驚きのカウンターゴール
――フランスに勝ちました。2012年10月12日午後9時(日本時間13日午前4時)キックオフ、パリ近郊のスタッド・ド・フランス競技場でした。
賀川:タイムアップ直前の後半42分26秒の相手のコーナーキックからのすごいカウンターで1点をもぎ取っての勝利です。CKの後、落下したボールを取って今野泰幸がドリブルを始めたのが42分27秒、香川真司のシュートがフランスゴールに飛び込んだのが42分37秒、つまり10秒の攻撃でそれまでの劣勢を覆して、ヨーロッパサッカー強国のひとつ、フランス代表に勝ったのですよ(このタイムは公式ではないが、テレビ画面の表示を書きとめたもの)
――1996年のオリンピック・アトランタ大会のブループリーグの初戦で日本代表がブラジルに1−0で勝ちました。U-23代表の公式戦、こちらはフル代表の親善試合という違いはありますが、強豪国代表に勝つという、日本のサッカー史上のマイルストーンをふとつ加えました。
賀川:テレビ放映のおかげで、その歴史的な一部始終を見ることが出来たのは、誠にありがたいこと。テレビ局の関係者にも、バックアップしてくれたキリンをはじめとするスポンサーさんにもお礼を言わないといけませんね。
――そのクライマックスを賀川流に反芻していただきましょう
賀川:後半40分をすぎて、フランスの攻勢はさらに強くなっていた。0−0で終わるわけにはゆかなかったのだろう。ストライカーのベンゼマは前半で退いたが、後半22分にはリベリーを投入してきた。ご存知バイエルン・ミュンヘンの左サイドのチャンスメーカー。この直前のブンデスリーガで、2得点を決めていた。その彼が入ってからフランスが再び勢いづいた。40分に日本の左CKを跳ね返した後、右サイドから攻め込み、ジルーがシュートした。ジルーに2人が寄せた日本側の守ろうという意欲に対して、長いリーチを活かしてシュートまで持っていった。192センチの長身ジルーもさすがといえた。その難しいシュートを川島がセーブして左CKとなった。
リベリーが蹴り、ファーポスト側の落下点で競り合った後のボールを小柄なバルブエナがボレーシュートした。空中のボールを上から叩き付けてのシュートで、やさしいボールではなかったが、これも川島がセーブして、また左CKとなった。今度のキッカーはバルブエナ。ボールはゴール正面に飛んで、フランス4人と日本5人が争う。その誰かに当たったボールがペナルティエリア外へ転がり出た
(1)誰よりも早く飛び出したのは、今野泰幸。エリア外10メートルでボールに追いつき、一気にドリブルで持ち上がる。
(2)ボールが落下し、ペナルティエリア外へ出たのは42分26秒、今野が拾ったのが27秒、ハーフウェイラインを越えたのが31秒だった。
(3)今野の前方には、CKの時からハーフウェイラインに残っていた中央の香川真司と左タッチ際の乾貴士がいた。それに対してフランス側は3人のDFがラインを引いていた。
(4)今野がハーフウェイラインの向こう側のセンターサークルを越えた時には、右手側に長友が上がって来て、その左に少し遅れて内田篤人も走り上がってきた。今野の後方から3人のフランス勢、長友の後をリベリーが追う。
(5)ドリブルを続ける今野に対して、フランスのCDFサコがエリア手前10メートルで応対しようとした。
(6)サコの4メートル手前で今野は左足で右前方へパスを送る。
(7)そのタイミングを待っていたかのように、香川真司が左斜め前方へ走る方向を変えた。
(8)今野からのパスはペナルティエリアへ。長友がエリア内右寄り12メートルあたりで右足でダイレクトパスを中へ。
(9)ニアサイドにいたCDFコシールニーが戻りながら右足を伸ばしてインターセプトしようとしたが届かず、ボールはそのすぐ左に走りこんできた香川の右足インサイドでゴールへ。GKロリスは前進していた。ボールは無人のゴールの真ん中へ勢いよく飛び込んだ。
(10)シュートの際に倒れた香川は右コーナーへ向かって走る殊勲者今野の後を追う。
彼らにとってはイメージそのままのゴールだったかもしれないが、5万余の観衆にも深夜テレビの前の日本サポーターにも想像を超えた瞬間だった。
――香川のフィニッシュをほめる人もありました
賀川:その前に右へ走り上がった長友にも目を向けましょう。左サイドで何度も長いランを繰り返して攻撃と守備に働いた彼が、このチャンスに右サイドへ飛び出したのだから、そのタフさと判断に拍手したい。
香川は長谷部と細貝、中村と乾が交代した後半17分からトップ下へ入っていた。このコーナーキックの時は、彼と乾がハーフウェイラインに残り、彼は中央やや右寄りにいた。今野のドリブル直進にあわせて、彼も前進し、今野のパスを出すタイミングを計って左へ移動した。ボールが右へ渡り、長友がパスを出すタイミングには、フランスのDFの眼はボールに注がれる。だから香川はニアサイドからファーサイドへ移ってCDFコシールニーの背後に入っていて、その視野から消え、あわせて自分の有利なシュート体勢に入っています。ドリブルする今野を見ながら、手で合図をしていたようにも見えた。右へパスを出してくれということだったのかな。
――交代出場の乾がよかった
賀川:長友とあわせて、ドリブル突破できる選手が左サイドに2人いることになって、攻めやすくなった。そうそう、いつだったか乾くんの夢を見ましたよ。彼が真司と同じように左足でうまいトラッピングをした。上手になったと思ったら目が覚めました。
――フランス戦というと、これまで一度も勝っていない。サンドニでは0−5という大敗もありました
賀川:2001年3月24日、日韓ワールドカップを目指す代表の強化試合でした。
――フランスにはジダンやトレゼゲがいました。
賀川:相手も強かったが、こちらのコンディションもよくなかった。滑りやすいピッチ状態も加わって完敗だった。
――それとよく比較されますが
賀川:10年経って、日本全体のレベルが上がっているのは確かでしょう。
サンドニの滑りやすいのは変わっていないが、前半に相手が14本のシュートを1本も決められなかったのは川島のファインセーブもあるが、滑りやすいピッチとフランス代表のシュートも原因でしょう。
先述した、1996年のマイアミでのブラジル戦は全く一方的なブラジルの攻撃に耐えて、一本のロングボールからミスもあって1ゴールを奪ったのだった。その時唯一のゴールを決めた伊東輝悦は、日本代表でも活躍しこのフランス戦0−5でもプレーしています。
その伊東が、この間J2からJ1に昇格を決めた甲府でプレーしていましたよ。彼のように経験ある選手とともにプレーすることで、若い選手の進歩も早くなります。今度の対フランス初勝利のゴールは、マイアミのような僥倖(ぎょうこう)ではなく、選手たちの技術・体力・戦術の結果で奪い取ったものです。ここに16年間の日本の進歩があるといえます。マイアミの功労者伊東輝がいまもプレーを続けていることも、その進歩を支える日本サッカーの厚みといえるでしょう。
――さて、その進歩がブラジル相手にも見られるかどうかですね
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