Jリーグ

さあ!Jリーグ!

2014/02/28(金)

――ソチの冬季オリンピックが終わりました。若いころスキーやスケートを自分でも楽しみ、新聞記者時代にも取材経験が長かったから、大会中はずいぶん力が入ったでしょう

賀川:日本の代表もずいぶんがんばりましたね。深夜までアルペン競技を見ていると1956年のコルティナダンペッツォ(イタリア)で猪谷千春(いがやちはる)選手が男子回転で銀メダルを取った時のことを思い出しましたよ。テレビのないころ現地からの速報を深夜まで待って、スポーツ紙に入れたのです。

――スキーではジャンプ、スケートではフィギュアがいまでは日本では強くて人気のある種目ですね

賀川:ジャンプやフィギュアも採点法が一般ファンにも理解されるようになって、とてもわかりやすくなっています。これも競技の進化ということでしょう。

――冬の話からサッカーに移りましょう。2月22日にゼロックス・スーパーカップでJリーグのチャンピオン、サンフレッチェ広島と天皇杯優勝の横浜F・マリノスが対戦しました。天気もよく、4万人余の観衆が国立に集まり、サンフレッチェが2-0で勝ちました。

賀川:天皇杯の元旦決勝で勝てなかった広島のリベンジというところですかね。とても積極的でした。1点目は石原が右サイドをドリブルで突破し、ゴールライン近くからグラウンダーのクロスを送り、ゴール正面で野津田が決めた。ニアポスト際、相手GK榎本の前で佐藤寿人がボールにからみ、ボールが中央へ流れたのがポイントだが、石原がドリブルを仕掛ける前のトラッピングでマークをかわしたプレーも見事だった。2点目は後半にミッドフィールドでの奪い合いから野津田に渡り、ドリブルして前線の浅野にパスを送り、浅野がダイレクトで右足でシュートして決めた。

――いいシュートでしたね。野津田も浅野も19歳です

賀川:不勉強で彼らについてはよく知らないが、浅野のダイレクトシュートを見ながら、広島はいい選手を集めるのも育てるのもうまいと思いましたね。後方からのボールをダイレクトでシュートを決めるのは、練習で自分の型にしてしまえば、それほど難しいシュートではないけど、相手の裏へ出ることが多いだけに、飛び出してくるゴールキーパーとのこともあって、そのスペースの取り方に工夫がいるのでしょう。バルサでもDFライン裏へのパスを決められるのは、メッシ以外にはそう度々は見られませんね。

――浅野のゴールに皆が目を見張ったわけですね

賀川:動いた方向、スペース、タイミングがピタリだった。ドリブルして、そこへパスを出したのが19歳の野津田だからね。

――ACLが始まって、日本の4チームは横浜が敗れ、広島とセレッソ大阪が引き分け、川崎が勝ちました

賀川:相手にもよるでしょうが、ACLで対戦する相手は一般的にボールの奪い合いに強く、ファウルも辞さないところが多い。アジアのこのクラスを相手に自らの技術を発揮して勝ち抜いてゆくことで、日本のチームのレベルアップを証明できるでしょう。日程上の問題はあるにせよ、選手たち、コーチ、監督さんの工夫の見せ所ですね。

――関西では、ガンバ大阪と、ヴィッセル神戸が1年で復帰し、セレッソとともにJ1が3チームになりました。セレッソはディエゴ・フォルランの加入でさらに人気が高まりました

賀川:2010年ワールドカップの得点王で、南米選手権優勝チーム・ウルグアイのヒーローです。母方の祖父も、父親もプロ選手。いわば、ウルグアイのサッカー界の名家で生まれ育った。父親に言われて、両足でボールを扱うようになり、両足のシューターとしても評価されている選手で、182センチとCFとしては普通の大きさで技巧派だが、ウルグアイサッカーの強さも備えている。といって、いいパートナーのいないチームではあまり得点をしていないという記録もあります。柿谷や南野たちがどのようなペアプレーを見せるか楽しみなところです。

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Jリーグ20周年レセプションでの感慨 〜 このときというタイミングで見事に立ち上げ、その後の発展に努力したJの関係者にまずお礼を

2013/05/18(土)

――5月17日のJリーグ20周年のレセプションパーティに出席されたそうですね

賀川:立派な招待状をもらったので、まずはお祝いを申し上げるだけでも、と出かけました。その前の週にも20周年について雑誌社のインタビューがありましたよ。

――まあJリーグはいまや社会現象のひとつですからね。パーティは盛会だったでしょう

賀川:すごい人でしたが、川淵さん、鬼武さん、大東さんたち歴代のチェアマンにも、大仁会長にもおめでとうだけは言うチャンスがありました。JFA名誉総裁の高円宮妃殿下にも、こういうレセプションではいつもご挨拶するのですが、たくさんの人の列で機会を逸しました。

――第2代チェアマンの鈴木さんは

賀川:顔が見えたからゆこうと思ったら、誰かにつかまって結局言葉を交わせないまま残念でした。鈴木さんは六甲高校出身、小学校は雲中小学校で私の後輩になります。

――珍しい顔に会いましたか

賀川:第1回のアジアユース大会の選手だった山田通夫くんに声をかけられました。東京高師附属で、当時2年生でしたが、上手なプレーヤーでね、1959年の紅顔の少年も白髪のおいじさんになっていたが、顔も雰囲気も昔のまま。彼は慶応を出てからサンケイスポーツへ入社し、テレビ局に移ったので、Jがスタートしたとき、私がマッチコミッショナーで試合を見に行って会いました。そんな話をしている時に成田十次郎先生に声をかけられ、先生が山田くんを教えたことがあるそうで話がはずみました。成田先生はドイツ留学中にデットマル・クラーマーの評判を聞いてJFAの野津謙会長にレポートしてクラーマー来日の道を開いた人ですからね。

――東京教育大学サッカー部史の年度別名簿を見ると、成田先生は昭和30年卒ですね

賀川:たしか亡くなった藤枝東の長池実さんや、共同通信の大記者になった村岡 博人さんたちと同じくらいのはずですよ。もっとも会場にいたセレッソの森島寛晃くん(モリシ)に1959年のユース代表に会ったよと言うと「スゴい!ボクは生まれていません」と言いましたがね。

――20年前を振り返ると

賀川:国立競技場での川淵チェアマンの挨拶もよかったし、すべてが新鮮で感動的でした。JFAの副会長だった長沼健さんが「サッカーは完全に変わりました」と言っていました。70〜80年代の低迷期に少しずつJFAの基礎を固めグローバル・スタンダードの形をとるようにして、Jの開幕に漕ぎ着けた。

――動きの鈍かったJFAが一気にプロ化に向かって動き出したという感じでしたね。関西から見ていると

賀川:後から見れば、この時期だという時に、この人だというチェアマンがいて、その仲間が一気に駆け出したという感じ。ある時、準備室を訪れて、まさに分刻み、秒刻みの仕事ぶりに感嘆したことを覚えていますよ。

――20年いろいろありましたが

賀川:関係者当事者、バックアップしてくださったスポンサーの皆さんたちの努力と智力でここまで来た。93年のプロ化とともに、2002年のワールドカップ招致に向かって動いたのも、すごいことだった。

――大づかみに言えば、プロ化で少なくとも10チームが、芝生のピッチの最低1万5千人収容のスタジアムを持つことになった。2002年のワールドカップ招致で各国代表チームの練習場を作ることになり、地方に芝生のグラウンドが整備されることになった

賀川:東京オリンピックは首都、あるいは首都圏でのスポーツ一極集中化につながったが、ワールドカップはJリーグとともに、地方に上質のピッチをたくさん生むことになった。

――プロ化によって、選手たちの意欲も上がった

賀川:プレーヤー、選手にとってはお金のこともあるが、世界と同じカテゴリーで戦えるということが大きかったと思う。もちろん家族たちにとっては子どもの素質、努力によってその子の好きな道を職業に選ばせる可能性ができた。

――Jリーグの20年の入場者が1億人を超えました。ワールドカップの本番に出ることが当たり前のようになった。女子はワールドカップで勝てるようになった。すごい成果です

賀川:まずJのファンが増え、その底力の上に、代表が世界に向かうことになる。もちろん、代表の好成績はJの値打ちを高め、ファンの興味を高めることにもなる。いまはそれが比較的にうまくいっています。指導者層、それぞれのチームやカテゴリーのコーチのレベルも上がっているし、多くの子どもたちがサッカーを好きになる環境も整っています。香川真司のマンチェスター・ユナイテッドでの活躍は、日本サッカーのレベルアップを示すものですが、まだまだ十分ではありません。

――レセプションでいろいろ考えられたことがあるでしょうから、追々Jの20年について聞くことにします

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21年目のJには新しい発見と新しい感動が

2013/03/04(月)

――3月2日、Jリーグが開幕しました。J2も日曜日に早速ガンバ大阪対京都サンガという関西人にとっての注目カードがありました。そして真司のハットトリックというすごい知らせがイングランドから届きました。3月最初の週末はとても、とても…でしたね

賀川:開幕日は長居競技場へ出かけて、15000余の皆さんといっしょにセレッソ大阪対アルビレックス新潟を見せてもらいました。新潟からはるばるやってきたサポーターは勝てる試合を落としたという感じだったでしょうね。

――冷たい風が吹いて、3月としてはとても寒い日でした

賀川:ボールの奪い合いでも一歩遅れてなかなかキープできないセレッソが後半途中から投入された扇原の一本の裏へのパスと、それにあわせた柿谷曜一朗のダッシュとボレーシュートで1点を奪って勝ちました。

――後半43分だった

賀川:ブラジル人FWのエジノに代えて杉本を入れ、MFの横山の交代で扇原が入ってからセレッソに流れが傾いた。横山はそれまでよく働いていたが、扇原は攻撃面で優れた選手だからね。

――セレッソでは南野拓実という18歳が出場していました。各年代の日本代表でも活躍しています

賀川:大きくはないが、体のバランスがよくて、上手なプレーヤーですね。まだ遠慮している感じがするが、次の試合あたりから自分のアピールポイントを出してくるでしょう。この日は14人がピッチに立ったが、そのうち6人がセレッソユースの出身だった。

――育成担当者はうれしいでしょうね。もっとももうひとつの強化策のブラジル人選手は目覚ましい働きとは言えなかった

賀川:ブラジル人との付き合いは1967年のネルソン吉村以来だが、プロになってからクラブ史に名を残すブラジル人選手は多くはない。まあこの試合の3人のブラジル人もこれからチームになじむのだろうが…

――韓国人のGKキム・ジンヒョンはよく働いています

賀川:この試合でもDFとGKのキムがずいぶんピンチを防いだ。

――他会場では、広島が浦和に負けました

賀川:高萩洋次郎を欠いたのが広島には大きなマイナスになったはずです。今の広島にはスーパーカップ以来の不安がないわけではないが、それは次の機会にしておきましょう。テレビで見た限りでは、浦和にはACLで負けた後遺症よりも、広島に勝つのだという強い気持ちがあったように見えた。レッズというビッグクラブがペトロビッチ監督の2年目でチームの方向性が見えてきた感じがするのはとても楽しいことですよ。

――20年というひとつの節目の開幕は、賀川さんにはどうでした?

賀川:私の68歳の時ですね。国立競技場での川淵三郎チェアマンの開幕のスピーチと、満員の大観衆に身震いしたのを覚えています。日産と読売と言っていたチームが、横浜マリノス、川崎ヴェルディと名を変えてプロフェッショナルとなり、木村和司やラモスやカズがプレーした。このオープニング試合の次は、マッチコミッサリー(現マッチコミッショナー)という役目で鹿島へ行って、ジーコの試合を見たのです。それから20年、チームの数が増え、毎年大量のプロフェッショナル選手が生まれてきました。Jリーグのイヤーブックも倍の厚さになりましたよ。

――20年の間に、2002年のワールドカップ開幕があり、代表は98年から4回続けてワールドカップの本大会に出場し、なでしこジャパンが女子のワールドカップに優勝し、またロンドンのオリンピックで銀メダルを取った

賀川:まだ超一流国とはゆかぬにしても、日本は世界のサッカーの一流国になろうとしています。Jリーグはその一流国のトップリーグです。

――サッカーという楽しみがあることと日本中に知らせてきたことは大きいと思います。もちろんレベルアップも必要ですが

賀川:スポーツをする楽しみ、見る楽しみ、語る楽しみは今の社会にとって、とても重要なものになっています。私自身も88歳になって、またまたサッカーを見て語ることの面白さに気づきました。サッカーを見る目も生の試合であれ、テレビであれ、時には自分でも不思議に思うほどの発見や感動があります。21年目のJリーグからもぜひそれを得たいと思っています。

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FUJI XEROX SUPER CUP 2013

2013/02/28(木)

FUJI XEROX SUPER CUP 2013

サンフレッチェ広島 1-0(1-0) 柏レイソル

――いよいよJリーグ開幕です。2月23日のゼロックススーパーカップはいかがでしたか。Jリーグチャンピオンのサンフレッチェ広島が天皇杯優勝の柏レイソルを破りました。佐藤寿人のビューティフルシュートが評判になりました

賀川:広島のように選手の変更が少なく(山脇の浦和への移籍はあったが)クラブで育てた若い選手を上げてくるところはチームワークの良さは当然。したがって、シーズン初めの試合は有利になりますよ。日本の多くのチームの攻撃はまず組み立ててゆくことから考えているが、広島は佐藤にどう合わせるか、つまりストライカーを中心にパスや人の動きが組み立てられているのだから有効なのですよ。

――昔から賀川さんが言っていた攻撃の基本ですね。

賀川:もちろん個々の技術や戦術眼はJではトップクラスでも、世界の水準からゆけば、それほど高いわけではない。だから昨年12月のクラブワールドカップでももう一段上にゆけなかった。最後に佐藤寿人の所へ来る確率が高いのはそこそこのチームなら注意し、守り方を工夫しますからね。

――柏も昨シーズンでも戦って広島の特徴を知っていたはずですが

賀川:今回は水本の上りが効果的だった。左DFの彼はこのゴールシーンの前の時間のほとんどを攻撃に参加しないふうをしていた。そしてドリブルで持ち上がり、エリア内で相手に奪われ、ボールはバックパスでGK菅野孝憲にわたった。

――前半28分でした

賀川:このバックパスを菅野が蹴ったのがミスキックになり、中央左より30メートルで青山敏弘がいい出足で奪い、森﨑浩司に渡して自分は左前方へ走る。ボールは森﨑浩司から再び青山に戻る。

――柏のDFラインはペナルティエリアの前にほぼ横一列に4人がいて、左外側にもう一人の5人体制で、その前に3人が右寄りにいた

賀川:広島は先ほどドリブルで突っかけた水本がエリアいっぱいのニアサイドに、中央に佐藤がいた。青山は自分の左サイドにいる清水航平に手で合図して、相手の注意を外側に向けつつ、左足でクロスを蹴った。ボールはエリア外へ戻った水本の頭上に落ち、彼はそれをヘッドでゴール正面へ送る。

――それまで柏DF2人の間にいた佐藤が青山のキックの瞬間にバックステップでマーカーの近藤直也の外へ動き、水本からのヘッドでのパスを左足ボレーでシュートした。ボールは右ポストの内側に当たってゴールに入った。ゴールキーパー菅野は手を伸ばす時間もなかった

賀川:佐藤らしいシュートだった。

――テレビも新聞も、佐藤のシュートの見事さとシュートの前の動きのうまさを讃えていた

賀川:いいストライカーがいるとサッカーがどれほど楽しく、面白いものかという見本になる場面だが、その局面を広島のイレブンは自分たちで作り上げようとする工夫のあるところがとてもうれしい。見ているものもだが、プレーしている選手たちも、どうだ見てくれたかというところでしょう。

――ゴールキーパーのミスキックからと言っていましたね

賀川:この広島の得点の直前に柏のシュートチャンスがあったのを覚えているでしょう。それも広島のゴールキーパー西川周作のキックを奪われて攻め込まれたのを

――ふーむ。そうでしたか

賀川:前半の27分に広島のDFが西川へバックパスした。西川は止めて前方から詰めてくる相手を避けて右足でキックした。踏み込みが遠かったからボールを叩く力は弱く、ハーフウェイラインで相手がヘディングし、これが工藤にそのまま渡って工藤が右足でシュートした。正面だったから、西川には幸いだった。

――ゴールキーパーのキックが奪われたプレー。それも2分間の明暗ですね

賀川:ボールを取った位置の関係もあるのだが、柏は1本のヘディングパスで正面からのシュートとなり、広島は奪った後パスが一つ入ってのクロスとなった。そしてそのサイド攻撃に「あうんの呼吸」の連携があり、柏のゴールキーパーには絶望的なシュートとなったのですよ。

――だからサッカーは面白いと…

賀川:ついでに言うなら、2月6日のキリンチャレンジで私たちに馴染みの乾貴士が後半に登場したでしょう。

――何度も仕掛けて見せて、評判がよかったようです

賀川:彼のボールタッチは香川真司と同じく、もって生まれた才能を感じさせるのですが、左外から斜めに中へ入ってくるドリブルとその後のシュートとパスがもうひと工夫あってもいいと思いましたよ。ブンデスリーガのDFは真司のいるプレミアと比べると隙間があるように見えるが、それでもここしばらく乾のドリブルは相手に読まれているようにみえる。そういうなかで、少し格下のラトビアを相手にもう少し余裕のあるプレーを見せてほしかった。

――ザック監督の前で張り切りすぎたのかもしれませんね

賀川:関西からせっかくいいプレーヤーが育っているから、つい高い注文をするのかもしれないが、十分できる選手ですからね

――開幕を飾るゲームで両チームそれぞれチームカラーを見せて戦いました。2013シーズンも楽しみ多いものとなりそうですね

賀川:選手たちは少しでも個人力アップしようと心掛けているでしょう。そうしたプレーヤーや監督、コーチの努力で広島のゴールのような、いわゆる息の合ったチームワークによるゴールシーンをたくさん見たいですね。

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羽田の積極性が生んだ、香川の会心シュート

2010/04/23(金)

――セレッソが2勝目を挙げました。香川真司が5ゴールで得点ランキングのトップですね。ガンバの新しい顔、平井将生も5得点。関西人として嬉しいのではありませんか?

賀川:まさか……。まあ得点するのはいいことだがネ。
 平井は23歳、香川は21歳。年齢からゆくとどんどん点を取り始めておかしくない頃です。平井は太ももの肉離れでしばらく休むらしい。せっかく調子が出たときに惜しいことだ。彼は左へ流れたときにシュートの一つの“角度”があるから、期待していたのですよ。

――ガンバがなかなか勝てなくて、2勝したセレッソが関西勢で順位が一番上です。

賀川:ガンバのように、技術が高く、パスをつなぐことの上手なチームは、突っかける選手がいないとボールを回すだけに終わることがある。私たちの世代の全関西チームにもそういう傾向があった。こういうときに突破力のあるハズのブラジル人の調子が悪ければなおさらですヨ。まあ、底力のあるチームだから、むしろ今は攻撃云々よりもディフェンスからもう一度建て直す方がいいでしょう。ようやく復帰した山口のもとで、中沢や高木といった大型DFの基礎からのアップを図ること。中央の守りがしっかりすれば、左右のサイドも役柄がはっきりする。あとは明神キャプテンをはじめ、役者が揃っているのだから、きっかけさえあれば戻るだろう。

――セレッソは?

賀川:先週の湘南ベルマーレ戦は面白かった。
 攻めながら(終盤まで)PKの1点だけ。ロスタイムに湘南のパワフルな攻撃で同点にされた。相手は「しめた」と、長居のサポーターは「また引き分けか」と思ったときに勝ち越しゴールを奪った。

――シンジのドリブルシュートが見事に決まり、スタンドが沸きました。

賀川:私がいつも言っている「長居へ来れば甲子園とはまた違った興奮が味わえる」というシーンだった。
 香川のプレーも良かったが、ボクは、その前に羽田が中盤(相手側センターサークル付近)でドリブルして香川へパスを出したのが良かったと思っている。彼はこの日、何度か激しいぶつかり合いで体を痛めたハズだが、チャンスと見て攻撃の糸口をつかみ、しかもまだ周囲に余裕のある間に香川に渡したのが効いた。これが決勝ゴールを生む第一のポイントだったと思う。いわば、羽田はこの日の殊勲者ですヨ。

――ふーむ。

賀川:相手のゴールキックを高橋がヘディングし、右ライン近くでが取って羽田に渡した。いわば相手のボールを奪ってからの処理だが、羽田がこのとき、仕掛けようと前に出てきた積極性がとても良かった。もう時間切れ、ここだと彼は思ったハズ。

――ずいぶん誉めますね。

賀川:いいプレーをしたときには一緒に喜ぶべきでしょう。香川はおそらく自分で決めようと思ったのだろう。中へドリブルして、3つ目のはずしでシュートへ持っていった。一つ余計のようだが、それが効いたネ。
 相手は同点にしたあと、おそらく疲れとホッとしたのとで体がついてこなかったのじゃないかな。ここらがサッカーの面白いところで、20分前なら成功しなかったプレーが、このときにはゴールに結びつくのだからネ。香川にとっても会心のシュートの一つだろう。

――この得点で、香川は5ゴールになりました。

賀川:他のゴールはあまりよく見ていないが、テレビでちらりと見た場面でも、彼は今年、パスを出したあと前へ出て、仲間のシュートのときにゴール前へ詰めようとしているのがいい。

――“ごっつぁん”みたいなゴールをもらっていると、言ってます。

賀川:ゴール前へ行こうという気が出いているのがいい。あとは、乾が意欲を燃やすことだ。

――家長も、この試合は先発で出ました。播戸はいつもどおり終わり頃からでしたが。

賀川:能力のあるプレーヤーのポジションプレーが認められるようになって、チームの組織力がつけば、セレッソは少しずつ良くなるだろう。もちろん、まだまだ不満はあるけれど……。

――それについてはまたの機会に。

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それでも平山相太に期待をするのは

2010/03/13(土)

――小柄な遠藤クンの話が出たから……。大型の平山相太はどうでしたか。開幕戦のマリノス戦でFC東京の決勝ゴールを取りました。

賀川:テレビで見たのは石川直宏のドリブルからのパスをうまくシュートした。広いスペースで相手のマークから少し離れていたが、来たボールはそう易しいというのではなかったのをうまく蹴った。

――まずは結果ですか。

賀川:彼には6月のW杯がある。1985年生まれ、マンチェスター・ユナイテッドウェイン・ルーニーと同年代ですヨ。しかしここまで来るのにまわり道が多かった。18~22歳までの伸びる時期にどれだけ練習し、技術と体を蓄積したか、私はよく知らない。そういう点では、2010年のW杯には時間的に間に合わないかもしれない。

――それは、彼が国際舞台で活躍する力を備えるために、という意味ですね。

賀川:あのメキシコ・オリンピックの得点王の釜本邦茂でも、1968年冬のドイツでのデュアバル・コーチの個人指導を含む2ヶ月の特別研修期でステップアップしたのだからね。もちろん、彼はそれまで東京オリンピック直前からの5年間、ともかく練習し、体を絞り、大学の試合やJSL(日本サッカーリーグ)、そして代表の試合、それもアジア勢やヨーロッパのトップクラブ相手の試合といったレベルの違う相手との数多い経験を積み、杉山隆一たちの仲間とも連係プレーを磨いた。そういう環境から見れば、平山クンはいささか心細い育ち方だ。

――それでも期待するのですね。サッカーマガジンの今年の記者アンケートにも書いていましたよね。

賀川:それはそうですヨ。日本人には数少ない大型FWは天からの贈り物なんですから。それが一人前になってくれないということは、日本サッカー界にとっては損失だし、自らの選手育成能力を疑われることになると思う。

――本田圭佑についても、また聞きたいことがあります。次の機会にお願いしますね。

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重心が低く、小型選手の特色を出した若い遠藤康のプレー

2010/03/12(金)

――J開幕、ACL(AFCアジアチャンピオンズリーグ)などで目についたことはありましたか?

賀川:たくさんあったヨ。まあその一つは、鹿島遠藤康(えんどう・やすし)だネ。

――ACLの対全北現代(9日、全州ワールドカップスタジアム)で決勝ゴールを決めた小柄な選手ですね。1988年4月7日生まれだから、もうすぐ22歳になる若い選手。

賀川:74年西ドイツ・ワールドカップ(W杯)のマスコットは、Tip&Tap(チップ・アンド・タップ)という2人の選手の格好をした人形だった。すらりとしたのと、ずんぐりした選手がドイツ代表の白ユニフォーム、黒パンツを着用していた。

――すらりとしたのがフランツ・ベッケンバウアーをモデルにしたもの、ずんぐりがゲルト・ミュラーのタイプといわれていたそうですね。

賀川:サッカー選手はずんぐり型とスラリ型、別のいい方をすれば長身もあれば短身もあるということだろうネ。

――遠藤はその小さい方の……

賀川:日本人は体格が小さいのを気にしている。といえば、ボクのような小柄な者がいうとオヤというかもしれないが、小さいということは欠点ではなく特徴なんですヨ。ノッポは長所というよりこれも背が高いという特色であるだけ。もちろん、いつも言っているように、ノッポの方が適したポジションもある。しかし短身の方が有利な場所や局面もある。

――遠藤クンのいいところは?

賀川:腰が低く重心が安定している。体がしっかりしていてバランスがいい。もちろん、Jの選手だから少年時代からボールに慣れ、適当な指導を受けて鹿島へ入ったハズだ。
 テレビで見ただけだが、ボールをちゃんと止められるし、左足で強いキックができる。ACLの全北現代戦で奪った決勝ゴールは、ゴール前へ走り上がってパスを受けて、右足のサイドキックで流し込むように相手GKの左(GKの右手側)を抜いた。
 見どころは滑りやすいピッチを駆け上がってボールを受け、小さなステップを踏み体勢を保ちながらトラップからシュートへ持っていった、バランスの良さとゴール前での度胸だね。

――平山相太や大迫勇也のような長身FWの成長を望む発言の多い賀川さんが、小型・遠藤康を誉めるとは……

賀川:70年W杯の得点王で、いまも点を取ることでは歴史的にも上の方だといわれているゲルト・ミュラーは身長1メートル75で、もちろん遠藤クンより大きいが、ドイツ人の中では大きくない方。そして彼の特徴は、胴長短足の体つきだ。ドイツ人は背が高くて足が長く、いわゆるカッコイイ青年が多いのだが、彼はずんぐりに見えて胴長。ただしこれが彼の重心の安定と彼特有の反転シュートなどにつながるプレーに生きているのですヨ。

――そういえば、ディエゴ・マラドーナの話にも、彼自身が小さいから自分のプレーがあるというような言葉がありますね。

賀川:マラドーナは、彼独特のボールタッチの精妙さがあって、この特色を発揮できる小さくても強い体があった。バルセロナリオネル・メッシもそうだ。
 このクラスまでゆくかどうかはともかく、遠藤クンはそういう“小さな大選手”と同じ小さく強くバランスのいい体を備えている。開幕の浦和戦でも後半に出てきて、1本いいドリブルシュートをしたのを見て、「これは」と見ていたら、終了近くに左サイドのスローインを受けて中央へライナーのクロスを送ってマルキーニョスのヘディングシュートの決勝ゴールを生みもした。これも、彼の短い足での素早いスイングからのキックができるからですヨ。まだまだ伸びるでしょう。もちろん、技術アップをさらに努力してほしい。

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18年目のJ開幕 ~CDFの重要さ。闘莉王の去就による明暗~

2010/03/08(月)

――Jリーグが開幕しました。まず、4連覇を狙う鹿島アントラーズ浦和レッズを破った。興梠が早々に先制ゴールを決めて、途中で少し浦和の勢いに押されましたが、終わり頃に止め(とどめ)というべき2点目をマルキーニョスが決めました。

賀川:試合の流れを見ていると、鹿島はいま、小笠原満男とともにチームが一番いい状態にある。年長組、中堅に若い力がうまく組み合わされている。
 浦和は、フィンケさんというのはドイツの有名な監督らしくて、これまでの浦和のやり方をボールをキープできるチーム――近ごろの言葉でいえばボールポゼッションというらしいが――にしたいようだ。しかし第1戦を見た限りでは、かつての堅守速攻の堅守の、一番大切なDFの中央部が人不足な感じがする。

――田中マルクス闘莉王が名古屋へ移りましたからね。

賀川:チームにどんな事情があったのかはよく分からないが、闘莉王は攻撃面で有名だが守りもうまい。体も大きくて強い。もちろん、欠点もある。しかし、鹿島戦の最初の失点は、興梠の速さとその速いスタートに合わせた小笠原のパス(左サイドでの切り返しからの斜めのスルーパス)の合作だが、CDFの位置からは察知できるプレーのハズ。これを簡単に興梠に走り込まれシュートを許したのは、やはり中央の守りの適任者を一人欠いたのが大きいと思う。

――日本では大型のCDFの育ちが遅いと、いつもいっていますね。

賀川:ガンバが、西野監督がきて強くなった。その攻撃力、中盤の構成力は大したものだが、実は2004年にシジクレイが加わって守りの中央部が安定してからですヨ。山口智の成長もあったからね。

■ガンバに連戦の疲れ

――そういえば、初戦で名古屋に負けたガンバ大阪では山口が故障で開幕試合は欠場でした。

賀川:ガンバが名古屋に負けたのは、試合が多いための疲労もあるだろうが、遠藤の頑張りは見ていて気の毒なくらいだった。そういうときこそ、中央部の守りがしっかりしないと。前方からのFWの守備が大切ではあるが、ノッポのFWの頭上へボールを上げられ、2人のDFが競りに行って相手にヘディングで狙った所へ落とされて玉田圭司に決められたのだから――。この名古屋のやり方は知っているハズで、昨年も同じ形で失点している。

――名古屋にはその闘莉王が大型DFラインに加わった。

賀川:サッカーは技術も大切だが、明らかに大型選手が必要な場所(ポジション)があり、大型がいた方が有利なポジションがある。ディフェンスの中央部は相手の長身がきても対等に競り合えるヘディングの強いディフェンダーを置くのはいまや常識でしょう。ここの増川隆洋はいまや高い球には自信満々だ。

――ガンバにも、中澤聡太高木和道という長身のDFもいますが……

賀川:ボクも期待しているけれど、こういう地味な守りのポジションの選手の向上をサポーターのみなさんとともに励まし、見守ることも大切ですヨ。

――闘莉王の移籍で、CDFについてもう一度目を向けろということですか

賀川:監督やコーチはとっくに知っているハズだが、ここは日本選手の育ちにくいポジションなんですヨ。日本代表でも、バーレーン戦のメンバーを見ると中澤佑二と闘莉王の2人だけですからネ。

――注目の香川真司のいるセレッソは、大宮に負けました。

賀川:ここも、長いあいだ長身CDFなしで苦労してきた。ことしも苦労するだろう。気になる点はいろいろあるが、まあ、セレッソについては次の大阪ダービーを見てからとしよう。

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FUJI XEROX SUPER CUP2010 いい試合だったが得点が少ない(下)

2010/03/03(水)

※FUJI XEROX SUPER CUP2010 いい試合だったが得点が少ない(上)はこちら


――もう一人、宇佐美貴史(うさみ・たかし)選手について

賀川:平井と交代で登場したね。後半17分だったか。メンバーリストを見ると、平井と身長はほとんど変わらないらしいが、少しスリムで小さく見える。若手では上手だと評判のプレーヤーでしょう。

――ガンバの将来を担うと、多くの人が言っています。

賀川:うん。橋本からパスをもらって左足でシュートしたね。ちょっと足元にボールが入ったこともあり、ファーポストの外へ外れたが……。彼の角度のようだったが、もっといい形にして蹴ったらゴールになったと思う。

――あと少しで18歳という年齢ですが……

賀川:この程度できる選手には、この程度の要求は当然ですヨ。

――新顔といえば、鹿島では遠藤康(えんどう・やすし)が後半に、MFで出てきました。

賀川:フェリペ・ガブリエルに代わった彼は、自分からドリブルを仕掛けてシュートした。2本あったかナ。大きくはない(168センチ)がガッシリした、ディエゴ・マラドーナに似た体つきだ。いいプレーヤーがいるものだと感心したね。彼は25分間の出場で2本のシュート。シュートすればいいというものではないが、しなければ点を取れないもの。

――ずいぶん誉めますね。

賀川:天皇杯とリーグのチャンピオン同士。Jのトップのチームの顔合わせで、どちらもチャンスはつくるが得点シーンが少ない。今の日本代表の得点力不足をそのまま表しているような感じだったが、そうでもない若い選手を見て少しホッとした感じになったところですよ。


【了】

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FUJI XEROX SUPER CUP2010 いい試合だったが得点が少ない(上)

2010/03/02(火)

FUJI XEROX SUPER CUP2010
鹿島アントラーズ 1(1-1、0-0、PK5-3)1 ガンバ大阪

――アントラーズがPK戦で勝ちました。PK戦は鹿島が先に蹴り、ガンバの一番手で蹴った遠藤保仁が失敗。そのあと3人は決めたが、鹿島が5人目まで全て成功したから、ガンバの5人目が成功しても5-4にしかならない。そこで鹿島最終のマルキーニョスが決めたところで5-3。終了となりました。

賀川:遠藤はこの試合のはじめからすごく積極的に動いた。相手が鹿島だから勝ちたいという意欲と、24日のACL、アウェーの対水原三星(0-0)でレギュラー2人が故障したというチーム事情もあったのだろう。早いうちに先制点を取ってリードしたいと考えていたハズだ。こんなに動いて最後まで持つのかなと思ったほどですヨ。

――ACLは鹿島も戦いましたが、23日でホームだったから、ガンバの方が条件は悪かったといえます。

賀川:そういうことも頭に入れて、遠藤は走り回っていたが、やはり動きは落ちて、後半の終盤は鹿島の攻勢となった。それでも、ともかくしのいだが、そうした無理も祟って、PKのときも疲労から感覚が鈍ったのかもしれない。

――いつものコロコロでなく、右上を狙いました。

賀川:ボールがバーをこえたとき、1994年ワールドカップ決勝のPK戦でイタリアの名手ロベルト・バッジョのPK失敗を思い出した。

――全体としてはいい試合でした。

賀川:Jではやはりトップランクのチームだからね。ただし、レベルの高いチームだから、もっとゴールの応酬のスリルがあっていいのだが……

――ガンバは明神智和の欠場もあって、ルーカスをMFに置き、FWにチョ・ジェジンと平井将生(ひらい・しょうき)をもってきました。新しい平井選手の印象はどうでした?

賀川:彼は水原とのACL戦にも出ていたネ。足が速くてとてもいい。もう少しよく見てみたいけれど、DFラインの裏へズカズカと入ってゆくところが頼もしい。ただし、シュートがどうかな。
 一つ、後半に相手のミスからボールを取って左へドリブルして左へ流れて左足でシュートしたのがあった。ドリブルが大きくて、左足でしっかり叩こうとしたが左へ出てしまった。水原戦でも左足のシュートが、これはインでひっかけ気味だったが……

――87年12月4日生まれ、179センチ。Jの初出場は2008年4月27日です。

賀川:大きいとはいえないが、小型ではない。身体的資質としてはいいのだろうと思うが、スピードがあるのだから、左へ流れてのシュートにしても、自分の一番いい形にもってゆけるようになっていないと困る。まあ、どんどん試合に出ればそういうところが上手になるハズだがネ。本人がその気になり、コーチたちがいいヒントを出せば、すぐ点を取れるようになると思う。


【つづく】

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歓迎、中村俊輔!!

2010/03/02(火)

――中村俊輔選手が、横浜F・マリノスへ戻ってきましたね。本当はもっと早い時期に決まっていたハズのものが、今まで延びてしまったのは残念ですが。

賀川:ことしは日本でプレーしたいということらしかった。手違いというのか、うまくゆかなかった話はいろいろ伝わっている。だが、とりあえず、戻ってくるのは結構なことですヨ。本人のためにも日本代表のためにも、ネ。遅れたのはまったく“モッタイナイ”ことをしたのだが、まあこれから彼自身がコンディションを取り戻して南アフリカの本番を目指してほしい。
 それからマリノスも。ビッグスタジアム――それも交通の便の良い――を持っていて、浦和レッズと並んで世界のビッグクラブの仲間入りできる基盤があるのだからね。俊輔のような有能で人気のあるプレーヤーを持つことでクラブの人気も高まるだろう。ビッグクラブへのステップを踏み出してほしい。

――かつての日本代表で、FKの名手――いわばこの点で俊輔の先輩格の木村和司が監督に就任したことも、クラブの前進への意欲の表れとみてよいでしょう。

賀川:フットボールクラブの経営というのは、経済も大事だが、まず良いチームをつくってファンとともに喜びあえる結果を出すこと。そのためには、中心となるべきファンに愛される選手を多く持つことが何よりですヨ。俊輔のように、ここで育って、海外でも尊敬されてきたプレーヤーを軸にいいチームをつくってほしい。現在、すでに相当な力を持つ選手もいるのだから――。

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大阪長居スタジアム

2009/10/10(土)

――朝日新聞の夕刊に面白い記事があったとか?

賀川:9月26日だったね。そのすぐ後で昔の仲間の集まりがあったときにも話題になった。「ぷらっと沿線紀行」という続きものらしい。

 長居スタジアムの最寄り駅であるJR阪和線の鶴ヶ丘駅に、セレッソ大阪の選手の写真やフラッグが飾られるようになったことから、長居競技場を阪和沿線の風景としてとらえた企画らしい(『ホームも本拠地(ホーム)JR鶴ヶ丘駅』)。
 川淵三郎JFA名誉会長も三国丘高校時代は阪和線で通学した一人だし、岡田武史日本代表監督も阪和線沿線の天王寺駅に近い天王寺高校の出身――そうした有名人を巧みにあしらった面白い読み物だったヨ。

――賀川さんと長居の関係も長いですよね。

賀川:そうだね。1964年の東京オリンピックのときに大阪市立長居陸上競技場が竣工したのだが、競技場であった一帯が、競技場と立派な公園になった。その競技場のこけら落としが、サッカーの東京五輪「5・6位決定 大阪トーナメント」だった。そのいきさつは私のウェブサイト(賀川サッカーライブラリ―)のなかにも記してあるが、近く、それの資料や大阪開催を決めた当時のFIFA会長サー・スタンレー・ラウスさんの写真などを加えてここに詳しく書きたいと思っている。
 長居と私とは、大阪女子マラソンの開催という思い出もあるし、ワールドカップの会場となるための屋根の話もあるな。

――長居には甲子園とはまた違う楽しみがある。常々言っていますね。

賀川:長居スタジアムは公園を含めて大スポーツセンターで、市内にこれだけのものがあるのは関西の宝物といえますからね。

――賀川さんの「長居スタジアム いま・むかし」。早く語ることにしましょう。

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反転シュート、反転パス。日本サッカーの進歩の楽しさ

2009/10/09(金)

――Jリーグが風雲急ですね。

賀川:鹿島アントラーズがどんどん優勝に向かってゆくのだと思っていたら、そうはゆかずに負け続けたのが大きい。まあ、あれだけ勝ち続ければどこかで調子が落ちるものなのだね。

――関西人にはガンバが盛り返してきたのがうれしい。

賀川:もちろん、根っからの関西人のボクにはとても有難いが、日本のサッカー全体を見てもガンバがJのトップ争いにいて、そのプレーを多くの人に見てもらうことはとてもいいことだと思っている。
 28節のガンバ対大宮アルディージャの試合でも、とてもいいプレーがあったよ。

――前半に0-1とリードされていたのを、後半に4点取った大逆転試合ですね。

賀川:大宮は前半、プレッシングがよく利いて、これならいける――と思ったのだろうが、後半の早いうちに同点にされてしまった。それは大宮の左CK直後のカウンターだった。
 左CKをファーへ蹴り、そこに長身のDFマトが待っていたが、ボールは彼を越えた。マトをマークしていた中澤聡太が拾って持ち上がった。それへのプレスはほとんどなく、余裕を持って少しドリブルした中澤は左前方のスペース、つまり左サイドのスペースへボールを送った。そこには二川孝広が走り上がっていた。彼は落下点で右足(ボレー)に当てて、いったん後方を向き、小さくバウンドしたボールをそのまま中央のスペースへ送った。そのボールがペナルティエリアすぐ外に落ちた。

――走ってきたペドロ・ジュニオールにピタリと合いましたね。
 神戸からガンバへ来たレアンドロが中東へ引き抜かれ、それをカバーするために新潟から獲得したプレーヤー。彼、ペドロにとって移籍後初のゴールとなりました。

賀川:レアンドロほど芸は多くないかもしれないが、スピードがあり、右利きでそちらへ持ったときは強い。ペドロ・ジュニオールにとって注文どおりのパスが来たわけで、相手DFが来る前にシュートを決めた。新しい選手の長所を引き出したのはさすがにガンバのMF陣だが、二川のプレーは多くの人に“見てくれましたか”と吹聴したくなるほどだった。

――というと……トラップからの反転が良かった?

賀川:走っていてボールを止め、後方を向いて、前方から来る相手DF(かなり間合いは遠かった)に背を向ける形となったまま、ボールを相手DFラインの背後へ送ったところが、この一連のゴールのミソというのか、見どころです。

――賀川さんがよく言う、「ゴールに背を向けた体勢でのシュート」とか「スルーパスを出すのは相手ゴールに背を向けたとき」……

賀川:そう。いくらいい所へパスを送っても、相手が察知すれば得点となりにくい。だからパスでもシュートでもタイミングが大切。このときはまさに、このタイミングだったし、それがまた相手には読みにくい体勢からのボールだったといえる。テレビ解説をしていた金田喜稔(かねだ・のぶとし)さんも「うまい」と叫んでいた。こういうプレーが試合中に見られるようになっていることが、日本サッカーの進化の証(あかし)だと嬉しくなりますヨ。

 ついでながら、こういう巧さというかパスの極意というのか、高いものを見せてくれることも大切だが、この日の4点目のときの安田理大のプレーも現代サッカーで当然といいながら運動量の大切さを示したものだった。
 安田は3-1となってから左サイドの下平匠と交代で出場した。その彼はこのチャンスのすぐ前の相手の攻めのとき懸命に走って相手FWのシュートを防いでCKに逃げた。そしてその右CKのカウンターで後方から走り込んで遠藤からのパスを受け、ペナルティエリア内に深く侵入して速い平行(ゴールラインと平行)クロスを送って山崎雅人のゴールを生んだ。

――交代で入った元気な選手に、ピッチいっぱいに走られると相手も堪えますからね。

賀川:監督はそれを要求して安田や山崎を終盤に送り込み、それに選手も応えるプレーをするのだから、サポーターも嬉しくなるだろう。

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J1の新しいストライカー。5試合4ゴール、マリノスのFW渡邉千真

2009/04/14(火)


賀川:J1第5節第、11日の横浜F・マリノスヴィッセル神戸をテレビで見た。ヴィッセルのひどい負けぶりに暗然となったが、収穫もあった。相手側、マリノスのFW渡邉千真(わたなべ・かずま)を見たからだ。
 国見高校、早大を経て、今年からマリノスに入った選手で、1986年8月10日生まれの満22歳。身長181センチ、体重75キロ。この日2ゴールを奪って、5試合通算4得点とし、得点王争いのトップに立った。

――渡邉千真は京都サンガにいる渡邉大剛(わたなべ・だいごう)の2歳下の弟ですね。

賀川:大剛選手はそれほど大きくなく、スピードで知られているというが、千真はいい体格だネ。今では181センチはFWとしては長身とはいえない。巻誠一郎(184センチ)矢野貴章(185センチ)よりも低いが、まずそこそこの上背で足腰の強そうなのがいい。

――ヴィッセルから2点取りました。

賀川:先制ゴールは後方からのロブのボールをエリアぎりぎり正面で兵藤慎剛(ひょうどう・しんごう)が受けて、右へ短くつないだボールを彼が決めた。バウンドしたのをボレーで蹴ったが、宮本恒靖(みやもと・つねやす)が寄せてくるのに落ち着いてシュートした。
 2点目は中澤佑二(なかざわ・ゆうじ)だったかが送ったロングボールが高くバウンドして落ちてゆくのを追いながら、宮本の接触を左手で押さえてGK榎本達也(えのもと・たつや)のポジションを察知してその上を越すうまいシュートを決めた。

――2度ともボレーですね。

賀川:上背があってヘディングが強ければ、バウンドして上がっているボールにも強いものだが、彼の場合は体がしっかりしていて相手と多少接触しても姿勢が崩れない。そしてそれがゴール前でシュートするときの落ち着きになっているようだネ。

――国見では平山相太(ひらやま・そうた=FC東京)の1年下ですか。

賀川:だから兵藤とは早大でも1年下だったらしい。早大の時は2006年(14ゴール)と2007年(20ゴール)つまり2年と3年のときに連続して関東大学リーグの得点王になっている。どちらも出場試合は22試合だから、まずはしっかり得点を取っていたようだネ。

――平山は筑波へ入ってから1年のちにオランダへゆきました。

賀川:早くJへ入ればいいのに――という声があったがね。ボクは平山が筑波へ入ったとき、筑波でじっくり体を鍛え、Jよりもレベルの低い大学リーグでどしどし得点して自信をつけることも彼のためには良いと思っていたら、Jリーグどころかオランダへ行ってしまった。そしてJへやってきた。

――今は伸び悩みというところですね。

賀川:1試合、それもテレビで見ただけだが、渡邉の方は早稲田で4年間プレーしたのが良かったのだと思う。マリノスも、彼に背番号9をつけたのはそれだけ期待しているからだろう。これからこの強い体を生かすのには、かつての釜本邦茂やオランダのデニス・ベルカンプのようにシュートそのものとトラッピングに磨きをかけなければいけないだろう。

――大迫勇也(おおさこ・ゆうや=鹿島)より即戦力ですか、日本代表の?

賀川:大迫はしっかりした技術を身につけているから、どちらが早いとはいえないが、渡邉千真も魅力だね。本人やコーチたちは、これから彼が何を身につけるかを知っているハズだろうしネ。

――それから、12日には浦和の原口元気(はらぐち・げんき)という17歳が初ゴールしました。J2の香川真司(かがわ・しんじ=C大阪)もゴールを重ねています。若い選手がどんどん点を取ってくれると嬉しいですね。

賀川:山形ではベテランの古橋達弥(ふるはし・たつや)が頑張っている。まぁこれは余談だが、いいストライカー、いいゴールゲッターが現れると見る者にも楽しみが増える。サッカーがこれだけ普及しているのだから、いいストライカーが育ってきても不思議はないのですヨ。指導する先生たち、コーチたちも、“点を取る”ことに関心を持たせて欲しいと願っています。

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Jリーグ入場者1億人突破おめでとう!

2009/03/24(火)

――Jリーグの通算入場者数が、3月22日で1億人を超えましたね。まずはおめでとうということでしょう。

賀川:3月14、15日のJ1、J2各第2節までの入場者数が9994万2105人となっていた。これに3月17日のACL(アジアチャンピオンズリーグ)の名古屋対北京国安(中国)、鹿島対上海申花(中国)の観客数(13,749)を加えると9995万5854人。したがって第3節の前には1億人までに4万4千人余(4万4146人)となっていた。

――ACLも勘定するのですね。

賀川:日本にプロフェッショナルがスタートして正式に試合をしたのは92年、Jリーグ開幕の前の年にJリーグカップを始めた。そこから勧請して、プロのJ加盟チームの公式試合の入場者数をカウントした。J1リーグは17シーズン目、J2リーグは11シーズン目を現在行なっているが、カップ戦もそうだ。
※Jリーグ発表の1億突破の数字の内訳はこちら

 最初、10チームでスタートしたJリーグが、いまやJ1が18、J2も18になった。J1は一昨年が1試合平均1万9,081人、昨年が1万9,278人と増加傾向にあり、ことしは第2節までの18試合で合計39万649人、平均2万2,703人となっている。

――関西も少し賑やかになってきましたね。

賀川:ガンバ大阪がいいサッカーを展開して勝っていること、そのガンバを第3節で京都サンガが破ったように、京都や神戸がようやくチームづくりの基礎が固まり始めたこともあり、入場者数も伸びてくるでしょう。
 一番大きな器(うつわ)を持っているセレッソ大阪がJ2にいて、客数はそれほど多くはないが、香川真司や乾貴士といった若いスターもいるし、ともかく開幕3連勝でJ2のトップグループを走っている。連勝すればメディアの関心も強くなり、評判になって入場者数も増えるハズですヨ。実際、3連勝の次の日の朝日新聞のスポーツ欄で2段の見出しがついていた。

 そうそう、観客動員の増加にはクラブの努力とテレビ放送も大きい。今年はACLの放映をテレビ朝日のBSで見られる。JリーグのNHK BSをはじめテレビ各局の放送も大きなバックアップですヨ。

――しんどいニュースの多いなかで、スポーツぐらいは明るい話題がほしいですよね。

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ヴィッセルが川崎に勝つ。久しぶりに宮本恒靖を見た(下)

2009/03/20(金)

――ヴィッセルのファンも、これでいけると思ったでしょうね。川崎はまた攻めて点をとらなければいけない。しかし、時間とともに少しずつ疲れが出てくる。

賀川:2点目はまさにそういう時間帯、後半20分だった。ヴィッセルは後半15分にFW須藤に代えて松橋章太を投入し、その彼がゴールした。

――金南一(キム・ナミル)のバックワードヘディングを、松橋が走り込んで決めましたね。

賀川:河本を入れたことで、金が前へ上がれるようになったのだとカイオ監督は言っていた。
 実はその前に相手ボールになるのを追っかけて、ヴィッセルのスローインにしたところがこのゴールの大きな伏線となっていた。この前の2分ばかりは攻め込まれていて苦しかった。ジュニーニョやヴィトール・ジュニオールなどの崩しだけでなく、谷口の飛び出しというこのチームの十八番も出始めていた。そんな守勢の中から右DFの石櫃(いしびつ)洋祐が左足で大きくクリアしたボールが誰もいない右前方のオープンスペースへ飛んで転がり、
(1)川崎のベテラン寺田周平がタッチライン際で追いついた。そのままボールが出ていれば川崎側のスローインだが、
(2)猛烈な勢いで追走してきた馬場賢治が寺田の後方から体を入れようとして、この絡みのために寺田の足にボールが当たったと副審はヴィッセル側のスローインを示した。石櫃がスローインし、吉田が受けて左足でペナルティエリア中央へボールを送り、そのボールを金南一がヘディングした。相手を背にして頭で背後へすらせたヘディングパスは彼の狙い通りゴールエリア内、ファーポスト寄りに落下した。そこへ松橋が走り込んで来て、ノーマークで頭で叩いた。

――たしか松橋は国見高校で大久保嘉人と一緒でしたね。

賀川:俊敏さで知られていたネ。須藤の高さ(183センチ)とは別の、松橋の魅力を買って登場させた監督の意図が成功したと言えるネ。川崎にとって開幕からACLを含めての3戦目は辛い結果になった。

――神戸にとっては大きな勝ち星です。

賀川:そう、試合の展開を見ていると、ともかくいい攻めをしよう、動いて体を張ってしっかり守るだけでなくボールをつないでうまく攻めよう、点をとろう、という意欲が出てきている。ヴィッセルにとっては、強敵からの1勝は大きな励みになるだろう。
 ことしのJは、浦和もこれまでとは異なり、まずしっかりつないでゆくことをフィンケというドイツ人監督がテーマにしているようで、こういうまともなサッカーをチームが目指すようになってきたこと、そしてそういうチームが結果を出してくれることが嬉しい。

――セレッソもヴェルディに勝ちました(2-1)。

賀川:ボールをつないで攻めるというのは、チーム全員のテクニック、とくに蹴る――キックの技術が確かにならないとうまくゆかない。そのための技術アップ、キック力アップがひいてはシュート力アップにつながるからネ。


【了】

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ヴィッセルが川崎に勝つ。久しぶりに宮本恒靖を見た(中)

2009/03/19(木)

賀川:FM放送といっても、試合の実況はアナウンサーと加藤寛くんがした。私は試合前に少しだけ、神戸のサッカーについて話しただけですヨ。はじめからその予定で、試合はじっくり、一人で放送ブースとは別のところで見ていた。

――宮本恒靖は?

賀川:ヴィッセル神戸をナマで見たのは久しぶりだったが、ずいぶん良くなっていた。その一つは“宮本効果”、もう一つはカイオ・ジュニオールのおかげカナ。

――新しい監督さんですね。

賀川:練習を実際に見たわけではないから、彼のやり方を本当に理解するのはまだ今後のことになるが、選手たちがそれぞれの特徴を見せていた。ボールを持つか、ダイレクトでパスするかなどを自分の判断でしているように見えたのが楽しかった。点をとることと、そのシュートへの段取りには、監督さんは自分の考えを持っている人のように見えた。選手が割合にノビノビと、自分の得意なプレーを発揮しようとしていたのが良かったネ。

――宮本も、宮本らしかったと……

賀川:宮本恒靖という選手は、ガンバ大阪にいたときからよく見ていた。関西出身の出色のプレーヤーだからネ。かつての釜本邦茂、最近引退した森島寛晃ほど接触はしていないが、好きな選手の一人だった。
 それがオーストリアへ移ってからは一度も見ていなかったので、どれくらいやれるのか、彼のためにもヴィッセルのためにもいいプレーをして欲しいと思いつつも、不安はないでもなかった。むしろ大きかったと言える。

――それが実際は……

賀川:良かったネ。2002年のワールドカップの1次リーグ、対ロシア(1-0)の後で、「今日はパーフェクトだったネ」と彼に言ったことがあるが、この日の対川崎戦も、パーフェクトとは言えないにしても立派な試合ぶりだった。

――川崎の攻撃を1点に押さえたのですからね。

賀川:CF(センターフォワード)格の鄭大世(チョン・テセ)、ジュニーニョとヴィトール・ジュニオール、レナチーニョの3人のブラジル人が絡むこのチームの攻撃力は、Jでもトップだし、神戸よりは一段上だろう。彼らの支援には中村憲剛や谷口博之がいる。
 試合前のFM放送の最後に、今日の予想は? と聞かれて、ここで予想する以上勝って欲しいと言うことになる。それには2点得点することと言っておいた。 相手は強力だから、無失点というわけにはゆかない。しかしたくさん取られれば勝てない。だから勝つためには2点が至上命題というわけだった。

――そのとおり、2-1の勝利でした。

賀川:相手にはACLの疲れがあった。日本のサッカーは何といってもランプレーで動きの量が大きい。1週間に3試合は大変ですヨ。神戸は2試合だからネ。
 試合の流れも神戸には非常にうまくいった。前半は相手の動きが速くて、巧くて、神戸はそれになんとかついていったというところ。10本以上シュートされ、2点ぐらいはとられそうなのを、GKの榎本達也をはじめ一人ひとりの粘りで何とか防いだ。それが45分続いて、ロスタイムのところで1点とられた。
 これは、神戸側のFW須藤大輔がドリブルしているのを井川祐輔に奪われたところからはじまって、ジュニーニョからのクロスを鄭大世にヘディングで決められたのだが、ジュニーニョに渡る前にはヴィトール・ジュニオールだったかのヒールパスもあって、なかなか見事な攻めだった。何しろ、ジュニーニョがノーマークでボールを受けてドリブルしはじめたら、彼を食い止めるのは難しい。小林久晃が詰めたが結局クロスボールを蹴られてしまう。そのクロスも、ニアをカバーしようとする宮本恒靖の頭上を越え、鄭大世の上へピタリと合わせてきた。これはここまで防いできたGK榎本も防げなかった。

――前半を0-0でいっておけばと、スタンドのサポーターも思っていたでしょう。

賀川:そうだろうね。しかし、これが逆に川崎には前半ようやくにしても1-0にしたという安心となり、ホッとしたのかもしれない。それが後半に影響するということもあるからね。その不思議なところが、後半2分(47分)のヴィッセルのゴールに表れていたとも言える。
 そうそう、宮本恒靖という選手のうまさは守備での統率力、DFラインの前進後退やプレーのその時々での仲間へのアドバイスや後方からの指示などと語られるが、ここでボールを奪うことが攻めにつながる点を読み、実行するのもとてもうまい。前半のヴィッセルのシュートは7本あったけれど、スタンド全体が沸いたのは33分の吉田孝行のヘッドのときだった。これは宮本が相手のパスをインターセプトしてそのままドリブルで持ち上がり、ボッティに渡して、そのリターンを受けて右サイドへ送り、そこからのクロスに吉田が飛び込んだ。彼の攻め上がりのうまさと、ボールを持って出たときの形がいいから、ボッティも宮本にまたボールを預けたのだろう。
 後半の1点目は、須藤大輔が巧みなシュートで前へ出てきたGK川島永嗣の上を抜いたビューティフル・ゴール。須藤の前のスペースへ落とした吉田のパスもまた見事だったが、この攻めの起点も宮本から――。彼のヘディングだった。その展開は、
(1)相手のヘディングのハイボールを宮本がヘディングして高いボールを送るところからはじまる。
(2)これを追った河本裕之――後半はじめからボッティと交代――が左サイドの35メートル辺りでバウンドしたボールをとらえ、
(3)右足のアウトサイドで浮き球を中央へ送った。
(4)ボールは相手DFを越え、中央のペナルティエリア外5メートルに落下、そこへ走り込んでいた吉田が、これもバウンドしたボールをボレーでやわらかく右足で左前へ落とした。
(5)エリア内にトントンとバウンドしてゆくボールに須藤が走り込み、飛び出してきたGK川島の前で下から蹴って頭上を抜いたのだった。

――ボッティというチャンスメーカーを引っ込めて河本を起用した監督の交代策も当たりましたね。

賀川:ボッティはドリブルも上手で攻撃の組み立てには大切な選手だが、故障から回復したところで体調不十分とみてのことだったろう。彼の他にも2人のブラジル人がいるのだが、これも故障ということだ。ともかく、宮本のヘディングにはじまったこの1点目は、すべてワンタッチプレー、いわゆるダイレクトパスの連続だったから、川崎のDF陣も防ぐのが難しかっただろう。


【つづく】

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ヴィッセルが川崎に勝つ。久しぶりに宮本恒靖を見た(上)

2009/03/18(水)

■J1、J2の意義と地方都市の活性化

――3月7、8日のJ開幕に続いて、10、11日にはJ1の4チームのACL(アジアチャンピオンズリーグ)第1戦がありました。その次の土日、つまり3月14、15日にJの第2節――。この週の17、18日にはまたACLの第2戦が行なわれます。まさにサッカーの春ですね。
 ところで、ヴィッセルの試合を見に行かれたのですか?

賀川:J1第2節第1日のヴィッセル神戸川崎フロンターレは、ナマで見ましたよ。面白かったネ。今シーズンはワールドカップの前年で、アジア予選を突破して日本代表が南アフリカでの第19回大会への出場を決める年であるだけでなく、Jリーグ全体の質の高まる、機運の盛り上がる年だと思っている。J1、J2の1試合1試合がどれもとても楽しいものになりそうと期待している。

――何か予感があるのですか?

賀川:J2が18チームになった。北は札幌にはじまり仙台、水戸、宇都宮、前橋、横浜、平塚、甲府、富山、岐阜、岡山、徳島、松山(愛媛)、福岡、鳥栖、熊本といった、いわゆる地方の16都市をホームとする(複数の市をホームにするところもある)クラブと、東京、大阪といった大都市のチームでリーグが展開される。
 J1と違って3回戦制で、各チーム51試合。ホームでの試合数は25~26で、J初参加のファジアーノ岡山はホームで25試合(アウェー)を戦う。9ヶ月間に25試合だから、岡山の人たちは月に2~3回の割合でホームゲームを見られることになる。地方の都市でこうしたスポーツのプロフェッショナルの催しが定期的に開催されることは、サッカーにとっても、そのホームチームを持つ都市や周辺地域にとってもとても良いことだと思う。
 100年に一度の大恐慌などと経済的に困難な時期だと言われているが、そうした時期にこそ、東京だけの繁栄でなく地方の繁栄――そのための活性化が大事なんだよ。サッカーというチームスポーツが中・小都市の定期的なスポーツイベントとして発達したことは、ヨーロッパの歴史を見ても明らかで、J2もその意味で大いに貢献すると同時に自分たちのレベルアップを図ってほしい。

――そういえば、第1節の栃木のホームゲームは、観客数が5,000幾らと発表されていましたが、実際は1万をこえていたらしいですよ。入場者のさばき方が不慣れで、入場券の半券の“もぎり”ができなくて、そのまま入れてしまったという話です。

賀川:町の人にとっては、待ち遠しい試合だったといえるでしょう。1967年のメキシコ・オリンピック予選でも、国立競技場の入場券売り場が少なくて、臨時売り場の小さな建物が観客に押し倒された。東京でもそんなことがあったのだから、栃木(宇都宮)の場合も、まぁ運営の不得手というより、予想以上のお客が来たということだろう。お客さんの安全も、大事なことなんだが……。


■鹿島の敗戦、ガンバの3連勝

――第2節で、アントラーズが新潟に負けましたね(1-2)。鹿島はACLの第1戦にも勝てなかった。

賀川:鹿島にとっては、ゼロックス・スーパーカップでガンバ大阪に3-0で完勝、J1開幕戦で浦和レッズをホームに迎えて2-0で勝ったから、どこかに安心感があったのだろう。このチームの基本は、まずブラジル人のFWを含めての、前からの激しいプレッシングで奪うことからはじまる労の多いやり方で、その気にならなければなかなか“しんどい”こと。強敵に連勝してホッとしたあと、やはりよく動いてプレッシングのしっかりした韓国の水原三星とぶつかった。
 相手はホームだし、日本への対抗意識も強い。その強い気迫と接触プレーにタジタジとなった。向こうの方が走る選手が多いように見えたネ。完敗だった。水曜に韓国で試合をして、次が上り調子の新潟、しかも相手のホームだった。

――一方、ガンバは第1、2節に連勝。ACLの第1戦にも勝ちました。

賀川:サッカーは面白いネ。ガンバにとっては、Jの第1節、2節はそれほど難しい相手ではなかったし、ACLの中国のチーム(山東魯能)もそうだった。必ずしもガンバが素晴らしいとばかりは言えないが、このクラスを相手に3試合とも3点差で勝ち星を残すところが、やはり地力というのか、チーム全体、各ポジションのプレーヤーがいいサッカーを心がけているからだと言える。ACL第2戦、韓国へ乗り込んでの試合(対FCソウル)が見ものだネ。

――2節を終えて、J1はガンバ、J2はセレッソと、大阪を名乗るチームがトップですよ。

賀川:まだ2試合だが、連勝は悪い話じゃない。初戦を京都で落としたヴィッセル神戸が第2節で川崎フロンターレに勝ったのは大ヒットだったネ。

――その話を待っていたのですよ(笑)。


【つづく】

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春爛漫? J開幕

2009/03/13(金)

――Jリーグが開幕しました。初戦でアントラーズガンバが勝ち、入場者数もまずまずでしたね。

賀川:今年はJ2が18チームになって、J1、J2ともに各18チームと形が変わった。93年にJが開幕したときは10チームだけで、次の年に12、その次の95年には14、96年に16、さらに98年に18。99年にはJ2ができた。

――そのときJ2は10チーム、2001年に12チームになりました。

賀川:J1はファーストステージ、セカンドステージと、それぞれ1回戦ずつでの優勝争いがあるという、世界各国から見れば独特のやり方だった。2005年から2ステージ制をやめ、18チームによる1シーズン制をとった。Jへの参入希望クラブが増えて、今度J2が18チームになった。

――開幕から17シーズン目ですね。

賀川:その間に90年代後半の土地バブル崩壊という経済危機があり、今また、アメリカ発のサブプライムローンの崩壊にはじまる世界恐慌に見舞われている。93年のJのスタートも、あれが3年遅れておれば、スポンサーの面で難しいこともあったかもしれない。今回のJ2増加も、一歩先に決めていたからネ。

――企業内のスポーツでは、日産のような大きな会社の野球部が休部するとか、西武鉄道のアイスホッケー部が解散するとかのご時勢に、J2が増えたのです。

賀川:開幕第1節は、土曜・日曜日に合計18試合が行なわれた。それもプロフェッショナルの全国リーグだから……。
 あの東京オリンピックの翌年(1965年)にプロ野球以外で日本スポーツ初の全国リーグ「日本サッカーリーグ(JSL)」をスタートさせた。44年前、8チームの企業チームでスタートしたのが28年後にプロのJリーグとなり、それが16年後に今のJ1、J2になったのだから……。

――半世紀近くかかりましたが……

賀川:J2の岡山の開幕試合は、1万人を超える観客が集まったでしょう。J1から落ちてJ2の初日を迎えた札幌では2万人を超えるサポーターが集まって、J1への再出発を応援した。

――ところで、J1はやはり鹿島の3連覇が話題ですか?

賀川:ガンバ大阪を忘れてはいけませんヨ。私は、チームとしての底力は鹿島とガンバが少し上だと思っている。両チームとも自分たちのサッカーのやり方、それが図面上の戦術やフォーメーションだけでなくて、選手たち自身が自分がどこで、こういう形でボールを受けた時には仲間がどことどこに、どれくらいの距離で来ているかを肌で感じられるようになっていると思う。鹿島は中央部の守りに自信を持っているし、接触プレーにも強いから、攻め込まれてからのカウンターにも自信を持っている。

――そういえば、サッカーマガジンの51人の記者の順位予想で、賀川さんは1位ガンバ、2位アントラーズとしていましたね。

賀川:ちょっと付け加えると、私は両チームを1位と書いた。編集部がそれでは困るというので、ガンバが1位になった。

――この両チームにも弱点はあるのでしょうか。

賀川:今年のチームの春の練習をそれほど見たわけではないが、ガンバはいい補強をしたことは素晴らしいが、逆にその補強、例えばセンターバックのところ、山口智という柱のパートナーがどうなるかに不安定要素がある。
 プレシーズンマッチでJ2のセレッソに0-1で負けたのは、合宿その他のコンディション調整を開幕に持ってゆく途中のことで極めて動きが鈍かったのだからあまり問題にはしていない。しかし、オヤッと思ったのは、CDFの頭上へきたボールをGK藤ヶ谷(陽介)が飛び出して叩けず、こぼれたボールを香川真司に決められた失点。これと似た形で1点目を奪われたのが、ゼロックススーパーカップの対アントラーズ戦(2月28日、鹿島 3-0 G大阪)だった。中央部に新しい長身のCDFを備えることになったのだが、DFはそこにおればいいだけでは済まないこともあるのだから……。
 鹿島の場合は小笠原(満男)がいつ復帰するか、そして彼らしいプレーができるかどうかが大きいだろう。

――チームとしてはソツがない?

賀川:マルキーニョスというストライカーに代表されるとおり、速さと動きの量、守備の強さでしょう。
 昨年のリーグ終盤のジュビロ磐田戦(11月29日、1-0)で、終了間際にFKから岩政大樹のヘディングで勝ち越した場面があったでしょう。このFKは、攻め込んでペナルティエリア左外へ転がったボールを鹿島のマルキーニョスが俊足で奪い、その後方から駒野友一(磐田)が手で押して反則となった。いわば、相手ボールになりそうなのも奪い取るというマルキーニョスの速さと動きの量で生まれたFKだった。もちろん、背後からいった駒野が両手を自分の体の前へ持ってゆくのも困った習慣だが……。

――その接触プレーの姿勢や構えの話は別の機会にしましょうか。今は賀川さんの頭の引き出しを開ける時間はないから(笑)

賀川:そう、マルキーニョスのような素晴らしい技術と速さを持つプレーヤーがこういう守備(ボール奪取)をするところに、今の鹿島の強さがある。

――だから鹿島は強い?

賀川:いや、こういうプレーは全部の試合に皆がそろってやれるかどうかは疑問。そのためには小笠原が早く戻って、彼特有のタイミングを計るプレーが加わるといいのだが。

――先に紹介した順位予想表の中で、得点王に大迫勇也を書き込みましたね。

賀川:また別の引き出しを開けるのかネ(笑)。
 誰が考えても、希望的観測に見えるだろう。また、優勝を狙う鹿島の今のFWに大迫をすぐに使うことは難しいだろう。私自身も、シーズン前半の彼はむしろ、しっかりしたフィジカルトレーニングと、もう一度基礎技術の反復をして欲しいと思っているよ。それでも、シーズン後半に出てくれば点を取る才は持っているハズ。
 開幕試合に得点が多く華やかな感じだったが、上位クラスのチームのFWの多くはまたカタカナが増えている。それでは日本代表のFWはどうなるか――ということですヨ。

――その話は次にして、J2のセレッソはどうですか?

賀川:このクラブとしては、今年は珍しくブラジル人がそろった方だ。どういうわけか、ここほど外国人の当たり外れの多いチームも少ないが、今度は前からいるカイオは別として、新しいDFのチアゴは落ち着いているし、マルチネスはMFらしい左利きのMF。それに、香川真司と、昨年の後半から体がしっかりしてきた乾貴士という、いい若手がいる。開幕戦で鳥栖に4-1で勝ったが、まずはいいスタートといえるネ。

――京都や神戸などについては、また別としましょう。
 そういえば、次節は神戸へ行くそうですね。

賀川:スタジアムのFM放送で、何か古い話をすることになっているとか。とにかく、今季のヴィッセルを初めて見ますヨ。

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大分トリニータの優勝。平松さん、溝畑社長、シャムスカ監督、おめでとう

2008/11/05(水)

 11月1日、ナビスコカップの決勝で大分が優勝した。
 このクラブの創始者・平松守彦 前大分県知事と、創設から関わってきた溝畑宏社長が抱き合うのをテレビの画面で見ながら、「良かったね、平松さん。良かったね、溝畑さん」と思わず声が出た。

 平松前知事は、私と同じ大正13年(1924年)生まれ。3月のいわゆる早生まれだから、学年では私より一年上になる。大分中学から旧制五高(現・熊本大)を経て東大を卒業、昭和24年(1949年)に商工省(現・経済産業省)に入り、中央官庁で25年の経験ののち故郷の大分に戻って副知事となり、昭和54年(1979年)に知事に当選。以来6期24年務め、全国的にも有名な知事さんだった。

 一村一品運動をはじめ、地方が自力で立ち上がるための県の仕事をリードし、九州の北部・大分という土地柄に沿って素晴らしい業績を生み出した平松さんにとっても、大分トリニータの創設とワールドカップの開催地誘致は地域の活性化のために重要なものだった。そのプロサッカークラブをつくることを推進したのが、当時、中央から大分県へ派遣されていた溝畑宏さんだった。

 以来15年、サッカーというスポーツに馴染みの薄い土地での多くの苦労を克服し、徐々にステップを固め、県リーグからはじめたチームは九州リーグ、JFLへの昇格、Jリーグ加盟(J2、1999)に続いて2003年にJ1に入り、3年目の2005年9月に就任したシャムスカ監督のリードによってチーム力が伸び、下位争いから中位へ、そして上位を狙うところまでなってきた。

「大分は日本では西の端の方だが、ソウルにも上海にも北京にも近く、東アジア圏ではまことに好位置にある。したがって、ここでは常にアジア的な視点でものを見ることが大切」という平松さんの理念どおり、初期のクラブの基礎固めの時期から韓国サッカー界との交流が深いのも特徴だが、選手との契約はもちろん、スポンサー集め、観客へのアピールなど、全ての運営の実務に関わってきた溝畑さんが社長となって自らクラブの責任を負う形となって、いよいよトリニータの地盤が固まった。

 その身丈に合った運営に沿ったシャムスカ監督のチームづくり、選手起用が若い選手を伸ばし、ベテランの力を発揮させて一つひとつの試合で勝ちを積み上げ、今年、ナビスコカップの決勝まで上がってきた。
 しっかりした守りの上に立って、わずかな得点でも勝つ自信を持つようになったと選手たちは言っている。
 名古屋と広島で活躍したウェズレイをこの攻撃陣にひき入れ、高松大樹という長身のストライカーが故障すると、その間にセレッソ大阪で試合に出ていないデカモリシこと森島康仁を借りてきて、その長所を生かした“やりくり”は見事という他はない。

 1万人のサポーターが九州から大挙して国立競技場に押し寄せた決勝は、まさに今のトリニータのサッカーどおり。ボールの奪い合いでの強さ、衰えない動きの量で清水の鋭い攻めを封じ、サイドからのオーソドックスな攻めで後半中ごろに先制した。
 それまでの右サイドからのクロスのほとんどが、低いボールでニアサイドを狙って相手DFにはね返されていた。ウェズレイのFKもそうだったから、単なるキックミスではなく、相手の高木、青山といった長身のCDFに対してニア狙いのようだった。
 後半のゴールは、そのニア狙いではない、金崎が蹴った右からの高いボールがファーポストへ飛び、それを高松が見事なジャンプヘッドで決めた。今度は、相手のCDFを越えるクロスだった。監督からのヒントもあったかもしれないが、このあたりに今年の大分の選手たちの進歩を見る気がした。

 相手が1点の挽回を図って攻めに出るならば、そのウラを狙うという常識ではあっても、決して容易ではない攻撃を成功させたのも、金崎からウェズレイへのパスだった。
 金崎は前半にシュートもし、ゴールへの意欲を見せていたが、ここというチャンスでのパスも良かった。そのパスを目いっぱいで取ったウェズレイのシュートは、相手GKの下を狙って、ボールが浮かないようにボールの上方(ボールを地球に見立てると、赤道から上を蹴るという)をトゥ(つま先)で突くという、芸の細かいものだった。このあたりに、外国人選手でJリーグ最高得点(リーグ戦通算得点ランキング)を記録したこのストライカーの本領が表れていた。
 選手の力量を発揮させるのが優れた監督であるということからゆけば、この日のシャムスカ監督もまた、優勝の功労者だろう。

 たかがサッカー、たかがスポーツと言っても、今度の大分トリニータの優勝、九州の地方クラブがJのタイトルの一つを獲得したことは、これからの“地方の時代”を迎えるにあたってのエポック・メーキングな“事件”といえるだろう。
 もちろん、このあともクラブの運営はそれほど易しいものではないにしても、トリニータは15年で一つの成功を得て、足場をつくることができた。
 幸いなことに、いま九州をはじめ西日本の高校や若年層クラブのレベルは年々高くなっている。大分トリニータが、今後も地道な努力を続けることで、サッカーの根が広がり、クラブもまた繁栄への道を開けるのではないか――。
 創設時の溝畑さんたちの苦労を思い、今後の10年を楽しみとしたい。

追伸
 大分の宮明さんから、サロン2002のメーリングリストに喜びのメールが入りました。
 皆さんの熱意で勝ち取った優勝、おめでとう。
 大分で生まれた県民の皆さんの手づくりチームの優勝は、まことに素晴らしいことです。双葉山と稲尾投手、そして大分出身のノコさん(竹腰重丸)も、トリニータの頑張りを喜んでいることでしょう。

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モリシの引退に思う

2008/11/04(火)

 モリシのニックネームでセレッソ大阪と日本代表で多くのファンに親しまれてきた“小さな大選手”森島寛晃(もりしま・ひろあき)が引退した。
 昨年3月に首の痛みが発生してから1年以上試合から遠ざかったまま調子は回復せず、10月30日に引退を発表、31日に記者会見を行なった。

 1991年の高校卒業後、ヤンマーに入り、94年にセレッソ大阪となってからJ1、J2リーグで合計13年間(J1―318試合94得点、J2―42試合12得点)。ヤンマー、セレッソ大阪ひとすじでプレーしてきた幸福と、その間2度、リーグ優勝を目前に敗れ(2000年J1・1st、2002年J2)、また天皇杯でも3度(1994、2001、2003)準優勝に終わった無念――などを記者たちの質問に応じて丁寧に語った。

 驚くべき運動量と、チームへの献身的なプレーは、ゴール前の穴場を見つける独特の感性とともに日本代表でもJリーグでも天皇杯でも発揮され、味方ゴール近くで守備に回っていたところから一気にサイドを駆け上がってチャンスをつくり、あるいは中盤で相手ボールを懸命に追っていたかと思うと次にはゴール前のポカリと空いたスペースに入り込んでゴールを決めた。

 モリシのヤンマー、セレッソでの足跡は、かつてのスーパースター釜本邦茂と同じように、その1試合1試合がこのクラブの貴重な歴史として残るものだが、私が特に印象深いのは2000年前半(サントリーシリーズ)での西澤明訓とのペアプレーの完成期だった。
 日本人のCF(センターフォワード)としては柔軟で特異な反転プレーを生かしつつ、ボールを受けては左右に散らし、あるいはヘディングで自在にパスを出した西澤と、中盤でのボール奪取に絡んでいて突如として相手ゴール前の最も危険な地域に現れるモリシによって、セレッソのサポーターはペアプレーの面白み、サッカーでの「あ・うんの呼吸」つまり息のあったプレーの楽しさを知り、それが得点を生むことに拍手喝采した。

 ゴール前でのチャンスの回数に比べてシュートミスもあったモリシが、自らの工夫でシュートの確実性を増したことが、サントリーシリーズでの優勝を争うことにつながった。だが残念なことに、川崎Fとの最終戦をモノにできず(2000年5月27日、1-2、長居)優勝を逃してしまう。
 さらに残念なことに、名声を上げた西澤明訓がこの年のセカンドステージの後半にスペインリーグ移籍の意向を示し、そのためにチーム全体が浮足立ってしまい、次の2001年にJ2に降格してしまった。
 西澤のスペイン行きは本人にも好結果を生まなかったが、モリシ・西澤の2人が2000年のファーストステージで見せたペアプレーの完成への努力を次のシーズンも続けていれば、日本と関西のサッカーがどれほど楽しいものになったか――いま思い出しても、もったいない気持ちがする。

 彼の能力は95年に日本代表に選ばれてから2002年のワールドカップKOREA/JAPANに至るまで代表チームの一つの重要なアクセントとなっていた。
 95年のアンブロカップで日本代表が聖地ウェンブリーでイングランド代表と対戦したとき、小柄なモリシの俊敏なドリブルにピーター・ベアズリーがたまらずトリッピングのファウルで倒したことがあった。あのあとで英国の大記者ブライアン・グランビルがやってきて「キミが言うとおり、モリシマは素晴らしいネ。ベアズリーのファウルは、本当ならイエローものだからネ」と言っていた。

 2000年前半のモリシ・西澤の好調は、モロッコでのハッサン2世杯でも発揮され、あのジダンやデサイーのフランス代表相手に2点を奪った(2-2、PK2-4)。1点目はモリシの飛び出しとシュートのあと、GKバルテズに当たったリバウンドを自ら決めたもので、その見事なダッシュのあとを追うハメになったデサイーが、失点のあとすごい形相でモリシを睨みつけたのだった。

 2002年の日韓共催ワールドカップのチュニジア戦でのモリシの先制ゴールは、会場が長居だっただけに、関西のファンには記憶に新しい。
 謙虚なモリシ自身は、「98年大会はほんのわずか出場しただけだったが、2002年は大阪で後半頭から出場させてもらい、ゴールを取れて本当にうれしかった」と言っているが、フィリップ・トルシエ監督(当時)がもっとモリシのプレーを理解し、評価しておれば…。対トルコ戦に西澤を使うという予想外の起用をしながら(これもおかしいが)その西澤を生かすのであれば、なぜモリシを同時起用しなかったのか――いまも不思議に思っている。
 この大会を観戦したデットマール・クラマーは初めてモリシを見て、「試合の流れを変えることのできるプレーヤー」と言っていたのだが…。

 森島寛晃という選手の素晴らしさは、釜本のようにパワフルでもなく、ロナウジーニョのように巧妙でもないが、ズバ抜けた機動力で、小さな体でありながらサッカーという競技のスケールの“大きさ”を表現したこと――左サイドの自陣で守りに絡んでいたかと思うと、味方が次にボールを取ったときにははるか離れた右サイドのタッチ際を走ってパスを受けるスペースをつくっていた――。まさに、寛晃(ひろあき)の名のとおりだった。

 同時に、中盤で守備に絡んでゴール前へ飛び出すときの最初の一歩、二歩の踏み出す方向によって自分の行き先を相手に悟らせず、ゴール前に走り込む前に、いったん相手DFの視野から消える上手さはまさに絶品といえた。
 かつて大阪が生んだストライカーでベルリン・オリンピック(1936年)の対スウェーデン逆転劇のヒーローの一人となった川本泰三さん(故人)は、自分のシュートスペースへ入るときに相手の視野から“消える”名人だった。1968年のメキシコ・オリンピックの得点王・釜本もまた、ここというシュートチャンスに入ってくるときに“消えて”から現れる上手さがあった。

 森島もまた、ストライカーの本能的に消える上手さを持っていたが、一つには、彼の中盤でのディフェンス、ボール奪取への熱意がホンモノであったために、相手DFがマークを怠ってはいけないハズのモリシへの意識が薄れたのだろうとも思っている。ボール奪取の絡みにも、ピンチに戻るランにも、一つひとつのプレーに気がこもっているところに彼のプレーの神髄があったといえる。
 Jリーグでのオールスター戦で、彼はいつも輝いて見えた。手抜き感覚の出場者の多いなかで、いつもと同様に走り、相手を追い、ボールを追い、スペースへ走る彼の動きが目立たぬハズはない。オールスター常連のピクシーことストイコビッチがモリシの動きに見事なパスを合わせたから、2人のコンビは多くのファンを心から喜ばせるものとなっていた。

 ピクシーはいま名古屋グランパスで成功への道を歩んでいる。それは彼が常にサッカーにひたむきであった延長線上に現在の仕事を置いているからだといえる。ピクシーにも好かれ、その才能を買われ、常に努力を重ねてきた森島寛晃の第2のサッカー人生が、選手時代と同様に輝くものであってほしい――と願わずにいられない。

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