« 週刊サッカーマガジンがピリオド | トップページ | 国際親善試合 日本 2-2 オランダ »

安倍さんのトルコ訪問 ―日本とトルコのサッカー―

2013/11/01(金)

賀川:2020年のオリンピック東京開催が決まったのは私たち日本のスポーツ好きにはうれしいことだったが、早くから立候補していたトルコが敗れたのは、実は私には驚きでした。これまでのオリンピックの理念でゆけば、アジアとヨーロッパの架け橋でもあるトルコの方が有利と思っていたからです。

――テロがあったりして、IOCは安全に大会のできる東京を選んだのでしょう

賀川:もちろん招致にすごい力を発揮した東京の関係者の努力あってのことですが、私にはトルコは少年期からあこがれの地だったし、大人になってからも一度ダーダネス海峡を見下ろしながらトルココーヒーを飲みたいなどと夢想した時期もあった。

――ふーむ面白い

賀川:少年期にトルコ近代化のヒーロー、ケマル・アタテュルク(ケマル・パシャと言った)の話を読んだこともあり、東京オリンピックの前に日本のレスリングがグレコローマン型の強化にトルコからコーチ、選手を招いた時に取材した経験もあったからでしょう。
――伝統的に、ロシアの南下政策に対抗してきたトルコは極東の日本がロシアの勢力に脅かされたのと同じ立場で政府も国民も反露親日になったとか

賀川:トルコ軍艦が紀伊半島沖で沈没した時の日本側の救助なども親日感情を強めるもとと言われていますが、そうした歴史だけなくサッカーも日本とトルコは深い縁でつながっていますよ。

――2002年日韓ワールドカップの第2ラウンドの1回戦で日本はトルコに0-1で負けました。宮城でです

賀川:トルシエの意味不明の選手起用があったにせよ、トルコは日本に勝ち、韓国に勝ってこの大会の3位になった。

――そういえば、稲本潤一がガラタサライにいたことがあります。すごい体験をしたと本人は語っています

賀川:そのガラタサライを1980年代に西ドイツのユップ・デアヴァル監督が指導し、ここからトルコのレベルアップが始まったことをご存知ですか。

――デアヴァルは西ドイツ代表監督で68年に西ドイツに釜本邦茂がドイツに留学した時、直接指導してくれましたね

賀川:74年ワールドカップは優勝監督シェーンのアシスタントで、彼の後を継いで西ドイツの監督となり、80年欧州選手権優勝、82年ワールドカップ準優勝の好成績をおさめながら、84年EUROでの1次リーグ敗退で代表監督を辞めたのです。

――きびしいですね。西ドイツは

賀川:彼はその後、トルコへ行ったのです。実はその84年8月に私が提案してヤンマーとともに釜本の引退試合をした時、デアヴァルさんを招待していました。それが代表監督を辞めて、すぐトルコへ行くので東京・国立の行事に参加できないと断ってきました。その手紙をいまでも持っています。デアヴァルはオリンピック得点王を教えて日本の銅メダルに貢献しただけでなく、日韓ワールドカップのトルコの銅メダルにも関係しています。

――ふーむ

賀川:そういうサッカーでも関係の深いトルコへ、ついこの間、日本の首相が訪問して、新しい欧亜を結ぶ地下道路完成を祝い、原子力発電所の建設の話も決めていた。

――アベノミクスをトルコまで持ちこんだ、大きな経済交流ですね

賀川:そこで安倍さんがトルコ大統領や高官との会話のなかで、ガラタサライを話題にしたかどうか。

――ああ、ちょうどチャンピオンズリーグが始まっていました

賀川:そうなんです。外国首脳と会う時、オリンピックと同様にサッカーも大切な話題のはずです。ガラタサライというイスタンブールの強いサッカーチームの話題を持ち出せば、一層首脳同士の親近感は高まるはずです。まして日本とトルコはサッカーで不思議な縁があるのですからね。

――オリンピック東京招致で、スポーツの社会での効果を云々する声が高まっていますが、サッカーの話題もまた、世界共通ですからね。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 安倍さんのトルコ訪問 ―日本とトルコのサッカー―:

コメント

コメントを書く