日本と韓国の3位決定戦をひかえて ~ロンドンオリンピック 3位決定戦 韓国代表戦プレビュー
――U-23日本代表はロンドンオリンピックの3位決定戦で、隣国であり、ライバルである韓国と顔をあわせます。
賀川:アジアの二強の対決は世界も注目していますが、他ならぬサッカーの本家、英国が舞台というのもすばらしいことです。
――というと
賀川:韓国にとっては1948年のロンドンオリンピックがその代表の国際初舞台でした。日本でも有名な金容植さんも選手兼コーチで出場したのです。
18カ国参加のノックアウトシステムの大会で、韓国は8月4日にメキシコと対戦し、5-3で勝ちました。オリンピックの初勝利でした。
――今度も1次リーグで評判の高いメキシコと引分けました。
賀川:次の準々決勝(8月6日)の相手がスウェーデンだった。のちにセリエAで活躍する選手もいた強豪で、12-0で敗れた。金容植さんにとっては、1936年に自分も出場した日本対スウェーデンの逆転劇のことを考えがんばったが、前半4-0、後半8-0と大きく開いてしまった。
――スウェーデンはこの後デンマーク、ユーゴスラビアをやぶって優勝した。
賀川:大敗に終わったロンドン大会だが、初めて独立国のチームとして出場した意義は大きかった。もちろん選手たちにはとてもいい経験になった。
――敗戦国で参加できない日本より一歩早く大戦後の世界へ目を向けたのですね。
賀川:金容植さんは1960年に私が会ったとき「私は英語が得意だったから、この時サッカーの本をたくさん買って帰った」と言っていた。サッカーの神様と韓国の人たちに尊敬された金さんたちの48年ロンドン大会参加はその後の韓国サッカー進歩の基盤となったのです。
――国際デビューの48年大会から64年後の大会で3位決定戦ですね
賀川:日本サッカーにも、このロンドン大会で銅メダルを獲得するのはとても大事なことです。英国はサッカーの母国であるだけでなく、私たちの日本サッカー協会(JFA)設立にも関わっています。
JFAの創立は1921年ですが、その2年前にロンドンのFA(イングランドサッカー協会)からシルバーカップが贈られてきた。駐日英国大使館の要請に応じてFAが製作して日本に送り届けたのだが、このカップを受け取る競技団体としてJFAが1921年に誕生したのです。同時に全国優勝大会(現天皇杯)が創設され、勝者にシルバーカップが贈られることになったのです。
――なるほど、ロンドンからのカップで日本は協会が誕生し、韓国にはロンドンが国際デビューの地というわけです
賀川:そうした歴史の意味を考えつつ、両国の若者のすばらしいプレーを期待しましょう。日韓サッカーには両国の歴史も加わって、独自の雰囲気がありますが、ここはスポーツ発祥の地、スポーツでジェントルマンを作るところです。特有の戦闘的プレーは当然ですが、スポーツマンシップのある試合展開を見たいと思っています。
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