21年目のJには新しい発見と新しい感動が
――3月2日、Jリーグが開幕しました。J2も日曜日に早速ガンバ大阪対京都サンガという関西人にとっての注目カードがありました。そして真司のハットトリックというすごい知らせがイングランドから届きました。3月最初の週末はとても、とても…でしたね
賀川:開幕日は長居競技場へ出かけて、15000余の皆さんといっしょにセレッソ大阪対アルビレックス新潟を見せてもらいました。新潟からはるばるやってきたサポーターは勝てる試合を落としたという感じだったでしょうね。
――冷たい風が吹いて、3月としてはとても寒い日でした
賀川:ボールの奪い合いでも一歩遅れてなかなかキープできないセレッソが後半途中から投入された扇原の一本の裏へのパスと、それにあわせた柿谷曜一朗のダッシュとボレーシュートで1点を奪って勝ちました。
――後半43分だった
賀川:ブラジル人FWのエジノに代えて杉本を入れ、MFの横山の交代で扇原が入ってからセレッソに流れが傾いた。横山はそれまでよく働いていたが、扇原は攻撃面で優れた選手だからね。
――セレッソでは南野拓実という18歳が出場していました。各年代の日本代表でも活躍しています
賀川:大きくはないが、体のバランスがよくて、上手なプレーヤーですね。まだ遠慮している感じがするが、次の試合あたりから自分のアピールポイントを出してくるでしょう。この日は14人がピッチに立ったが、そのうち6人がセレッソユースの出身だった。
――育成担当者はうれしいでしょうね。もっとももうひとつの強化策のブラジル人選手は目覚ましい働きとは言えなかった
賀川:ブラジル人との付き合いは1967年のネルソン吉村以来だが、プロになってからクラブ史に名を残すブラジル人選手は多くはない。まあこの試合の3人のブラジル人もこれからチームになじむのだろうが…
――韓国人のGKキム・ジンヒョンはよく働いています
賀川:この試合でもDFとGKのキムがずいぶんピンチを防いだ。
――他会場では、広島が浦和に負けました
賀川:高萩洋次郎を欠いたのが広島には大きなマイナスになったはずです。今の広島にはスーパーカップ以来の不安がないわけではないが、それは次の機会にしておきましょう。テレビで見た限りでは、浦和にはACLで負けた後遺症よりも、広島に勝つのだという強い気持ちがあったように見えた。レッズというビッグクラブがペトロビッチ監督の2年目でチームの方向性が見えてきた感じがするのはとても楽しいことですよ。
――20年というひとつの節目の開幕は、賀川さんにはどうでした?
賀川:私の68歳の時ですね。国立競技場での川淵三郎チェアマンの開幕のスピーチと、満員の大観衆に身震いしたのを覚えています。日産と読売と言っていたチームが、横浜マリノス、川崎ヴェルディと名を変えてプロフェッショナルとなり、木村和司やラモスやカズがプレーした。このオープニング試合の次は、マッチコミッサリー(現マッチコミッショナー)という役目で鹿島へ行って、ジーコの試合を見たのです。それから20年、チームの数が増え、毎年大量のプロフェッショナル選手が生まれてきました。Jリーグのイヤーブックも倍の厚さになりましたよ。
――20年の間に、2002年のワールドカップ開幕があり、代表は98年から4回続けてワールドカップの本大会に出場し、なでしこジャパンが女子のワールドカップに優勝し、またロンドンのオリンピックで銀メダルを取った
賀川:まだ超一流国とはゆかぬにしても、日本は世界のサッカーの一流国になろうとしています。Jリーグはその一流国のトップリーグです。
――サッカーという楽しみがあることと日本中に知らせてきたことは大きいと思います。もちろんレベルアップも必要ですが
賀川:スポーツをする楽しみ、見る楽しみ、語る楽しみは今の社会にとって、とても重要なものになっています。私自身も88歳になって、またまたサッカーを見て語ることの面白さに気づきました。サッカーを見る目も生の試合であれ、テレビであれ、時には自分でも不思議に思うほどの発見や感動があります。21年目のJリーグからもぜひそれを得たいと思っています。
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