90歳の冬の旅 〜 プレーの映像を堪能しつつドイツの強さを思う
フットボールのオスカーとも言える華やかなバロンドールの授賞式に出席し、帰国して5日後から日本中の心を痛めるニュースとなったイスラム国を名乗る集団による後藤さん拘束は、2月に入って悲しい結末となった。こんなときに自分の楽しい思い出を綴るのも…と、書く手も鈍るが、これもサッカーの記録の一つと考え、バロンドール90歳の冬の旅を続けることにしました。
会長が壇を降りると、司会の、バロンドール候補のひとりとの声で、舞台にはクリスチアーノ・ロナウドがあらわれた。
昨年、2013年のバロンドールの受賞者としての紹介のあと、司会者との問答があり、次いで最優秀監督賞の女子の部で3人のノミネートが紹介され、ドイツのラルフ・ケラーマン監督が選ばれた。日本から佐々木則夫さんが3人のなかに入っていたが、今回はドイツ人に譲ることになった。
男子の最優秀監督は、カルロ・アンチェロッティ(レアル・マドリード)とヨアヒム・レーヴ(ドイツ代表)、ディエゴ・シメオネ(アトレティコ・マドリード)の3人のノミネートのなかから、ブラジルワールドカップ優勝のレーヴが選ばれた。私の席の横の通路を通って彼が階段に向かう時、彼の動きの早さに風が巻き起こった。大げさでなく、54歳、充実したレーヴの勢いを感じた。レーヴ監督の丁寧なお礼のスピーチを聞きながら、日本に関係の深い、ドイツ・サッカー協会(DFB)の歴代の監督に思いを巡らせた。
DFBに正式の代表チーム監督が置かれたのは1930年のオットー・ネルツ(36年まで)からで、私はベルリン・オリンピックのときに日本代表に随行した田辺五兵衛さん(故人)から、ネルツさんに会った話を聞かされた。ネルツさんの著書フスバル(ドイツ語のフットボール)は日本で慶應大学のソッカー部が創立期からテキストとして取り入れられ、浜田諭吉キャプテンを中心に自らの手で翻訳し、当時の先進校、東大、早大に追いつこうとしたことは日本サッカーの技術・戦術の歴史上で見逃すことのできないエポックだった。そのネルツさんから数えてレーヴは10人目だから84年間に10人、8年にひとりである。そして、この8人がすべてドイツ人であることを知れば、自ら、この国のサッカー人の自分たちのフスバルに対する自信が知れる。
それでいて今ブンデスリーガのトップチーム、バイエルン・ミュンヘンはバルセロナで成功したスペインのグアルディオラを迎え入れている。体格の優れたドイツ人のサッカーを丸写しはできないだろうが、ドイツ人のサッカーのやり方や哲学をわたしたちはもう少し勉強した方がいいのではないか…バロンドールの場で、男子、女子の優秀監督賞を受けるドイツをみると、改めて思ってしまう。
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