サロン2002の公開シンポジウムでスポーツクラブの法人化を語る
――東京ではフットサルの大会だけでなく、「サロン2002」の公開シンポジウムで話をしてきたとか
賀川:サロン2002というスポーツ仲間の集まりのクラブが法人化を考えようということで、シンポジウムを開催し、そこで神戸FCの経緯を少し話しました。
――神戸FCは1970年に社団法人になりました。JFA(日本サッカー協会)の法人化よりも数年早い。いわば日本での最初の法人格市民スポーツクラブと言えます
賀川:まあ、その時の様子や経験をサロン2002の会員の皆さんにお話ししました。加藤正信ドクター(故人)というすばらしい推進者のおかげでできたのですが、法人化というのは、それまで任意団体であったスポーツクラブが社会のなかで一つの組織として認められる、いわば一本立ちすることになります。組織をつくり、公的なルールのもとで運営していくことになるので、いわば加藤ドクターのような偉大なリーダーがいなくなっても会員の力、あるいは会員が選ぶ専従の事務局スタッフの努力などで運営を続け存続してゆけるということになります。
神戸FCは法人化以後44年、半世紀近くたっていて、その間に阪神大震災やJリーグのスタート、つまりプロ化があり、社会全体でもサッカー界でも大変動を経験しながら、現在も各年代の会員たちがサッカーを楽しんでいます。女子ももちろん、設立当初から織り込んで、未就学つまり小学生より下の年代層もひとつのカテゴリーに入ります。
――そんな話はこのブログでもっと聞かせてください
賀川:このシンポジウムでは、東京のラグビースクールをはじめ、とても興味ある講演もありました。それらついては、また別の機会にお話ししましょう。
――サロン2002は賀川さんの仲間、本多克己さんも代表の中塚義実さんとともに中心メンバーとして仕事をしているようですね
賀川:中塚さんは東京の筑波大学附属高校の先生ですが、サロン2002という集まりを主催しているだけでなく、サッカー界でとても幅広い仕事をしている人です。こういう、本業とは別にボランティアで超人的働きをしてきた人たちのおかげで日本のサッカーがマイナースポーツから、いま野球と並ぶビッグスポーツになってきたといえます。もちろんJFA(日本サッカー協会)のすばらしい働きがあってのことですが、協会とは別にかつての加藤ドクターや、今の中塚先生といったたくさんのボランティアの功績を否定できる人はいないでしょう。その中塚先生の個人力でもってきたサロン2002が法人化によってどのように変わっていくのかも楽しみなことです。
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