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2012年2月

地方自治とサッカー(下)

2012/02/17(金)

◆楽しかった上田亮三郎先生出版記念パーティー

――それはともかく、上田亮三郎先生の出版記念パーティーはなかなか盛大でしたね。

賀川:大阪商大での先生のお弟子さんだけでなく、上田さんの交友の広さを反映してたくさんの人がお祝いにきてくれましたネ。会そのものもなごやかでいい催しでしたよ。

――釜本邦茂さんのような大選手、帝京の古沼(貞雄)さんや日本代表監督だった加茂周さんのような大コーチ……

賀川:上田先生はいまの筑波、昔の東京教育大学の出身で、その前後の卒業生も大学での指導実績を持ち、JFAでの活動やスポーツ学についての研究でも有名な人も多いんです。そうそう、サンフレッチェ広島を立ち上げてしっかりした経営基礎を築いた今西和男さん――いまJ2のFC岐阜で頑張っている――や神戸大学の五島祐治郎先生の顔も見えました。
 嬉しいのは、この年代の指導者たちの東京教育大学の時の監督さんが太田哲夫先生ということ。太田さんはスポーツ心理学の教授でしたが、青山師範の選手時代に1941年(昭和17年)の明治神宮大会の準決勝で神戸一中と試合したときのCH(センターハーフ)ですヨ。

――賀川さんは神戸一中のCF(センターフォワード)だったから……

賀川:当時は3FBの頃で、CHがDFの3人の中央。したがって私の当面の相手ですヨ。太田さんは長身で形のきれいな選手でした。監督さんとしても、先生としても尊敬されていた。

――すごい縁ですね。

賀川:太田先生とはそんなに顔を合わせる機会はなかったが、たまに会うと、あのときはやられましたネ、と懐かしそうに言うんですヨ。今から思えば、あの年の青山師範は素晴らしいチームで、私たちが勝ったのも不思議なことですヨ。

――賀川さんの同世代の太田先生のお弟子さんが、現役のコーチたちから見てオーソリティである上田亮三郎先生の世代ということになるんですね。

賀川:日本のサッカーも長く続いているというべきか、こちらが長生きしすぎたというべきか――?

【了】

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地方自治とサッカー(中)

2012/02/16(木)

賀川:実は、またまた石原慎太郎東京都知事の新党の話が出てきたでしょう。石原さんは私より少し若い、昔の湘南中学(現・湘南高校)のサッカー部だし、好きで尊敬もしている人だが、その人の新党の話が出てきたときに、メディア、特にテレビの司会者というのかアンカーというのか、そういう人たちがとても張り切って嬉しそうな顔をしているのを見たんですヨ。

――石原さんは新党云々よりも橋下さんの地方自治の方向に賛成で、東京と大阪から国の改革をしようといっているようです。

賀川:そうでしょう。大切なのは、地方のことは地方で決めるという新しい国のかたちを考えることなのだが、東京に本拠を置くメディアやそれに関わる人たちは全く、そのことがどれだけ重要か感じておらず、橋下さんのやり方が強引だとか方法論をあげつらうことが多かった。そこへ新党の話が出てきた。メディアにとってはニュースは“理念”より“人事”の方が面白い。とくに政治は誰が誰とくっつくか――がニュースになる。それを自民党時代も政治ニュースとして取り上げてきた。だから一斉に新党の話に飛び付いたんでしょう。

――そういえば司会者たちはこの話をするときに嬉しそうでしたね。解説者、評論家も。

賀川:誰かが仕掛けた話で、中軸になる西と東の大物の態度がしっかりしていたから、あまりその後の騒ぎは続いていないようですが、ともかく、こういうことの方が国の根底を変えるという理念よりも人に喜ばれると、メディアは思っているらしい。

――世界第3位の経済大国で1億人もいる国を、東京の中央政府が全部取り仕切って各省庁や市町村の仕事に金も出す、というのもおかしな話です。

賀川:地方自治というと、東京の評論家の多くは地方にそれほどの能力があるかと心配してくれるんですヨ。中央に既に優秀な官僚を集めていても今のように借金の多い国になってしまうのだから……。

――スウェーデンデンマークといった北欧の福祉国家などの話が出ると、人口600万ぐらいまでだったらそういうこともできると言う人もいます。

賀川:だったら日本も道州制にして、600万~1,000万くらいの地域に分けて、それぞれの市民生活に関わる問題はその地域の首相と行政が責任を負う――いわゆる地方自治の形にする。国は国際外交や防衛などもっと大きなところを扱うことにすればいいのでしょう。
 話のスケールは全く違うけれど、サッカーで少年への普及が進むようになると、県協会では細かい点までは及ばなくなるので、市のサッカー協会で行なうのです。東京都の場合は人口が多いから××区サッカー協会というのがあって、そこで審判や少年の育成に直接携わっていますよ。

――まあ、スポーツはまず自分たちの手で基盤をつくり、自分たちの手で子どもを指導して楽しむとともにレベルアップを図るもの。まず自分たちの手でというのが始まりですよね。

【つづく】

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地方自治とサッカー(上)

2012/02/15(水)


――朝日ヶ丘での新しい生活にはなじみましたか。引越しの後も芦屋市民フォーラムなど忙しそうでしたね。上田亮三郎先生の出版(「やらなあかんことはやらなあかんのや! ―日本人の魂ここにあり」)やその記念パーティーにも関わったのでしょう。

賀川:それほどでもないが、まあ、前にも言いましたが、さすがに87歳で引越しするというのはいささか体力的にも大変だということがよく分かりました。おかげで、これまでの自分の生活がサッカーとそれに関するものを書くことばかりで、自分自身の日々の暮らしがどれだけ多くの人とつながり、どれだけ多くのモノにも頼ってきたのかということもよく分かりましたヨ。

――家の中のものを動かすということになれば、賀川さんの場合はまず図書資料ということが第一になるけれど、サッカーを考え、書くためには、そして日常の生活で健康を健康を保つためには……。

賀川:電気・水道・ガスといったいわゆるライフラインのことからベッドや机、イスを動かすこと、部屋の照明や調理のための道具、冷蔵庫、レンジなど、自分ではシンプルライフと考えていても、とても多くのモノと人に支えられて生きているということが、家を変わり、身の回りのものを整理し移転することでやっと分かりました。

――それはまあ、シンプルライフといっても87年生きているわけだし。そう、クローゼットを覗いたらネクタイだけでも100本以上ありましたよ。

賀川:うん、海外へ出かけて、昔はお土産品といえば有名ブランドのネクタイを税抜きで買って帰ることが多かった。そのときに自分用にと1本、2本と買っているうちに、知らない間にね……。それにワールドカップの記念のネクタイなども増えるから……200本くらいになっているのかなぁ。そうしたものも捨ててしまえばいいのだが、ほとんど使っていないのでつい、もったいないなと思う。

――山芦屋の家も20年以上の暮らしで、ことに阪神大震災のあとJRの駅に近いもう一軒の仕事部屋の図書を移したから、家中、紙の山になったわけですね。いや失礼、紙の山は賀川さんの口ぐせでしたね。

賀川:母親がよく、アナタは死んだら地獄の針の山でなくて紙の山に追いやられるよ――と笑っていましたネ。

――その引越しから2ヶ月経って、2012年も1ヶ月半がすぎました。サッカーもスポーツ全体も、国も世界もいろいろありました。

賀川:私のように平均寿命を超えている者は、まあ世捨て人に近くなるけれど、気になるのは大阪の橋下市長の提唱する地方自治ですヨ。間近な問題も大切だけれど、ぼつぼつこの国も自分たちの町のこと、自分たちの県のことはその市民が決める――そういう形にしないとダメだと私は昔から思っていた。

――これまで、ときどきそんなふうな話も出ましたが、こう面と向かっていわれるのは珍しいですね。

【つづく】

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