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2014年7月

2014ブラジルワールドカップ決勝

2014/07/20(日)

——FIFAワールドカップ2014ブラジル大会の決勝(7月13日・リオデジャネイロ)でドイツがアルゼンチンを延長で1−0で破りました。すごい試合でした

賀川:ドイツの優勝は54年、74年、90年に続き今度が4回目です。1954年は日本がはじめてワールドカップに目を向けて、初のアジア予選・日韓戦が行われて、日本にも記念すべき大会でした。

——それから60年ですね。3度の優勝はご覧になった

賀川:まさか。1954年は記者にはなっていて、ワールドカップの取材案内をFIFAからではなく航空会社から受け取ったと記憶しています。日本に勝って大会に参加し、ハンガリーやトルコに敗れた韓国の監督さんからその後にいろいろ話を聞きましたが…

当時の東アジアのレベルのはるか上の個人技術をハンガリーが示したし、体力の面でも大きな差があったそうです。

——FIFAのサイトに掲載された賀川さんの記事で、74年の決勝で現代サッカーのさきがけのプレッシング・フットボール、またの名をトータル・フットボールの決勝を見たとあります

賀川:クライフのオランダ代表とベッケンバウアーの西ドイツ、勝負は西ドイツが勝ったが、当時の最高レベル、最も新しいサッカーを見せてもらいました。

——そういえば、ドイツの優勝は54年、74年、90年とほぼ20年ごとですね。94年ではなく90年だったが…

賀川:今度の決勝は生でなく自宅のテレビ観戦だったが、ブラジルへは日本の試合などを取材に出かけ、短期間ながら現地の空気も感じたので、マラカナンの決勝も身近なものと見ましたよ。

——予想ではドイツを推す人が多かったが

賀川:いつの大会でも上位まで出てくるドイツサッカーの底力、体調管理や故障回復などといった医科学の面も含めて、ナンバーワンと言われているところです。今度はレーブ監督が2回目で、彼は2006年のドイツ大会(3位)の時にクリンスマン監督の下でコーチをつとめていて、2010年(3位)と今度、連続して監督です。

——コーチ時代から言うと3回目、経験も十分あると言うわけ

賀川:ドイツのサッカー、代表監督の話をすると、また長くなるから試合そのものに移りましょう。小柄なレーブ監督はクリンスマンほどの有名ストライカーではなかったが、選手時代はやはりユース代表のFWで、点取り屋だったと聞いていたので今度のドイツ代表のプレーにはこれまでと違った期待もしていた。

——ブラジルに大勝して、一気に評判を高めたドイツだが、決勝そのものは大接戦。リオネル・メッシが何度かチャンスを作り、あわやという場面もあった。

賀川:アルゼンチンの守りのうまさ、特に1対1での一人一人の粘りと対敵動作での狡猾さは伝統的なものだが、このチームはチーム全体がしっかり守るという意識がはっきりしていたから、これまでの代表の中でも固く巧みな守りだった。危険地域をカバーし、相手のシュートやパスの最後のところで足をいっぱい伸ばしてそれを食い止めるシーンはテレビのクローズアップでも何度もご覧になったでしょう。準決勝の相手オランダのロッベンのポスト近くからのクロスをマスチェラーノが右足を伸ばしてCKにした場面は多くの人に感銘を与えた。あの時間帯であれだけ足をいっぱいに伸ばせば足がつるのですが、そうした目一杯のプレーをアルゼンチンの選手はマスチェラーノだけでなく、多くの選手が演じたのです。

――その組織的で個人的にも強い守りを崩すにはドイツには時間が必要だった?

賀川:そう。守っていてボールがメッシに渡るとチャンスにすることができるアルゼンチンはドイツにとってもやっかいな相手です。今度のドイツ代表は中盤から速い攻めを仕掛けた時にチャンスになることが多いのだが、アルゼンチンはドイツのボールの時は早い後退で厚い守りをするので、ドイツ側は相手の防御網の前でボールをまわしつつ、シュートチャンスを狙うことになる。

――中盤から勢いに乗った攻めでブラジルの守りを粉砕したが、アルゼンチンはそうはいかない

賀川:昔から私はこう言ってきた「ドイツ代表選手は走り出せば戦車だが、立っていると電柱と同じだ」とね。

――天下のドイツ代表に対していささか失礼?

賀川:私はドイツサッカーを尊敬しています。デットマール・クラマーという「真の友人(彼は私のことをトゥルー・フレンドと言う。そのいきさつはまた別の機会に)」もいるし、日本サッカーが多くを学んだ国でもあります。それでもそういう大きな選手のプレーの特徴もあるのです。ドイツがその「動き」の大きさをどこで出し始めるかが、この試合の行方にかかわると見ていました。

――延長に入った頃にはアルゼンチンは疲れはじめていました

賀川:ドイツ代表も疲れてはいたが、まだ走ろうという意欲があった。

――互いにピンチを切り抜けた後、延長後半にドイツのゴールが生まれました

賀川:テレビの画面で延長の前にキャプテンがもう一度コイントスでエンドを決めたとき、メッシが少し疲れた様子を見せたのをとても面白く感じました。ラームの方は疲れた様子は見せなかった。

――ふーむ

賀川:延長に入ってアルゼンチンの足が止まり、ドイツが走って攻め込んだ。ただしメッシの一発攻撃があるから、用心しながらだった。

――延長に入る前にドイツはクローゼに代えてゲッツェを投入しました

賀川:延長前半にアルゼンチンの左からの高いボールのクロスをドイツのDFが目測を誤ってヘディングできずノーマークでアルゼンチン側に渡った。

――ドイツのDFフンメルスがいゆる「かぶった」のをパラシオ(イグアインと交代)がその後ろで胸に当てエリア内に落としてシュートしようとした。GKノイアーが前進したので、その上を抜こうとしてパラシオはボレーで蹴ったが、ボールはゴールの左ポスト外へ落ちた。

賀川:ドイツ側のベンチもサポーターもヒヤリとしただろう。ノイアーが前から近づいたのがベテランのパラシオにも圧迫感を与えたのかもしれない。フンメルスがジャンプの目測を誤るなんて、ちょっと考えられないミスだった。

――ドイツDFに疲れが重なればメッシのドリブルも生きてきますからね

賀川:メッシも、かつてのマラドーナも同じようにドリブル突破のチャンスを見抜く目がすごい。マラドーナは90分のなかで、ある時間帯になると相手のDFの足の伸び方が小さくなるのを感じているのか、と思うほど仕掛ければ必ずドリブル突破は成功する「いま」をつかんでいた。メッシもこの大会で終了直前にドリブルからゴールチャンスを生んでいるでしょ。こういう天才たちには自分のドリブルの「いま」をつかむ能力があるのかなと思っていた。だからドイツDFの疲れが見えたとき、危ないかなとも思ったが…

――延長後半に決勝ゴールが生まれました

賀川:3分にヘディングの競り合いでシュバインスタイガーが顔から出血して場外へ。そのFKからの競り合いの空中戦で、今度はミュラーが衝突して頭をおさえるという激しい競り合いがあったが、ボールをキープしたドイツはシュバインスタイガーの治療がすむまで自陣でキープするという慎重ぶりだった。そして7分、彼が戻るとともに攻撃を開始した。

――パスを回して、ひと休みした後の左からの攻めは、すごいスピードだった。ハーフウェイラインを越えて15メートル左タッチ寄りでボールを受けたシュルレがドリブルした

賀川:前方、左タッチライン沿いにゲッツェがいたが、シュルレはまっすぐドリブル、ゲッツェは内へ動き、それに牽制されてDFの詰めが遅れる。2人のアルゼンチン選手の間から、シュルレの短いクロスがフワリという感じでペナルティエリア内へ飛ぶ。ボールはCDFデミチェリスの上を越え、ゴールエリア左外角の手前でゲッツェがジャンプして胸でトラップでとらえ、落下するボールを見事に左足で叩いてGKロメロの右を抜いた。

――スロービデオのおかげで、ゲッツェのトラッピングからシュートの動作が堪能できますが、歴史に残るシュートですね

賀川:左サイドでボールを受けたシュルレは速いプレーヤーだが、この時もスピードがありアルゼンチン側は2人が引きつけられ、3人目も中途半端なポジションとなってゲッツェはノーマークで止めてシュートできた。ボールは右ポスト近くに飛び込み、サイドネットを揺さぶった。

――走れば戦車というドイツの速いドリブルと伝統的なタフさがチャンスを作り、新しいタイプの小柄なゲッツェのテクニックが結びつきましたね

賀川:バイエルン・ミュンヘンが同じブンデスリーガのドルトムントからゲッツェを獲得したときに注目されたが、いわば「ボールを止めることを苦にしない」という天性のボールプレーヤーのひとり。ドイツにはこういう天性のボールプレーヤーがこれまでもあらわれたけれど、バルセロナのようにこういう素材を伸ばすことがサッカー向上の本筋ということに注目するようになったのは、最近のこと(クラマーは年来そう唱えていた)。

――体が小さくて、上手ではあるが、今度の大会のようにぶつかり合いの多い試合では力を発揮するかどうか疑問視されていた

賀川:そういうタイプのプレーヤーが土壇場で生きた。あの局面で彼だから正確に胸で止め、ボレーシュートしたのだと言える。

――歴史を感じますね

賀川:そう。1954年に当時の世界のトップにあるハンガリーを破った西ドイツ代表には最高のボールプレーヤーと言われたフリッツ・ワルター主将がいて、彼のパスでチャンスを作った。74年の優勝の時の主将、フランツ・ベッケンバウアーは私の言う「ボールを止めることに気を使わない」天性のボールタッチ能力のある選手だった。若い頃はFWで1シーズンに100ゴールしたという彼がリベロとなって、守りを統率しつつ効果的なパスを出した。

90年の優勝はローター・マテウス主将のキャラクターから技術よりも(実際は技術も高かったが)体力、組織力が評価され、それ以降しばらくドイツのサッカーは低迷した。やがてバイエルン・ミュンヘンを中心にブンデスリーガの充実が進み、いまやこのリーグは欧州最高のひとつとなり、バイエルン・ミュンヘンは欧州のトップを常に争うまでになった。そういう状況のなかでバルセロナの監督だったグアルディオラを監督に迎えたバイエルン・ミュンヘンに、ドイツのサッカーの進歩への情熱が現れている。

――それが、今回の優勝にもつながった

賀川:それにしても、王国ブラジルでの2度目のワールドカップはすばらしい大会になった。ブラジルやスペインの大敗についても、私自身いろいろ勉強になった。また、日本サッカーの今後を考えるためにも、この大会の多くの試合はとてもいい勉強になると思う。

――行ったかいがありましたね

賀川:いずれいろいろお話できると思っていますが、とりあえず、ドイツの皆さん優勝おめでとう。ブラジルの皆さん、勝敗はともかく、ブラジルはこの大きな大会で広大な国土を世界に見せようとしたすばらしい企てを立派に成功したとお祝いを申し上げたい。私自身もブラジルについて、また知識が増え、この国の魅力をさらに深く感じたのです。

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