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90歳の冬の旅 〜 ブラッター会長との再会

2015/01/16(金)

2015年1月11日から15日までのチューリヒゆきの短い旅を90歳の冬の旅として書いている。往路の途中に書きはじめたが、さすがにチューリヒでの行事の間には時間がなく、2本目以降は帰路の途中や空港で、それも原稿用紙でなく、小さなメモ用紙に記し、それを本多さんがPCに打ち込んでくれている。

この稿は帰路のドバイ〜関空の機内で、一眠りしたあと書きはじめた。目を覚ましてすぐ、というわけでなかったのは、例によって座席前のカメラの航路図、インドの南部を経て、ミャンマーを通り、中国南部を飛ぶことを知って、窓を小さく開け(睡眠中の旅客を邪魔しないように)大地をながめていたからだった。往路と違って雲がなく、インドや中国の大地を高空から見たのは、それこそ90年の人生で初めて。すっかり興奮したものだ。

さて、11日、FIFA会長秘書のブラウン氏とともに、指定のスケジュールに従い、コングレスホール(Kongresshaus)でのリハーサルやビデオ撮りなどをこなし、夜はカイ・サワベさん、根本いづみさんたちとにぎやかに食事をして、ホテルでベッドについた。Baur au Lacはチューリヒ湖畔にある格式のあるホテル。久しぶりでヨーロッパの気分を思い出し、味わう滞在となった。

1月12日の式典の当日は午前中に時間があるので、FCチューリヒのクラブ事務所を訪問することになる。私にはスイスのクラブと言えば、グラスホッパーの名が親しい。1936年のベルリンオリンピック代表が大会後にここで試合し、初のナイター、照明下の試合を経験した。1964年の日本代表は欧州での試合のしめくくりで戦い快勝。現地の新聞は日本代表の方が現代的なサッカーをしたと讃辞、長沼健監督以下、チーム全員が東京オリンピックへの自身を深めた。

FCチューリヒの事務所はスタジアムとは別に市内にあって、ガラス張りの明るく広い部屋でゆったりと仕事をしていた。人口の少ないこの地で2万人の観客が来るというからたいしたものだ。スイスリーグは世界各国から選手が来るようになってレベルアップ。欧州のトップクラブを目指す若者たちにはここでいいプレーを見せることが将来を開く道になる。スイス代表はワールドカップでもなかなかのものだが、その基盤となるリーグの各クラブもしっかりしているのだろう。クラブの歴史を記した一冊を賀川文庫へ頂戴したが、その立派なこと。JFAの出した75周年史に匹敵する大きさと重さで、ここでも歴史を重んじるヨーロッパを見た。

Zurich_2

12時すぎからHOME OF FIFAでブラッター会長にお目にかかる。会長応接室で待つ間に4人にもブラウン氏にも緊張が漂ったが、部屋に入ってきたブラッターさんは昔からの気さくな調子。

「ミスターカガワに会長賞を贈ることが出来るのは、とても光栄なことだ」

と言われると、「まことに有り難いこと」と言うほかない。

私がブラッター会長に初めて会ったのは、1979年の第2回ワールドユース大会が日本で開催されたとき。この人がFIFA職員で、大会の責任者として来日したからだ。その古い話に及ぶと、例によって驚くべき記憶力を発揮し、この大会を仕掛けた電通の担当者の名前までひっぱりだしていた。

楽しい時間はあっという間に過ぎて、授賞式で会いましょうと別れ、HOME OF FIFAを見学。ホテルで休息の後、いよいよ本番のコングレスハウスへ。

Blatter_2

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コメント

以前FIFAハウスに行ったときにブラッターさんを目の前で見ましたが、言葉の魔術師らしく、いつもの口調で受付の女性陣に話かけていました。

投稿: 烏球亭 | 2015年1月20日 (火) 22時07分

賀川様。受賞おめでとうございます。益々のご活躍を祈念いたしております。

投稿: 富永 | 2015年1月17日 (土) 07時33分

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