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2014年1月

エウゼビオ

2014/01/20(月)

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――エウゼビオが亡くなりました

賀川: 1942年1月25日生まれ。Eusebio da Silva Ferreira、エウゼビオ・ダ・シルヴァ・フェレイラという名だが「エウゼビオ」で世界中通っていた。

1966年ワールドカップイングランド大会でポルトガルが3位になった時のFW、東アフリカのロレンソ・マルケス(当時ポルトガル領)の黒人家庭に生まれ、少年期から注目されてベンフィカに入り、このクラブの黄金期をつくるとともに、ワールドカップでのポルトガルの名声を高めた。66年大会では1次リーグ3組でハンガリー(3-1)、ブルガリア(3-0)、ブラジル(3-1)を破り、準々決勝で北朝鮮と対戦して0-3とリードされながら彼自身の4ゴール(うち2PK)を含めての大逆転(5-3)のヒーローとなった。準決勝でイングランド(優勝国)に2-1で敗れ、3位決定戦でソ連を倒した。ポルトガルの6試合のうち、彼は9ゴール(4PK)を叩きこんで、大会得点王となった。

エウゼビオはベンフィカとともに1970年大阪万博の年の8月に来日し、8月25日(神戸)、29日、9月1日(国立)と日本代表を相手に3試合して3戦全勝した。(3-0、4-0、6-1)神戸の試合の2日前に彼らが御崎で練習するのを見た後、控室で彼の自叙伝「マイ・ネーム・イズ・エウゼビオ」にサインしてもらった。「わが名はエウゼビオ」というこの英文のペーパーバックは彼がよくペレと比較され、ペレ2世などと言われるのに対して、私はペレでもなく、ペレの亜流でもない、私はエウゼビオだと言ったことから書名となったもの。ついでながら、66年ごろの日本の新聞の多くは彼のことをオイセビオと呼んでいた。これは当時日本サッカーを指導していたデットマル・クラマーが彼の名をドイツ語式にEUをオイと呼んだためで、私は田辺製薬の貿易部のポルトガル語に詳しい人に聞いて、エウゼビオと書いたのだが、会社の記事審査室から「他の新聞がオイセビオなのになぜ産経だけがエウゼビオなのか」と問題にされた。日本サッカーがまだ世界に目の向いていないころの話である。

私が彼のサインをもらっている時、当時の日本代表のひとり、釜本邦茂もサインをもらっていた。彼にしては珍しいことだが、66年ワールドカップの得点王のシュート力に68年オリンピック得点王も一目置いていたのだろう。今から思えば、釜本がエウゼビオからサインをもらうところをカメラに収めておけば、とてもよい記念になったのに…

エウゼビオのシュートの特色については、賀川サッカーライブラリーわが心のゴールハンター」でご覧になってください。

エウゼビオ(1)C.ロナウドの活躍から思う、ポルトガルの“ブラックパンサー”
エウゼビオ(2)ストリートサッカーに勝利し、ボールやシューズを手に入れた少年
エウゼビオ(3)名将ベラ・グッドマンの執着。東アフリカから名門ベンフィカへ
エウゼビオ(4)対サントス、対ペニャロール。強豪相手のゴールで一躍スター
エウゼビオ(5)レアルを倒して欧州王座に。追撃、勝ち越し、突き放しのシュート
エウゼビオ(6)63年の世界選抜でスタート名を連ね、66年W杯の激戦で本領発揮
エウゼビオ(7)0-3からの逆転劇を演じ66年大会の得点王となり釜本邦茂にも影響を与えた
エウゼビオ(8)68年メキシコ五輪の得点王釜本が抑えの利いたシュートを学んだ
エウゼビオ(9)多才な芸の中でひときわ目立った抑えの利いたシュート
エウゼビオ【番外編】「ペレでも、キングでもない。私はエウゼビオ」
エウゼビオ【特別編】「PKは落ち着いて、思い切って蹴るだけ」。上から叩くシュートは、低い弾道でゴールに飛び込んだ

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年末年始のサッカーから

2014/01/16(木)

――2014年も2週間たちました。90回目の新年はなかなか忙しかったようですね

賀川:1月5日に関西サロンの集まりがあって、そこでお話をしました。1月13日にはデットマル・クラマーさんと福岡で会いました。寒いので外出は控えていましたが、テレビのサッカー番組が多くて見たり、録画したりで時間のたつのは早かったです。

――年末から元旦決勝にかけての天皇杯や高校サッカーといった恒例のものは当然、INAC神戸をはじめとする女子の試合が加わり、それにヨーロッパでの日本選手のプレーもテレビが見せてくれる。香川真司のユナイテッドの試合に加え、本田圭佑のACミラン入りがあった

賀川:ごく最近では女子の高校選手権をTBS系のBSで録画でまとめて見せてくれるのも、とてもありがたいことでした。

――本田のミラン入りが最大のインパクト

賀川:入団の記者会見がテレビ放映されたのは珍しいが、それをテレビ朝日が詳細に見せてくれた。近来のヒットでした。本田の落ち着いた記者会見での受け答え、やさしく、わかりやすい英語での答えはイタリア人記者だけでなく、テレビを通じて多くの人にとてもいい印象を与えたでしょう。

――翌日の日本の各局のニュースショーでも取り上げられました。コメンテイターの評判もよかった

賀川:日本に27歳のこんな若者がいるのだぞ、と誇らしくなった人もいるはずです。9月のブエノスアイレスでのオリンピック招致で日本の若い人のスピーチがとてもよかったのですが、その2020年の東京オリンピックが猪瀬さんの不祥事辞任でいささか影を落とした後だけに、本田選手の記者会見は日本のスポーツ界にとってもとてもよかったと思いました。

――これからの試合が大切です

賀川:ミランに加わった最初の試合は後半途中からだったが、まるでずーっといるような態度でプレーしていた感じ。いいシュートもした。バロテッリやカカというすごい選手がいるチームで彼が加わることでリーグでのチームの巻き返しが期待されますよ。ちょうどこの原稿を書いている時、NHKの朝のニュースで本田が第2戦のカップ戦で初ゴールし、ミランが本拠地で勝った(3-0)と伝えました。

――彼のミラン入りでイタリアのリーグ、イタリアのサッカーへの関心が高まるでしょうね

賀川:長友佑都がインテルにいる上に、同じミラノのライバル、ミランでプレーするのですからね。

――ミランは、かのベルルスコーニという政治家がからんでいますが、伝統あるチームでミラノはインテルとともにイタリアのサッカー中心地のひとつです

賀川:イタリアはローマが古代からの都ですが、北部のミラノやトリノといった街が経済力をつけた現代イタリアの経済を支えていると言われています。90年のイタリアワールドカップの時は、私はミラノを拠点にして取材をしたくらいです。本田、長友によって日本のファンの目がイタリアにも集まるでしょう。彼らのプレーを見ることで、日本にも上手で、しかも粘り強いサッカーをする子どもたちが多くなるかもしれません。

――香川はどうでした?

賀川:真司が徐々にユナイテッドの監督の信頼を得ているのじゃないかな。彼のプレーに私はまだ不満は多いが、相変わらず上手だし、その技術の高さは試合の随所で発揮されています。

――自分が得点していないのを本人は気にしているようですが

賀川:もともと凝り性で、丁寧なプレーヤーですが、ゴール前ではもう少し大ざっぱなプレーをした方がいい場面もあります。シュートのタイミングにしても、ひとつ持って相手をかわしてから蹴るのもいいが、その前のタイミングでダイレクトシュートをするのも得点のコツのひとつですよ。本人はそのうちに自分でつかむでしょうがね。

――シュートといえば、ドイツで岡崎慎司が点を取っています

賀川:岡崎はシュートする位置取り、タイミングがとてもよくなっています。ゴールを決めようという強い意識が彼の能力を高めています。左のボレーなども上手になっています。

――国内の試合は

賀川:INACの皇后杯優勝は難しい試合を彼女たちの意地で勝ち抜いたのに感嘆しました。川澄がPK戦の最後に蹴って勝負を決めた直後に「自分が一番おいしいところをもらうんだ、と思った」と言っていた。そのポジティブな考え方に女性は強いなと思いました。

――川澄はアメリカへ行きますね。INACもこれから全体のレベルアップが必要でしょう

賀川:女子サッカーのトップですからね。女子は高校選手権のテレビも見ています。個人技のしっかりしたプレーヤーが多くなっていて、日本女子サッカーの底上げが見えて、とてもうれしく思いましたよ。

――まだまだありそうですが、今日はここまでにしましょう

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