――90歳のお誕生日おめでとうございます。
賀川:とうとう90歳になりましたよ。
――ことし1年は特に忙しかったでしょう
賀川:4月末に私の図書資料を神戸市の大倉山にある神戸市中央図書館の一室に置いて、神戸賀川サッカー文庫を開設しました。6月にはブラジルワールドカップにも出かけました。9月には東邦出版社から著作を出版してもらいました。
――「90歳の昔話ではない 古今東西サッカークロニクル」という題でしたね。89歳、つまり90歳近くになって、ブラジルへゆき、図書館で賀川文庫を開設したことで、関西ではどの新聞でも賀川さんのことを取り上げ、大きく報道しました。ワールドカップ取材では、現地でFIFAのインタビューを受け、FIFAドットコムで多くの人に読まれ、評判になりましたね。そのニュースを受けて、帰国後もテレビなどのインタビューも多かったし、トークイベントなどにも出たから、ずいぶん忙しかったでしょう。
12月になって、FIFAの会長賞受賞というすごい賞の話も出ました。
賀川:そうですね。89歳から90歳への1年はちょっと人騒がせな1年だったかもしれません。しかしワールドカップ取材は1974年以来、私が続けてきたこと。(2010年は体調不良で行けなかった)です。また賀川文庫の開設は、70歳頃からの計画で、それが1995年の震災で「それ用」に借りた部屋が被害を受けてストップし、今度20年越しのプランが別の形になったものです。いまのところ、図書館ですから図書資料の閲覧程度ですが、ゆくゆくは月に2回くらいサッカー人とサッカーを語り合う楽しい場を持つようにしたいと考えています。
――サッカーを語り合う場ですね
賀川:私は幸いなことに旧制神戸一中のころから、すばらしい先輩や仲間とずっとサッカーを語り、語られてきました。当時の日本は海外の文献も少なく、ましてテレビの動画で外国の優れたプレーヤーを見るチャンスはなかったのですが、先輩たちや仲間たちとのサッカー談義で互いの考えをぶっつけ、プレーのひとつひとつ、試合の場面を追求したので、はじめてヨーロッパからやってきたチームを見た時にも技術や戦術で、それほど驚くことはなかったように思います。
――スポーツをする楽しみ、見る楽しみ、読む楽しみ、語る楽しみがあると、いつも言っていますね
賀川:自分でプレーをし、試合を見ました。いまはテレビがあるので「見る」はさらにチャンスが増えました。スポーツ記者になり、スポーツ新聞の編集局長を10年ばかり務めて、読む楽しみの提供側にもなりました。これから後しばらくは「語り合う」楽しみを皆さんと味わいたいと思います。1950年~70年代にかけて、私は大先輩の大谷四郎さん(朝日新聞)、同世代の岩谷俊夫(毎日新聞)の2人の新聞記者とベルリンオリンピック(1936年)の日本代表ストライカーの川本泰三さん(第1回日本サッカー殿堂入り)たちと様々な話をしました。雑誌上にもその対談、鼎談を連載したこともありますが、一番早く若いうちに亡くなった岩谷俊夫が「ぼくらがこうして語り合っている話を若い人に伝えたい」とよく語っていたことを思い出します。まあ、活字に残っている分は神戸市中央図書館の文庫にありますが、若い世代の話し合いのなかに年寄りも寄せてもらえば、案外楽しいサッカー問答や、サッカー談義になるかもしれません。
――サッカーだけでなく、賀川さんが長い人生で経験してきたことも、私たちの世代には聞くべきことも多いはずです
賀川:そういえば、デットマール・クラマーと私の間ではよく軍隊時代の話が出ましたよ。長沼健さんたちは、ちょっと年齢が離れていて、あまり聞いていなかったらしいが…
――1月に入るとチューリヒ行で忙しくなるでしょう。サッカー談義の場、かつて計画した賀川カフェのようなものが早く形になるといいですね。
固定リンク | お知らせ | コメント (1) | トラックバック (0)