« 2014年2月 | トップページ | 2014年5月 »

2014年4月

神戸賀川サッカー文庫開設にあたり

2014/04/15(火)

神戸市大倉山の中央図書館の一室に「神戸賀川サッカー文庫」を開設することになり、4月20日にその開所式を行う運びになりました。1995年の阪神大震災で資料室兼仕事場が倒壊し、図書・資料に囲まれて仲間とサッカーを語り合うルームを持ちたいとの望みが潰えてから20年、今年2014年の90歳になろうという年の春に、サッカー人生の新しい局面が開けるとは、誠にありがたいこと。ご尽力いただいた皆様に心からお礼を申し上げます。

プライベートなコレクションでは、神戸FCの田辺文庫―私たちの大先輩・田辺五兵衛さんの収集による―が有名です。私は田辺さんのようなコレクターではなく、原稿を書くため、サッカーを考えるための資料が積み重なったのにすぎません。それでも9回のワールドカップ、6回のヨーロッパ選手権をはじめ、海外・国内の取材の時に求めたもの、あるいは読みたいために集めた書物、大会公式のパンフレットなどは相当な数となりました。なかには世界に一つという珍しいものもあり、世界で最も盛んなスポーツ、サッカーの探索を志す人たちのご参考になるだろうと思っています。

少年期から大倉山の名で親しんできた神戸市の知の泉というべき中央図書館の小さな一室が、世界と日本と関西と神戸のサッカー好きの人たち、スポーツ史に足を踏み入れようという人たちの新しい交流の場になってほしいと願っています。

10172624_692155057513197_6399328107

(写真は書籍整理でご尽力いただいたボランティアの皆様)

固定リンク | お知らせ | コメント (4) | トラックバック (0)


サロン2002の公開シンポジウムでスポーツクラブの法人化を語る

2014/04/09(水)

――東京ではフットサルの大会だけでなく、「サロン2002」の公開シンポジウムで話をしてきたとか

賀川:サロン2002というスポーツ仲間の集まりのクラブが法人化を考えようということで、シンポジウムを開催し、そこで神戸FCの経緯を少し話しました。

――神戸FCは1970年に社団法人になりました。JFA(日本サッカー協会)の法人化よりも数年早い。いわば日本での最初の法人格市民スポーツクラブと言えます

賀川:まあ、その時の様子や経験をサロン2002の会員の皆さんにお話ししました。加藤正信ドクター(故人)というすばらしい推進者のおかげでできたのですが、法人化というのは、それまで任意団体であったスポーツクラブが社会のなかで一つの組織として認められる、いわば一本立ちすることになります。組織をつくり、公的なルールのもとで運営していくことになるので、いわば加藤ドクターのような偉大なリーダーがいなくなっても会員の力、あるいは会員が選ぶ専従の事務局スタッフの努力などで運営を続け存続してゆけるということになります。

神戸FCは法人化以後44年、半世紀近くたっていて、その間に阪神大震災やJリーグのスタート、つまりプロ化があり、社会全体でもサッカー界でも大変動を経験しながら、現在も各年代の会員たちがサッカーを楽しんでいます。女子ももちろん、設立当初から織り込んで、未就学つまり小学生より下の年代層もひとつのカテゴリーに入ります。

――そんな話はこのブログでもっと聞かせてください

賀川:このシンポジウムでは、東京のラグビースクールをはじめ、とても興味ある講演もありました。それらついては、また別の機会にお話ししましょう。

――サロン2002は賀川さんの仲間、本多克己さんも代表の中塚義実さんとともに中心メンバーとして仕事をしているようですね

賀川:中塚さんは東京の筑波大学附属高校の先生ですが、サロン2002という集まりを主催しているだけでなく、サッカー界でとても幅広い仕事をしている人です。こういう、本業とは別にボランティアで超人的働きをしてきた人たちのおかげで日本のサッカーがマイナースポーツから、いま野球と並ぶビッグスポーツになってきたといえます。もちろんJFA(日本サッカー協会)のすばらしい働きがあってのことですが、協会とは別にかつての加藤ドクターや、今の中塚先生といったたくさんのボランティアの功績を否定できる人はいないでしょう。その中塚先生の個人力でもってきたサロン2002が法人化によってどのように変わっていくのかも楽しみなことです。

固定リンク | 素晴らしきサッカー仲間たち | コメント (0) | トラックバック (0)


U-18フットサルトーナメント2014

2014/04/08(火)

――3月末のフットサル大会を観戦されたと聞きました。U-18の大会でしたね

賀川:「U-18フットサルトーナメント2014」でした。これまで名古屋で開催していたのが、今年は東京の駒沢体育館が会場でした。

――駒沢は1964年の東京オリンピックの会場でしたね

賀川:陸上競技場や体育館など多くのスポーツ施設を備えた総合運動公園という形です。東京オリンピックで日本代表がアルゼンチンに勝ったのも、ガーナに負けたのも、駒沢競技場でした。

日本サッカーリーグ(JSL)の会場にもなったことがあったし、64年秋の関東大学リーグで杉山隆一のいた明治大学と釜本邦茂の早稲田大学が対戦した時は、私も東京へ出てきて取材しました。国立競技場と同じで、当日の入場券売り場が急造で観客が長い列を作り、販売に時間がかかってキックオフが遅れたのですよ。

――そんなこともあった

賀川:会場全体も競技場や体育館の設計は東大のサッカーの大先輩、高山英華さん(故人)でした。建築の大家で、FWのウイングプレーヤーとして有名な選手でした。

――フットサルの試合は

賀川:最終日の準決勝、決勝はとてもすばらしかった。野洲高校(滋賀)と幕張総合高校(千葉)がファイナルに進んで、前半は野洲が6-2とリードし、後半に幕張が盛り返して、最後は11-7で幕張が勝つというすごい試合だった。

――野洲というのは、あのドリブルで有名な高校ですね

賀川:出場したメンバーはその野洲高のなかの控え組のようだったが、個人的なキープ力があり、それに対して幕張はよく動いて運動量と競り合いの強さで勝ったという感じでした。このU-18の大会は全国の高校サッカー、あるいはフットサル部のなかから地域の代表12チームが集まって3月27日から29日までの3日間に1次リーグ(3グループ)、準決勝、決勝を行った。私は昨年の名古屋での大会を見て、とても面白かったが、今年の大会も面白く、この年代のフットサルの急速なレベルアップを見せてもらった。

――ゴール数も多いですね

賀川:若いから、ともかく攻めて、シュートを敢行する。ゴールキーパーも大変だが、攻撃的で相手のシュートを誰かが体に当てて防いだ次の瞬間には攻勢に移ってシュートへ持ってゆくのだから、見ている側にもスリルが多い。

――高校年齢でのフットサルの進歩はサッカー界全体に見て?

賀川:明らかにサッカー界全体にも生きているでしょう。ボールをピタリと止める技が大切になりますからね。止め損ないやパスミスは一気にチャンスをピンチに変えてしまう。ボールテクニックを高めることになりますね。

――フットサル人口も増えています

賀川:この年代のプレーヤーはフットサルの同好会的なチームもあれば、高校サッカー部として、その地域の代表的な強豪校の選手もいます。多様な学校やクラブチームが参加していて、サッカーの全国高校選手権大会のような勝ちへの強い意欲も見られます。それでも決勝の後、ベスト4のチームが一緒になって楽しく輪になって踊っていましたよ。試合に負けて号泣していた野洲の選手たちもその輪のなかで一緒に騒いでいました。それがとても印象的でした。

2014_u18_03_08_0553


固定リンク | フットサル | コメント (0) | トラックバック (0)


消費税8%と決勝トーナメント

2014/04/01(火)

リーガエスパニョーラのテレビを2試合見てベッドに入った時、部屋のふすまを閉め忘れたらしい。夜半に冷気で目をさまし、厚着をしてもう一度寝たものだから、7時過ぎに目を覚ました時には汗をかいていた。シャワーを浴びてテレビをつけると、どの局も今日から消費税が8%になったと伝えていた。

その中から、有働さんという美人のアナウンサーと井ノ原という感じのよい司会者でお気に入りの「あさイチ」を見る。メインの話題は「耳かき」について…。興味はあるが、火曜のこの時間はまず台所ごみの収集があるので、まずそちらを済ませることになる。

4階の我が家からエレベーターで降りて、道路の収集場所へゆくのに、湯冷めから風邪引きという老人の大敵の恐れがある。汗ばんだ体にシャツとスウェターだけでは、とこういう時に重宝な薄いヤッケがある。胸にJのマークと、J LEAGUE、KICK OFF 1993の文字のあるJ開幕試合に出席した記念のもの。ただし、マークがいっさか気恥ずかしいのと、寒さしのぎをかねて、もう一枚コートをはおる。1995年のアンブロカップで日本がイングランドで3試合した時、取材に出かけて5月のイングランドの寒さに閉口(日本人記者で風邪を引いた人もいた)して、マンチェスターのマークス&スペンサーという店で買ったハーフコート。おそらく長身の英国人が釣りなどの時に着るジャンパーだろう。ポケットが多く、しっかりとしたジッパーがついている。ジェントルマンには上半身のジャンパーでも、私には膝までのハーフコートで、今も私の必需品のひとつ。

起きたばかりで入れ歯をしていない。エレベーターで居合わせた人に失礼になってはいけないと、白いマスクをしていよいよゴミ出しとなる。それも“突っかけ”で足を滑らせては物笑いだろうと、きちんと靴を履くのが棺桶に近い者のたしなみ。

もどりのエレベーターのなかで、ふと有働アナウンサーとは彼女がスポーツを担当していた時、鹿島アントラーズのグラウンドで会ったことを思い出した。ご当人は覚えていないだろうが、私はその後ジーコにも会った。その時、「78年のワールドカップであなたがマルデルプラタのひどい芝生に悩まされたのを見ていたよ、ボールを蹴り損ねた後で、タッチ際でめくれた芝生を蹴ったのもちゃんと見ていた」と言うと、ジーコは「アンビリーバブル」と言ったものだ。

部屋に戻ると、テレビのあさイチは中間のニュースだった。アナウンサーが消費税アップについての首相談話を伝え、「国民生活に目配りして」というところを「目配せ」と読んだので驚いたが、その後安倍晋三首相の姿が画面に現れ、自分の声で「デフレ脱却の勢いを止めないように国民生活に目配せした政策を」と言ったのには、もう一度驚いた。まさにアンビリーバブル。

2014年4月1日、消費税導入も大変だが、ブラジルワールドカップを2か月後に控えた日本サッカーもこれからが大変。1次リーグでコートジボワール、ギリシャ、コロンビアと突破して第2ラウンドのノックアウトシステムへ進むという願いが達成されればとてもうれしいのだが、その時にまた日本中のメディアが「決勝トーナメント」と大きく書きたてることを考えると、アナウンサーと首相の目配せも他人ごとではない。

参考:決勝トーナメントはない

固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)


« 2014年2月 | トップページ | 2014年5月 »