賀川浩対談集「このくにのサッカー」につきましては、皆さまからのご支援をいただき、クラウドファンディングでの支援が目標額に達しました。誠にありがとうございます。
ご支援いただきました皆様には、メッセージカードなど順次リターンをお送りさせていただきます。
対談はウェブサイトで公開し、年内に書籍として出版予定です。
まずは目標達成のお礼を申し上げるとともに、今後ともよろしくお願いいたします。
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賀川浩の対談集企画「このくにのサッカー」ではクラウドファンディングにて支援を募集中です。
募集締め切りが2月23日(火)午後11:00となっておりますので、引き続きのご支援のほど、お願いいたします。
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賀川浩の番組出演についてお知らせいたします。
ミャンマーとのサッカーの交流について賀川が語ります。
NHKBS1スペシャル
「アジア再発見の旅! ミャンマー ~知られざる交流の物語~」
2016年2月13日(土)よる11時~ NHKBS1にて放送
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2014年ブラジルのワールドカップに優勝したドイツ代表のドキュメント映画「ディーマンシャフト」を見せてもらった。マンシャフトはドイツ語の「チーム」だから定冠詞ディー(die)をつけて、英語のザ・チーム、つまり“特定”のドイツ代表を指すことになるのだろう。
90分の内容は、ヨーロッパの予選を勝ち抜いた後、ヨアヒム・レーヴ監督と3人のコーチ、ハンス・ディーター・フリック(アシスタント)、アンドレアス・ケプケ(GKコーチ)、オリバー・ビアホフ(一般実務)と23人の代表選手たちが6月に南チロルでの合宿に入り、6月7日にドイツを出発し、6月8日にブラジルでのベース地カンポバイアに入るところから、グループ・リーグG組の3試合、さらにはノックアウトステージに入ってからの1回戦(対アルジェリア2-1)、準々決勝(対フランス1-0)、準決勝(対ブラジル7-1)、決勝(対アルゼンチン1-0)と、6月16日から7月13日の彼らの優勝までの7試合のすべてを、その一日一日を追いながら、試合会場への旅、練習やミーティング、食事など、日常の生活を克明に、ユーモアも交えて描き出している。ゴルフの賭けに負けたトーマス・ミュラーがウェイトレスの服装になるというシーンもある。
もともと、ドイツ代表チームはワールドカップやヨーロッパ選手権などの大会に代表を送り込むときの準備の周到さ、チームをベストの環境に置いて試合をさせるというDFB(ドイツサッカー協会)の事前の手腕については、古くから知られていた。私は1980年代、ユップ・デアヴァル監督の頃に、その一端を知った。イタリアでの大会に、ドイツから自分たちが乗りなれている代表のバスを持ち込み、コック(確かハンス・ダムカーという名だった)が同行して、宿泊先の土地のホテルの料理人と協議して食事のメニューを作っていた。今では日本でも常識になっているこうしたチームの環境づくりへの配慮は先進ヨーロッパでもまだ珍しかった。当時ドイツはすでに一歩先を行っていたということだろう。
2014年大会は私たち日本のファンには、ヨーロッパで日本人選手がプレーするようになり、アジアのトップとして、代表にいささか自負を持ち始めた時に、1次リーグでコートジボワールに逆転負けし、ギリシャと分け(0-0)、コロンビアに完敗(1-4)して、改めて世界との差を知った。その打撃の大きさから、他の国々への目配りも、いささか薄れ、ドイツの優勝についても、本来はデットマール・クラマーを始めとする日本の師匠格でもあった国の優勝にも、あまり強い関心が生まれた気配もなかった。もちろん、ドイツサッカー好きもたくさんいるのだが、ここしばらくのスペイン流、バルサ流への傾倒から、ドイツが4度目のタイトルを取り、ワールドカップの大会ごとに常に上位を争う代表を送り込んでくること、そしてブンデス・リーガそのもののレベルの高いことなども知りながら、やや遠い感じであったから、2014年の優勝も、初戦のポルトガル戦や、準決勝のブラジル戦などの大勝でなんとなく、“苦労無し”での世界一のように感じていた節もある。
このドキュメントは、ドイツ代表のひとつひとつの試合をありのままに描き、選手の試合での感情なども、正確に映し出している。優勝までの試合のそれぞれが、まさに頂上を目指す大切な一歩一歩で、その厳しさを勝ち抜くことの難しさを見せている。準々決勝での苦戦のあと、メディアの問いに選手が“つっけんどん”に答えを返すところなどは、誠に面白い。
私にとっては、昨年のFIFA会長賞の受賞のセレモニーに出席したとき、監督賞を手にしたレーヴ監督の長いスピーチのほとんどが選手や協力してくれた周囲への感謝であったのを思い出し、代表が多くの人の支えの上に立っているだけに選手も監督も謙虚であるべきというレーヴ監督の哲学への理解が深まった。
今年のAFCアジア選手権がU-23(23歳以下)のリオデジャネイロオリンピック、アジア予選を兼ね、日本のU-23代表は五輪予選を突破しただけでなく、決勝で韓国を破ってU-23のアジアナンバーワンとなった。テレビを始めとするメディアの大報道で日本全国も喜ばせてもらったが、選手たちのがんばり、監督さんの好采配などの多くの要因が語られるなかで、誰もが認めたのは選手たちのコンディションの良さであった。23人全員の一致団結というテーマは2014年のドイツも同じではあるが、アジアを制したU-23代表が、どの強国と戦っても、相手が疲れ、足をつり、といった状態でも、より以上に走り切った体力、走力と、それと維持したコンディションづくりの成功を感じたハズである。日本のこうしたコンディションづくり、選手のための環境づくりの成功は、長年にわたってのこの面での研究と実践の積み重ねのたまものだろう。その手本がドイツのやり方にあることも皆さんご承知のことだろう。
その先進ドイツの代表選手が戦うための環境づくりと、選手たち自身の試合に備える準備と覚悟を見ることのできるこの「ディーマンシャフト」は、歳をとり、いささか物事への意欲の衰え始めた私でも、とても大きな刺激になった。
この原稿を書くためにディーマンシャフトを見るのは当然だが、書くためだけでなくあまりに面白いので、もう一度、見たことを申し上げておきたい。
ラストのところで1954年の決勝ハンガリー戦でのヘルムート・ラーン(白ユニフォーム)の決勝ゴールに始まり、74年対オランダ戦のゲルト・ミュラー後ろへのトラッピングと反転シュート、90年の対アルゼンチンのPKゴール。そして、この大会の対アルゼンチンのゲッツェのゴールが映し出される。54年の相手にプスカシュがいた、74年には相手にクライフがいた、90年にはマラドーナ、2014年にはメッシがいた。いずれも世界最高と称されるスターがいる国を相手に世界一になるドイツ代表の宿命的な強さと言えるだろう。まさに「ディー・マンシャフト」(ザ・チーム)である。そして私自身、54年の彼らの最初の優勝のときからずーっとスポーツ記者であった幸いを感謝することになった。
『ディーマンシャフト』は2016年2月11日開幕のヨコハマ・フットボール映画祭で上映されます。
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2月1日、東京のサロン2002の集まりに出席したとき、久しぶりに小堀俊一さんに切手の話を聞かせていただいた。
小堀さんは切手収集で有名、サッカー切手ということでは、日本での第一人者と言われている。今回はパリ(1924年)、アムステルダム(1928年)の両オリンピックの記念切手や第2回ワールドカップ(イタリア)、第3回ワールドカップ(フランス)の記念切手などを見せてもらい、解説を聞いた。
ワールドカップの第1回ウルグアイ大会(1930年)には記念切手の発行はないのだが、それでも小堀さんは大会の組織委員会の公式封筒や大会開催特別記念消印付の絵葉書を入手しておられた。収集家の執念と言うべきだろう。
記念切手はその図柄などとともにその時々の政策の家庭から、当時の大会の背景となる社会についても知ることになる。小堀さんの話を聞きながら、あらためてこの人の知識の深さと収集のすごさに感嘆し、神戸でサッカー切手の催しができないか、などと思った。
――前半0-1、後半始まってすぐに韓国が2点目を取りました
賀川:2点目を奪われたきっかけは、守りから攻めに出ようとしてハーフライン手前でボールを奪われたのですよ。後方からのボールをヒールパスで相手の意表をついたつもりの短いパスを取られたのです。
――奪ってからの韓国の攻めは鮮やかでしたね
賀川:7番のムン・チャンジンがドリブルし、ターンしてボールを戻しておいてもう一度右サイドから攻めた。ここからの速い短いパスをつなぐ韓国の攻撃は見事なもので、すべてワンタッチでした。ペナルティエリア右側いっぱいからのクォン・チャンフンのラストパスもダイレクトでした。日本の守りは左側(相手の右側)にひっぱられて中央のチン・ソンウがゴールを背にして足下でボールを受けたときにはマークはひとりだけでした。チン・ソンウは反転し、左足シュートで決めました。
――0-2になったとき、どう感じました
賀川:僕はテレビに向かって、ここからひっくり返せば君たちは男になれるぞと言っていました。
――そのあとも韓国のチャンスはあった
賀川:左からDFの2番の選手が左ポストまで持ち込んでくるという、きわどいプレーもあって、彼がポスト際から中へ入れたのをGK櫛引が足に当て、高く上がって右ポスト側へ落下、韓国側がヘディングした。ボールは高く外れたのでこちらは助かった。
――ヘディングしたのは7番でした。それでもこのあとに日本にはチャンスがあった
賀川:14分に大島に代わって浅野が入っていた。左サイドで原川が縦に走ってエリアの根っこから後方へのクロスを送り、浅野がシュートした。
――シュートは弱くて、GKキム・ドンジュンが正面でキャッチした
賀川:得点にはならなかったが、ボールがまわり、後方からの飛び出しもできるようになった。「いいぞ」という感じになった。久保のスルーパスも見事だった。
――このあとすぐビッグチャンスが来た
賀川:相手のロングボールをヘディングではね返し、右サイドで久保と矢島が相手と競ってボールを取り、矢島が相手のバックラインの裏へスルーパスを送った。
――矢島から浅野の位置が見えていたんでしょうかね。いいパスでした
賀川:中央から右斜め前へ走った浅野がペナルティエリア右より4メートルほどに入ったところで、飛び出してくるゴールキーパーの前で右足でシュートした。これが浅野だ、という感じでした。
――すばらしいゴールで1点返した後すぐに2点目がきました
賀川:相手のキックオフからのボールを取って左サイドから攻め、山中がコーナー近くからクロスを上げた。中央にいた矢島がジャンプヘッドでゴールにたたき込んだ。
――深いところからのクロスに対して、ニアサイド(ボールに近い側)に浅野が走り込んだ。それに相手もつられて生まれた空白地の裏へボールが落下し矢島が飛び込んだ。マーク相手の背後から走り込んで勢いにのったヘディングは止めようがなかった
賀川:韓国にとっては2失点は魔のような時間でしたね。しかし2-2となって韓国はまた攻めはじめた。
――ヒヤリとする場面も再びあったが、日本もカウンターで攻め返した
賀川:29分に矢島の足の調子が悪いと見て、豊川に交代させた。
――後半33分に、韓国はノッポの9番のキム・ヒョン(18番と交代)、8番イ・チャンミンに代わって、11番キム・スンジュンが入った
賀川:韓国の局面での競り合いの強さが少し落ちてきた。それでも攻めて点を奪おうと意欲を燃やしていた。35分にも韓国は左から大きなクロスを上げ、そのこぼれ球を右から攻め続けようとした。
――その韓国の攻めを防いだあとに日本のチャンスが来た
賀川:左から中央へ持ち込んでペナルティエリア中央、3メートル外からシュートしたのを遠藤がそのコースに入り、足に当てて防いだ。リバウンドのボールを拾って前方へ送り、相手DFキックしたボールが、センターサークル(相手陣内)に落ちるのを中島がダイレクトで前方へ送り、浅野が相手DFと競り合って、このボールを奪い、そこからドリブルでペナルティエリア中央に進入してすぐ、左足シュートした。ボールはゴールキーパーの右を通ってゴールの右端に転がり込んで、3-2と逆転しました。
――テレビになにか言ったとか
賀川:これで勝ったら「ベルリンと一緒だ」とね
――1936年のベルリン・オリンピック、あのスウェーデン戦の逆転勝ちですね
賀川:韓国はさすがに大したものですよ。2-3からでも何度も攻めた。しかしFKなどでも低いボールで彼らの高さを生かせないシーンも出てきた。日本にも40分過ぎに右サイドからチャンスを生む機会がありました。
――3点目からあとの両チームの選手たちの戦いは、互いの意地が出て見ごたえがあったが、気分的に有利な日本は相手の反撃を抑え込みましたね
賀川:48分に豊川のシュートが相手の背中に当たったあと、笛が鳴りました。
――1936年から、ちょうど今年は80年です
賀川:日本のサッカーの歴史で初めてオリンピックの本番に参加したのがこの大会です。初参加で強豪スウェーデンに逆転勝ちしたスコアが0-2からの3-2でした。チームプレーの性格は違うが、当時はほとんどが大学生で、いまのU-23と似た年齢でした。
――オリンピックの本番でもドラマが期待できますね。
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AFC U-23選手権 カタール 2016(リオデジャネイロオリンピック・アジア最終予選)
最終日2016年1月30日カタール
U-23日本代表 3(0-1、3-1)2 U-23韓国代表
――逆転勝ち、3-2のスコアで、とても面白い試合でした
賀川:前半は韓国のペース、1-0とリードされ、後半初めに2点目を奪われた時には、今日はダメかなと思った人も多かったでしょう。
――テレビを切って、寝たという人もいましたよ
賀川:2-0とした韓国がちょっと気分的に楽になったせいか、そのあともチャンスを作ったが3点目を取れなかった。私は戦前の旧制神戸一中のころから全国大会で当時日本の一地域であった朝鮮地方の代表と試合をしたので、日韓戦は80年前から経験していますが、そのときから互いに2-0は安全圏ではないといわれていました。
――この試合で日本が0-2から逆転したのは選手起用の妙、巧みな選手交代にあったとも言えますね。浅野の投入がとても効果的でした
賀川:サンフレッチェ広島の2015年の優勝に、浅野という若く速いFWの力が発揮されていた。その彼の速さと得点力がこの試合で生きました。彼はこの大会ではここまで得点していなかったのですが。
――その前に、日本の失点について語ってください。大会のここまで、どの試合も失点1までで、守備力が高く評価されていたのですよ
賀川:2人のDF――中央のセンターバック植田直道と岩波拓也、そして控えの奈良竜樹も防ぐという点では強かった。長身の植田、岩波は守りのヘディングも強いだけでなくCKやFKのこちらのチャンスにも空中戦での武器でもあった。GKの櫛引政敏もいい働きをしてきた。その守りが2点を失なったのです。前半の失点はひだりからのクロスからだった。韓国が中盤を制して右から左へ長いパスを送り、左タッチ際、ゴールライン5メートルの深い位置から、高いクロスを送ってきた。ペナルティエリア内PKのマークあたりに落下してきたのを韓国側がヘディングをとり、このボールがゴールエリア左角近くに落ちたのをクォン・チャンフンがボレーシュートした。ピシャリと蹴ったのでなく、ちょっと当たり損ねのようなボールだったが、低い軌道でゴールに向かい、岩波の左足に当たって方向が変わってゴールとなった。
――DFの足に当たったのは不運でした
賀川:そう、不運と言えば不運です。相手のボレーシュートのときに体を寄せに行かなかった。ヘディングのボールを落下するのを日本側は見ていましたよ。点を取られるときはこういうこともあるといった感じでしたね。
――前半22分でした。日本側も攻めはしたが流れとしては韓国の攻撃回数の方が多かったかな
賀川:日本は右・左からのクロスが低くてはね返されることもありましたね。
――後半早々に日本はFWのオナイウ阿道に代えて原川力を送り込みました。久保裕也とオナイウの2トップだったのを久保のワントップにして中盤を厚くしようとしたのでしょうね
賀川:中盤は韓国の方が強かったからね。彼らのドリブルの時の切り替えしは引き技になっていて奪いにくいのです。まぁこれはいつものことだが…
――メンバーの交代の効果が出る前の後半1分半に韓国が2点目を取った。日本の中盤のパスミスを奪って、右サイドから攻め、中へつないでCFがゴールを背にして受け、ターンで日本のDFをかわして左足でシュートを決めた。日本のボールを奪って右サイドからの攻めと、ゴール前へのパスなど、とてもいい攻めでした
賀川:テレビを切ってしまった人の気持ちもわかります。しかし、このあと日本が3点を奪うのだからサッカーは面白いものですよ。(続く)
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2月1日のサロン2002の集まりに私の「おしゃべり」の時間をいただきありがとうございました。U-23代表の素晴らしい勝利が新春早々からテレビのサッカーの観戦が重なって、楽しいけれど忙しくて、サッカーを反すうする時間がなかったこともあって「このくにのサッカー」という演題からいささかはずれたお話になったかもしれません。
それでも「このくにのサッカー」という対談集の企画の一端をお話しさせていただいたことは誠に有難いことでした。
日本のサッカーの今日をつくるのに力を尽くした方々、また今をつくっている人たちが、これからの日本サッカーにどんな夢を持っておられるのかを私の対談で紹介してゆきたいと考えて、その企画のための経費をクラウドファンディングの形で募ることにいたしました。皆さんのおかげで、相当な金額が集まりましたが、まだ予定達成には至っていません。すでに応援して下さった方々にも、お知り合いに声をかけていただき、ご協力賜ればとても助かります。
お願いを兼ねて、楽しい2月1日のお礼を申し上げます。くれぐれもよろしく。
サロンの皆様の2016年が楽しいものでありますように。 賀川浩
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