« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2015年9月

デットマル・クラーマーを思う

2015/09/24(木)

 9月17日にクラーマーさんが亡くなって、一週間が過ぎた。日本サッカーの恩人である偉大なサッカー指導者の訃報を多くの新聞が報じ、関係者の悼む言葉も掲載された。
 スポーツジャーナリストという立場にある私も、このブログでクラーマーさんの業績について、人柄について、皆さんとともに語り合わなければならないのだが、彼を失ったという心の空白は大きく、しばらくペンを持つことも出来なかった。
 遅すぎる感はあるが、デットマル・クラーマーとの55年間の交流、私にとってもサッカーの師匠であり、得難い友人であった彼との日々を思い、その珠玉の言葉を反すうすることで、クラーマーさんを偲ぶことにしたい。

 デットマル・クラーマーに初めて会ったのは、1960年10月29日、東京オリンピックを4年後に控え、サッカー日本代表強化のため、日本サッカー協会の招きで初来日したときだった。
 その記者会見で、有名になった「ヤマトダマシイ(大和魂)を日本選手に植え付けたい」という話が出たのだが、私にはスピーチの前に壇上に上がった彼が、自分の前に置かれた飲料水のビンを見て「この飲料水は合成飲料でピュアなオレンジジュースではない。体のためには全く役に立たない。プロフェッショナルコーチである私はこういうものは飲まないのです」と言ったのが印象に残った。後から思えばスポーツマンは常に体調管理に心を配るべきだという彼の日ごろの実践が、そのまま口に出たのだろうが…

 幸いなことに、そのころ私は産経新聞の東京本社運動部にいた。東京オリンピックの開催に備えて東京の編集局内でもスポーツの強化が注目され、大阪本社運動部長の木村象雷(しょうらい)さんが東京の部長となり、私もその下で働いていた。クラーマーさんが初来日した1960年の2か月、あるいはその次の1961年も東京にいたおかげで、彼と再三顔を合わせ、日本代表の強化の進み具合や、彼が代表あるいは代表候補を指導する現場を直接見ることができた。
 初来日のころは、彼は公式にはドイツ語で語っていた。私が「学生時代にドイツ語の勉強を怠ったために、あなたと十分話ができないのが残念」というと、クラーマーさんも「私ももっと英語を自由にしゃべれるといいのだが…」と言っていた。翌年に再来日したときは、彼は見違えるほど英語が上手になっていた。「英語で語った方が、日本選手には(ドイツ語より)はるかに有効だ」と考えて、英語の勉強をやり直したと言っていた。

 1925年4月4日生まれで、初来日のころは35歳、私は彼より3か月早く生まれ(1924年12月29日)ていて、ほぼ同年齢だった。ともに戦中派で、彼はパラシュート部隊でクレタ島やサハラ砂漠などでの戦いを経験し、私は陸軍のパイロットで互いに軍隊経験もあり、話も合った。
 東京オリンピックでのアルゼンチン戦で1勝をあげるまでの4年間の代表の努力とクラーマーの指導のうまさについては、私は何度も書き、またその4年後のメキシコオリンピック銅メダル獲得にも、彼の直接間接の指導やアドバイスがあったことはよく知られている。

 日本代表の成長と、日本サッカー界全般の向上は、クラーマーの卓見と、彼の直弟子、長沼健(故人、第8代日本サッカー協会会長)、岡野俊一郎(第9代日本サッカー協会会長)たちをはじめとする多くのサッカー人の努力の賜物だが、「メキシコ」以降も私とクラーマーさんとの交流は続き、74年の西ドイツワールドカップ取材以来、ワールドカップの際に現地で彼の話を聞き、日本の雑誌に掲載するのが慣例になった時期もあった。
 面白いのは、いつも会うたびに彼が最初に言う言葉は「トゥルーフレンドが来た」だった。ミュンヘンでも、九州でもそう言った。2006年のドイツワールドカップで彼の家を訪ねた時も、そう言った。74年大会の時もそうだった。
 それは1961年に日本代表が東京での日韓戦(63年ワールドカップチリ大会アジア予選)で敗れた日に、私が本郷の合宿所を訪れた時の話に由来している。ケーキの箱をぶら下げて部屋へ行くと、高橋英辰監督や選手たちとともに、フトンの上でごろ寝をしていたクラーマーが私の顔を見て言った。「トゥルーフレンドが来た。ドイツでも勝った時にはたくさん人が来るが、負けると来ない。負けた時に来てくれる人こそ真の友人(トゥルーフレンド)なのだ」
 初来日以来の努力にもかかわらず、なかなか代表強化の成果の見えないころだったから、彼には心に残ったのだろう。

 私にとっては、年齢は少し若くても、デットマル・クラーマーは1954年のワールドカップ優勝以来、長く世界のトップに立っていたドイツサッカーのトップコーチであり、FIFAのコーチとして世界90か国で指導した“世界”のコーチだった。いつも豊富な話題の持ち主であり、サッカーの技術、戦術史の生きたテキストでもあったから、彼と会った後はいつも頭がすっきりし、心が大きく膨れるのだった。

 今年1月12日に私はFIFA会長賞受賞ために、チューリヒに招待された。クラーマーさんの病状がよくない、と聞いていたので、ぜひ見舞にゆきたいとFIFAにスケジュールの調整を頼んで、授賞式の後、オーストリアとの国境に近い彼の自宅を訪れた。
 久しぶりの再会に喜び、FIFA会長賞のお祝いを言ってくれたが、その後で自分はもう長くないから、ここにあるアルバムを日本に持って帰ってほしい、と言うので「4月4日にはあなたの90歳の誕生日が来る。私も昨年12月に90歳になったところだ。元気になって90歳の2人のトークショーを日本でしようじゃないか」と言った。彼は「じゃあ、4月までがんばる」と言い、二人の90歳を約して別れたのだった。

 4月にバイエルン・ミュンヘンFCが90歳の誕生日を祝ったと聞いた。そして9月に訃報が届いた。
 折にふれて、デットマル・クラーマーとの日々と、彼の珠玉の言葉を書き残してゆきたいと思っている。

Img052


関連リンク

2002年に神戸で行われたトークイベント

固定リンク | 素晴らしきサッカー仲間たち | コメント (1) | トラックバック (0)


【お知らせ】県高齢者特別賞を受賞しました

2015/09/18(金)

兵庫県の県高齢者特別賞を受賞いたしました。
皆様のご協力、ご支援ありがとうございます。

神戸新聞の記事

固定リンク | お知らせ | コメント (0) | トラックバック (0)


アフガニスタンに6ゴールで勝利。チームの形が整い始めた日本代表

2015/09/09(水)

FIFAワールドカップ2015ロシア アジア第2次予選
日本代表 6(2-0、4-0)0 アフガニスタン

――アフガニスタン相手の第3戦は6-0でした。対シンガポール(0-0)、対カンボジア(3-0)。日本の多くのファンは不評、不満だったはずですが、今度はどうでしょう

賀川:アフガニスタンはもう少し攻めに出るかと思ったが、やはり引いて守ることがほとんどでした。選手たちは体格が良く、闘争心もあったが、日本に早いうちの先制ゴールでプレーに落ち着きがでた。まぁ、いいところでしょう。

――9日の朝のサンケイスポーツに賀川さんのコラムが掲載されていました。見出しは「香川が攻撃の起点、特長出し切った日本」でした

賀川:「出し切った」かどうかはともかく、カンボジア戦のように香川が自分で点を取りに行くという気配を見せるのでなく、攻撃のためのパスの起点になり、効果あるつなぎに加わったりした。ドルトムントでの日頃の試合のように、攻撃展開に彼がかかわれば、チャンスを多く生み出せること証明しました。

――もともと、それは誰もが知っていることでしょう

賀川:ハリルホジッチ監督には選手全員を試しつつ、予選を勝ち抜いて行きたいという思いがあるでしょう。しかし仕事の比重が少しパスの起点の方に傾いて、そういうポジションにいた方が、彼のプレーは生きるはずです。そして、もう一つの仕事「ゴールを狙う」も、逆に効果的になるものですよ。

――その香川が先制ゴールをしました

賀川:スターティングラインアップの発表で、カンボジア戦での先発と違ってMFの左サイドに原口元気が入りました。

――前回の試合は武藤で、あとから宇佐美が出ました

賀川:前回の武藤は日本の右サイドからの攻めに合わせて点を取ろうと、左から内へ、中央部へ早く入ってくることが多かった。

――原口は少し違う?

賀川:自分でボールを持ち、ドリブルで仕掛けるプレーヤーです。ドリブルしたときにシュートまで行こうという気迫があるので、相手のDFもそれに反応します。

――前半10分の1点目は原口が内にドリブルして、すぐ内にいる香川にパスを。香川がボールを受けて接近する相手をターンでかわして右足でシュートしました。サイドキックでなく(笑)、右足でしっかり叩きました

賀川:ペナルティエリアの外でしたが、このあたりでボールを受けて内側へドリブルするのは香川の十八番(おはこ)プレーのひとつで、ボールを受けたとき、持ったときの条件が良ければ、自信満々の「持ち方」になります。相手を回転してかわしたときに、彼の得意のキックの型でした。シュートに入り、成功するのは当然のようなものです。

――パスを出した原口が縦に走りました

賀川:そういうまわりの動きも承知でシュートの体勢に入ったのでしょう。

――ボールがゴール左隅に入ったとき仲間が香川に駆け寄りました

賀川:本人もホッとしたが、周囲もカンボジア戦の二度のビッグチャンスでの彼のサイドキック失敗が気になっていたはずです。

――本田がとても喜んでいました。賀川さんもにんまりしていましたね

賀川:一番ホッとしたのはハリルホジッチ監督だったかもしれません。起用した原口の「突っかける姿勢」がこのチャンスのひとつのポイントでしたからね。まじめな人柄で自分のシュートの失敗などが顔に出る方だから、香川が気を楽にしてプレーすることは仲間にとってとても大事なことです。その香川の会心のゴールを原口が引き出すのに一役担いだわけです。

――アフガニスタンは選手たちの体格が良く、接触プレーも強いと聞いていました。そういう相手が引いてくると、崩すのは難しくなるとも懸念したが、思った以上に隙があったように見えました。

賀川:アフガニスタンもやはり、大人数がペナルティエリアに入って守っていた。しかし、守りの隊形としては、第2列まで後退しすぎることが多く、日本が押し込んでから、自分たちの守りの外でボールをつなぐのを、それほど強い妨害に出なかった。前の試合では、早いうちにエリア内に入ろうとした香川が、相手の守備網の外でボールを動かしたので、ボールは幅広く移動して、相手側の守りの隙が少しずつ広まったこともある。同時に、第2列、第3列の選手がゴール前へ走り込んだ。このため相手側は、人数はいても、走り込む日本側に対応してマークがずれることもあった。

――2点目はゴール前へ走り込んだ森重でしたね

賀川:その10分前の27分と28分に森重が右足で1本、左足で1本ミドルシュートしました。

――彼は右のキックは強い球を蹴りますね

賀川:その森重のシュートを促すような香川のプレーがとても面白かった。左サイドの開いた位置にいて、二度中央の森重とパスのやりとりをして、森重がしっかり踏み込んでシュートするスペースと時間を作りました。

――27分の森重のシュートがゴールキーパーのすぐ前で地面に落ちてバウンドし、バーに当たって跳ね返ったのは覚えていますよ

賀川:ディフェンダーにも、ゴール正面で狙えるなら、シュートする手もありますよ…という感じのやりとりだった。

――森重の攻撃意欲も強くなりますね

賀川:35分の2点目は、まず、左サイドの原口がドリブルからのクロスで左CKを取ることで始まります。

――左CKは香川が蹴ることになっていました。このときはショートコーナーで原口に渡し、そのリターンをもらって、左タッチライン近くで相手DFを前にゆっくりキープしました

賀川:そこから後方、ゴールから40mあたり、中央左寄りの長友に長いバックパスを送りました。長友は少しキープして、ペナルティエリア内へロブのボールを送りました。ボールはゴールエリア少し手前、正面やや右寄りに落下した。

――そこへ飛び込んでいたのがコーナーキックのためにゴール前まで上がっていた森重でした

賀川:彼のジャンプヘッドのシュートをGKアジジが手に当てて防ぎ、ボールは左ポスト横を外に転がった。ボールが出て、またコーナーキックになりそうなときに本田圭佑が走り込んで、左足をいっぱい伸ばしてゴールライン上でとらえた。

――テレビの前ですごいと叫んでいましたね

賀川:ゴールラインを出て、またコーナーキックかと思ったときに本田が走り込み、スライディングキックでボールを内へ戻したのですよ。ラインいっぱい、目いっぱいプレーする本田のプレーでした。

――そこに森重がいた

賀川:森重が決めたのだが、この時にもゴールキーパーもDFもなんとか食い止めようとしたのには感銘を受けました。相手側の懸命さが伝わってきた。

――森重と一緒に、長友のボールに向かったのが岡崎慎司と本田の2人で、ここにも彼らのゴールへの意欲があらわれていましたね

賀川:カンボジア戦の前半は本田と酒井の右サイドからの攻め込みが多かった。この試合では本田はそれほど目立たなかったが、このゴールライン際のプレーでやはり本田らしいところを見せましたね。前半終わり近くのFKからのシュートが入って入れば、本田ファンは喜んだのだが…

――左ペナルティエリア、縦ラインからのFK、香川とのサインプレーですね。香川からのパスをゴール正面でダイレクトシュートしたが、DFのマークが厳しく、強いボールを蹴れなかった。

賀川:後半は5分に香川の左からの右足シュートで3-0、12分にエリア内へ後方から飛び出した山口にパスが出て、山口が中央へパスをして岡崎が4点目を決めた。岡崎は15分に5点目を決めた。これは本田のシュートがDFに当たったリバウンドのボールを空中でとらえたもの。岡崎だからこそ、とも言える得点。6点目は本田が宇佐美貴史(酒井宏樹と交代)の左からのクロスを決めた。

――香川のシュートはカンボジア戦での失敗が話題になり、この試合では2本のビューティフルシュートが次の日の各紙の見出しになりました

賀川:香川の2点目は①左サイドの長友の左ミドルパスが相手に奪われたのを奪い返し、②本田から左前方の香川へ、③香川からすぐ後方の原口へと渡す、④原口は相手DFに囲まれながら前方の香川にパス、香川がドリブルして、左足のシュートで決めた。ボールを受けてからの一連のスムースで正確な技と、3人の相手を引き付けて意表をついた原口のヒールパス技術が楽しかった。香川が左足のシュートでしっかりと蹴り足を振り、しっかり叩いていたのは、彼のシュートをネタに仲間たちにゴール前でのサイドキックシュートが難しくて案外不成功が多く、足を縦に振るインステップでの方が成功しやすい、などと話している私としては、とてもうれしいことだった。

――4点目の岡崎のゴールはその前の山口の飛び出しで「勝算あり」という感じでした

賀川:ペナルティエリア外、やや右寄りで、本田からのパスを香川が受けた時、その右外を後方から山口が走りあがり、その山口の前のスペースへ香川が左足のサイドキックで見事なスルーパスを送り、ノーマークの山口がゴール正面ノーマークの岡崎にパスをした。飛び出した山口に向かったゴールキーパーのいないがら空きのゴールに岡崎はボールを送り込んだ。

――こういうプレーを見るとまさに「チーム」という感じですね

賀川:ハリルホジッチ監督はこのあと、武藤嘉紀、宇佐美貴史、遠藤航を投入しました。宇佐美については、すでにプレーも知っているし、武藤も同じだから、ゴールする、あるいはチャンスに絡むことで自信を持たせたかったのかも。遠藤選手は私もこういう場で見たいひとりでした。

――全体として、予選の3戦目でようやくチームの形が整い始めたと言うところでしょうか

賀川:アフガニスタンは国内の事情もあって、普通ならこういう場に代表を送り込んでくるのもなかなかのことだと思います。練習環境などが必ずしも満足いかないのは彼らのプレーを見ていれば察しがつきます。戦中派でサッカーをする日本の環境が今よりはるかに悪かった時代のものとしては、アフガニスタンの選手たちの立場には同情します。しかし、相手の事情がどうあれ、サッカーの国際試合の場を踏みながら、日本代表は自分たちの力を少しずつ伸ばし、チーム力を積み重ねていかなければならないでしょう。

――アフガニスタンとは戦後間もないころに試合をしています

賀川:1951年ニューデリー(インド)での第1回アジア競技大会で、日本のスポーツは国際舞台に復帰しました。戦争を引き起こした国として、第2次世界大戦後、国際試合ができなかったのを、アジアの仲間たちから復帰が認められたのです。

――たしか賀川さんの兄、太郎さんも日本代表でした

賀川:私の母校の神戸一中の卒業生から10人の代表が選ばれ、16人のチームの主力になりました。準決勝でイランと引き分け、再試合で2-3で敗れ、3位決定戦でアフガニスタンを破って、アジアの3位になりました。いまから64年前のことです。私たちには国際舞台復帰の記念すべき年であり、記念すべき試合でした。

――その時戦ったイランの首都で、3位を戦ったアフガニスタンとの試合でした

賀川:大会の3試合を経て、ようやくハリルホジッチ監督と日本代表が、前2試合の不評から抜け出すのも、何かの因縁かもしれません。

――それはそうと、9月7日に東京で日本スポーツ学会の表彰式に出席、スピーチをしたとか

賀川:立派な賞を頂きました。スピーチの後先、日本代表の話題も多くありました。

――余計なことですが、8日の帰宅の際に台風は

賀川:新幹線で途中一部徐行があっただけで無事でした。それよりも台風が伊勢湾に向かって知多半島を直撃して北上したのには少し驚き心配しました。

――えっ、何故

賀川:サッカー和尚さんとして有名な鈴木良韶さんのお寺が知多半島なのです。被害はなかったかと、電話しました。特に難しいこともなかったということでした。

――和尚さんは

賀川:イランへ日本代表の応援に出かけて留守でした。私よりもずっと多くの日本代表の試合を応援し、世界のサッカーを見ている和尚さんですからね。

――鈴木和尚さんも6-0で、テヘランへ行かれた甲斐もあったでしょうね

固定リンク | 日本代表 | コメント (0) | トラックバック (0)


1ゴールに終わった香川 不満はあったがとにかく勝点3

2015/09/05(土)

FIFAワールドカップ2018 アジア2次予選
日本代表 3(1-0、2-0)0 カンボジア

――雨の降りやまない埼玉スタジアム、それでも54,716人のサポーターが詰めかけました。

賀川:ありがたいことです。ここしばらく中国での東アジアカップで欧州組不在の代表を見ていて、香川、本田をはじめ欧州組が顔をそろえるのだから、サポーターの皆さんの期待も高まったはずです。

――プレミアリーグ2人、セリエA2人、ブンデスリーガ4人、国内組はGK西川周作(浦和)、DF森重真人(FC東京)、山口蛍(セレッソ大阪)の3人がスターティングラインナップでした。カンボジア側は23歳以下が多く、日本を相手にどこまで頑張れるかということでしょう

賀川:力の差を考えれば大量ゴールを予想した向きもあったはずだが。

――しかるに「さにあらず」でした。日本は90分を通して34本のシュートを打ち、12本のCKのチャンスがあったが、前半28分本田圭佑の左足ミドルシュート、後半5分吉田麻也のこれもペナルティエリア外からのシュートで1点ずつ、後半16分ペナルティエリア内での岡崎のシュートのリバウンドを香川真司がインサイドキックで決めて3点目を奪いました

賀川:ゴールの決まった場面以外にも、これは入るだろうと多くの人が思ったチャンスもたくさんあった。

――なかでも惜しかったのは香川の前半2度のチャンスでした。ドルトムントでの今シーズンの活躍から見て香川への期待が大きかっただけに、ちょっとショックでしたね

賀川:今年のドルトムントはゴール数も多いし、チーム全員の運動量が多くて、開幕から3連勝だが、その攻撃展開の元となっている香川のパスが実に見事です。もちろん、彼のパスを受けるチームメイトの能力も高いのですが。パスの一つ一つに香川の技が光っています。開幕試合の先制ゴールは香川が左後方からのパスを受けてダイレクトで自分の左側にいるロイスに横パスを送り、ロイスがこれを受けて小さくドリブルをしてシュートを決めました。右足インサイドでのそのパスのコースといい、タイミングといい、グラウンダーの強さといい、パーフェクトでした。今年の彼は攻撃の際のゴールに結びつく、決定的なパスも、その一つ前のキラーパスの予備的なパスというべき、チャンスへの入り口になるパスでも非常に丁寧で成功している。

――サンケイスポーツの翌日の紙面の賀川さんのコラムに、ハリルホジッチ監督の香川の起用法が見出しになっていました

賀川:監督さんにとってはまだまだ全選手の能力を試したいところでしょうが、香川の攻撃展開の巧さを活用することが、今後のチーム作りに大事なのではないかと思っています。

――彼のパスを受ける側にも、香川はここへパスを送り込んでくるという判断をさせるということですね

賀川:彼は左右にボールを散らすときはどういうボールをどのタイミングで蹴るか…などはそう難しくないはずですが、実戦で生かすためには、実戦で互いに「あ・うん」の呼吸と言うべきものを重ねることが大切でしょう。

――ハリルホジッチ監督はもう少し選手たちの特徴を見たいと思っているのでしょうか

賀川:監督は、自分の指示や言葉が日本代表には予想以上に強く影響していると思って、まだ各選手のチームでの役割の指針を出すのは止めているのかもしれません。

――それにしても香川はエリア内の多人数守備の相手であっても、いいところへ入ってきますね

賀川:決定的とも言えるチャンスがあって、そこで点を取らないと目立つことにもなりますよ。

――そのことで、本人がまた慎重になりすぎるということもあるでしょうか。パスのサイドキックのとても上手な香川がカンボジア戦で、ノーマークのサイドキックを2本失敗しました

賀川:ゴール前での成功、不成功を精神的な面からみる場合もあります。香川は真面目人間で、得点しなくてはいけないと思い込んでいて、そのため慎重になりすぎるのだという見方です。

――テレビの解説でもそういう声がありました

賀川:たしかにその通りかもしれません。しかしだからと言って、どうやって落ち着いてシュートするのか、あるいは気楽に肩の力を抜いてプレーするのかは本人の仕事でもあり、コーチ、監督の「声」あるいは「ヒント」なのか…

――デットマール・クラマーはアドバイスが上手だったと聞きました

賀川:私も、いくつかの例を知っています。言葉の魔術もあるでしょうね。もう一つは技術の問題です。

――というと

賀川:ゴール前へ走り込んできて、短いシュートを決めるとき、インサイドキックが多いはずですが、このインサイドキックが「曲者」です。前半1-0となったあと、30分を過ぎた頃に右からのグラウンダーのクロスを香川が右ポストの外1mほどのゴールエリアにいて、左足のインサイドに当てて右ポスト(ニアポスト)の右外に外しました。そしてその後で、今度は左サイドから武藤がドリブルで走り込んできて出したグラウンダーのパスを右足のインサイドで、相手ゴールキーパーの方へ流してしまいました。自分の前のゴールはガラ空きだったのに…

――彼の右足のインサイドキックのパスのうまさを見た者には信じられない光景でした。

賀川:だから心の問題だとも言えますが、私はその時の体勢ではインサイドキックが良かったのか、インステップキックの方が良かったのを考えてみては…と思っています。ゴール前に走り込んできたとき、サイドキックは案外難しく、インステップキックの方がずっとやさしい場合があります。これについては、選手が自分で考えるべきですが、サッカー好きで議論してもらってもよいと思います。

――この点は自信をお持ちのようですが、その議論はまた後に聞かせてもらいます。カンボジア戦の香川は?

賀川:香川は2度のチャンスを失敗したが、それでも1ゴールしました。後半途中から監督さんは彼を左サイドに回しました。彼はトップ下も上手ですが、この日は左サイドの武藤が早くから中へ入ってくるため、左サイドの外のスペースを使うことが少なかったのです。香川が左へ回ったことで、長友も縦に動くようになりました。攻撃の幅が広がったことでチャンスは増えました。

――3点目の香川のシュートは右足インサイドキックでした。これについては?

賀川:エリア内の正面で岡崎が反転シュートし、それが相手側に当たってリバウンドした。入り込んでいた長友と、もう一人(武藤だったか)が相手DF一人とリバウンドボールを奪い合い、そのボールが香川の前に来た。十分な余裕があって、しかも自分の前にあるボールです。彼はインサイドキックで右ポストギリギリに決めました。

――相手はいつも5人のDFがエリア内にいました。時には双方で10人以上が狭いペナルティエリア内で攻め、守るという場面もあり、スペースは極めて狭いのですが、香川のこのシュートの瞬間は僅かな時間と空間がありました

賀川:彼もそのタイミングを逃さなかったということです。カンボジアの若者が疲れても粘り強いプレーを続けたのは立派でした。

――やはりサッカーは面白いものですね。再出発の代表のテヘランでのプレーに期待しましょう

固定リンク | 日本代表 | コメント (0) | トラックバック (0)


【お知らせ】講演会のご案内

2015/09/04(金)

9月26日に神戸市立中央図書館にてトークイベントを開催することになりましたので、ご案内いたします。

以下は主催者からの案内です。

神戸市は日本のサッカー発祥地のひとつであり、女子サッカーについても全国に先駆け ゲームが行われた都市。今年の女子サッカーワールドカップでも INAC神戸に所属する選手が活躍しました。 澤選手とも親交があり、女子サッカーにも深く関わってこられた賀川浩氏に、女子サッカーの歴史や観戦ポイントのほか、女子ワールドカップを振返って語っていただきます。 また、聞き手にはNHK神戸放送局「ニュース KOBE 発」キャスターの田代純氏をお招きしました。


◆開催日時・会場

日 時:平成 27 年 9 月 26 日(土) 15:00~17:00

会 場:神戸市立中央図書館 2 号館 3 階 閲覧室(2)

◆定員・申込み

定 員:80名(先着順に事前受付け)

申込み:参加申込書(切取り線の下)に記入して、市立図書館窓口へお出しください。

※FAX での申込みも受付けます。 078-371-5046 まで

◆主催等

主 催:特定非営利活動法人 神戸アスリートタウンクラブ

協 力:神戸市立中央図書館 (問合せは、利用サービス課まで 078-371-3351)

Kagawa20150926


固定リンク | お知らせ | コメント (0) | トラックバック (0)


« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »