トップチーム指導でも育成でも成果を挙げた、ウィル・クーバーさん
1983年頃。ギュウちゃん(牛木素吉郎さん)とともに、指導の大家ウィル・クーバー、同夫人、加藤正信ドクター、バルコム コーチ、賀川浩(右から)
ウィル・クーバー(Wiel Coerver)さんが亡くなったことを、『ワールド・サッカー』誌の6月号で知った。調べてもらったら、UEFA.comに「著名なオランダ人コーチ、ウィル・クーバー(86歳)が4月22日、ケルクラーデ市で亡くなった」とあった。彼がかつて監督を務めたフェイエノールトは、その週末の試合で喪章をつけてプレーしたらしい。
1924年12月3日生まれだから、私と同年代で、彼の方が26日早く生まれた兄貴分――。
選手時代にはオランダ・チャンピオンになったこともある。コーチ(監督)となり、1974年にはフェイエノールトを率いてUEFAカップに優勝するなど、トップチームでも成果を挙げたが、育成コーチとしても独自の「クーバー方式」を唱えてヨーロッパに広く知られた。
日本には牛木素吉郎さんによって紹介され、1984年1月に『攻撃サッカー 技術と戦術』(旺文社刊、ウィル・クーバー著、牛木素吉郎・加藤久・榊原潔訳)が出版されて大きな反響を呼んだ。
基礎技術の習得に独自の考えを導入したクーバー方式の中で、古今の名選手のフェイントやフォームを写真入りで解説し、その“型”を学び、マネをし、一連の動作としてドリブルを身につけることを勧めたやり方は、その著書と日本での短期間の講習会で日本の指導者たちに強い影響を与えた。クーバー方式を看板とする指導者グループも現れ、昨今の優秀なドリブラーを生む素地ともなっている。
私自身も、彼の講習会に出席し、牛木さんたちと神戸で食事をともにし(写真)、サッカー談議をかわした。
加藤正信さん宅にあった神戸FCの旧事務所を訪れたクーバーさんを事務所横の「田辺文庫」に案内し、『バドミントン・ライブラリー』の古書や蹴鞠の文献などを説明したとき、彼が「まるでイングランドの古いクラブのようだ」と目を輝かせたのを懐かしく思い出す。
何かのときに、クーバーさんと会った話をデットマール・クラマーにしたら、彼は「素晴らしいコーチだよ」と言った。
クラマーと同じように、トップチームを率いての試合にも成功し、少年育成や選手の個人指導もできる人だった。惜しいコーチ、そして同世代の仲間がまた一人去った。
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