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2015年12月

2015年の年の瀬 テレビで見るフィレンツェと竹林の記憶

2015/12/31(木)

30日テレビをつけると、塩野七生さんがフィレンツェを歩いていた。同行の向井理というノッポの男性については知らないが、イタリアに住む塩野さんのイタリアについての随筆は1980年代にいつも新鮮な思いで読んだものだ。私自身は1960年のローマオリンピックの特派員として産経新聞から派遣されることが決まっていて、それが社内事情で取り消され、私ではなく別の記者が出かけたという苦い経験がある。オリンピック記者というのはスポーツ記者にとっての一つのステップであったから、相当なショックだった。1980年の欧州選手権に、例によって自費取材で出かけたのは、どこかにイタリアへの憧れが残っていたのだろう。

その欧州選手権取材の旅「わが内なるイタリア」(サッカーマガジン連載)は、今読み返してもはじめての欧州選手権取材とイタリアを旅する喜びが詰まっていたと思う。

テレビの画面でフィレンツェについて語る塩野さんの姿を見ていると、彼女がいるだけで、今のイタリア好きは幸福だと思ってしまう。

こんなことを書いているうちに、テレビの画面は京都の天龍寺を映し出した。玄関正面の「達磨大師」の画は何代か前の天龍寺管長、関牧翁(せきぼくおう)の筆であると見て取れた。牧翁はわが家の菩提寺である等持院の住職でもあって、よく存じていた。天龍寺の庭の説明やこの寺の建立のいきさつなどの解説していたのがアメリカ人であることもすばらしいが、彼の案内で嵐山の竹林を見せたのも心を打たれた。

私にはこの竹林にも強い記憶がある。1943年(昭和18年)それまでの徴兵猶予の法制が廃止され、学生たちが軍隊に入ることになった12月、兄太郎をはじめとする先輩や仲間が陸軍や海軍へいってしまった後、等持院を訪れ、ただひとりで竹林の道を歩いた。誰もいない竹林で、私は石を投げ、それが竹に当たって響く音を聞いた。

いずれ軍隊に入り戦場にゆく自分に、日本の音を記憶させておこうと考えたのだろう。73年前のことだった。

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2015年の年の瀬 神戸一中・神戸高校サッカー部百年史

2015/12/30(水)

元旦や冥土の旅の一里塚

などと皮肉った人もいた。それでも新しい年を迎えるために日本中が年の瀬はソワソワと忙しい。

91歳で迎えた12月30日は、考え事もして、書き物に向かう楽しみを味わえばいいのに、何となく気ぜわしく、つい買い物に出かけてみたりする。芦屋大丸の地下の食料品売り場をのぞくと、レジには長蛇の列だった。

その豊かなデパートの売り場や、JR芦屋駅周辺の旅支度の家族連れを眺めると、日本も豊かないい国になったなぁと思う。戦中派の常として、その豊かさに、どこか後ろめたい気になるのが不思議でもあるのだが…

今年1月に大好きな仲間だった芦田信夫さんが亡くなって、私の周辺のサッカーの先輩は誰もいなくなった。

1月にFIFA会長賞をもらった後、多くの人からお祝いの言葉を頂戴しうれしかったのだが、そのとき改めて「ヒロシよかったな」と言ってくれる先輩が一人もいないことに気付いた。本人が90歳だから、そもそもが無理な話なのだが、人はいくつになってもいい先輩が懐かしく、何かことがあれば声をかけてもらうことに安心を覚えるのだと、それこそこの歳になって感じたものだ。

そんな淋しくなった身辺でも、うれしいこともたくさんあった。その一つは神戸一中、神戸高校サッカー部の百年史が完成したことだ。神戸一中のサッカー部は大正2年(1913年)の創部で、その百年の記念式は平成25年(2013年)8月4日に行なっている。百年史はOB会の谷村和宏会長のもとに、長岡康規、厚田太加志たちが中心になって、編成・出版にこぎつけた。

人材の豊富な神戸高校のOBたちではあるが、中心となって働いた人たちのご苦労には感謝のほかない。編集者の努力によって、全国的に、国際的に活躍したOBたちのプロフィールが描かれ、歴史的な読み物としても貴重なものとなっていることを付け加えておきたい。

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91歳になりました

2015/12/30(水)

2015年12月29日で満91歳になりました。多くの方々からお祝いの言葉をいただき、ありがとうございます。昨年12月にFIFAから知らせを受け、1月12日にバロンドールの授賞式でのFIFA会長賞受賞という「事件」があり、その後、急に有名人になって忙しい日々を送るはめになり、仲間の皆さんにも大変ご迷惑をおかけいたしました。

サッカー界もいろいろ楽しい試合があり、12月にはバルセロナのサッカーが日本で見られるというとてもすばらしい締めくくりでありました。

3年目となった神戸市立中央図書館での神戸賀川サッカー文庫に訪れてくださる人とたちとのサッカー談義を重ねていて、11月から毎月1回図書館内での「賀川サロン」もスタートしました。

91歳になって、「このくにのサッカー」という新しい仕事も始めようとしています。「年寄りの冷や水」と言われそうですが、どういうわけか生の試合を見ても、テレビ観戦でも、時に新しい発見があるのが不思議なようでもあり、うれしくもあります。まあ考えてみれば、それだけ、もとが幼稚であるのかもしれません。

とりあえず、元気でいます。

今後ともよろしくお願いします。

「このくにのサッカー」クラウドファンディング

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(続)FIFAクラブワールドカップでサッカーの粋(すい)を見た

2015/12/29(火)

賀川:バルサの決勝での先制ゴールはテレビでも何度も流されていたでしょうが、まずボールを受けてシュートしたメッシのプレーが驚きでした。もっともその直前のパスの経路やチーム全体の動きをテレビのリピートで見直すとバルサ側の攻めのうまさを感じることになります。

30分をすぎてFKがあり、メッシが右ポストへ低く落ちる球を蹴った。バルサ側がボールをつないでの展開からドリブルで崩そうとする場面も増えてきた。34分にバルサは後方でのボールキープからピケ~ブスケツ~マスケラーノと左へ振り、そこから左タッチ際のアルバに。アルバが持ち上がり、戻ってきたネイマールへ。そのネイマールのリターンパスがアルバとリバープレート側の奪い合いとなり、そのボールを1)ネイマールが内側へドリブルし、2)奪いに来る相手の足の間を通してメッシに渡す3)中央左よりペナルティエリア15メートル手前で受けたメッシが右ななめ前へドリブルした。4)リバープレートの4人が防ぎに来るとメッシは右外へパス。5)そこにダニエウ・アウベスがいた。6)ペナルティエリア右角から少し内に入ったあたりでアウベスはダイレクトで高いクロスを蹴った。7)ボールはゴールエリア左角の2メートルほど前に落下し、ネイマールがジャンプヘディングで折り返した。8)ゴールはメッシの前に落下。すぐ前にマーク相手がいた。9)メッシは落下するボールを左足でタッチするそぶりを見せただけで、地面に落ちたボールを胸のあたりで止め、10)左足サイドのボレーシュートをした。11)しっかりとアウトサイドで叩かれたゴールはGKバロベロが伸ばした手の外を通り、ネットへ飛び込んだ。12)別の角度からのスローを見ると、バウンドしたボールが上がってくるのを右の太ももや体に触れさせ、胸で前へ落としたように見えたが、そのボールが地面にもう一度落ちる前、左足アウトのボレーで蹴っている。DFのマイダナの手で肩を押さえられながらバランスを保ってシュートしているのも、まさにメッシのプレーだろう。トラップの時、右腕の付け根を使っていてハンドだという説もあるが、ハンドと言えるかどうかは?

――ゴールへ至る過程を詳しく見ましたが

賀川:少し長く書いたから、サッカーのゴールの「一瞬」という感じから少し遠い言い方になりますが、こう見てくるとネイマール、メッシのドリブルがあって、その後右外へのパスからダイレクトパスが続いて、メッシのシュートとなる。そういうテンポの変化も、このバルサに限らず、いいチームの攻撃にはよくあることを知っておきたいからでもあります。もちろんメッシのプレーはメッシ独特のもので、彼はビッグゲームでの彼のゴール集に、また新しいページを加えました。

――左足故障があり、その前にも体調不良の時期があったのですが、それらを克服して、この決勝のピッチに立ったということですが、出場すれば、こういうプレーをするのがすごいですね

賀川:この先制ゴールで相手が同点ゴールを狙ってくることになり、そのカウンターを狙うこともできるので、一気に有利になりましたね。

――後半4分はまさに絵に描いた通りのカウンターでスアレスが2点目を決めました

賀川:相手が右サイドから攻めに来て、パスが少しずれた時に、ブスケツがつぶして、そのこぼれ球をイニエスタが拾って、前方へ出ていたブスケツに渡し、ブスケツが右サイドを相手のDFラインの裏へ出ようとするスアレスに長いパスを送った。

一般論でゆくと、相手のDF裏へのボールは大チャンスのようで、実際はそう簡単にはゴールにならないこともあるけれど、スアレスはやはり専門家という感じで決めました。シュートのボールはGKのバロベロの股間を抜けたのだから、際どいシュートとも言えるが、やはりシューターの自信がゴールを呼び込むというところでしょう。

――3点目が後半24分に入ります。

賀川:これはバルサがスルーパスで攻めてからの二次攻撃でした。メッシの縦へのドリブルから相手のクリアを拾ったネイマールがペナルティエリア左角からエリア中央へふわりとクロスを上げ、それをゴール正面、ゴールエリアのライン近くでスアレスがジャンプヘディングして、ゴールの左サイドネットへ決めました。

――試合の後で、リバープレートの監督さんが、はじめ30分はうまくいっていたのに、メッシのゴールで計画が狂った、という話をしていましたが、大一番はバルサの強さ、巧みさを見る試合になりました

賀川:バルサというクラブの選手育成法など、学ぶべき点は多いのですが、ともかくサッカーの面白さを楽しんだ一日でした。

もちろん、彼らの技術を発揮するための動きの量や、ボールを奪われた後、すぐに奪い返しにゆくところ、攻と守、守と攻の切り替えの早さなどはすばらしいものです。

――いいサッカーを見た、これに追いつきたいと多くの人は考えたでしょう。

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FIFAクラブワールドカップでサッカーの粋(すい)を見た

2015/12/28(月)

――フィギュアスケートの羽生結弦やラグビーの日本代表、そしてテニスの錦織圭などの活躍があって、2015年はとてもうれしい1年でした。その年の締めくくりにサッカーもまたすごい喜びがやってきました

賀川: FIFAクラブワールドカップ2015で、開催国代表のサンフレッチェ広島が1回戦でオセアニア代表を破り、準々決勝でアフリカ大陸代表を倒し、準決勝で南米代表リバープレートに惜敗したが、アジアNo.1の中国の広州恒大に逆転勝ちして大会の3位になりました。そのうえ大会決勝で欧州代表バルセロナがリバープレートを相手にすばらしい試合を演じて、3-0で勝ちました。そのプレーのひとつひとつは、世界中のサッカーファン、スポーツファンにこの競技の面白さを味あわせました。高いレベルの個人の技術力が結集し、足を使うフットボール特有のパスワークの妙と、ゴールを奪いゴールを守る技術と組織力の粋を見せてくれました。

――広島のがんばりは、我が意を得たりですが、バルサのプレーに賀川さんも高い評価ですね

賀川:大げさでなく、90歳をこえていきていたおかげで、12月20日という日を楽しめました。

――バルサのプレーから話してください

賀川:いくら強いと言っても、サッカーは何が起こるかわからないスポーツです。しかも今年のバルサはシーズン当初には故障者が多く、中ごろからよくなってレアル・マドリードにも4-0と完勝しましたが、この大会の準決勝ではMSNのメッシとネイマールを欠き、ムニルとセルジ・ロベルトが起用されました。イニエスタとラキティッチ、ブスケツの第2列、ピケとマスケラーノのCDFとアウベスとアルバの両サイドはそろっていたが、看板FWの二枚がいないのを懸念する人もありました。そんななかでも準決勝ではスアレスのハットトリックがあり、またバルサらしいチームプレーも随所にみられました。

相手となったアジア代表の広州恒大は、豊富な資金でブラジルから元代表選手と名監督スコラーリを招いて急速な実力アップを図り、この大会の準々決勝で中南米カリブ海代表のクラブ・アメリカ(メキシコ)を破ってのベスト4進出でした。いくつかの攻めも見せたがバルサとの間にはまだ差がありました。

――準決勝でのバルサの1点目はラキティッチのロングシュートをGKが前にはじき、それをスアレスが決めたものです

賀川:70%をこえるボールポゼッションで自在に組み立てて、バルサが39分に先制した。押し込んだ形にして、中央ゴール正面25メートルあたりにスペースをつくると、ラキティッチが十分な態勢で強いシュートを打ちました。右足インステップで、ややアウトサイド気味に叩かれたボールは、GK側から見えるとまっすぐから少し右へ行く気配から左に曲がっていたので、キャッチが難しかったのでしょう。リバウンドしたボールが転がったところへスアレスが走り込んできました。

――バルサにとって大会の初戦のこのゴールで、気分は楽になったでしょう

賀川:でしょうね。それまでもチャンスはあったが…。大会での優勝は当然というふうに見られていた彼らは、百戦錬磨であっても、やはりゴールを先取することは、とてもおおきなことのはずです。

――スアレスが後半4分にイニエスタからの浮き球のスルーパスを受け、胸でトラップして右足ボレーシュートを決めて2-0としました

賀川:自陣でボールを奪い、マスケラーノから左サイドのアウベスへ。アウベスが横パスをスアレスに入れて、スアレスはそれをイニエスタにバックパスした。イニエスタはスアレスのポジションと動きを見て、フワリとボールを上げ、DFラインの背後へ落ちるパスを送った。この短い浮き球のパスをスアレスはゴールを背にして胸のトラップで落とし、右足ボレーでシュートしました。胸でトラップする時は、左肩前のいわゆる半身で受け、トラップからシュートへのスムースな動きはさすが当代のストライカーという感じでしたね。

――スアレスはウルグアイ代表の一人ですが、モンテビデオのナシオナルのカンテラ出身です

賀川:1980年、81年の年末年始に開催された、コパ・デ・オーロのとき、モンテビデオへ取材にゆき、ナシオナルの練習グラウンドへ足を運びました。とてもいい環境で、その時もカンテラから1軍へ上がった若い選手の誕生日のお祝いがあって、とても楽しかった。スアレスもあのグラウンドで練習したのですかね。もっともスアレスの生まれる(1987年1月24日)の6年も前の話ですが…

――3点目もスアレスで、後半21分にスルーパスを受けてエリア内に走り込んだムニルが倒されたPKを彼が右足でゴール左に決めました

賀川:スアレスという個性的なストライカーがバルサ流になり、どんどん実績を積むところがバルサのすごいところですね。自分のところの育成システム、カンテラ育ちが多い中に、外から獲得する選手がレギュラーとして働くのを見ると、しっかりと選手を見る目を持った人がいるのでしょうね。もちろんイニエスタという抜群のパスの名手がいるからではありますが。

――そうですね。DFラインから第2列でのパスのやり取りなども、ひとつひとつ感心しましたね。これでメッシやネイマールが入ってくれば…と思いました。

賀川:決勝はその二人が加わった。そしてメッシが先制ゴールを決めました。このゴールはパスを受けて左足のアウトサイドでのシュートを決める、彼でなければできないプレーでした。  (続く)

賀川サッカーライブラリー「コパ・デ・オーロの旅」

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【お知らせ】ラグビー日本代表GM岩渕健輔氏との対談が掲載されました

2015/12/26(土)

ニュース共有サイトNewsPicsに「日本ラグビー 未来への提言」としてラグビー日本代表GM、岩渕健輔氏との対談が掲載されます。

https://newspicks.com/news/1317286?ref=series

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このくにのサッカー

2015/12/25(金)

長い間の記者生活の間に多くの記事を書き、多くの皆さんに読んでいただき、とても有難く思っています。90歳をこえましたが、もう少し試合を追い、人の話を伝える仕事も続けたいと願っています。このたび、いまの日本のサッカーをつくっておられる人たちのお話をうかがい、現状の意見や、未来の夢や構想について対談形式で紹介してゆきたいと考えました。

新しい対談企画には、多少の経費もともないますので、クラウドファンディングという形で資金を集めさせていただき、対談のひとつひとつをウェブサイトに掲載し、15人ほどまとまれば本として出版を計画しています。すでに出版社の苦楽堂さんとの打合せも済み、クラウドファンディングはスタートしました。早速ご厚意を寄せていただいたむきもあり、感謝にたえません。

この歳になって、仕事をさせていただく上に、いささか厚かましい話ではありますが、何卒よろしくお願いいたします。


クラウドファンディングプロジェクトページ

対談などは今後こちらのサイトに掲載いたします。
このくにのサッカー

Konokuninosoccer

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【お知らせ】日独サッカー交流展トークショーで講演します

2015/12/10(木)

12月23日にJFAハウスで講演を行うことになりました。

日本サッカーミュージアム 日独サッカー交流展トークショー 「日本サッカーの今〜ドイツがもたらしたもの」

出演
賀川 浩 (サッカージャーナリスト)
祖母井 秀隆 (京都サンガF.C.育成・普及アドバイザー)
奥寺 康彦 (元日本代表選手)
高原 直泰 (元日本代表選手)
木崎 伸也 (サッカージャーナリスト)    他

開催概要(JFA公式サイト)

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