましたね

賀川:1968年のメキシコオリンピックの銅メダルチームが67年の東京でのアジア予選で優勝した時、5カ国リーグの第3戦で韓国と当たり、3−3で引き分けました。(第4戦のベトナム戦に勝ってメキシコ行きを決めた)無敗同士の日韓の戦いは日本が前半に2−0とリードして有利になっていた。そして前半の終了近くに3点目のチャンスが来た。右からのクロスがゴール前を通り、ゴール正面左寄りで八重樫茂生が走り込んだ。3点目、これで勝ったと記者席でそう思ったら、八重樫のところでボールがイレギュラーバウンドして、彼の左足の上をボールが通りすぎてしまった。3−0となる前半が2−0で終わり、韓国が後半反撃して歴史に残る「3−3の日韓戦」となったのです。前半に3−0としておけば、ずいぶん楽になったはずでした。

――八重樫さんはメキシコ・オリンピックの日本代表のキャプテンでもあり、選手の人望も厚かった人ですね

賀川:そのすばらしいキャプテンの惜しい逸機を指導者たちは当日の雨で状態のひどかったグラウンドのせいにしたのかどうかは別として、こういう場面、つまりシュートの成功・失敗についてもっと日本サッカー全体が関心を持った方がいいでしょう。特に今はテレビが普及していますからね。

――日本はこの試合で結局16本のシュートをし、そのうち11本がゴールの枠内に飛びました。本田圭佑のFKもあり、大迫のいいフォームでのロングシュートもあった

賀川:ゴールキーパーと“ゴールを守る”人の体格が古い時代よりよくなった上、ゴールキーパーには専門のトレーナーがついて練習しています。体が大きく、バネがあり、性格がゴールキーパーに向いているかどうかも指導者は調べます。その素材を専門家が指導して練習するのです。世界のサッカー界でゴールキーパーのレベルが上がっているのは当然でしょう。ワールドカップの各国代表チームのゴールキーパーといえば、ゴールキーパーのなかの選りすぐりが来ているのですから、その人が守るゴールに向かってシュートをする攻撃側がどれほどシュート、足でも頭でも練習しているかということです。

もちろん、相手側は攻撃する側がまずシュートを出来ないように防ぐから、それを突破し、攻撃を展開してシュートのチャンスを作るための練習も必要ですが、その最終(フィニッシュ)のプレー、シュートに対しては専門家が守るのです。シュートの大切さを私が語ると、また賀川さんのシュートの話だという人も多いかもしれませんが、こんどのように一人少ない相手を攻めて、たくさんのチャンスの場面、シュートの場面をご覧になれば、改めてこの技術の重要さをみていただけたと思います。

――選手たちはがんばりましたね

賀川:皆が大好きなサッカーの日本代表になって、試合に出る人も出ない人も勝ちを目指してそれぞれの役割に徹したはずです。なにしろ選手自身が日本で一番のサッカー好きのはずです。その好きな道の最高の舞台に立っている幸福を噛みしめて、もう1試合戦ってほしい。

――コロンビアがうまい、強いといっても同じプロのサッカー人ですからね

賀川:代表チーム全体に気分が高まり、ひとりひとりの体の調子も良くなってきているはずです。2006年ドイツ大会も初戦(1−3 オーストラリア)を落とし、2戦目を引き分け(0-0 クロアチア)、第3戦がブラジル(1−4)でした。ブラジルとコロンビアでは格も選手もブラジルが上です。選手たちは絶好の腕試し、力比べのチャンスと思っているはず。第1戦、第2戦で進化し、前進もしているのだから、大一番を全員でつかみ取るとてもありがたいチャンスです。

ブラジルまで足を運んだサポーターの皆さんも、この地で新しい喜びを味わっていただきたいと祈っています。

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スペインが敗れる

2014/06/20(金)

第1戦でオランダに大敗したスペイン代表がB組第2戦でもチリに0-2で敗れ、セカンドラウンドへの望みを失った。バルサ(バルセロナFC)が確立し、クラブを世界一に押し上げたボールポゼッションと高い位置でのプレッシング重視するやり方を代表にも持ち込み、2008年と2012年のEURO(ヨーロッパ選手権)の連続優勝と、2010年ワールドカップ優勝で、世界の頂点にあったスペインの代表の敗退はこの大会初期の最大のショックといえる。

6月18日午後6時からマラカナン競技場で行われたこの試合で、チリは前半20分に右からのクロスでつかんだチャンスをエドワルド・バルガスが決めてリードし、後半にもFKのリバウンドをチャルレス・アランギスが蹴り込んで2-0とした。スペインはいつもの通りボールキープとパスの巧さで上回ったが、シャビ・アロンソが近距離のシュートを防がれたのをはじめ、惜しいチャンスもあったが、全体としてはファウルを含むチリの当たりの強さ、ボール奪取の粘りに手を焼き、勝てそうな試合ではなかった。

試合後にデルボスケ監督は「まだチームの将来や私の進退について語る時期ではない」と語ったというが、スペインだけでなく、世界中のサッカーファンの間で多くの論議が持ち上がっているだろう。もともとこのチームはGKカシージャスをはじめ、シャビやイニエスタ、シャビ・アロンソなどの主力の年齢が高いこと、カシージャスはここりばらくリーグでプレーをしていないことなど、懸念を持たれていた。また、ボールポゼッションの能力は高くても、バルサにおけるメッシのようなストライカーがいないこと。また、サイドから攻撃に仕掛けるウイングタイプがいなくて、攻撃の幅が拡がらず、折角のパス攻撃の効果が薄い、という指摘もあった。

チリ戦をテレビで見た限りでは(シャビは出ていなかった)、チリ側の反則の多い接触プレーで特色のボールキープからの意表をつくパスがほとんど生まれなかったといえる。年齢が高いことは、長いシーズンを乗り切った後の疲労回復にも影響し、大会の第一戦(対オランダ)にベストコンディションでなかったという声もある。FIFAクラブラールドカップ決勝で、高い位置のプレッシングでバルサが南米代表のサントスの動きを制したことがあった。その流れのなかで、スペイン代表がEUROとワールドカップで輝かしい成果をあげたのだが、今後は相手にプレスをかけられて(ファウルが多かったのはスペインに気の毒だが)苦しむことになった。

プレッシング・フットボールがこの大会でこれからどのような成果を生むのか、眺めてゆきたいと思う。

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大西洋を眺めサン・テグジュペリを思う

2014/06/19(木)

サッカーの王国ブラジルへ来てワールドカップを見る、書くという夢のような日が5日間たちました。若い時のように大会前に入って、まずFIFA総会の取材から、開幕試合、グループリーグ、そして第2ラウンド(ノックアウトステージ)から決勝という一ヶ月以上の旅とちがって、さすがに年齢相応の体調を考えて短いスケジュールになりそうですが、スタジアムへゆき、プレスルームに入り、記者席でキックオフ前のセレモニーで両チームの国歌を聞き、、、と大会独特の雰囲気の中で、これまでの懐かしい記憶の上に、こんどの経験が加わって、私の心の内にまた新しいワールドカップが醸成されてくるような気がしてきました。

ブラジル人であり、日本人であるセルジオ越後が組んでくれた「セルジオと行くブラジルの旅」グループに加わったおかげで、レシフェとナタルに滞在する---もちろん日本代表の試合を追ってのことだが---というまたとない機会を得ました。

ブラジルにはこれまでの長期滞在や、試合や大会では縁がなかったけど、78年アルゼンチンワールドカップや、80年コパデオーロ、87年南米選手権などのためにアルゼンチンやウルグアイへの移動の途中、リオデジャネイロやサンパウロに立ち寄ったこともあり、この国の代表的な大都市のニオイだけは感じていた。

今度のレシフェやナタルはブラジルの北東部で、ヨーロッパやアフリカ、北米にも近く、リオ、サンパウロとはまた全く異なった風土に見えた。レシフェでコートジボワール - 日本、ナタルでアメリカ - ガーナの2試合を見て、後はテレビで観戦だったから、日本におられるサッカー仲間とはあまり変わることはないけど、大西洋の波が打ち寄せるこの北東ブラジルの地で、ホテルの室内から大西洋の長い、白い浜辺を眺めたことは、私のブラジル観にもとても大きな刺激となった。レシフェからここまでの4時間のバス旅行で広大なサトウキビ畑を見たのも、豊かなブラジルの新しい魅力だった。

大西洋は私にもう一つの感慨をもたらしてくれた。2回目のワールドカップ取材はアルゼンチン,
この国の西部、アンデス山脈に近いメンドーサは、あのサン・テグジュペリが訪れた地でもあった。「星の王子さま」や「夜間飛行」などの作家として有名な彼は飛行機乗りで、郵便物を運ぶという初期の飛行機の大切な役割を担い、ヨーロッパから大西洋を渡っての南米航路の開拓をした。

フランスを発して、モロッコを経て、アフリカの西部ダカールから、大西洋を越えて、ナタルに到ったはずだった。ここから南下して都市をつなぎ、ブエノスアイレスからメンドーサまで飛んだのだった。彼ほどの熟練のパイロットではなく、太平洋戦争の最中に陸軍航空で1年半操縦者であったにすぎない私だが、サン・テグジュペリの名は、物書きとしても、パイロットとしても、畏敬の先輩だった。大戦中志願してフランス軍の偵察機のパイロットとなって地中海上空で消息を絶ったこの人については、日本には私よりずっと詳しいファンが多いはずだが、戦中派のひとりがブラジル東北部のナタルの海岸でこの人を偲ぶのもまたワールドカップとしてお許し願いたい。

そうそう、98年のフランス大会で、大会中にマルセイユの新聞に大戦中の飛行機の残骸が発見され、「テグジュペリの飛行機か」とニュースになったことを思い出した。日本が初めて参加した大会だった。(資料が手元になく、間違いがあるかもしれません。もしそうならご指摘をいただきたい)

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グループリーグの一回戦が終わって

2014/06/18(水)

ナタルのホテル、SHRES NATAL GRAND HOTELの私の部屋のすぐ下にフットサルピッチが1面ある。誰かがひとりでボールを蹴っている。美しい砂浜に魅かれてグループの旅行の仲間の小島さんと本多さんがランニングに降りていった。2014年6月17日の11時。

ワールドカップブラジル大会は、17日までで8グループの各組1回戦とA組のブラジル-メキシコの17試合が終わった。今日18日は、A組のカメルーン - クロアチア、B組のスペイン - チリ、オーストラリア- オランダの3試合が予定されている。開催国ブラジルはブロアチアに3−1で勝ち、第2戦のメキシコに0−0で引き分け。メキシコもまたカメルーンを破った後、ブラジルと引き分けた。両者の第2戦はホテルのバーにある大画面で観戦。ネイマールをはじめとするブラジル選手たちの技巧を堪能し、ファウルの応酬にはいささか悲しい気もした。メキシコのゴールキーパーの守りもすばらしかったが、ブラジルのシュートのタイミングや角度が少しでも違っていれば2ゴールぐらいは生まれたかも。

B組でのオランダの大勝(5−1 対スペイン)はくわしくは見ていない。5点取った後も前からプレッシングにゆくオランダ側に、この試合にかける彼らの意気込みを思った。バルサに代表されるボールテクニックと組織のスペインサッカーは現代の先端を進んでいたようにみられていたが、そのバルサの変革者ヨハン・クライフを生み出したプレッシング・フットボールの元祖のオランダにも意地があるのだろう。

それにしても、オランダのロッベンの「速さ」である。2006年の大会で初めて彼を見たときにも、ファンペルシーがボレーで蹴った相手DFライン裏へのボールに一気に走り込んで取ってゴールを決めた。ここしばらくの彼をテレビで見ていると、その緩急の取り方がさらに上手になったようにみえた。ヨーイドンの走りくらべでも追いつけない彼が、大きな落差の緩急を持つことになって、相手のDFにとってとても厄介な選手になった。スピードが落ちる頃に緩急を身につける人は多いが、彼は30歳にしてなおスピードを維持し、その天性の速さを活かせる術(すべ)を高めている。こういう大選手の進歩を見られるのも長生きの幸せというべきだろう。

C組の日本の初戦は記者席で見るのも辛い戦いだった。もちろん個々の力は相手が上であることは先刻わかっていること。それを一丸となって克服することになっていたはずだが…。本田圭佑がここまでの不調から脱したように見えた。前半は、ゴールも彼のシュートでとったのだが、後半はミスしたのだから、まだ本調子なのかどうか…。ごひいきの香川真司がいつになくボールコントロールのミスがあって、不思議に思っている間に試合は終わっていた。

日本からギリシャ戦はどうですか、という問いが来るけれど、互いに負けられない試合だから勝とうという意欲の強い方が勝つとしか言いようがない。こういう土壇場でこそ火事場の「なんとか力」を発揮してほしいもの。自分たちの満足がゆく試合が、代表ひとりひとりの人生にも大きなこととなる。

アメリカ合衆国の代表がこのホテルに泊まっていた。彼はナタルで実に見事な試合をし、勝手早朝に発ってキャンプ地にもどった。副大統領も応援に駆けつけていた。そういえばドイツの試合の前に、メルケル首相がスタンドの席でドイツ国歌を歌っていた。USAの代表のファイトあふれる試合はすばらしかった。日本代表にも、明日の試合で、USA代表と同様に「サムシング」を見せてほしい。

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レシフェの悔しい敗戦の後

2014/06/17(火)

6月16日の朝をブラジルのナタールのホテルで迎えました。14日22時のレシフェのペルナンブコ・スタジアムで行われたC組第1戦で日本代表がコートジボワールに1−2で敗れたのを取材しました。次の日、11時にバスでレシフェのホテルを出て、4時間走った後、ナタールのセルス・ナタールグランドホテルに到着。旅の疲れが今頃に出始めたのか、自分でも驚くほどバスの中で眠っていました。実は例によって車中で原稿用紙を取り出したのが、ガタン、ガタンと時折のバウンドを交えての小刻みのガタガタ振動で、結局は書くのを諦めました。せっかくのブラジルの旅の中断が1日以上になってすみません。

日本代表の残念な結果については、すでにテレビや活字、インターネットなどで、大量のレポートが皆さんのお手元に届いていることでしょう。2日遅れての話ですから、経過よりも(実はその経過の一つ一つのプレーやひとつの局面でのプレーが一番大切ですが)全般の感じをお話すると、力の上である相手のコートジボワール側がとても慎重な戦いぶりをしたこと。

ご存知のように、ヨーロッパのトップリーグに14人もの代表がいるこのチームは、個人レベルの高いことで知られています。36歳のドログバは現在はトルコのチームにいますが、アフリカでもヨーロッパでも有名なストライカーです。彼にとっては3度目のワールドカップで、今度はこれまでの1次リーグ敗退から、セカンドステージへ進むことが強い願いなのですが、その大スターをスターティングラインナップには入れずに彼らはメンバーを組みました。

彼らのキックオフで始まった前半は、ボールをキープすれば3DFに、日本ボールになるとすぐに4DFにする様子がとてもはっきりしていました。そうした慎重な戦いぶりで前半を0−1とリードされても、後半に挽回し、ドログバを投入して逆転しました。ヤヤ・トゥーレの長いドリブル突進をはじめ、それぞれの攻撃姿勢が目立つようになり、日本は前半よりも受け身に回る時間が増えました。危うく見えても、シュートのミスや、DFの粘りで何とか防いでいた日本でしたが、後半17分にドログバがディエに代わって入ってくると空気が変わりました。

ポジションの取り方がうまく、日本側は対応も困難になり、一方日本側には中盤での小さなミスからピンチになる場面も増えました。64分にボニー、66分にジェルビーニョがゴールを決めました。同点ゴールしたボニーはプレミアのスウォンジー・シティにいる選手。昨年はオランダリーグの得点王(36試合、36ゴール)となった選手です。

2点目を決めたジェルビーニョはアーセナルで名を上げ、セリエAのローマの攻撃で評価を高めているプレーヤーです。オーリエが右足サイドキックで丁寧に送った後方からの速いクロスに内田のニアサイドでとらえた見事なヘディングでした。

いささかコートジボワール側から見た書き方になりましたが、彼らの多くはすでに欧州で高い評価を受けている選手が多く、ドログバやヤヤ・トゥーレはワールドクラスと言われているのですが、その相手側が日本代表のプレーを研究し、自分たちの戦略を進めた。ザック監督が「相手がよかった」と言いましたが、そういう形になったということを申し上げたかったわけです。

この大会の日本代表はこれまでも再三、お話しているように日本のサッカー史上でも最も(ボールテクニックの)上手な選手の多いチームで、だからこそこういう個人力のある、あるいは攻撃力のあるチームが多いこの大会に「攻撃志向」を掲げて乗り込んできたのですが、彼らが日本以上にうまい試合運びだったということです。

そういう相手に対して、日本代表は確かに自分たちの力を見せはしたが、十分に発揮したとは言いがたい試合でした。個人的な強さに劣るということは、サッカーではある意味で決定的なものですが、それを日本特有の組織的な戦いで互角以上に持ち込むためには局面での粘りとパス攻撃を活かすためのラン(走ること)が大切なのです。これだけボール扱いが上手になっている選手が揃っているのですが、活動量が足りなければ日本流サッカーのよさは十分には出せません。選手たちの気持ちの持ち方が、はたしてどうだったでしょう。日本は上手になったと言っても、「動き」が伴わないと、私たちの特性である「敏捷性」が生きないのは1930年に初めて日本代表が結成されてから、何十年変わることのないことです。

イトゥの合宿にいる木ノ原旬望記者の話によると、選手たちも当夜は眠れなくて、やはり全力を発揮できなかったことを話し合っていた者もいたとのことです。せっかく予選を突破した日本代表ですから選手ひとりひとりがここでワンステップ上のレベルに上がるためにはこの次の対ギリシャ戦で「十分戦った」というプレーをしてほしいものです。

チーム全体として、日本では守備は否応なく力を尽くすことになり、立派な戦いだったと思います。攻撃陣に注文をつけることができるのは、ある意味では日本全体の実力アップの証(あかし)でもあります。前半のゴールも左の長友のスローインを香川、長友とつないで、長友からの速い横パスを受けて、本田が決めたものですが、一瞬相手側はなぜ空白地帯ができたのか、と意外そうでした。

日本代表の攻撃には独特のバリエーションもあり、その時々の局面で普段の力を発揮すれば、相手をガクンとさせる力をもっているはずです。

もう一度、挑戦し、いい結果を出してほしいものです。

王国ブラジルの大会だけあって、テレビも新聞も大量のニュースを報道しています。

89歳の私は選手には「活動量」を要求しても自分の動く範囲の狭いのにはこれまでの9回の大会からはひどい落ち込みようで、その点はいささか残念ですが、セルジオ越後さんや、本多克己さんはじめグループの仲間の助けで大会を引き続き取材し、旅を楽しむことができそうです。

そうそう、FIFAドットコムが私をこの大会に集まった取材記者のなかでは最年長ということで取材に来ました。すぐにではなく、そのうちに掲載されるということです。そちらの方もお楽しみください。

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2014ブラジルワールドカップの旅

2014/06/13(金)

2014ブラジルワールドカップの旅を始めます。

これまではサッカーマガジン誌に連載させていただきましたが、今回は新しい試みです。

神戸で生まれ育った私はブラジルといえば、まず頭に浮かぶ歌があります。

 行け、行け、同胞海越えて
 遠く南米ブラジルへ
 御国(みくに)の光、輝ける
 今日の船出の勇ましき…

小学生の頃、神戸の港から南米へ向かう移民の人たちを、日の丸を振って送り出したものだ。小さな島国で資源が少ないと思い込んでいた当時の日本は、海外へ移住者を送るのが国の政策のひとつでもあった。その日本からの多くの移住者が大変な苦労を重ねてブラジルの市民としての地位を築いたことは、よく知られている。

少年期からなじみの国名だったブラジルだが、フットボールに興味を抱き、それを書くことを仕事にするようになると、日本サッカーのブラジルの影響の大きさを知ることになる。

今度のブラジルゆきも、自分の年齢とブラジルのさまざまの事情で、出かけていって周囲の人に迷惑をかけては、とも考えたが、セルジオ越後が「自分の生まれ育ったブラジルでの大会だから、ぜひ見てくださいよ」という強い勧めでセルジオグループでの旅行という形で太平洋を渡り、アメリカのダラスを経由して、ブラジルに向かうことになった。

■ダラスで

成田からダラスまでの9時間、AA(アメリカン航空)60便、777機の飛行は快適だった。機長さんの腕ということになるのだろうが、西風を利用して、10時間の予定を1時間短縮した。音もなくランディングした時には、拍手したくなったほどだった。

ダラス空港では、テロ対策の影響か、思わぬ時間がかかる。乗り換えてサンパウロまでゆくだけのトランジットなのに、靴まで脱いで所持品を検査するほどだった。

日本にいて世界のことはテレビで見る生活がしばらく続いていた私のような年寄りでも、改めてアメリカという国の大変さを知った。それでもアメリカ人は気さくで親切。杖をついて空港内を歩く私に車いすを持って、使ったらどうかと言ってくれる。サンテレビに頼まれて、同行の本多さんがカメラを回すと、あちこちから私を見て何歳ですか、うちの親より若く見えるなどと言ってくれた。

サンパウロへ飛ぶ963便までの待ち時間に、レストランに入って、この原稿を書くことにした。実は空港のラウンジのテレビでブラジル対クロアチアの開幕試合を見るつもりでいたが、画面にはゴルフの全米オープンが映っていた。それでもスポーツニュースではネイマールのシュートなどを映してくれた。

私には縁遠いiPhoneで本多さんが経過を逐一教えてくれるので、いまさらまさに伝達手段の高速化「瞬時に世界中の情報を知ることのできる」時代にいることを改めて実感する。

その過程で78分にブラジル2−1を知る。リードされての逆転で盛り上がるだろう。クロアチアは引き分けたいと攻めに出れば、ブラジルの3点目もありうると思っていたら、アディショナルタイムで3点目が生まれたので、ちょっとニンマリ。点を取ったのが、ネイマールとともに私のごひいきのオスカルだから、もう一度ニンマリ。

工事の遅れやデモが大きく報じられて、完璧主義の日本人の目からは大丈夫かと危ぶむ声の多かった大会も、これで一気に盛り上がるだろう。王国ブラジルのワールドカップは1950年第4回大会のマラカナンの悲劇があるだけに油断はできないにしても、今日の夜のブラジルは喜びに沸き立っただろう。

大会は期待通り行われるだろうと言っていたFIFAのブラッター会長も笑顔のはずだ。

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FIFAワールドカップブラジル大会組合せ決まる

2013/12/08(日)

王国でのワールドカップに参加できる幸福

――ブラジル大会の1次リーグの組合せが決まりました。日本はC組に入って、コロンビア、ギリシャ、コートジボワールとあたります。どの相手も強そうですが、ブラジル、スペイン、ドイツといったトップクラスと同じ組でないだけに1次リーグ突破の希望もありそうですね

賀川:NHKテレビの深夜の実況中継のおかげで、抽選会の模様を見せてもらえてとてもうれしかった。ブラジルの女性大統領ジルマ・ルセフ(Dilma Rousseff)さんがスピーチのはじめに5日に亡くなったネルソン・マンデラさん(南アフリカのアパルトヘイトを改革した)に黙とうをささげたのもいいシーンだった。

――マンデラさんは2010年ワールドカップの開催を熱烈に推進した人ですからね

賀川:人種差別に抵抗し、南アフリカの政策転換をした偉大な指導者だから、黙とうは当然としても、改めてサッカーの絆の深さを感じました。大統領がスピーチの中で、今度のワールドカップは「ワールドカップの中のワールドカップにしたい」と語ったところ、大統領自らブラジルはサッカーの国だからというところも、いかにもブラジルの大会という感じでした。

――74年から9回の大会を現地取材(2010年は腰痛で取りやめた)してきた賀川さんには特に感慨ありというところ

賀川:大統領のおっしゃるワールドカップのなかのワールドカップとなるであろう大会に、まず日本が出場していることのうれしさと誇りを感じます。

――抽選会場となったブラジル東部の街サルバドール(リオから北北東1235km)は大西洋に臨む湾港都市で、昔はサン・サルバドールと言った。1501年にアメリゴ・ヴェスプッチが到着してからしばらくポルトガルの総督府が置かれ、いわばブラジルの古都でしょう。だから、抽選会場に選んだのでしょうね

賀川:ブラジルは第2次大戦のあと、1950年に第4回ワールドカップの開催地となったことはよく知られています。リオデジャネイロにマラカナン・スタジアムを新設したのもその時です。今から63年前のこの大会の決勝でウルグアイに敗れた悲劇はいまも語り草です。

――抽選の立会人でもあり、チーム名や組分けや順番を記した紙片を取り出す役目を担った8人のかつての名選手のなかに、50年大会でウルグアイの決勝ゴールを決めたアルシデス・ギジャさんもいた。さすがに杖をついていましたが…

賀川:ギジャさんは我が家の本棚にあるウルグアイサッカー100年史にも当時のユニフォーム姿を見せています。他の7人はハースト(イングランド)、ケンペス(アルゼンチン)、カンナバロ(イタリア)、マテウス(ドイツ)、ジダン(フランス)、イエロ(スペイン)、カフー(ブラジル)といずれも素晴しい選手たち。

――組合せはA組がブラジル、クロアチア、メキシコ、カメルーン
B組がスペイン、オランダ、チリ、オーストラリア
C組がコロンビア、ギリシャ、コートジボワール、日本
D組がウルグアイ、コスタリカ、イングランド、イタリア
E組がスイス、エクアドル、フランス、ホンジュラス
F組がアルゼンチン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、イラン、ナイジェリア
G組がドイツ、ポルトガル、ガーナ、アメリカ
H組がベルギー、アルジェリア、ロシア、韓国となりました
組内のリーグで上位2チームの16チームが第2ラウンドのノックアウトシステムに進みます。日本にとって、まずは1次突破ですね

賀川:予選を勝ち抜いてきた32チームだから、どの組に入っても厳しい戦いになるでしょう。常識的にC組よりやさしいかなと思うところも1~2あるけれど、強チームの多いグループもあるから、C組に入ったのはくじ運として悪い方ではないでしょう。

優れたチーム、選手、優秀FWの揃う大会
――日本の初戦は6月14日レシフェでコートジボワールです。ドログバというすごいFWやMFのヤヤ・トゥーレをはじめ、優れたプレーヤーが多いところです

賀川:今度の大会は、1930年の第1回から20回目(2階は戦争で中止)になるが、過去の19回よりも全体のレベルは高いでしょう。かつては個人技が長所だった中南米勢も一流どころの多くがヨーロッパのチームでプレーをし、欧州の組織プレーも身につけています。またアフリカの選手もヨーロッパでプレーして評価を高めているからです。一方、体力や激しさ重視の感もあったヨーロッパ勢でもスペインの活躍以来、テクニックを高めることに育成の主流を置く国が増え、それが代表のレベルアップにつながっています。
 もちろん、日本もいまや技術力で知られるようになりました。ザック監督はこの日本選手の敏捷性と技術力にアイデアを加えて攻撃力の向上を図ってきました。コートジボワールは体格も大きく、スピードもあり、テクニックも上手ですが、日本本来のランプレーがあれば、いい勝負ができるかもしれない。

――第2戦はレシフェのすぐ北のナタールでギリシャが相手です

賀川:かつてヨーロッパチャンピオンになったこともある国で、体が強く守備力があるという印象です。このあたりから勝ち点を取りたいとコーチ陣は思っているでしょう。

――3試合目は1573km離れた内陸部のクイアバでコロンビアとの戦いです。

賀川:南米ではブラジルやアルゼンチンに次いで高い評価を受けていますが、ザック監督や選手たちは自分たちの工夫を生かすでしょう。

いずれにしても、これからは代表チームのスタッフ、選手だけでなく、JFAと日本サッカー人の総力をあげてのバックアップが大切になるでしょう。

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2014FIFAワールドカップブラジル アジア最終予選 オマーン戦

2012/11/20(火)

――オマーン戦の2-1。後半44分に決勝ゴールをあげました。中央でのアウェー試合で勝つことのむずかしさを改めて感じましたね。

賀川:今度のオマーン戦は、本田圭祐という大黒柱の驚くほどの不調にもかかわらず、アウェー戦を勝ち切った。奪った2ゴールもそれぞれ現在の代表が目指しているサイドからペナルティエリアへ食い込んでくるという手法だった。ザッケローニ監督が不調の本田を最後までピッチに残したことを含めて、選手起用についてもまずは成功したことになる。そうした監督と選手の総合力による第5戦の勝利は、代表の進化の証と言える。

――ブラジル戦の後、次の本田には期待が深まったと賀川さんは言ってましたね

賀川:本田のような負けず嫌いな選手はブラジル戦である程度日本も攻めたのにノーゴール。本田自身も4本のシュートチャンスで得点できなかった。おそらく自分が得点しなければ…と強く感じたはずで、オマーン戦でその本田のゴールを目指すプレーを見たいと思っていたのです。

――ところがはじまってみたら、まるで動きがなく、パスを受けても簡単に奪われてしまうありさまでした。

賀川:冬のモスクワから33~35度という灼熱のオマーンへきて、気候順応の期間がなければ試合できるコンディションにはならないでしょう。そのことは少しは予想していた。試合の2日前からザッケローニ監督が「暑さ」のことを再三口にしていたようだったが、キックオフの直後しばらくして、本田の動きを見て、監督の「暑さ」の意味が分かった気がした。

――大黒柱がダメということ

賀川:日本代表チームは、南アジア、西アジアでのアウェーで暑さとの戦いに何十年もの経験を積んでいる。たとえば、第5回、第6回のアジア大会(1966、1970年)では12月の日本から酷暑のバンコクでの大会に出かけている。したがって高温への順応のやり方はJFAの医科学委員会にも蓄積があるはずだが…

――なにしろモスクワは1度か零度、東京や大阪の真冬よりまだ寒いところです

賀川:当然、本田のハンデは予想されるはずだった。だから影響はあると考えていてもあまりに動けないので、ひょっとするとどこか体に異変があったのかとも疑ったくらいです。

――モスクワへもどって試合に出ていますからね、他の故障はなかったのでしょう

賀川:ということは全く気温変化の影響ということになりそうです。

――アジアでの戦いの過酷さが実際にあらわれましたね。もちろんそれに対する準備が十分だったかどうかは別にして。

賀川:試合が始まって、しばらく本田がほとんどボールを持てない(相手のマークも厳しい)ことがわかって、ザックさんは交代させるのかな、いや交代させないで押し返すのか…と考えましたよ。監督は本田をタイムアップまでピッチに残しましたね。

――批判的な意見もあったが

賀川:今のチーム構成で、本田の大切さをザックさんは示したのでしょう。長谷部や遠藤たちもそれを当然のように受け入れてプレーしていたね。

――試合そのものは前半の早いうちに攻め込まれて、右スローインからノーマークのシュート場面がありました。全くのフリーシュート。冷や汗ものだった。10番をつけたドゥールビーンのシュートがバーを高く超えた時に、そらまたサイドキックだと言っていましたね

賀川:あの角度のボールを右足サイドキックで蹴るときにはよほどうまくかぶせないと大抵ボールはあがるのですよ。日本の多くのシューター、いやヨーロッパの上のクラスでも犯しやすいミスです。


◆特筆・長友、今野の働きと清武のゴール

――日本の1点目は長友からでした

賀川:今野から相手バックラインの裏へフワリとボールをあげて落下させ、長友が走りこんでペナルティエリア内左いっぱいでトラップしてゴールラインまでドリブル。相手の追走を受けながら中へクロスを入れた。そのクロスボールが内側にいた12番のマハイジリの足に当たってゴール正面にころがり、走りこんできた清武が左足シュートでGKハブシの右を抜いた。

――今野がハーフウェイラインから持ち上がって岡崎や前田に当て、相手DFラインが前に出てくる背後のスペースへ送るというやり方はその前にもありました。今後の今野の浮き球のパスは長友の飛び出しにピシャリと合った

賀川:後方から上がって落下するボールを長友は右肩の前に当ててうまくコントロールし、奪いに来る相手を縦に外してクロスを出したのです。長友はこの気温のなかでも疾走を繰り返していた。すごい選手ですよ。彼の左足で蹴ったボールは当たり損ねのようで、スピードが緩かった。それがあるいは幸いしたのかもしれない。マハイジリはクリアできず、彼の足に当たったボールは足の間を通ってゴール正面へ転がった。相手には想定外だっただろう。

――前田が中央へ走りこみ、それにDFがついて行った空白地帯に転がったボールに清武が右から入ってきて左足で蹴りました。彼の代表初得点となった

賀川:清武は後半にもシュートチャンスをつかんだ。しっかり蹴れなかったのが残念だったが、まず前半に大切な仕事をしてくれた。岡崎を左、清武を右に置き、トップ下に本田という第2列は岡崎、清武が積極的な動きで攻撃を作った。右DFの酒井宏樹もはじめのうちは固くなっていたのかミスがあったが、しばらくして本調子になっていた。

――岡崎がゴールへ意欲満々で、シュートも前半半ばまでで3本あった。

賀川:しばらく代表に出ていなかった。彼のタフなプレー、タフな神経が長友とともにこの日の左からの攻撃を生むことになり、今野のキープとパスを引き出していたと言える。今野の攻撃力は先のフランス戦でのカウンターで世界に見せつけました。このオマーンのアウェー戦でも落ち着いてしっかりした攻守のプレーを続けた。

――もう一人のCDF吉田麻也の調子がいまひとつでした

賀川:イングランドでのリーグの疲れと、気温変化でしょう。彼にはつらい試合だったが…

――リードした後、相手のヘディングシュートが左ポストに当たってあわや同点かと

賀川:左からのクロスに15番のアジミがジャンプヘディングを取った。スローで見ると、ポストに当たった後で川島の手が伸びているから、もしもう少し内側だったら防げないで1-1となったでしょう。(この時にアジミが故障してピッチから退くことになった)


◆ザック監督工夫の交代

――後半に入ってもオマーンの勢いは衰えなかった

賀川:なにしろスタンドの熱気がバックアップしているからね。日本は19分に前田の交代に左DFの酒井高徳を送り込んだ。長友を左MFにあげ、清武をトップ下に岡崎を右に移した。

――本田を交代させるかと思った人もいたはずですが

賀川:監督はワントップのポジションなら走らなくてもいいから、本田のボールを受ける強さが生きると考えたのだろう。また彼が前方にいることで、オマーンの守りもここに気を使うことになる効果も考えたのかもしれない。

――16分と20分に清武のシュートチャンスが生まれたのは、そのポジション変更の効果ですかね

賀川:チャンスは2つとも左の長友からです。酒井高徳と長友と左サイドに突破できる選手が2人いることで攻撃が厚くなり、清武はせっかくのチャンスにボールを強く蹴れなかったのは惜しいが…

――日本も攻める、それを防いでオマーンも攻める。途中でボールを奪えば互いにチャンスになるといった攻防が続いて後半32分にオマーンがFKから同点にした。

賀川:長友が深く食い込んだ後、短いパスを奪われ、そこからオマーンがカウンターに出た。ボールが中央に回ってきて、ペナルティエリア外、20メートルのところで吉田が相手の9番マクバリを倒してFKを取られた。

――ゴールまで20メートルのエリア外、中央からやや左よりの地点だった。12番のマハイジリが低く蹴り、ジャンプした壁の下を通ってボール右へ入った

賀川:エリア内にいた相手FWに視線を遮られて川島はコースを注視できなかったかもしれない。

――1-1となってスタンドは沸き立ち、オマーン側は元気100倍というところ。


◆トップ下遠藤の読みと、岡崎の執念

賀川:まさに正念場となった。36分に一つ大ピンチがあったが、川島が飛び出して防いだ。1点を失った後も彼の守りは崩れなかったね。このピンチの後、相手のCKが続いたが、そのひとつを本田がヘディングでクリアした。そして39分にザック監督は清武に代えて細貝を入れた。

――清武はがんばっていたが

賀川:監督は細貝を入れて守りを固めるだけでなく、ボランチの遠藤を清武の後のトップ下へあげた。

――このポジション変更が決勝ゴールにつながるわけ?

賀川:そう。43分のゴールは酒井高徳が左タッチ際でドリブルし、ひとつフェイクを入れて相手を縦に抜いてペナルティエリア外のゴールライン近くから速いクロスを送った。遠藤がニアに飛び込んでオマーンDFの前でライナーのボールを左足アウトに当てて方向を変えたボールはゴール前、相手GKハブシと2人のオマーンDFの間を通る。そこへ岡崎が飛び込んで、左足のソール(シューズの裏)でボールをゴールに押し込んだ。

――遠藤はニアを狙っていた?

賀川:得点経路は酒井高徳のクロス、ニアで遠藤のタッチ、ファーサイドでそれを岡崎が押し込むという形だった。前半の1点は長友のクロスがゴール正面に転がったのを清武が決めたが、今度は同じ左からでもゴールラインと平行の速い球にニアで遠藤、ファーに岡崎が入って決めた。

スローで見ると、そのしばらく前からの左サイドの攻めに対し、遠藤はパスを出す側ではなくコースを狙う役柄を選んでいたようだ。もちろんトップの本田との位置をにらみあわせてのことだが、酒井高徳のクロスに対してためらくことなくニアへ走りこんだ。その前に彼は岡崎の位置を知っていて、ファーへ来ると読んでいたのでしょう。

――試合後のコメントで岡崎は遠藤さんがボールをそらしてくれると思っていたとあります

賀川:最後のところで、「あ・うん」の攻めができるようになっている。そのことをまず喜びたいし、悪条件のなかで勝ち点3を取ることをあきらめなかった代表全員に経緯を表したいね。

――本田にはつらい日だったはずですが、本人を含めて、全員でそれに耐えた。そして日本チームらしいゴールの取り方ができたことで、まず及第点ですね

賀川:シュートが向上、あるいはシュートチャンスに思い切ってシュートをする(パスをするとか、もう一つ持つのではなく)という課題はまだまだ続きますが…

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ヨハン・クライフの“弟子”と“後輩”の戦いにクライフの心情を思う(下)

2010/07/15(木)

――協会や指導者の考え方ですかね?

賀川:いささか不勉強でそこまでは語れないが、2006年ドイツ大会でもファンバステン監督の代表チームが最後になるとロングボールでゆきだしたのには正直言って、まだこれをやるのかと思ったネ。

――勝ちたいという気持ちがあるのでしょうが……

賀川:スペイン代表は、オランダ代表に比べると小柄な選手が多く、その小柄の特長である「敏捷性」と「短い足は、長い足より早いタイミングでボールを蹴れる」という特性、さらに小兵選手の足は小さい(サッカーシューズも小さい)からボールをインステップで捉えられること、アウトサイドを使いやすいことなどといったボール扱いの技法にオランダとは少し違ったところがあり、その技術と体力――近代のプロは90~120分走り切る体力・走力が要求されている――が練り上げられていること――もちろん一人ひとりのバランスの良いこと――といった良さが随所に出ていた。
 試合の終わり頃に、右からのスペインのクロスをオランダのDFが自分の足元に来ているのに止められなかった場面があるが、これなどは明らかに長身選手の不利が出ていた。

――それでも、決勝は120分で1-0。スペインの得点量は少なかったですね。

賀川:ボールをキープする、今でいうボールポゼッションの率が高ければ、その間に動いていても相手より疲れないし攻められないのだから、相手の動きが鈍くなった時期(早い遅いは別にして)にゴールすればいいという考え方もあるが、今回は必ずしもそうではなく、やはりフェルナンド・トーレスというストライカーがケガなどで不調のままだったことが響いているのでしょう。
 彼は身長もあって、シャビイニエスタたちとは別のテンポの動きをする。だから相手は対応しにくい。ビジャ(ビリャ)はゴールゲッターではあるが、イニエスタたちとテンポが似ているプレーヤーだから、異質なトーレスが働けなかった分だけゴールという点で損をしていたように推察しています。

――今回はここまでにしましょう。具体的な話を含めて、第2回を早く聞かせて下さいね。

【了】

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ヨハン・クライフの“弟子”と“後輩”の戦いにクライフの心情を思う(上)

2010/07/14(水)

――一番間近な決勝、オランダスペインはどうでしたか

賀川:スペイン・サッカーでバルセロナFCが現在のようなスタイルに変わり、そして、それが今のスペイン代表の流儀のようになったのはヨハン・クライフがバルサの監督となってからでしょう。

――1992年のトヨタカップでバルセロナが欧州チャンピオンとして南米のサンパウロと戦いましたが、そのときの監督がクライフでしたね。

賀川:そう。試合は2-1でテレ・サンターナ監督のサンパウロが勝ったが、そのとき初めてバルサを見て、これはオランダサッカーだと、クライフの指導力に改めて感服したものだ。

――それまでトヨタカップにスペイン勢は来ていなかった。

賀川:ヨハン・クライフとオランダ代表が74年ワールドカップ(W杯)で世界に衝撃を与えた試合ぶり、中盤でのプレッシング(囲い込み)と第2列、3列の選手もチャンスにはどんどん飛び出して前へ上がってゆく、いわゆるトータル・フットボールは世界に広まっていったが、イタリアでは1980年代の末からACミランがアリゴ・サッキ監督によってオランダ流つまり現代流への変化が始まり、スペインではクライフのバルサでの変革によってリーグ全体にも浸透したといえるだろう。

――そのクライフの弟子によって変化し進歩したバルサ・モデルのスペインと、クライフの後輩というべきオランダ代表がはるばる欧州を離れた南アフリカで戦うというのも不思議な話ですね。

賀川:あまり古い話を持ち出すとみなさんは退屈されるだろうが、サッカーも、今の形のプレーが行なわれるようになったのにはきっかけがあり流れがある。そうした歴史に目を向けることもまたスポーツの楽しみですから。

――クライフはどんな気持ちで見ていたのでしょう。

賀川:「オランダは醜く低俗だった」と言っているらしい。

――バルセロナでは、今では「クライフがこう言った」というのがまるで昔の「孔孟の教え」のような感じもありますからね。

賀川:ボクは試合の中継テレビを見ながら、スペインのサッカーが長い間のオランダ、ドイツという先進的サッカーからの遅れをクライフによって新しくし、その基盤の上にさらに進化させたのに、オランダはクライフ時代に世界の先端をゆきながら32年ぶりでW杯決勝に進んだ今もクライフの時代をこえていないのではないか――という気がした。
 もちろん、基礎技術などはずいぶん上がっていて、それぞれの選手たちは素晴らしいが、代表チームともなるとちょっともったいない気がする。


【つづく】

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ワールドカップ・南アフリカを終え

2010/07/13(火)

――日本が勝った、次はオランダデンマークだといっているうちにグループリーグが終わり、ノックアウトシステムの1回戦はPK戦で負けてテレビの前で涙しました。南米勢が強いのかと思ったらブラジルがオランダに敗れ、アルゼンチンもドイツに完敗。最後にスペインとオランダの決勝となり、スペインの優勝で閉幕しました。
 南アフリカ大会は大きな事件もなく大成功――。日本でもたくさんの人がテレビ観戦を楽しんだから、まずは良かったということでしょうか。

賀川:私自身はナマで見るためには体調が整わず、今回は何十年ぶりかで日本で見るワールドカップ(W杯)となったが、テレビや新聞をはじめメディアの克明な報道のおかげでずいぶん楽しんだヨ。民放各局とNHKの番組表を、その日の早朝の新聞のテレビ欄で見て録画をするのが大事な日課になっていた。なんだか現地で取材したこれまでの大会より今回の方が一日一日が忙しかったような気がする。

――深夜~早朝までありましたからね。

賀川:大会の前に産経新聞に、「今度の大会に治安が悪いとか運営がどうとか懸念する声もあるが、いつの大会にも懸念材料があり、その都度それを克服してサッカーは大会とともに発展してきた」と書いたが、まずはその通りに――。
 一部のメディアがブラッターFIFA会長についていろいろ批判し、それに追随する日本のジャーナリストもいないわけではなかったが、批判は批判としても、今回の南アフリカ大会はネルソン・マンデラさんに共鳴したブラッター会長をはじめとするFIFAの実力のあらわれと言えるだろう。閉会のときに会長は、FIFAではなく南アフリカに讃辞が贈られるべきだと、南アフリカと全アフリカの人たちの力を強調していた。

――そういう意味でも、賀川さんには現地で見てほしかったですね。

賀川:とても残念だが、現地に行っておれば、私にとっては交通や治安より問題は寒さだったかもしれない。しかし、まだ元気なうちに1ヶ月間の大会を国内で経験し、日本でのW杯報道を報道する側でなく注視する側にいたこともまた、おおげさにいえば85年の生涯でのありがたい経験ですヨ。
 まして今回は、私たちシックスのメンバーがJFA MOBILEのお手伝いをすることになって、日本の試合についてはその仕事の関係もあり仲間とともに深夜の我が家で一緒に対カメルーン、オランダ、デンマーク、パラグアイとテレビ観戦したのだから、とても面白かった。

――日本代表の岡田監督と23人の選手たちについては?

賀川:誰もがそれぞれの立場で努力し、その成果が出たのだからネ。欲をいえばもう一つ勝ってほしかったが、それまでの基礎技術やその基礎の力の習得にかけた努力の総体からゆけば、まあ16強1回戦敗退がいいところだったね。せっかくのチャンス、伸びるときだったから本当はもう一試合やらせたかった。

――その点では、パラグアイ戦は悔いが残ると

賀川:そのことについてはまた別の機会に話したいのだが……。まあ、これも日本サッカーの実力の一つでしょう。

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1次リーグ初戦、対カメルーン(下)

2010/06/18(金)

2010FIFA ワールドカップ 南アフリカ大会
6月14日23時キックオフ(日本時間)
日本代表 1(1-0、0-0)0 カメルーン代表
 得点 日本:本田圭佑(39)



――その間に、はじめ中央少し右寄りにいた本田圭佑が中央へ、そして松井大輔の切り返しからキックの間にファーポスト側へ移動しました。

賀川:はじめ外にいた大久保嘉人は、松井のキックのときには内にいた。その大久保よりボールに近いところにDFが2人いて、大久保にヘディングされないようジャンプヘディングを試みた。大久保もジャンプした。しかしボールは3人を越え、その外側にいた本田の足元へ落ちた。

――まさにクロスパスという感じでした。会場が高度1,400mにあったからボールが伸びたという解説もありましたが、実際はどうだったでしょう。松井はそれも計算したのかどうか……

賀川:それはとにかく、本田は左足でボールを止め、落ち着いて左足でシュートを決めた。

――テレビのリピートを見ると、立ち足(右足)にボールが当たりましたが、本田は慌てることなく落ち着いていました。

賀川:ボクが名古屋グランパスで最初に見たときの印象は、彼は突っ立ったまま左足で強いボールを蹴れる、またボールの下を叩いて浮かすボールも蹴れるということだった。当時、グランパスにいた長身の外国人選手に長いクロスを蹴って合わせていた。走り込んで蹴るというより、立ったまま蹴れることに強い印象を受けたのだから、本田選手にとってはこういう場面は、いわば十八番(おはこ)でしょう。だから、相手GKの姿勢を見て、左サイドキックで小さく浮かせてポストとGKの間――本田側からいえば左を、GKの右手側を抜いている。

――試合前に監督から何か指示されたか、という(試合後の)質問に、「点を取れ」だけだったと本人は言っています。

賀川:彼の体がしっかりしていて、こういうときにもバランスを保てること、キック(シュート)の強さ正確さを知っている監督の起用だからネ。

――中央から右への展開、右の松井のひと呼吸ののちのクロス、そのボールの飛ぶコース、落下点、シューターの位置とシュートそのもの、何度見てもいいゴールでしたね。

賀川:ビッグゲームでのゴールというのは、どんな泥臭い得点でもやはり美しいけれど、このゴールは組み立てからフィニッシュまで、ちょっとした交響曲のように選手の個性や技術が組み合わされて生まれた――という感じですネ。

――この1点がなければ勝てなかったのですが、これを守る戦いもまた大変でした。

賀川:誰もがひるむことなく、あるいはどこかで気を緩めるということもなくしっかり戦った。もちろんミスもあったけれど、それを互いにカバーした。

――カメルーンはエトオが十分に働けませんでした。

賀川:カメルーンの選手はフランスリーグにたくさんいる。フランスにいる友人によると、フランスの新聞もテレビも「カメルーンが良くなかった」と言っているようです。もちろん、アレクサンドル・ソングという中盤の要(かなめ)になる選手が欠場して彼らのベストメンバーではなかったが、フランステレビの解説者の言う「退屈」な試合になったのはカメルーン側にスペクタクルなプレーをさせなかった日本側の追い方、詰め方、囲み方などが良かったからだろう。それでも、何回かはヒヤリとした。

――GKの川島永嗣もいいセーブをしました。

賀川:調子のいいプレーヤーを試合に出すのは当然ではあっても、安定感のある楢崎正剛でなく川島を起用したのも監督の決断というか思い切りだネ。

――テレビのスポーツ番組だけでなく、ニュース・ショウをはじめ色々なところでこのゴールシーンを画面に出し、勝因を語っているのを見ると、とても嬉しいと同時に、勝てばこんなにも扱いが違うのかと思います。

賀川:それは当然ですヨ。どこかのニュース・ショウの司会者が「手のひらを返すようですネ」と言っていたくらいだから。
 40年前に1970年のワールドカップ・メキシコ大会に取材にゆけなかったとき、日本で外電を読むのとテレビニュースを見るだけだった。この大会の予選に日本代表も出場したが、釜本邦茂が肝炎で試合に出られなくなり、68年のメキシコ・オリンピック代表チームも結局、彼なしではW杯アジア予選では敗れてしまった。もし出場して1勝していても、新聞に載る程度でテレビ報道もほとんどなかったでしょう。
 テレビ東京のプロデューサーだった寺尾皖次さんの話だと、70年大会はカラーのVTRを940万円で購入して、大会後に1年かけて録画放送したそうですよ。

――いまはスカパーが全試合を、NHKが地上波で22試合(生中継)BSで44試合(録画含む)、民放でも22試合の生中継があります。そして先ほどの話にある、ニュース・ショウやら大会の企画番組などがあって、まさにテレビ花盛りのW杯です。

賀川:それだけに、1次リーグの日本の1勝の値打も上がるわけだ。監督、コーチ、選手にもとりあえずご苦労さんと言いたいが、彼らにとっての実際の試合はこれからだからネ。

――オランダのスナイダー選手が、「日本は手強い相手にになるだろう」と語っているそうですから。強い相手と戦い、自分たちの力をフルに発揮してもらいたいものですね。


【了】

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1次リーグ初戦、対カメルーン(上)

2010/06/17(木)

2010FIFA ワールドカップ 南アフリカ大会
6月14日23時キックオフ(日本時間)
日本代表 1(1
-0、0-0)0 カメルーン代表
 得点 日本:本田圭佑(39)



――対カメルーンから3日経ちました。日本代表の勝利で日本中がずいぶん明るくなった感じですね。日本で見るワールドカップ(W杯)も、まんざらではないでしょう。

賀川:4回連続出場、3回目の2006年ドイツ大会は期待が大きかっただけに1次リーグ3敗はショックだった。イビチャ・オシム監督のもとでの新しい日本代表のスタートは彼の病でストップし、監督を引き受けた岡田武史監督のもとでアジア予選を突破した。それは素晴らしいことだが、予選突破の後のキリンチャレンジカップなどの強化試合で日本代表の調子が悪く、大会直前まで不安視されていた。

――それが、第1戦で強敵カメルーンを破った。これまでの大黒柱・中村俊輔を不調のためにメンバーから外すという思い切ったチーム編成でした。

賀川:多くのファンを心配させただけに、1-0の勝利の喜びも大きいネ。

――そういえば、大会前に岡田監督とお話したとか?

賀川:彼が日本を出る前に、電話で話したヨ。メンバー編成で色々考えていたようだ。ボクは、ともかくオシムの後を引き受けてアジア予選を突破したことでまずひと仕事をした、そのおかげで6月のW杯を日本のファンも楽しめるわけだから、自信を持って、自分で考えたことを実行すればいいんだ――と言っておいた。

――他にも色々、具体的な話もあったのでしょうけれど、まあ、ここでは聞かないことにします。また何年か経ったら……

賀川:対カメルーンは、故障で調子の上がらない中村俊輔を休ませ、対イングランドでテストした布陣を基礎にメンバーを組んだ。カメルーンにはこのメンバーで、このやり方でゆくのだという監督の意図と選手の気持ちが一つになって、ほぼチーム全員が描いていた結果になったのだと思う。

――本田圭佑の起用も当たりました。

賀川:本田は前残りのセンターフォワード(CF)的な役割に最適というわけじゃないが、少なくても、今の日本代表の攻撃メンバーの中で体が一番しっかりしていて、後方からのボールをカメルーン選手と競り合っても、そう簡単に負けない強さがあるし、ボールを受けてもすぐ潰されない技術と体がある。頑張り屋の大久保嘉人の速さと長いランへの意欲が加われば、相手には威力となるだろう。
 右に起用された松井大輔はドリブルができるから、DFからのパスを受けてもすぐは取られない。だから、そこからたとえ有効な攻めにゆけないときでも、彼のボールキープによってDF陣は攻めを跳ね返した後、ちょっと一息つき、マークの再確認する余裕ができる。

――当然、カメルーン相手に守勢が続いたときでも、そういう選手がいるということは守りにも大きく貢献します。

賀川:これまで高い位置からのプレッシングを強調し、そこで奪うと効果的な攻撃へ移ることができる――といってきた。そういう積極的な考えもいいが、押し込まれるときに何かちょっとした救いになるか――ということも大切なんですヨ。

――サッカーは走り回ることも大切だが、ボールキープも重要で、それは1930年代から誰もが知っていること――と、以前言っていましたよね。

賀川:1956年のメルボルン五輪予選の対韓国1回戦(日本2-0)のとき、圧倒的な韓国の攻め込みに耐えたのは、鴇田正憲がボールを受けるとタッチラインを背にして独特のフェイクでボールをキープした。その間にGK古川好男やDF小沢通宏は、マークを再確認し次の攻撃に備えたと言っている。

――最近の日本では、そういうサイドでのキープが攻撃だけでなく守りにも有効という考えはないようですね。

賀川:解説者やコーチはたいてい、このことは知っていますヨ。それをできるプレーヤーがいなかったのだと思う。

――今回は松井がいた。松井は守備面の効果だけでなく、得点となるクロスを送っていわゆるアシストをしました。

賀川:それが本来の彼の仕事ですヨ。あの先制点であり決勝点であった本田圭佑のシュートは、後方からのロングボールをまず本田が競って自分のものにし、後方中央の遠藤保仁に渡したところから始まっている。

――遠藤や長谷部誠がわりあい高い位置にいましたね。

賀川:これは阿部勇樹を2人のセントラルディフェンダー(CDF)田中マルクス闘莉王中澤佑二の前へ置く形にしたことで、それまでの4FBのときのボランチ(守備的MF)と違ってきたからね。とくにこの時間帯は、こちらも攻め、相手も攻めるという行ったり来たりの状態になって、やや中盤でのスペースが広がっていた。

――ボールを本田から受けた遠藤が小さなフェイクを入れておいて、右サイドの松井へ送りました。

賀川:速いグラウンダーで、松井には受けやすいボールだった。相手のアスエコットとは少し間合いがあった。松井が一つ持って右足でクロスを蹴るというジェスチャーをすると、相手はこれに引っかかって背を向けた。松井は右足で左へ切り返し、また一つ持って左足でクロスをゴール前へ送った。

――賀川さんがいつも言う、どの位置から蹴るかで効果が違うということですね。

賀川:NHKの解説で、山本昌邦・元日本代表コーチもよく言ってますヨ。たとえばバルサの攻撃でペナルティエリアぎりぎりからクロスがくると、近くからのクロスだから、タッチラインからのクロスと違ってボールがすぐにやってくる(時間が短い)。だから相手のDFの対抗が難しいとね。
 もう一つ、今回は松井のキック力でゆくと左のクロスだったらタッチラインからではファーポスト近くの目標へ正確に届けるのは難しいハズ。それで大きなフェイクで相手DFをかわして少し中へ持って蹴ったのだろう。


【つづく】

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ワールドカップ・南アフリカ大会の前に

2010/06/11(金)

――いよいよ、開幕です。第19回FIFAワールドカップ(W杯)2010 南アフリカ大会は11日の午後2時(現地時間)から開会式があり、午後4時(同、日本時間 同日午後11時)に南アフリカ対メキシコの開幕試合が行なわれます。

賀川:今日は、このヨハネスブルクの試合よりも4時間遅いキックオフで、同じグループAのウルグアイフランスがあり、7月11日までの全64試合の大会がスタートする。
 日本代表の参加で現地からの報道は日本チームのことが主になるのは当然だが、開会式のセレモニーも、またショーも、南アフリカらしい楽しく見応えのあるものになるでしょう。

――ネルソン・マンデラさんも開会式には出席するそうですね。

賀川:そもそも、この南アフリカ大会は、アパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃に力を尽くし、新しい南アフリカの最初の黒人大統領になったネルソン・マンデラさんの強い希望に、FIFA(国際サッカー連盟)が同調したのだからね。
 南アフリカへの招致プレゼンテーションをマンデラさんが行なったとき、その熱意と心のこもった言葉にFIFAの役員はすべて心を打たれた――と、FIFA理事の小倉純二さん(JFA副会長)が言っていた。

――大変革をしたあとの南アフリカが一つになるためにも、サッカーのW杯は必要――ということですね。

賀川:FIFAは南アフリカ開催を決意しただけでなく、さまざまな援助をして大会の準備がはかどるようにした。南アフリカだけでなくアフリカ全土、各国にトレーニングセンターをつくって、アフリカ・サッカーの向上をバックアップしている。

――すでにアフリカの優れたプレーヤーたちがヨーロッパで働いていますが……

賀川:普及を図るだけでなく、各国のクラブやリーグの基礎がしっかりしたものになってほしいと、様々なテを打っている。

――賀川さん自身の、アフリカへの興味は?

賀川:子どものときにはアフリカを題材にした冒険物語をよく読みましたヨ。ライオンやゴリラの話も好きだった。
 サハラ砂漠を越えて南下してゆくアフリカ探検史なども熟読した。80年の欧州選手権(EURO)のあとで、パリからワシントンへ飛ぶときに、隣の席の人が、マリ共和国のトウンブクトウに実家があると聞いてとても嬉しかった。そこは西アフリカの大河ニジェールの上流にあって、古くからの交易の地だったからネ。

――アフリカのサッカーのことも、色々書いてきましたよね。

賀川:記者になるずいぶん前、神戸一中の4~5年のころに、アルベルト・シュバイツァー博士(1875-1965年)に傾倒した。この人の著書『水と原生林のはざまで』は、私にはバイブルだったヨ。
 19世紀に、宣教師でありアフリカで探検家でもあったディビッド・リビングストン博士の捜索をテーマにした『スタンレー探索記』という映画が同じ頃にあった。スペンサー・トレイシーという俳優がリビングストンを発見するスタンレー記者役、つまり主役だった。東アフリカのタンザニア湖畔での2人の劇的な会見の場面は心に焼きついたものです。

――そんな映画もあったのですか。

賀川:南アフリカについては『リーダーズ・ダイジェスト』か何かで、あのウィンストン・チャーチル首相(1874-1965年)が若いころ、従軍記者としてボーア戦争(1899-1902年)の取材にあたった話を読んだのだが、それが興味を持つきっかけとなった。
 東京オリンピックの大会直前にFIFAの総会が初めて日本(東京)で開催された。このときに70年W杯の開催地がメキシコに決まった。立候補のライバル・アルゼンチンを投票で破ったのだが、このときの総会のもう一つの決議で、当時アパルトヘイト政策をとっていた南アフリカはFIFA参加資格停止処分となった。IOC(国際オリンピック委員会)の資格停止はもっと後のハズです。
 象やライオンといったアフリカのイメージにサッカーが重なってきたのは、66年W杯のエウゼビオあたりからですヨ。

――サッカーマガジンではなくサッカーダイジェスト誌でしたか、国のことを連載したのは

賀川:1988年から93年まで足かけ6年。ダイジェストに「サッカー くに(国)ひと(人)あゆみ(歩)を連載させてもらった。
 74回まであって、40ヶ国ばかり紹介した。例によって年表もつけ、スペースも使ってもらったから、面白いかどうかはともかく、しっかりしたものだったと思ってます。そのなかで、カメルーン、モロッコガーナ、南アフリカ、コートジボワールとアフリカの5ヶ国を紹介した。
 南アフリカを取り上げたのは、1990年にマンデラさんが27年の獄中生活から解放され、南アフリカはアパルトヘイト撤廃に向かい、92年にはFIFAは南アの資格停止解除を検討した。こうした世界の動きがあるので、ダイジェスト誌の編集担当と相談して、5月号に南アフリカを掲載したのですヨ。

――いま読んでも、よく書けていると思います。

賀川:ありがとう。アフリカの現代史は、遠く離れた私たちには実感がなく、いまの西アフリカのサッカー強国、カメルーンコートジボワールナイジェリアなども、それぞれかつてフランス領であったり英国領であったりして事情も違う。南アフリカにも複雑な歴史がある。そういう流れを理解しておかないと、サッカーという大衆の競技について話すのは難しいのですヨ。
 南アフリカについては、この項のために東京の駐日大使館まで出かけて話を聞いた。そのとき広報官に、景色も気候も良く、動物もたくさんいて、パラダイスのようなところだと説明された。金やダイヤモンドが産出するというだけでなく、全てにとても豊かなのだと語られて、ヘェーと思ったものだ。

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