新年のご挨拶
新しい2017年も12日がすぎました。ブログを通しての新年のご挨拶が遅くなり、誠に申し訳ありません。遅まきながら、皆様に「新年おめでとう」を申し上げ、ご無沙汰のお詫びとさせていただきたいと思います。
昨年、12月29日の誕生日で私は満92歳となりました。日本の昔からの習慣の数え歳でゆくと、93歳になるのでしょうか。1924年生まれで、1944年から1年半は陸軍にいた私の仲間の多くは、自分の寿命は長くて23~24歳と考えていました。長い人生設計などは考えも及びませんでした。それが人生50年どころか、その倍近くまで年齢を重ねてきたのです。誠に驚きというほかはありません。
神戸市の雲中小学校の5年生のころから、フットボール、つまりサッカーに興味を持つようになったおかげで、神戸一中(神戸高校)でもサッカーをし、大学の予科でもボールを蹴り、戦争が終わって復員した後もサッカーを楽しみました。つい先ほど、セルジオ越後のフェイントについて神戸市立中央図書館の「神戸賀川サッカー文庫」の仲間と話し合った際、イスから立ち上がって自分でセルジオのフェイントの型のひとつをやってみせたら、若い(といっても60歳台ですが)仲間たちが驚いたのに、こちらの方が驚きました。
12月にはクラブワールドカップの決勝で、日本の鹿島アントラーズが世界のレアル・マドリードと延長まで戦いました。元旦の天皇杯決勝は、大阪の吹田スタジアムでの開催で、延長の熱戦の末、鹿島アントラーズが川崎フロンターレを2-1で振り切り5度目の天皇杯獲得の栄誉に輝きました。
1月10日には、FIFAが2026年のワールドカップの出場枠を現行の32から48チームに拡大することを発表しました。いろいろな観点から議論もありますが、16チームのときに出場できなかった日本が32チームになってから本大会に5回連続出場し、そのワールドカップ出場によって、日本のサッカーが大きく発展したという事実もあります。今度の拡大で、またいくつかの国のサッカーが、今の日本のようになるかも、と考えるのはとても楽しいことです。
昨年11月下旬に、芦屋から居を移し、近鉄沿線の柏原(かしわら)にいます。神戸一中時代に、グラウンドから大阪湾を隔ててはるかに生駒を眺めていた記憶がありますが、その近くに来ると、高度600メートルに満たない生駒の山々の立派な姿に感服しています。今年、開港150年の神戸のような新しい街とはちがって、この付近は古代史に出てくる旧跡のとても多いところです。
新年のごあいさつの遅れをお詫びしつつ、今年は片言隻句で、もっと多く皆様にお目にかかりたいとの願いを申し上げ、今日はここまでとさせていただきます。