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ボランティアの代表たちがボールを手に舞台を降りると、アブドさんが、ここまでで投票を締め切りましたと言い、バロンドール候補2人目のリオネル・メッシの名を告げた。彼が舞台に上がると、映像がうつる。メッシは2009年から4年連続してFIFAバロンドールに選ばれている。クリスチアーノ・ロナウドは2008年と昨年の2度。
アブドさんとメッシのやりとりが終わり、ブラジルワールドカップの映像がしばらく皆の楽しみとなった。最後にドイツ対アルゼンチンの決勝となりゲッツェの決勝ゴールでは、右サイド(攻撃側からみて)からのカメラでなく、左サイドのカメラ位置からだったのが目新しく、プロデューサーの工夫と言うべきか――。
優勝チーム、ドイツのラーム主将とレーヴ監督が登壇してアブドさんの問いに答える。続いて、女子最優秀選手のノミネート3人目のワンバック選手が登場した。選手の言葉はどれも興味のあるものだが、ワンバックの、マルタのように技術のある選手は尊敬していて彼女のゴールはとても素晴らしいが、私のゴールはチームワークの賜物と強調したのは心に残った。
スイスのミュージシャンの演奏があり、今年6月カナダである女子ワールドカップの紹介が続いた。そして今年の大会でも活躍するであろうアビー・ワンバックとマルタとナディーネ・ケスラーの3人が舞台に上がり、司会者と問答したあと、クリスティアン・カランブー選手があらわれ、エボラ出血熱を防ぐ話をしたあと、プスカシュ賞の発表をした。ハメス・ロドリゲスがブラジル大会で見せた対ウルグアイ代表の反転左足ボレーシュートが受賞した。
バロンドールのノミネート3人目のマヌエル・ノイアーが登場した。すでに2014年ベストGK賞、ベストイレブン賞を受けている。彼は地味な守りのポジションで脚光を浴びるスターでもある。
そしていよいよ女子最優秀選手ということに。発表は澤穂希さん。2011年の受賞者はマイクに向かってはっきりとザ・ウィナー・イズ・ナディーネ・ケスラーと伝えた。予想していなかったというケスラーの涙ぐんでのスピーチは感動的だった。が、そのあとの映像にティエリ・アンリがあらわれたのには驚いた。バロンドールのプレゼンターになるらしい。
再び、3人のプレーを見せた後、ブラッター会長とジャン・エティエンヌ・アンリさん(ASO代表)の2人が壇にあがる。ティエリ・アンリがクリスチアーノ・ロナウドと発表し、バロンドール(黄金のボール)を渡した。
レーヴ監督が去ると司会の美人アナウンサー、アブドさんは女子の最優秀選手のノミネート2人目のマルタ(ブラジル)の名を挙げて、その映像を紹介をした。彼女の左足のボールタッチやシュートの巧みさだけでなく、右のシュートの正確さ、すばらしいドリブルが画面で見られた。
先述のロナウドのところでは省略したが、彼の映像は左、右のシュート、ヘディング、ヒールキックなど、豪快さも、小ワザも、トーもカカトも、レアルのアンチェロッティ監督のいうようにどんな形でもゴールを決める――そのプレーを見せてくれる。名選手の名場面をふんだんに見せることで、2時間に及ぶ授賞式でも(いささか疲れはするが)飽きがこないところがすごい。
マルタの映像のあとは、今度は女子の優秀選手かと予想したらフェアプレイ賞だった。今回は大会には欠かすことのできないボランティアが対象となった。ブラジルワールドカップが世界中から参加したボランティアの様子が映像で紹介され、その14000人のなかからコスタリカ、モロッコ、ブラジル、カナダとアメリカの5カ国の各一人ずつが舞台に上がった。ハンス・ファン・デ・フルトさん(アメリカ)がトロフィーを受け、5人にひとつずつのサッカーボール、なんとバロンドール候補男女6人のサイン入りが贈られた。
熱烈なファンでもあるそれぞれのボランティア・グループには何よりのプレゼントだろう。贈呈に立ち会ったFIFAのジェローム・ヴァルケ事務局長があいさつのなかで、近くチューリヒに作られるFIFAミュージアムの中でも多くのファンがすべての大会でのボランティアの功績を高く評価することでしょうと述べた。ブラジル大会では、高齢の私のためにプレスルームからスタジアムの記者席までの往復に女性のボランティアが付き添ってくれたことを思い出した。そういえば94年のアメリカ大会では、日本女性がボランティアで働いていて、アメリカのスポーツイベントでのボランティアについて語ってもらって「旅」に書き込んだことが頭をよぎった。
フットボールのオスカーとも言える華やかなバロンドールの授賞式に出席し、帰国して5日後から日本中の心を痛めるニュースとなったイスラム国を名乗る集団による後藤さん拘束は、2月に入って悲しい結末となった。こんなときに自分の楽しい思い出を綴るのも…と、書く手も鈍るが、これもサッカーの記録の一つと考え、バロンドール90歳の冬の旅を続けることにしました。
会長が壇を降りると、司会の、バロンドール候補のひとりとの声で、舞台にはクリスチアーノ・ロナウドがあらわれた。
昨年、2013年のバロンドールの受賞者としての紹介のあと、司会者との問答があり、次いで最優秀監督賞の女子の部で3人のノミネートが紹介され、ドイツのラルフ・ケラーマン監督が選ばれた。日本から佐々木則夫さんが3人のなかに入っていたが、今回はドイツ人に譲ることになった。
男子の最優秀監督は、カルロ・アンチェロッティ(レアル・マドリード)とヨアヒム・レーヴ(ドイツ代表)、ディエゴ・シメオネ(アトレティコ・マドリード)の3人のノミネートのなかから、ブラジルワールドカップ優勝のレーヴが選ばれた。私の席の横の通路を通って彼が階段に向かう時、彼の動きの早さに風が巻き起こった。大げさでなく、54歳、充実したレーヴの勢いを感じた。レーヴ監督の丁寧なお礼のスピーチを聞きながら、日本に関係の深い、ドイツ・サッカー協会(DFB)の歴代の監督に思いを巡らせた。
DFBに正式の代表チーム監督が置かれたのは1930年のオットー・ネルツ(36年まで)からで、私はベルリン・オリンピックのときに日本代表に随行した田辺五兵衛さん(故人)から、ネルツさんに会った話を聞かされた。ネルツさんの著書フスバル(ドイツ語のフットボール)は日本で慶應大学のソッカー部が創立期からテキストとして取り入れられ、浜田諭吉キャプテンを中心に自らの手で翻訳し、当時の先進校、東大、早大に追いつこうとしたことは日本サッカーの技術・戦術の歴史上で見逃すことのできないエポックだった。そのネルツさんから数えてレーヴは10人目だから84年間に10人、8年にひとりである。そして、この8人がすべてドイツ人であることを知れば、自ら、この国のサッカー人の自分たちのフスバルに対する自信が知れる。
それでいて今ブンデスリーガのトップチーム、バイエルン・ミュンヘンはバルセロナで成功したスペインのグアルディオラを迎え入れている。体格の優れたドイツ人のサッカーを丸写しはできないだろうが、ドイツ人のサッカーのやり方や哲学をわたしたちはもう少し勉強した方がいいのではないか…バロンドールの場で、男子、女子の優秀監督賞を受けるドイツをみると、改めて思ってしまう。
スピーチを終わって、慎重に舞台から降りた。
ブラッター会長が司会に促されて、再び口を開いた。英語ではなく、フランス語だった。パリの新聞社へのテロ事件についてだった。会長賞を決定した後で起こったこの事件で、改めて言論の自由の大切さを感じたこと、そして今回の会長賞がひとりのジャーナリストへのものだけでなく、FIFAがすべてのジャーナリストを大切に思っていることのあらわれであることを述べた。
この日に応接室で面談した時にも「あなたに決めてから起こったパリの事件で、あらためて言論の自由の大切さを知った」と言っていたが、それをすぐにこういう形でFIFAの考えとして語るところに、この人の発信力を見る思いがした。
フランスの事件のことだからフランス語で語ったのは当然のことだが、この人のフランス語の力は36年前に知っている。1979年のワールドユースの神戸シリーズの終わりに、当時のアベランジェFIFA会長が記者会見で話した。日本人の通訳が立ち往生してしまい、ブラッターさんが英語に訳し、それを村田忠男さん(元JFA副会長・故人)が日本語に訳して記者たちに伝え、ピンチを切り抜けたこともあった。