91年目の日本サッカー(下)
◆90年で男子16強、女子が優勝
世界のおかげで力を蓄えた日本サッカー
賀川:なでしこジャパンの優勝は、私から見れば、JFA(日本サッカー協会)の創立90周年にあたる年に、日本のサッカーと最も深い関係にあったドイツという国での大会で世界一になったことがとても素晴らしい。
1936年のベルリン・オリンピックで日本の(男子)代表は初めての五輪参加でスウェーデンという強国代表を倒してヨーロッパを驚かせた。その75年後に女子が、世界のトップのドイツやアメリカに勝ってチャンピオンになったのです。
日本サッカーの成長にはさらに古い時代、第1次世界大戦で捕虜になったドイツの軍人たちが広島での収容所生活中に日本人チームにサッカーを教えたのが、大正の末から昭和のはじめにかけての日本の進歩に大きな影響を与え、その流れをくむ代表がベルリンでの快挙を演じた。
そしてまた、東京オリンピックの時に代表を指導し、日本サッカーの改革の大きな力となったデットマール・クラマーによって次のステップに進み、女子もまた、その日本サッカー全体の上昇の中で、関係者の努力が実ったといえる。
――2010年の南アフリカW杯で16強入りした日本代表の岡田武史監督もドイツでコーチ修行をしたのでしたね。
賀川:因縁の深いドイツでの2011年の次、今年はロンドン――。
ここでU-23と女子(なでしこ)がいい成績を挙げてくれれば、日本サッカーはサッカーの母国イングランドへの恩返しができる。
――というと
賀川:JFA創設のエピソード……イングランドのFA(フットボール協会)から大正8年(1919年)にシルバーカップが贈られてきた話をご存知でしょう。
――元旦の天皇杯の時にも、そのカップが披露されていました。
賀川:協会創立にかかわる話ですからネ。JFAの創設にあたっては、キッカケとなったカップだけでなく、外交官のウィリアム・ヘーグさんが協会の運営などについてアドバイスしてくれているのです。
――ロンドンでのオリンピックは3回目で、1908年の第4回大会で初めてサッカーが正式競技になったのですね。
賀川:ロンドンでのオリンピックについてはまた色々な面白い話があるけれど、私は、日本のサッカーの急速なレベルアップの基礎には、1969年の第1回FIFAコーチングスクールがあったことを忘れてはいけないと思っています。
――クラマーさんがヘッドコーチとなって検見川で開催しました。上田亮三郎先生や加茂周さんも受講なさった。
賀川:そうです。これで、日本はコーチ育成のノウハウを学び、そこから、技術力アップが始まるのです。そのクラマーの提案を受け入れて、このコーチングコースを開催した当時のFIFA会長サー・スタンレー・ラウスさんもイギリスの人です。
――日本の発展には、色々な国の人の力があったわけですね。
賀川:なでしこが世界チャンピオンになり、SAMURAI BLUEがW杯の常連のようになってきた。
今年8月には日本で女子のU-20のW杯も開催される(8月18日-9月9日)。
――トヨタのFIFAクラブワールドカップも昨年からまた日本に戻ってきました。
賀川:今やアジアの“サッカー国”となろうとしている日本ですが、ここまで来るのに、世界の皆さんからの助けがずいぶんあったことを忘れてはいけないと思う。
――そういう謙虚さがチームの態度に出れば、いい国際交流ができるでしょうね。
◆91年目に入って積極的な国際的活躍を期待
――そういえば、岡田武史さんが中国のトップリーグ、杭州緑城の監督に就任しましたね。
賀川:アシスタント役の小野剛コーチも一緒らしいね。
JFA創設からの10年は、当時のサッカー先進国・中華民国に追い付き追い越すことが目標だった。協会創設50年でクラマーという外からの大きな力を得て、それを足場に、72年後のJリーグのスタートで一気にレベルアップし、81年目の日韓共催ワールドカップでその進歩の基礎固めもできた。
岡田さんが中国へ出かけるのも、91年目の日本サッカーとしてはとても注目されることですヨ。
――杭州が優勝すれば……
賀川:同じ東アジアだが、大陸の中国は島国の日本や半島の韓国とも違いの大きいところ。そこでのチーム指導の経験は、岡田さんにとっても日本サッカー全体にとってもとても大きな財産になりますヨ。当然、日本のメディアも取材に行くだろうし、中国という大きなサッカー国に日本人が関心を持つことにもなる。
――91年目の日本がさらに外にも目を受けてゆく、一つの表れかもしれませんね。
【了】
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