ユース/高校

U-17のベスト8進出

2011/07/14(木)

FIFA U-17 ワールドカップ・メキシコ大会 2011(6月18日-7月10日)
1次リーグ
 日本 1-0 ジャマイカ
 日本 1-1 フランス
 日本 3-1 アルゼンチン
ラウンド16
 日本 6-0 ニュージーランド
準々決勝
 日本 2-3 ブラジル

――メキシコでの17歳以下のワールドカップで、日本が準々決勝まで進みました。ブラジルに敗れましたが、0-3から2-3まで追い上げ意地を見せてくれました。

賀川:今度のU-17や女子のワールドカップで世界と戦う日本代表を見ると、日本サッカーの歴史の流れをより広い舞台で、よりレベルの高いところで眺める気がします。
 U-17といえば、昔でいえば旧制中学校(小学校を卒業して入学する5年制)と同じ年頃。いまサッカーマガジンで連載中の「日本とサッカー 90年」はちょうど1936-40年の戦前、それも中学校の全国大会について書いているところです。
 昔の中学校のチームは年齢の2歳上の師範学校(小学校の先生を育成する学校)と試合をしていたので、勝つためには自然に体格差、体力差をどう克服するかを考え練習した。それが1930年の極東大会(対中華民国)1936年のベルリン・オリンピック(対スウェーデン)などで日本代表が体の大きい外国チームとの試合でも発揮されるようになった――というのが日本サッカーの歴史なのです。

――日本はまずジャマイカに1-0で勝ち、フランスと1-1で引き分け、アルゼンチンを3-1で破って16強に。さらにニュージーランドを6-0で倒してベスト8に進み、ここでブラジルと戦いました。

賀川:ブラジルに先に3ゴールを奪われてしまった。2ゴールを返したのは立派だったが、ブラジルは3点取って安心して動きがガタンと落ちていた。そこを突いたのは素晴らしい。しかし同点にするか4点取るかでなければ負けは負け。

――まあ、実力は向こうが上でしょう。

賀川:強い相手と戦い体力勝負に持ち込むのも一つのやり方だが、それでゆくなら失点を少なくしなければ勝つのは難しい。しかし、将来性のあるU-17がいい経験を積んだことに期待したいネ。

――なんといっても、メキシコでの試合を見ると高度や暑さ、ピッチの状態など様々な問題もあったなかで、です。

賀川:難しい環境のなかで頑張った経験は、選手たちのプラスになるだろう。1次リーグのジャマイカ戦のとき、暑さで両チームの動きが鈍ってゆくのを見ながら、とても「しんどい」なかでよくやるなと思ったものですヨ。ボクたちも、日本の夏の試合の苦しさを経験しているからね。

――だからこそ、技術力のアップが必要だと?

賀川:そう。トラップミスやパスミスをすれば余計な消耗をする。頑張ることは大事だが、暑いなかでも正確な技を発揮できるだけの力をつけるのが何よりでしょう。U-17のベスト8進出や女子の大活躍など世界の舞台での活躍を見ると、日本もいよいよ世界のサッカー国に仲間入り――といえるでしょう。指導に関わる人たち、少年・少女の育成に力を尽くす人たちの努力に改めて感謝したいね。

――フェアプレー賞を受けました。

賀川:メキシコでは1968年のオリンピック銅メダルのときに初めて制定されたフェアプレー賞を受賞した。40年以上前のことだが、こういう伝統は守ってほしい。決勝のメキシコ対ウルグアイはいい試合であったが、いささかボクには嬉しくないファウルも少なくなかったからネ。サッカーのためにも、日本がフェアプレーでゆくのはいいことですヨ。

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滝二の優勝に思う ~2011全国高校選手権~ (下)

2011/01/14(金)

◆ゴールを奪えるチーム同士の見応えある決勝

賀川:3点目はゴール前に上がったボールに2トップだけでなくもう一人が入って3人が壁のようになったから、久御山のDFもGKも満足にとれず、こぼれ球を本城がシュートして決めた。3-0となっても久御山は諦めずに3分後に1ゴールを返したから試合はさらに面白くなった。

――点を取ろうと前掛かりになってくる相手の裏へ浜口が飛び出し、一発のパスを受けて4-1。誰もが勝負あったと思ったでしょう。

賀川:このあと滝二は同じようにノーマークシュートの場面をつくりながら追加できず、久御山が後半の31分と39分に2点を取って追い上げたのはすごかったネ。

――中盤でドリブルの多かった久御山がパスで中盤を攻め上がり、ゴール近くでドリブル主体で攻め込むようになりました。

賀川:新聞の見出しに“京都のバルサ”とあったが……ドリブルの集団性という点ではアルゼンチンのようでもあった。それはともかく滝二のディフェンスも体が効かなくなった。

――テレビの「守り抜けるでしょうか」という声を聞きながら、賀川さんは「5点目を取らなアカン」と言っていましたよね。

賀川:相手は攻めてくるのだから、ここで1点取ればいいんですヨ。

――その1ゴールを樋口が取った。

賀川:アディショナルタイムに入っていた。中盤でパスをつないでいた久御山が、またドリブルするようになった。それを滝二が奪い返して攻める――というやり取りが2~3回続いて、交代で入っていた恵龍太郎が久御山側の25メートル右寄りあたりで相手ともみ合ったとき、後方から樋口が走り込んできた。競り合ったボールが高く上がって、ペナルティエリア内に落下するのを樋口が先に落下点に入り、飛び出してきたGK絹傘を右に外してシュートした。彼の得意の角度だったから、シュートは強く、ゴールカバーに入ろうとした久御山のDFも取れなかった。

――最後まで白熱した試合は、樋口のゴールで勝負ありでしたね。

賀川:前半のようにパスが上手くつながって、というのでなく、力づくで取った感じだったが、ここにも滝二のカラーがあったように思う。

◆全国にいチームがたくさん出来、いいプレーヤーがたくさんいた大会

――関西人、神戸一中OBとして、また黒田先生を神戸FC時代から知るサッカーの先輩として、色々な思いがあるでしょう。もちろん、この若者たちのプレーに不満な点もあるでしょうが、それはまた次の機会にして今回は……

賀川:まず滝二のみなさん、おめでとう。兵庫のみなさん、関西のみなさんおめでとう。近畿勢の決勝を国立でやれたということも嬉しいことですヨ。
 今年の高校選手権ではたくさんのいいプレーを見せてもらった。日本サッカーの若年層の育成がいよいよいい時代に入っているように感じ、とても楽しい大会のテレビ観戦だった。

――ヴィッセルもJ1で戦えること、香川真司という誇るべきプレーヤーが伸びる年でもあり、2011年は神戸も関西もいい年になるでしょう。


【了】

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滝二の優勝に思う ~2011全国高校選手権~ (上)

2011/01/13(木)

――滝川第二高校、やりましたね。高校チャンピオンです。

賀川:決勝戦はすごかった。5-3の攻め合い、最後まで力を振り絞ってのプレー、サッカーの面白さをいっぱい見せてもらった。

――兵庫県の、しかも優勝経験もある神戸一中のOBとしても嬉しいでしょう。

賀川:時代は違うけれど、古い神戸人にはサッカーのプライドがありますからね。私が診てもらっている歯科医院の大先生は旧制神戸三中で兵庫の故・高砂嘉之元会長と同期で、もちろんヴィッセルのファン。サッカーの話になると昔の神戸三中は強かったのに……とおっしゃる。

――神戸三中は全国準優勝(昭和15年、1940年)しています。それにひきかえ今は……ということですね。

賀川:まあ、そんな古い話はともかく。滝川第二高校サッカー部は私たちの親しい黒田和生さん(ヴィッセル神戸育成担当)がつくり上げたもので、その黒田先生のあとを受けた栫裕保監督によって初の栄冠をつかんだ。だからテレビ観戦にも力が入りましたヨ。


◆粒ぞろいの滝二のチーム全体の攻撃に感嘆

――滝二の良かったところは?

賀川:この年代の3年間のチームで、この大会へ向かって見事にまとまったところでしょうね。個人的にも、もちろん伝統的にいい選手の集まってくるところだが、それだけに監督さんにも大変だろうと思う。
 2トップを支援するサイドへ出てくるMFも、左が小柄な(161センチ)ドリブラー白岩涼、右が本城信晴で、これもしっかりしている。

――1点目は左からのロングボールをファーポスト側で本城がヘディングで折り返して浜口孝太が決め、2点目は右サイドのオープンスペースへ走った本城へのパスを受けて中へ入れたのを樋口寛規がワントラップシュートを決めました。2点とも本城からのパスを2トップがそれぞれ決めています。

賀川:本城のヘディングパスを浜口がゴール正面で相手DFを背にしてターンし左足で決め、樋口はグラウンダーの右からのパスを小さくさわってすぐ右足でGK絹傘新の左を抜いた。落ち着いたプレーだったネ。

――前半はじめに久御山にチャンスがありましたが、徐々に滝二の運動量が目立つようになった。



【つづく】

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2011年 新春問答(下)

2011/01/08(土)

◆年男たちの充実と代表の底上げを
 いいときほど用心深く足元を見つめ、個人力を高めよう


――1987年生まれの卯年は、つまり今年の誕生日で満24歳、いま23歳ですね。

賀川:本田圭佑(CSKAモスクワ)が86年6月13日生まれ、興梠慎三(鹿島アントラーズ)や岡崎慎司(清水エスパルス)も86年だから、彼らと香川真司(89年/ボルシア・ドルトムント)内田篤人(88年/シャルケ04)森本貴幸(88年/カターニャ)たちの間ということになる。

――アジアカップ(1月7日-29日、カタール)の日本代表候補に選ばれた50人を見ると、87年生まれは槙野智章(サンフレッチェ広島→1.FCケルン)森重真人(FC東京)西大伍(アルビレックス新潟)たちDFと浦和のMF柏木陽介、それにガンバのFW平井将生がいます。柏木と平井は賀川さんと同じ12月生まれだから、ことし11月までは23歳ですが。

賀川:早くから芽を出す選手もいて、必ずしも年齢は基準にならないが、それでも長い目で選手を見ていると、当たり年の24歳はある意味で最盛期・充実期の大切な節目といえる。
 釜本邦茂がメキシコ・オリンピックの得点王となり銅メダル獲得の主役となったのが24歳だった。昨年の2010年に大活躍して大ヒーローになった本田圭佑もまさに24歳、長友もそうだった。大分からセレッソへ移ってチームの中心としてリーグ3位に働いた家長昭博(現・マジョルカ)も本田と同じ86年6月13日生まれで24歳だった。

――せっかくの当たり年の皆さんには充実した2011年であってほしい、と……

賀川:彼らのあとさき、ベテランも若い選手もザッケローニ監督はまず50人を選んで、その時々にコンディションのいい選手を組み合わせてゆくだろう。

――今度のアジアカップはそういう意味でもワクワクしますね。

賀川:昨年から日本サッカーは全体に上げ潮ムードになっている。そして、その中で選手たちは代表であってもクラブであっても、チームは心を一つにして“戦う”ことの大切さを知った。と同時にワールドカップで、個人力をもっと高めないといけないことを選手たちが知ったハズ。その個人力アップをどうするかについては、JFAの技術担当の人たちも充分考え工夫していると思う。
 いまドイツでも評判の香川真司に3年ほど前にインタビューしたとき、この若者のサッカーへのひたむきさに感心した。いまそのときのメモを読み返すと、この選手の成長は当然のような気がしてくる。

――香川くんの大ブレークで関西全体に勢いがついてきた感じです。

賀川:釜本が山城高から早大へ入って1年目から関東大学リーグの得点王となったとき、次の天皇杯のときにスタンドに「釜本頑張れ」のノボリを持って応援するグループが現れた。その頃のサッカーでは初めての現象だった。いい選手の活躍は出身地域全体を明るくしますヨ。

――大学選手権で関大が優勝し、女子も勝ちました(INAC/全日本女子サッカー選手権大会)。高校選手権でも滝川第二と京都の久御山が国立での決勝に勝ち上がっています。

賀川:滝川第二は黒田和生監督の最後の年に全日本ユース(高円宮杯)で優勝したが、高校選手権ではまだ優勝はない。面白いのは、前のチームと同じように今度のチームも遠くからシュートを打っている。この学校のクラブは蹴ることを重視するようになってから、大会でも一段上へ進めるようになったのだが、今度もそれが生きているようだ。もちろん、走力もあるし、競り合いの粘りもある。他の学校にはズバ抜けたプレーヤーも見受けられたが、滝二の勝ち上がりを見ていると、戦前の神戸を思い出して嬉しいね。
 サッカーは何が起こるか分からないのだが、高校選手権もアジアカップもとても楽しみですヨ。

【了】

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年末年始を語る ~まずは高校サッカー~

2009/01/14(水)

――平成21年、2009年もアッという間に日を重ね、一昨日12日は高校選手権大会の決勝でした。しばらくご無沙汰しましたが、年末・年始にかけてを振り返ることにしたいと思います。

賀川:昔のトヨタカップがFIFAクラブワールドカップ(CWC)となって、12月が忙しく、またそれだけに過ぎてゆくのが早くなりました。腰椎を痛めて体の動きが遅くなった私自身にとって、サッカーと世間の移り変わりはいささか早すぎる感はありますが、2008Jリーグの終盤、優勝争いから、トヨタプレゼンツのFIFA CWCそして天皇杯さらには高校選手権と面白い試合が続きましたネ。

――一番間近の高校選手権、ことしは鹿児島城西高校の大迫勇也が大きく取り上げられましたね。決勝は広島皆実高校に負けましたが、大迫のプレーはどうでしたか。

賀川:素晴らしいプレーヤーですヨ。しかし高校選手権を語るなら、まず優勝した広島皆実からでしょう。

――“堅守強攻”がテーマとテレビでしきりに言っていましたが、その通りでしたね。

賀川:テレビといえば11日、日曜朝の毎日テレビ(東京ではTBS)の関口宏さんの『サンデーモーニング』で高校サッカーを取り上げ、大迫選手の大会個人得点記録などを紹介していたときに、コメンテーターの張本勲(はりもと・いさお)さんがちょっと強い口調で、「スター選手のこともいいが、(相手となる)広島皆実高校もいい学校ですよ。進学校で、ボクも広島時代に行きたいと思ったところ。ボクは勉強ができなくて入れなかったが……そういう学校がこの大会の決勝にまで出てくるというのは素晴らしいことなんだから」と言った。
 プロ野球の強打者であった張本さんには私自身、記者時代に直接会ったり取材したりしたことはなかったが、なにしろ天下のスラッガーでサンケイスポーツの評論家であった球界の大先輩・松木謙治郎さんが監督であったときの教え子(張本さん入団当時は打撃コーチ)でもあり、よく聞かされた名――。そのハリさんのコメントと口調に、一方的にスタープレーヤーを大きく取り上げる風潮への批判と広島人の郷土愛をのぞき見した気がした。
 皆実高のイレブンの個人能力の高さと、それが交代を含めて揃っているのに感心した。特に、攻守にわたってサッカーの学識を心得ているという点が、広島地域全体の、この地方のレベルの高さを見る気がした。

――皆実高イレブンのうち6~7人が中学年齢までサンフレッチェの下部組織にいたそうです。

賀川:広島は戦前からサッカーが根付いていたところで、60~70年代の戦後の興隆期にも東洋工業という強いチームがあり、また高校も全国で埼玉、静岡と並んで「御三家(ごさんけ)」とまで言われた時代もあった。広島経済の地盤沈下とともに停滞した時期もあったが、プロ化でサンフレッチェ広島が誕生すると、当時の中心だった今西和男さんがいち早く若年層の育成に手をつけ、その下部組織から毎年優秀なJリーガーが育っている。
 そして、中学年齢から高校年齢に移るとき、サンフレッチェへ残れなかった選手はそれぞれ高校のチームへ移るのだが、その高校の指導者とサンフレッチェの指導者との間の連携もよく、この年齢層でも互いに交流して実力アップに努めている。
 したがって、高校生チームも自分たちより個人技の高い相手との戦いも十分経験している。それだけに、組織的に守り、攻めるという、サッカーの基本的な常識が高いのだと思う。
 その個々の“常識”の上に立つ“判断力”そしてボールテクニックという基礎的な力が本大会で試合を重ねて一つひとつ勝ってゆくうちにどんどん成長して決勝で素晴らしいプレーをしたのだろう。

――決勝での3ゴールのうち2ゴールは、サイドからの攻撃を中央の金島悠太が決めました。

賀川:大迫に先制ゴールを取られてすぐ取り返した1-1の同点ゴールは、左サイドをオーバーラップして攻め上がった浜田晃のクロスを右から走り上がった佐々木進がヘッドで折り返し、それを金島が右足ボレーで右上へ決めた。

――画(え)に書いたような攻撃でした。

賀川:このチームは右DFの村田俊介も早いし、この日のサイドでの攻めに自信を持っていたようだ。20分に(ゴールを)取られて、23分に取り返した。それまでチャンスは皆実の方が多かったのに得点できず、大迫に奪われたからイヤな感じになるところを、この同点ゴールで大いに気持は盛り上がったハズだ。

――そして谷本泰基の2点目。

賀川:このゴールは、まず右サイドの佐々木が左前のオープンスペースへロングパスを送って金島が取るところから始まった。
 小さくつないでいて、ボカーンと大きな展開に切りかえるこのチームの攻めての一つ、その特徴が出た。金島からのバックパスを受けた谷本がペナルティエリア内左寄りでシュートし、DFに当たったリバウンドを拾ってもう一度シュートして見事にファーポスト側へ決めた。広い展開のあとフォローした谷本がそのあとのシュート、そしてリバウンドを取ってのシュートと連続した動きの中で姿勢が崩れなかったところがいい。

――2-2となったあとの3点目は

賀川:それまで長いランやドリブル突破でスピード優位を見せていた村田が、右サイドでいいドリブルを仕掛けてDFをタテに抜き、クロスを送った速いボールでGK神園優を越え、そこへ金島が入ってきた。ノーマークで文句なしのヘディングだった。内側へ行くと見せてタテに抜いた村田は自信たっぷりの感じだった。彼にも金島にも会心のプレーだったハズ。

――ディフェンスに定評のある皆実ですが、攻撃も良かったわけですね。

賀川:基本常識というのか攻めのコツというのか――これまでどうだったかは分からないが、最終戦ではそれが開花した感じだネ。

――大迫勇也は?

賀川:いい選手だネ。ボール扱いもいいし、ストライカーとして色々な条件を備えているように見える。182センチと上背もそこそこある。

――そこそこ、ですか。

賀川:日本の高校年齢なら182は長身の方だが、代表チームのストライカーならもう少し高い方がいい。これから背が伸びるか、ジャンプ力がつくか、注目ですネ。
 シュートはうまい。すでにゴールの大きさの感覚はつかんでいるようだし、利き足の長いリーチを生かして左へ切りかえし、左でシュートする技も身につけている。シュートのときにボールを注視しているのもいい。それに蹴り足の振りも早いようだ。

――メキシコ・オリンピック得点王の釜本(邦茂)さんと比べてどうです?

賀川:釜本のようなタイプのストライカーになるかどうかは別にして、大迫の方がうまいのは当たり前でしょう。サッカー全体のレベルが今の方が上がっているからネ。ただし、問題はこの年齢から22~23歳までにどこまで伸びるか。
 今、私は『週刊サッカーマガジン』の連載「我が心のゴールハンター ~ストライカーの記憶~」で釜本邦茂がその時期にどうして伸びていったかを書いているところ。時代も違い、環境も異なるけれど、まずは基礎練習を積むこと、サッカーを考えること、体をつくること、いい試合やいいプレーを見ること、いいと思うことは何でもやること。

――シュートそのものの練習も、でしょう。

賀川:ここ2年ばかりの高校選手権の試合を見ると、ある時期よりも全体的にキックやシュートの力が伸びてきているように見える。多分、練習の量が増えたのだと思う。しかし、それがJリーグへ入ると途端に練習量が少なくなるらしい。これまでにも、多くの優れたストライカーの素材がJに入ってから足踏みしているのをずいぶん見ている。

――そういえば……平山相太も伸び悩み?

賀川:一番大切な18~22歳のストライカーの素材を伸ばして欲しい。大迫選手のような若手を見ると、心からそう思いますネ。

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