バルサ・レアルのクラシコから
最近のテレビでは、マンチェスター・ユナイテッド対ニューカッスルでの香川真司のいささか見ていて気の毒になるようなプレーもありました。その香川くんの話は、日本代表のフランス戦、ブラジル戦などにも出てくるでしょうから、少し古くなりましたが、スペインリーグでのバルサ対レアルについて話し合うことにしました。お付き合いください。
――バルサとレアルのクラシコいかがでした?
賀川:ノウカンプ全体がバルサ、バルサの歌声に包まれる中にバルセロナとレアル・マドリードのイレブンが入場するところから見られるのだから、誠にありがたい時代になりましたよ。テレビのおかげですね。
――バルサのホーム、ノウカンプでもちろん取材経験はあるのでしょう
賀川:残念ながらリーガ・エスパニョールではなく、82年のワールドカップスペイン大会の時に、開幕試合をはじめ、何試合か取材しましたよ。レアルの本拠地サンチアゴ・ベルナベウと同様に、風格のあるスタジアムですよ。そしてちょっと開放的かな。もちろんカタルーニャという土地柄もあるのでしょうが。
――カタルーニャはスペインの単なるひとつの州というより、国のようだと言いますね
賀川:「カタルーニャはカタルーニャであって、スペインではない」という言葉はヨハン・クライフに教えてもらった。1980年、彼がワシントン・ディプロマッツという北米リーグのチームとともに来日した時のインタビューです。それから、カタルーニャそしてスペインへの私の興味も大きくなったのです。
――それまでは
賀川:外国のスターを集めてスペインリーグでも欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)でも断然強かったレアル・マドリードのことは知っていた。
――ディ・ステファーノやプスカシュなどのいた1956-60年の5連覇時代ですね。オランダのアヤックスにいたクライフがバルサに移ったのは1973年で、彼は選手としてバルサにリーグ優勝をもたらし、80年代後半には監督となって92年には欧州チャンピオンズカップ優勝を果たした
賀川:その年のトヨタカップで来日したバルサのプレーを見た。「クライフはとうとうスペインにオランダ流の現代サッカーを植え付けた」と思ったものです。
――カタルーニャとカスティーリアというバルセロナ、マドリードのそれぞれの地域の強い対抗意識もあって、両チームの試合はエル・グラン・クラシコと呼ばれるようになった
賀川:スペイン語のクラシコは英語のクラシック、つまり古典、あるいは古典的ということから伝統あるビッグゲームを指すことに――アメリカの野球では日本も参加するWBCはワールド・ベースボール・クラシックです。
――今年のクラシコはリーグ第7節、バルセロナがホームでした
賀川:ここのところバルサのサッカーが世界のトップということになっていた。それを昨シーズンはレアルマドリードがリーグの優勝を取り戻し、終盤のクラシコにも勝った――といういきさつもあり、2012-23シーズンの第1戦はずいぶん注目された。
――リーグでも欧州チャンピオンズリーグでも、バルサはタイトルを取れなかったが、バルサ主体のスペイン代表はEURO2012に優勝して、依然として彼らのサッカーが最高であることを示した。
賀川:ひとりひとりの高い個人技と、巧みなパスワークでボールポゼッションでまず圧倒的な優位に立ち、変幻自在の攻撃でゴールを奪うやり方は日本でもとても人気がある。
――レアルはパスワークやボールポゼッションで一歩譲っても、個人的な強さを生かすスケールの大きな展開と、バルサのメッシと並ぶ当代のストライカー、クリスチアーノ・ロナウドを生かす攻撃でバルサに勝とうという考えでしょう。
賀川:長い歴史的な背景と、両チームの個人的なレベルの高さ、チーム戦術など、興味一杯の対戦として世界中が注目していた。
――賀川さん流にシンプルに言えば、スコアは2-2、メッシとロナウドが2点ずつ取りました
賀川:試合はともかく面白かった。バルサははじめのうち、少し動きが硬い、あるいは鈍いとみる人もあったが、レアルが先制し、それを追う形のバルサが中ごろから調子が上がったので、とても面白かった。と同時に、こういう最高級のチームの試合を見ながら、日本代表やJリーグのレベルあるいは女子、高校サッカーのレベルとも比べることのできるサッカーという競技の面白さを改めて感じました。
――というと
賀川:たとえば、私の古くからの友人で尊敬すべき指導者である近江達ドクターは、80歳のいまもプレーをしている。CFをして点を取って楽しんでいる。その老ドクターのゴールを奪う戦術も、こういうトップのゴール奪取も、体の強さ、プレーの速さといった違いはあっても、根本的にはボールの動かし方や、シュートへ持っていくパスのやり取りなどはたいてい同じ原型からできていることに気がつくでしょう。
――クラシコのゴールも、賀川さんの中学生だった時のゴールも全く違ったレベルであっても基本的には同じところにあるということですか。
賀川:そんなことも、ふと考えましたよ。
――ではクラシコのゴールを眺めてみましょう
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コメント
細かい話ですが間違っていたらすみません。クライフがバルサに移籍したのは西独W杯の前年だったと思います。中学生でしたがマガジンに載った移籍金57,000万円の文字が今でも脳裏に焼き付いています。
投稿: ディエゴ | 2012年10月14日 (日) 11時29分
追記 1973年の夏だったかと。
投稿: ディエゴ | 2012年10月14日 (日) 11時30分
ディエゴ様
ご指摘ありがとうございます。確かに移籍は1973年でした。
早速訂正させていただきました。
投稿: FootballJapan | 2012年10月15日 (月) 10時06分