75年前のゆかりの地で“なでしこ”が大金星 ~女子W杯~ (上)
FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会2011(6月26日-7月17日)
準々決勝
7月9日20時45分キックオフ ※現地時間
日本 1-0 ドイツ
◆イングランド戦の完敗からキャプテン澤を中心に立ち直り、
優勝候補ドイツからの大金星
――やりましたね、なでしこジャパン。ドイツに勝って、初のベスト4入りです。次はスウェーデンですよ。
賀川:澤穂稀キャプテンをはじめ選手や監督コーチ、全ての日本女子サッカーの人たちの願いが、とうとうすごいことになった。
ボクは試合のテレビを見ながら、初めて日本のサッカーがオリンピックに出場して優勝候補といわれたスウェーデンを倒した、75年前の1936年ベルリン・オリンピックを思い出した。当時小学生であった私はもちろん実際に試合を見てはいないが、古い書きものやニュースのフィルムの伝えるところでは、体格差の大きなハンディを豊富な運動量と頑張りで防ぎ、巧みなパス攻撃で3点を奪って3-2の逆転勝利をつかんだ。
――四半世紀前の男子オリンピックですね。
賀川:体格、体力差を、動きの量と敏捷性を生かして対抗するという昔からの考え方が、日本の女子サッカーの対外試合の考え方にも根をおろしていた。
――今度のドイツ大会は、ここ数年の女子サッカーの向上を世界のスポーツ界に示すことになる、といった声もありました。そのドイツ大会での、なでしこの活躍です。
賀川:女子サッカーそのものは19世紀からかあった。しかし、女性にサッカーのような激しいスポーツは不向き――という見方もあって、必ずしも発展しなかった。しかし1991年に第1回女子ワールドカップが中国の広州などで行なわれ、1996年(アトランタ)にはオリンピック種目にも入った。以来各国ともに力を入れ、FIFA(国際サッカー連盟)も男子と同じように女子サッカーの普及、向上を図ってきた。
――日本でも、まだ多くの人の関心のなかった頃から、この90年代から国際大会にも積極的に参加してきましたね。
賀川:兵庫県サッカー協会の高砂嘉之会長(故人)も熱心な推進者だった。そうしたたくさんの人の努力とプレーヤー自身、それにJFA(日本サッカー協会)の組織的な強化と普及策が少しずつ選手層の厚みにつながってきた。
◆身長差にも粘っこいマークでヘディング・ゴールを許さず
――今大会の1次リーグでは、ニュージーランドに勝ち(2-1)メキシコを破り(4-0)2連勝。テレビでも新聞でも大きく報じられました。もともとFIFAランキング4位で、今度は優勝を狙うと目標を高く掲げていましたしね。
賀川:それが、第3戦の対イングランドで0-2の完敗をした。疲れもあったのだろうし、2勝してともかくグループリーグを突破したという安心感もあったのだろう。
――イングランドはすごい勢いでぶつかってきました。
賀川:女子の世界では、米国、ドイツ、ブラジルの3強が頭抜けていて、日本がその次ということになっていたが、イングランドもスウェーデンも、あるいはオーストラリアもレベルがどんどん上がってきていた。そのイングランドが、グループリーグ突破のために気迫のこもった試合をしかけてきた。受け身になった日本は動きの量も少なく、局面の勝負にも勝てなかった。
――逆にいえば、この敗戦は選手たちには対ドイツ戦へのいい薬だったかも……
賀川:負けたショックよりも、やっぱり自分たちは自分たちの走るサッカー、つなぐサッカーをしようと思っただろうね。イングランド戦は中盤のプレッシャーから長いボールが多かった。自分たちの流儀で攻めて点を取ることが重要だと感じたのだろう。
――立ち直ってドイツ相手にしっかり食いついてゆきましたね。
賀川:ドイツの方は、開催国で強い強いといわれていたから「優勝」がプレッシャーになっていたのだろうと推察される。1974年の男子のワールドカップのときも、72年の欧州選手権(EURO)を制覇していた(70年W杯も3位)西ドイツは、大会の前半は動きも良くなくて1次リーグで東ドイツに負けたくらいだからね。
――西ドイツには、皇帝ベッケンバウアー・キャプテンがいました。
賀川:今度の女子代表はどうだったのかナ。日本には澤キャプテンがいて、皆が本当に一丸となった。相手の長身のCFにもしっかり背後からマークし、シュートされてもコースを押さえるようにしていた。身長差で高いボールのヘディングは勝てなくとも、しっかり寄せてジャンプしていたから相手のヘディングシュートは狙い通りには飛ばなかった。
【つづく】
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