ペレの映画をみました
賀川:大阪駅のステーションシネマで上映中のペレの映画を見ました。映画が終わった時、冷房が効いているはずなのに、体が熱くなっていました。もちろんテーマがペレさん、ということもありますが、映画そのものも、よくできていて感動しました。サッカー好きはもちろん、スポーツに興味のある方々、ブラジルに関心のある皆さんに、ぜひご覧になっていただきたいと思いました。
――映画のタイトルは「ペレ 伝説の誕生」でしたね。
賀川:ペレの生い立ちと、ブラジルのフチボール(サッカー)の当時の背景がかなり詳しく紹介されています。プロ選手だった父親との、少年ペレとのボールのやり取りの場面や少年チームの試合などでは、ボールを扱う技術が上手でした。
――アメリカの製作者ですが、撮影はすべてブラジルで行ったそうですね
賀川:私はテレビででも映画でも、映像の製作者の努力にいつも敬意を払うのですが、今回は全世界の人がペレを知っていることを考えれば、作る側はとても大変だったでしょう。9歳と16歳の少年が選ばれ、それぞれの年代のペレを演じていて、これもよかった。
――ペレさんは1940年10月23日生まれで、現在75歳です。映画の中にも、今のペレさんが登場します。もちろん58年のワールドカップは試合のフィルムでも挿入されているので、ペレさんの実際のプレーも見ることができます。
賀川:ブラジルのサッカーがジンガ(GINGA)という黒人たちのフットボールを基礎にしているところ、このボール扱いの巧みさを競う遊びがブラジルのフチボールを支えているところをうまく描いています。
――賀川さんはペレのことは何度も書いていますが、月刊グランにも連載中ですね
賀川:中日新聞が発行しているグランパスのファン向けの月刊誌「グラン」にはずいぶん前から「人もの」の連載のページをもらっているのですが、ペレさんの映画のことを全く知らなかったのに7月号(6月発行)でペレさんを初めて書き、8月号(7月12日発行)がその2回目でした。
――内容は1、2回ともペレがサントスFCのメンバーで来日して、日本代表と試合をした時のプレーでした
賀川:サントスFCが3-0で勝った1972年5月26日、国立競技場での試合で、ペレはチームの2点目と3点目となる2得点をあげました。そのことから入って、ペレさんの紹介をしようとしています。
――1970年、ペレの3度目のワールドカップのときは取材に行けなかった。それだけに72年の来日での試合取材は賀川さんにはいいチャンスでしたね
賀川:私のいた新聞社では、私にサッカーの取材だけをさせてくれたわけではありません。それでも大阪から東京へ出かけて行ってペレの試合を生で見たのですから、とても幸いでした。
――72年のサントスでの現役としての来日の後、ペレさんは何度も来日しましたね
賀川:釜本選手が日本代表から離れる時もペレは来日しました。私が彼とゆっくり時間を持ったのは1984年の釜本邦茂の引退試合に来日してくれたとき。日本サッカー協会と日本サッカーリーグ、そして釜本のいたチーム、ヤンマーなどと話し合い、8月25日に国立競技場でヤンマー対日本リーグ選抜の試合を行い、リーグ選抜に特別招待選手としてペレさんとドイツのボルフガング・オベラートの2人に加わってもらったのです。
――あの引退試合で、国立競技場が満員になりました。80年代は日本代表もアジアで勝てなくて、代表の試合でも観客が少なかったのに、引退試合は文字通り満員でした
賀川:釜本邦茂という選手の人気や運の強さもあったのでしょうが、ペレさんが来てくれたこともあって、大成功でしたね。
――試合の後で、ペレが釜本を肩車して歩きましたね
賀川:釜本は引退試合でゴールするという彼ならではのプレーを見せましたが、ペレも試合の大半の時間をプレーし、オベラートとともに、この試合を盛り上げてくれました。試合中に彼は自分の気持ちの高まりとともに素晴らしいプレーをするのですが、この試合でもオーバーヘッドキックまで披露しましたよ。そして、その高揚した気持ちが試合後に肩車にあらわれたのです。41歳の小柄なペレさんが、あの釜本を担いだのです。
たくさんの人がこの映画をきっかけに、私たちはペレと同時代に生きたという幸せを味わってほしいと願っています。
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コメント
見てきました。出演者のサッカーテクニックも見応えがあります。フル代表が振るわないブラジルですが、早く王国を復活して欲しい。
投稿: | 2016年7月27日 (水) 07時54分