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90歳の冬の旅 〜 エミレーツ機中での夢想

2015/01/14(水)

今、1月14日11時、ミュンヘン空港にいます。

1月10日に関空を発ち、中東のドバイ経由で11日の昼にチューリヒに着き、そこから12日のFIFAバロンドールの授賞式に出席し、13日に畏友のデットマール・クラマーを訪問。その後は、ミュンヘンに泊まり、14日ミュンヘン発のエミレーツ航空で関空に向かう、その予定の最後の部分で、搭乗前の時間を利用して、この稿を書いています。冬の旅の書きはじめは、たしか往路のドバイまででした。そのドバイからチューリヒまでも、誠に快適な飛行で、座席の前のテレビで航路の表示を眺めて、ひとりで悦に入っていました。

ドバイ空港は初めてだったが、石油の国の豊かさだけでなく、現代の航空路での欧州とアジア、アフリカの中継地としてのこの空港のスケールを改めて知りました。トルコのイスタンブールを右下に(といっても、雲の下で何も見えませんが)、ソフィアの上空を経て、チューリヒに向かう機中で、74年のワールドカップを初めて見て以来、いつかはイスタンブールでボスポラス海峡を見下ろすどこかで、トルココーヒーを飲みながらヨーロッパとアジア、そしてヨーロッパとアジアのサッカーを語り合いたいと思っていたのだが、ついに果たすことなく90歳を迎えたことを思いました。今の仲間となった本多克己さんの弟の彰さん(神戸高校サッカー部だから私の後輩になる)がボスポラス海峡のトンネル工事の設計にかかわったという人の縁も、不思議なもの。

ソフィア上空ではサッカー狂の仲間たちとドナウ河を東から船で旅し、ドナウ流域のサッカーのクラブや国際試合を味わい、さらにライン河を今度は下って、ドイツ、フランス、オランダなどのフットボールを眺めるという旅を夢想したことを思い出していた。

それは、1960年にクラマーがやってきて、ハンガリーのサッカーを語ったとき、ウィーンのワルツのようなドナウのサッカーという彼の言葉の魔術に打たれたからでもあった。その願望がワールドカップだけでなく、ヨーロッパ選手権への連続取材になったのかもしれない。

そんな、ぼくの夢想に魅かれて若い人たちがサッカー記者に憧れた、とは大記者・大住良之の言い分だが…

11日にチューリヒに着くと、そんな追憶は消し飛んで、FIFAのスケジュールに組み込まれてしまった。ここからはブラッター会長の客として、会長秘書のエドワード・ブラウンというイギリス生まれのスタッフが組んでくれた予定にあわせて、ひとつひとつの授賞式の準備、リハーサルをこなし、翌日の12日朝にブラッター会長との久しぶりのミーティングが待っていた。

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