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2014年12月

忙しい2014年の終わりに12月29日、90歳になりました

2014/12/30(火)

――90歳のお誕生日おめでとうございます。

賀川:とうとう90歳になりましたよ。

――ことし1年は特に忙しかったでしょう

賀川:4月末に私の図書資料を神戸市の大倉山にある神戸市中央図書館の一室に置いて、神戸賀川サッカー文庫を開設しました。6月にはブラジルワールドカップにも出かけました。9月には東邦出版社から著作を出版してもらいました。

――「90歳の昔話ではない 古今東西サッカークロニクル」という題でしたね。89歳、つまり90歳近くになって、ブラジルへゆき、図書館で賀川文庫を開設したことで、関西ではどの新聞でも賀川さんのことを取り上げ、大きく報道しました。ワールドカップ取材では、現地でFIFAのインタビューを受け、FIFAドットコムで多くの人に読まれ、評判になりましたね。そのニュースを受けて、帰国後もテレビなどのインタビューも多かったし、トークイベントなどにも出たから、ずいぶん忙しかったでしょう。

12月になって、FIFAの会長賞受賞というすごい賞の話も出ました。

賀川:そうですね。89歳から90歳への1年はちょっと人騒がせな1年だったかもしれません。しかしワールドカップ取材は1974年以来、私が続けてきたこと。(2010年は体調不良で行けなかった)です。また賀川文庫の開設は、70歳頃からの計画で、それが1995年の震災で「それ用」に借りた部屋が被害を受けてストップし、今度20年越しのプランが別の形になったものです。いまのところ、図書館ですから図書資料の閲覧程度ですが、ゆくゆくは月に2回くらいサッカー人とサッカーを語り合う楽しい場を持つようにしたいと考えています。

――サッカーを語り合う場ですね

賀川:私は幸いなことに旧制神戸一中のころから、すばらしい先輩や仲間とずっとサッカーを語り、語られてきました。当時の日本は海外の文献も少なく、ましてテレビの動画で外国の優れたプレーヤーを見るチャンスはなかったのですが、先輩たちや仲間たちとのサッカー談義で互いの考えをぶっつけ、プレーのひとつひとつ、試合の場面を追求したので、はじめてヨーロッパからやってきたチームを見た時にも技術や戦術で、それほど驚くことはなかったように思います。

――スポーツをする楽しみ、見る楽しみ、読む楽しみ、語る楽しみがあると、いつも言っていますね

賀川:自分でプレーをし、試合を見ました。いまはテレビがあるので「見る」はさらにチャンスが増えました。スポーツ記者になり、スポーツ新聞の編集局長を10年ばかり務めて、読む楽しみの提供側にもなりました。これから後しばらくは「語り合う」楽しみを皆さんと味わいたいと思います。1950年~70年代にかけて、私は大先輩の大谷四郎さん(朝日新聞)、同世代の岩谷俊夫(毎日新聞)の2人の新聞記者とベルリンオリンピック(1936年)の日本代表ストライカーの川本泰三さん(第1回日本サッカー殿堂入り)たちと様々な話をしました。雑誌上にもその対談、鼎談を連載したこともありますが、一番早く若いうちに亡くなった岩谷俊夫が「ぼくらがこうして語り合っている話を若い人に伝えたい」とよく語っていたことを思い出します。まあ、活字に残っている分は神戸市中央図書館の文庫にありますが、若い世代の話し合いのなかに年寄りも寄せてもらえば、案外楽しいサッカー問答や、サッカー談義になるかもしれません。

――サッカーだけでなく、賀川さんが長い人生で経験してきたことも、私たちの世代には聞くべきことも多いはずです

賀川:そういえば、デットマール・クラマーと私の間ではよく軍隊時代の話が出ましたよ。長沼健さんたちは、ちょっと年齢が離れていて、あまり聞いていなかったらしいが…

――1月に入るとチューリヒ行で忙しくなるでしょう。サッカー談義の場、かつて計画した賀川カフェのようなものが早く形になるといいですね。

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師走のサプライズ FIFA会長賞

2014/12/26(金)

FIFA(国際サッカー連盟)のヨーゼフ・S・ブラッター会長からメールが届き、「FIFA会長賞を贈ることになった。2015年1月12日、チューリッヒに来てほしい。その日のバロンドール表彰式のときにあなたの表彰をしたい」とあった。

バロンドールはFIFAがその年の年間最優秀選手、最優秀監督、最優秀チームを表彰するもので、最優秀選手の候補は今年はドイツ代表のゴールキーパー、マヌエル・ノイアー(バイエルン・ミュンヘン)とあのストライカーのクリスチアーノ・ロナウド(レアル・マドリード)、リオネル・メッシ(FCバルセロナ)の3人にしぼられていて当日発表されるハズである。

メールを一読してまず驚いた。「エッなんでボクが・・・」長年サッカーを書いていてきた。FIFAの主催するワールドカップについてもずいぶんな量の記事を書いたし、その内容には多少の自負もないではない。しかし、すべて日本語の文章で、国際的に知られているわけではない。そんな私がなぜ?

もう一度メールを読みなおす。斜め読みでは真意をつかめなかったのが、徐々に理解でき、ブラッターさんの真意が伝わってきた。書き出しは今年(2014年)7月のFIFAドットコムを読んだ感想からだった。セルジオ越後の強い誘いでブラジルのワールドカップに出かけた。そのとき89歳6か月というボクの年齢を知って、大会に来た世界のメディアの最年長だというので、FIFAドットコムが取材をし、それをインターネットで紹介した。現地でも評判になったが、ブラッター会長も私と何度か会ったことを思い出した――という個人的な感慨からはじまり、表彰の理由を簡潔にしかもゆきとどいた言葉で伝えていた。そしてワールドカップの興奮を日本の読者に伝え、あるいは技術的、戦術的な観点からも分析しつづけただけでなく、多くの日本の若者がこのゲームを志向し、グローバルなフットボールファミリーに加わってゆくようにしたと評価した。そして生涯のフットボールへの奉仕と日本サッカーの驚異的な発展への貢献に対して会長賞(PRESIDENTAL AWARD 2014)を贈りたいとあった。

日本サッカーへの貢献ということならば、私の古くからのサッカー仲間である長沼健さん(故人、第8代JFA会長)、岡野俊一郎さん(第9代会長)、川淵三郎さん(第10代会長)、小倉純二さん(第11代会長)、そして大仁邦彌(現会長)たち優れたリーダーや、それをサポートした多くのサッカー人の力に比べれば、好きなサッカーを見て好きな記事を書いていただけの私は、いわばヤジ馬的応援団にすぎないのだが、ブラッターさんが日本サッカーの急速な発展を世界的視野からも高く評価していて、それのどこかに役立ったということを受賞理由にしてくれたのだろうと考えた。

FIFAへの返事は「とても驚いたが、大きな喜びだった。なにより会長の心のこもった便りがうれしかった。1月12日に出席させて頂きます」とした。返事は出したものの、どこかにまだ、ボクでいいのかナ――すごい先輩記者たち、あるいは優秀な若い仲間たちに後ろめたい気もしないではない。

90歳になっても、スイスへ旅行できそうな体でいられることはうれしいが反面、老齢にかまけて日々気楽な生活をしている我が身から晴れがましい式典での正装を想像すると、いささか心細くもある。神戸市中央図書館の賀川サッカー文庫のボランティア仲間たちは
「メッシやロナウドに会えるだけでもいいじゃないですか」というのだが・・・

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