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2011年6月

トップチーム指導でも育成でも成果を挙げた、ウィル・クーバーさん

2011/06/30(木)

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1983年頃。ギュウちゃん(牛木素吉郎さん)とともに、指導の大家ウィル・クーバー、同夫人、加藤正信ドクター、バルコム コーチ、賀川浩(右から)


 ウィル・クーバー(Wiel Coerver)さんが亡くなったことを、『ワールド・サッカー』誌の6月号で知った。調べてもらったら、UEFA.comに「著名なオランダ人コーチ、ウィル・クーバー(86歳)が4月22日、ケルクラーデ市で亡くなった」とあった。彼がかつて監督を務めたフェイエノールトは、その週末の試合で喪章をつけてプレーしたらしい。

 1924年12月3日生まれだから、私と同年代で、彼の方が26日早く生まれた兄貴分――。
 選手時代にはオランダ・チャンピオンになったこともある。コーチ(監督)となり、1974年にはフェイエノールトを率いてUEFAカップに優勝するなど、トップチームでも成果を挙げたが、育成コーチとしても独自の「クーバー方式」を唱えてヨーロッパに広く知られた。

 日本には牛木素吉郎さんによって紹介され、1984年1月に『攻撃サッカー 技術と戦術』(旺文社刊、ウィル・クーバー著、牛木素吉郎・加藤久・榊原潔訳)が出版されて大きな反響を呼んだ。
 基礎技術の習得に独自の考えを導入したクーバー方式の中で、古今の名選手のフェイントやフォームを写真入りで解説し、その“型”を学び、マネをし、一連の動作としてドリブルを身につけることを勧めたやり方は、その著書と日本での短期間の講習会で日本の指導者たちに強い影響を与えた。クーバー方式を看板とする指導者グループも現れ、昨今の優秀なドリブラーを生む素地ともなっている。

 私自身も、彼の講習会に出席し、牛木さんたちと神戸で食事をともにし(写真)、サッカー談議をかわした。
 加藤正信さん宅にあった神戸FCの旧事務所を訪れたクーバーさんを事務所横の「田辺文庫」に案内し、『バドミントン・ライブラリー』の古書や蹴鞠の文献などを説明したとき、彼が「まるでイングランドの古いクラブのようだ」と目を輝かせたのを懐かしく思い出す。
 何かのときに、クーバーさんと会った話をデットマール・クラマーにしたら、彼は「素晴らしいコーチだよ」と言った。
 クラマーと同じように、トップチームを率いての試合にも成功し、少年育成や選手の個人指導もできる人だった。惜しいコーチ、そして同世代の仲間がまた一人去った。

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「川本泰三放談」を更新 ~賀川サッカーライブラリー~

2011/06/29(水)

「川本泰三放談」に4話追加newしました

  • 戦前の代表的ストライカー 二宮洋一とボク自身……(続)
  • メルボルン五輪大会で印象に残ったソ連・ブルガリア
  • シベリア抑留の頃、我がサッカー不毛時代
  • 大阪に招致した東京五輪の5-6位決定戦


    ※このコラムは『イレブン』誌に掲載された「日本サッカー50年『一刀両断』」です
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    代表試合を見て(3)U-22代表[アウェー] (下)

    2011/06/28(火)

    ロンドン・オリンピック アジア2次予選・第2戦(クウェート)
    日本代表 1-2 クウェート代表
        (1-0、0-2)

    ――日本は先制しましたが、その勢いに乗れなかった。

    賀川:疲れのとれていない選手も多く、先述の一番新しくて強力なハズの永井謙佑もよくなかった。ピッチ状態も日本よりは悪い。
     クウェートは中盤は省略することが多く、自陣からあるいはハーフラインあたりからロビングボールを送ってそこで競り合い、次を拾ってそこから攻める。サイドへ散らしても、割合早いうちにクロスを上げてくる。まず日本のペナルティエリア近くでプレーしようとした。日本は中盤を省略されここでボールを拾えないから全体に下がり目となる。

    ――こちらも攻めて惜しいチャンスもありました。

    賀川:後半の早いうちに、FKでハイボールの競り合いから落下したボールをボレーシュートを決められた。

    ――左足のいいシュートでしたね。

    賀川:彼らはボールが浮いているときは、日本選手より自信を持っている。そのツボにはまったシュートになった。テレビの解説にもあったが、シュートまで時間があったのに誰もゆけなかった。2人いたがすぐに寄れなかったネ。一つプレーした後の、次のプレーに移るのが、この日は全体的に遅かった。

    ――そのあとPKで1-2となった。

    賀川:試合の流れは90分間同じではなく、日本も目が覚めて1点を取りにゆこうとした。清武弘嗣の右から中へのドリブルシュートや東の惜しいシュートもあった。
     こういうコンディションで相手もそのつもりで頑張ってくるのだから、点を取られることもある。しかし試合の流れがこちらへ来ているとき、こちらの波が来ているときに取れないことの方が問題だネ。

    ――シュートの問題。

    賀川:今度の2試合で、清武の働きは素晴らしかった。東慶悟の頑張りや第2列から前へ出てゆく頑張りはすごい。けれど、いいところへ入り込んでもゴールを決めないととてももったいないことですヨ。

    ――むかし、賀川さんがモリシ(森島寛晃)に話したのを思い出します。

    賀川:サッカーはゴールへボールを入れる競技だからネ。清武にしても、中へドリブルしフェイクをかけて左へ流れながら最後のシュートを左足インサイドで蹴り左ポストの左外へ出している。ここで足首を寝かせて蹴るのか、立てて蹴るのかはその人によるけれど、どちらが自分にとっていいかも考えること。そして練習することが大切だろうね。

    ――最後に2試合を振り返って下さい。

    賀川:何といっても突破したのだから、監督さんをはじめ選手の皆さんにはまずおめでとうをいわなければならない。先述のとおり、不満や改良点はあるけれど、ともかくロンドン・オリンピックの最終予選を戦う権利をつかんだのだから。是非ともロンドンへ行ってほしいネ。

    ――サッカーの母国、そして多くのスポーツの元祖は英国のロンドンですよね。

    賀川:オリンピックのサッカーはワールドカップからみればU-22という制限つきだが、スポーツの本家でのオリンピック。出場することは選手の一人ひとりの人生にとってとてもいいことだと思いますヨ。

    ――ロンドンでオリンピックが開催されたのは1908年の第4回大会、そして1948年の第14回大会の二度でした。

    賀川:1908年のロンドン大会からサッカーが正式種目となり、7ヶ国8チームが参加申込みをして、英国が優勝した(※編集注:ハンガリー、ボヘミアが棄権したため、実際の参加は5ヶ国6チーム)。
     1948年は第2次大戦が終わった3年後で、スウェーデンが優勝した。私たちの世代は戦争が終わってロンドン大会に参加できるかと期待したが、ドイツと日本は大戦争を仕掛けた国ということで参加できなかった苦い記憶がある。

    ――そう、1回目のロンドン大会は93年前で日本はサッカー協会も生まれていなかったし、まだオリンピックそのものにも参加していなかった。二度目のロンドン大会も不参加だったのですね。

    賀川:そう、だから今度は日本サッカーにぜひ参加してほしいのですヨ。

    【了】

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    代表試合を見て(3)U-22代表[アウェー] (上)

    2011/06/27(月)

    ロンドン・オリンピック アジア2次予選・第2戦(クウェート)
    日本代表 1-2 クウェート代表
        (1-0、0-2)

    ――1-2で敗れましたが、豊田での試合の3-1とあわせて1勝1敗、得点4失点3で日本が最終予選に進出しました。

    賀川:アウェーの39度という高い気温の中で負けはしたが、こちらが先に1点を取ったのが結果的に大きく響いたね。まあ、難しい試合に耐えて2次予選突破したのだから立派なものですヨ。

    ――テレビを見た多くのサポーターには、アウェーの試合って大変なんですね――と改めていう人もありました。

    賀川:広大なアジアでの地域予選はいつもそれぞれの土地の気候、風土の違いの大きさが問題になる。それを、どのように克服するかがその国のサッカー全体の力、いわばサッカー力。日本は試合そのものについての勉強と同時に、その試合に出る選手のコンディションをどのようにつくり、どういうふうに維持してゆくかについてはレベルが高いハズなのだが……。

    ――今回はその日本のサポート力をもってしても難しかった?

    賀川:まあ、チーム事情は色々あるから必ずしもいつも100%とは限らないでしょう。豊田での第1戦までは梅雨で、それほど照りつけていないハズ。それがクウェートへゆくと一気に気温が上がる。ケガで休んでいたから一番元気なハズの永井謙佑の調子が悪かったでしょう。

    ――経験したことのない暑さで自分のプレーができなかったという話もありました。

    賀川:何でも予想したとおりにゆけば楽だが、実際は実地を踏んでみなくては分からないこともある。もちろん準備をおろそかにしてはいけない。しかし、もし準備がうまくゆかなくてもそこから踏ん張ることが大切なんです。(一人で戦う)テニスじゃないのだから、サッカーはそこでチーム全員が踏ん張る。

    ――まあ確かに早いうちに酒井宏樹の先制ゴールがあったのはよかったですね。

    賀川:東慶悟が相手DFラインの裏へ出したボールを酒井が追って、GKが飛び出してきてボールに触れる前に空中のボールを蹴った。フワリと上がったボールはGKの上を越え、ゴールに吸い込まれた。

    ――GKが来るのは目に入ったでしょうから、勇気あるプレーですね。

    賀川:彼はボールを蹴った後、GKにぶつかられて尻餅をつくように後方へ倒れた。そのときでも目はボールを追っていた。ゴール裏からのテレビのリピートを見て、「エライ!!」と叫んだヨ。

    ――彼はサイドの選手としては背が高く183センチあり、足はもちろん速い。

    賀川:立ったままの感じから飛び出して走り出すときのスタートダッシュが速いね。ただし、いい素材なのだからその速さと右足のキックを生かすと同時にもう少し足らない技術も補ってほしいプレーヤーでもある。
     彼のポジションは、前へ出て点を取り、攻めで効果を上げることも大切だが、守りも仕事のうち。そのためには、右足に体重を乗せ左足で蹴ること、左足を伸ばしてボールを取ることなど上達してほしい。

    ――クウェートの積極的なプレーが目立っていた22分にこの先制ゴールが生まれたのはとてもよかった。

    賀川:クウェートの選手たちは積極的に攻撃をしようということと、日本選手とのボールの奪い合いでファウルをしてでも勝とうとした。自分たちの体勢が悪くても仕掛け、取れなければ大げさに倒れてレフェリーに日本側のファウルを訴えようとしていた。縦パスを追ってエリア内で日本の濱田水輝の後方から腕で引っ張ってファウルを取られる場面もあったし、日本のGK権田修一の方が明らかに先にボールを取ろうとしていても、そこへスライディングをしている。「弾みでいっているからイエローは出ないだろう」あるいは「イエローになってもレッドじゃないだろう」という考え方だろうね。

    ――ファウルぎりぎりということ

    賀川:ファウルぎりぎりよりイエローカードぎりぎりというところだヨ。1回目はシミュレーションでイエローを取られても、そういう体の接触をペナルティエリア内で狙っておけばPKのチャンスも生まれる。

    ――後半の相手の2点目はそうでしょう。

    賀川:あれはこちらのDFが取れるボールに後方から素早く走り込んで奪おうとした。DF濱田が右足を伸ばしたら、そこにユセフ・N・S・R・S・アルスレイマンの足があった。こちらが出した足に引っかかった格好になって倒れたから、レフェリーはPKの笛を吹いた。
     この選手は背も高く(183センチ)クウェートのフル代表でも点を取っているという。スピードもありシュートも競り合いも上手い。相手やレフェリーを欺く狡猾さも持っている。

    ――私はあまり好きになれないタイプですね。

    賀川:PKを蹴るときも面白かったね。助走がまっすぐだったのに、権田は自分の左と読んで先に動いたが右へ(キッカーから見て左へ)蹴った。私は彼は左へ(権田の右手側)のシュートと見たのだけれどね。

    【つづく】

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    河本春男に写真を追加 ~日本サッカーアーカイブ~

    2011/06/24(金)

    人物史:河本春男に写真を追加newしました

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    英語版人物史に賀川浩を追加

    2011/06/23(木)

    [英語版]日本サッカーアーカイブbook

    人物史に賀川浩のページを公開しました


    ※関連ページ
    賀川浩「サッカーは世界とつきあう窓やね」 By田中J太郎
    サッカー人生はや半世紀 ~74年W杯から全大会を取材・賀川浩さん~ By武智 幸徳
    日本サッカー殿堂入り。多くのお祝いメッセージありがとう。ちょっと嬉しく、少し気恥ずかしい85歳の本人から 賀川浩

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    週末の代表試合を見て(2)U-22代表

    2011/06/23(木)

    U-22(オリンピック予選)豊田市
    日本 3-1 クウェート

    ――U-22日本代表、やりましたね。3-0なら申し分なかったのですが……

    賀川:アウェーゴールのルール(1勝1敗、得失点差が同じのときはアウェーゴール数の多い方が勝ちとなる)があるとかで、先のことを考えると失点しない方が良いだろうが、それよりも、まずホームで先勝して勝点3を取ったことを喜ぶべきでしょう。これも6月1日、キリンカップの試合のとき(日本対ペルー、新潟・東北電力ビッグスワンスタジアム)に同じスタジアムで対U-22オーストラリアというリハーサルを行なったのが良かったと思う。

    ――あのときは先制され、永井謙佑の2ゴールで逆転し、大迫勇也が3点目を決めて3-1にしました。これも永井からのパスで、永井の活躍がとても目立った試合でした。

    賀川:失点はDFの左サイドでのボールの処理が悪く相手に奪われ、そこからの破綻でゴールを奪われた。今度のカタール戦はDFの右サイドで、簡単に(安全に)ボールを蹴っておけばよいのに一つタイミングがずれてしまって相手に奪われ、そこから傷口が広がりシュートを決められた。

    ――一度はクロスをCDFがヘッドで弾き返しましたが、そのボールが相手の足下へ行ってしまった。

    賀川:テレビで解説者が「悪い(ボールの)取られ方をした」と言う例ですよ。選手はこうしたミスを減らすようにしなければならないが、フル代表でもときどき、バックパスを奪われたり、高いボールを競り合った後ボールを拾われたりしてピンチを招くこともあり、ゴールを奪われることもある。

    ――だからこそ、攻めたときには点を取っておけということですね。

    賀川:そのとおり。この試合は3点取ったからこそ、1点奪われても2点差をつけて勝つことができた。そこが大切ですヨ。それも6月1日に大活躍した永井抜きでの3ゴール。

    ――1点目は左から比嘉祐介がクロスを上げ、大迫が相手DF、GKと競り合ってボールが3人を越えて内に落ちたところを、清武弘嗣がダイビングヘッドで決めました。

    賀川:ゴールそのものは左サイドからのクロスにこちらの2人が入っていたので生まれたが、その前に右から攻め、3人でボールを回してクロスを送り、それが相手DFに防がれたのを拾って、そこから左へボールを送ったという流れがあった。

    ――揺さぶったということ……

    賀川:この日は右も左もサイドからよく攻めたが、やはり深く食い込んでのクロスはそれほど多くはなかった。このときは右からの攻めで押し込んでおいて、エリアいっぱいで山本康裕が拾って後ろの山村和也にバックパスした。テレビのカメラも、このときに左サイドを走り上がる比嘉の動きを捉えていた。山村も比嘉の動きが見えていたのだろう。ダイレクトでオープンスペースへボールを送り、比嘉はペナルティエリア左角あたりで受けて、いったん止まってDFの接近を待ち、タテに抜いて出し、比嘉はゴールラインいっぱいまで行ってそこからクロスを送った。比嘉のボールは、ペナルティエリア縦ラインの根っこ辺りからのクロスの定石どおり、フワリと高いボールだった。GKフセイン・カンコネとDFがジャンプし、大迫もこの空中戦に加わったが、ボールはカンコネの手にも当たらずゴール正面に落下した。そこに清武が入り込んでいて、ダイビングするような形でヘディングしゴールへ叩きこんだ。

    ――深くに攻め込んで短いクロス。それに大迫が飛び込み、さらにその背後に清武が入っていた。

    賀川:相手の守りの人数もいたが、こちらもエリア内に数多く(4人)が入っていた。比嘉のクロスが良く、その比嘉への山村のパスがまた良かった。

    ――大迫はそれまで何回かチャンスがありましたがモノにできなかった。今度は自分が相手GK、DFと競り合うことで清武のノーマークを生んだわけですね。

    賀川:まあ、先のキリンカップのチェコ代表のGKペトル・チェフのように大型でしっかりした選手がいれば、これだけ上手くいったかどうか分からないが、この日はチーム全体にどんどん攻めてゆこうという気構えがあったようだ。失点の原因も、簡単にクリアせずに何とか前へつなごうとしたのかもしれない。

    ――そこのところは難しいですね。

    賀川:それはその時々の選手の判断とプレーによる。調子のいいときほど、一方では心のどこかに“用心しよう”というのがなければならない。

    ――U-22の年代では、ですか

    賀川:経験は大事だが、若くてもそういう気配りのできるプレーヤーは世界にたくさんいる。ちょっと話がそれたネ。

    ――2点目は右CKからでした。

    賀川:これは清武の右足のカーブのかかったスピードのある右CKと、それを捉えた濱田水輝のジャンプヘッドを称賛したいネ。

    ――クウェート相手に、CKやFKのヘディングもよく取りましたね。

    賀川:ここのチームはアラブらしくアフリカ系もいてジャンプなどの能力が高いのが普通で、FWには17番をつけていたユセフ・ナセルのようなキープ力、突破力がありいいシュートを持っている選手もいるが、全体としてこの日の試合では淡泊だった。

    ――というと

    賀川:イラントルコとなると一人ひとりの体が粘っこくて、ボールの奪い合いのときに絡まれるとなかなか厄介なのだが、ここの選手はそうではなかった。まあ、ホームではもっと粘るかもしれないが、中近東といってもイランなどとは違う。そしてまた韓国ほど中盤から激しいプレッシングをするわけではない。

    ――それで、ボールがよく回った。

    賀川:この日は日本側にホームでの初戦を絶対に勝つという気迫があり、選手一人ひとりにも対オーストラリア戦は良くなかったから今度はしっかりやろう――という気が強かったハズだ。

    ――永井が不在でしたが、みんなでその分は取り返した?

    賀川:彼のスピードは誰も真似できないから、そのFWがいないのは大きな損失だが、今回のような試合もできるというわけですヨ。もちろん相手にもよる。相手のGKのレベルにもよる。良かったのは、2ゴールに満足せず3点目を狙っていったことだ。

    ――シュートは前半11本、後半も11本。相手は前後半合わせて5本(前半1、後半4)でした。

    賀川:3点目はDF鈴木大輔が前方へ送ったボールを山崎が取ってドリブル、右の大迫の前へ流し込むようにパスを出し、それを大迫が決めた。

    ――相手ボールを取ってからの動きが早かった。

    賀川:大迫にとってはこの日一番いいパスがきた。彼の得意の形だった。ニアポスト側を抜いたシュートコースも良かった。

    ――大迫くんは、ゴールを決めて喜ぶというよりホッとしたという感じでしたね。

    賀川:U-22の監督さんは大迫といういい素材の使い方が上手のように見える。スピードという圧倒的な武器を持つ永井とともに、大迫は得がたい若いFWの一人でもある。

    ――何か注文がある感じですね

    賀川:それは、彼には色々ありますヨ。だけどこれだけ色んなことができるのだから、あとは点を取るために何をつけるか、どうするかを自分でつかむでしょう。

    ――チーム全体としては?

    賀川:練習をそれほど見せてもらっているわけではないし、クウェートでの条件がどうか分からないが、どの選手もやれるのだから、その気になってしっかり勝って帰ってきてほしい。本当のロンドン五輪予選はそこからですヨ。

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    週末の代表試合を見て(1)女子代表

    2011/06/21(火)

    女子代表(親善試合)松山市
    日本 1-1 韓国



    ――週末にあった各日本代表の試合は3試合とも、すぐ次のスケジュールがあります。まず女子の対韓国戦から。

    賀川:テレビで見せてもらったのだが、雨のためにピッチコンディションが良くなかった。一番に感じたのは、女子のサッカーがこれほど盛んになって、代表選手たちの技術や体力も向上しているのに、雨の日のゲームに慣れていない感じがして、ちょっと不思議な気がした。ドイツでのワールドカップに向かって、雨のピッチといういい経験を積んだのは良かったと思う。

    ――というと?

    賀川:ドイツでは夏場でも天気の悪いときは雨もしっかり降るハズです。ベートーベンの交響曲第6番、あの「田園」の第4楽章の嵐のところがすごいでしょう。ああいうふうに雷鳴がとどろき、土砂降りという日もある。74年のワールドカップでは、豪雨でキックオフを遅らせたこともあったほどです。本番で実際にそういう状態になるかどうかは分からないが、向こうにいってから戸惑うよりも日本で経験したのは良かった。

    ――メインスタンド(テレビカメラ側)から見て右手、前半の韓国ゴール側は水がたまりやすくボールが止まり、日本ゴール側は水はけがいいのかボールは比較的動いていました。

    賀川:日本選手は男子も女子も、どの年齢層でも、後方からボールを受けるときに自分で前を向けるときでも習慣的にバックパスをする者が比較的多い。それが水で止まりやすいピッチでもときどきあったね。

    ――解説者も「止めてくれ」と言いたくなると言っていました。

    賀川:そうでしょう。そういうことを試合を通じて理解するようになったのが良かった。

    ――先制ゴールはいいパスの連続でしたね。

    賀川:そう。後半25分だから比較的ボールを動かせるところでのパス攻撃だった。澤穂希から右サイドのオープンスペースへいいスルーパスが出て、永里優季が走ってこれを中に入れ、宮間あやが走り込んで左足シュートをゴール右下に決めた。パスも良かったし、シュートも素晴らしかった。

    ――しかし5分後に同点にされました。

    賀川:クロスボールにDF2人が行って処理できず、こぼれ球を取られシュートされ同点となった。

    ――日本は世界ランク4位でワールドカップの本番の組み合わせでもシードされていますが、この試合では韓国との間に大きな実力差があるようには見えませんでした。

    賀川:女子サッカーが世界の舞台に登場し始めたころに中国代表を見て、いい体格の選手が揃っているなと感心したことがある。韓国の代表をみると、一人ひとりの体がしっかりしていて、ボールを扱う姿勢がいい。まだボールを扱う器用さや敏捷さ、組織プレーの精度という点では日本の方が上だが、韓国がこういういい個人を揃えるようになると、練習をしっかり積めばチーム力はすぐ上がる。今はフィニッシュへ持ってゆく攻めがもう一歩だが、しばらくすれば良くなるだろうネ。

    ――キックなどもしっかりしています。

    賀川:日本の選手は、これも男子を含めてだが、ボールの底を蹴るチョップキックをほとんど使わなくなっている。こういう芝生のときは有効なのだが……。それを韓国の選手は意識的に浮くボールを蹴っていたね。

    ――ワールドカップに対しても、来年のロンドン・オリンピックについても、日本の関係者は自信ありげですが……

    賀川:しゃにむに頑張って女子のレベルを引き上げてきた指導者や澤穂希とその仲間のプレーヤーたちが澤を残して卒業した形になり、次の世代が主力となっている。速い選手や上手な選手が多くなったというが、まだ米国やブラジル、ドイツなどの代表に比べると同じレベルになったとはいえないだろう。世界4位というランキングは、チーム一丸となって走り回るという前提の試合をしてこそだからね。
     この試合では、2トップはほとんどディフェンスに働いていなかった。おそらく攻撃展開について監督さんは別の目的があってテストしたかったのだろうが、2トップも守備をすることでいい攻撃展開につながることを理解しなければいけないでしょう。この日は押し込まれたときにFWへはロングボールを出して取られることが多かったが、FWが戻って守りに働けば、距離の短い取られにくいパスがつながったと思う。もちろん、そういう点は監督コーチは指導しているのだろうが、実際にそういう場面も見ておきたかったのも確かですヨ。

    ――女子サッカーは世界的にどんどん進歩していますよね。

    賀川:ブラジル代表だって5年前とはずいぶん違ったレベルになっているし、アメリカやドイツは層が厚く体も強い。日本は、まずは体調を整えベストコンディションにして、気迫のこもった試合をしてほしい。そうすれば、高くなったハズの技術を発揮できる可能性もあるだろう。

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    あまり愉快でないオイルマネーの話

    2011/06/20(月)

    ――土日に各地で日本代表の試合がありました。どれも見ごたえのある試合でした。

     ◇女子代表(親善試合)松山市
      日本 1-1 韓国

     ◇U-17(ワールドカップ第1戦)メキシコ・モンテレー市
      日本 1-0 ジャマイカ

     ◇U-22(オリンピック予選)豊田市
      日本 3-1 クウェート

    賀川:女子代表は6月26日からドイツで始まる女子ワールドカップに出発する直前のリハーサルというところ。U-17はメキシコでのワールドカップの1次リーグB組第1戦――つまり本番の初戦だった。
     日曜日の豊田でのU-22代表は来年のロンドン・オリンピック アジア2次予選で、クウェートとのホーム&アウェー合計2試合で勝った者が最終予選に出場する。最終予選はまた4チームずつ3組に分かれてのリーグになるのだが、このクウェートとの勝負に勝たなければそこへゆけない。

    ――クウェートをはじめとする中東はオイルマネーをたくさん持っていて、強化のためにお金を使っていますね。2022年のカタールのワールドカップ、そして若手育成にも外国からの帰化選手にも……。最近も、ガンバのアドリアーノカタールのラッホイヤというクラブに引き抜かれるという話があります。これは代表ではなくクラブレベルの話ですが。

    賀川:新聞などで見ると、先方のクラブが本人に高額を提示し、契約中の本人のガンバに対する違約金をも払うということになったという。違約金を払えば契約違反してもいいというところが、契約というものの面白さであり怖さだろうネ。

    ――4億円と伝えられています。
     ガンバは日本国内ではお金を持っている方で、アドリアーノは昨年セレッソで活躍しているのを、ガンバがより良い給料で誘ってことしからチームに加わったのですが、今度はもっと高いお金を払う外国にしてやられた。これまでも3人のブラジル人選手がシーズン途中に中東のクラブに移っています。

    賀川:どことなく釈然としない感じもあるが、まあ、多くのブラジル人のサッカー選手は上手になって金を稼ぎ、親や兄弟、自分の家族により良い暮らしをさせることが第一で、短い選手生命のこともあり、高額の報酬を提示されればそちらへ動きたくなるのだろうネ。選手でなくて監督でもそういうこともあった。オシムが来日した1年目だったかにクラブハウスで立ち話をしたとき、「いまの選手は金のためにプレーするのだから」と言っていたことを思い出すよ。
     プロの選手でも監督でも金額が全てでなくて、人の絆とかチームとの相性とかを考えて行動する人もあるハズだが……

    ――といっても、目の前に大金が出てくれば……

    賀川:日本から大金で中東へ移った選手がその後うまくいっているかどうかなど追跡してみるのも大切だろう。韓国から日本へ移ってきたプレーヤーは、驚くほどの報酬を得ているわけでもないが、多くはJリーグでいい働きをしているし、なかにはJを足場にして海外で成功した例もある。また韓国にもう一度戻ってそこで代表として最後に花を咲かせた人もある。ボクはそういう点で、日本のサッカーはまともだと思っています。
     大金で引き抜かれないよう防衛策を考える必要はあるだろうがネ、別の考え方をすれば、Jリーグで実績を積めば中東で稼げることが明らかになっているのだから、ブラジル人をはじめどこの国のプレーヤーにとってもJで頑張ることは大金を稼ぐ近道でもある。そういう点からも、ここでのプレーの大切さを強調して、契約についての条件も考えられるでしょう。

    ――セルジオ越後さんがそんなことも言っていました。

    賀川:そのためにもしっかりした契約が大切。そしてこちらが弱気になるのでなく強気になることですヨ。

    ――ブラジル人の上手なプレーも見たいですが、日本はこの程度の選手に頼らなくても、いい国産のFWを生み出したいですね。

    賀川:試合の話をするつもりが、ちょっと横道にそれた感じになったが、まぁいいところに落ち着いた。今度は試合のことに話を進めてゆこう。

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    足の速さとひらめき、永井謙佑の活躍

    2011/06/06(月)

    U-22日本代表 国際親善試合
    2011年6月1日 16時20分キックオフ
    東北電力ビッグスワンスタジアム

    U-22日本代表 3-1(1-1、2-0)U-22オーストラリア代表

    ――U-22日本代表がオーストラリア代表に勝ちました。3-1です。

    賀川:キリンカップの試合ではないにしても、同じ会場でこの試合が行なわれたのはよかった。テレビ放映もあったからね。

    ――BS朝日でしたね。

    賀川:いわばキリンカップのおかげでもう一試合見られた。それもU-22の勝ち試合だったから、新潟のお客さんは得をしたネ。

    ――永井謙佑が活躍しました。

    賀川:U-22日本は、前半は調子がおかしかった。左サイドから破られて1点を失った。ボールを取りにゆくときの体勢も悪いし、チームワークも悪かったから、前半を見た限りでは困ったもの――という感じだった。

    ――それが、前半終り頃の永井のゴールでガラリと変わった。

    賀川:サッカーの面白いところですヨ。後方からのスルーパスに走り込んで、GKレッドメインの前でその体勢を見てニアサイドへ決めた。それも小さく浮かせて蹴った。足の速さで走り勝つことだけでなく、シュートのときにも落ち着いていた。

    ――そして、DFのバックパスを奪ったゴールで2点目。

    賀川:試合後の話では、永井は狙っていたとか。DFがヘディングでGKへバックパスしようとする格好を見てひらめいたのだろう。ブラジルの大ストライカーのロナウドでもそういう狙い方をした。点取り屋らしい、自らの右サイドからのクラスで大迫勇也のゴール、チームの3点目を生んだ。

    ――永井の活躍だけでも楽しかったですね。

    賀川:U-22にはもっと注目し、ロンドン・オリンピックでいい成績を収めてもらいたいものです。

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    半世紀前、ソ連チーム初来日のプログラム

    2011/06/01(水)

    110601


     本田圭佑選手のおかげで、日本のファンもロシアのサッカーに関心が高まっていることだろう。少し古い話になるが、東京オリンピックを目指して強化に懸命だった頃の日本サッカーには、当時のソ連(ソビエト社会主義連邦共和国)との交流は代表のレベルアップの重要な方法の一つだった。

     1960年の日本代表のソ連・欧州への長期遠征は、このときにデットマール・クラマーに会ったことで、日本サッカーの歴史的なターニングポイントでもあるが、この最初のソ連遠征と西ドイツ・デュイスブルクでの合宿のあと、初めてソ連のサッカーチームが来日した。
     ロコモチフ・モスクワ。ロコモチフ(機関車)の名の示すとおり、鉄道従業員クラブでソ連国内の1部リーグ(22チーム)の上位だった。日本で日本選抜と2試合、全広島、古河電工と各1試合、合計4試合を行なった。

     当時、クラマーが私に語ったのは、「ソ連は競技人口も多く、サッカー大国であり、その1部リーグの上位は西欧のプロと戦っても遜色ない力を持っている。日本にとってはとてもいい経験になる」。
     日本代表ともいうべき日本選抜は11月27日に西京極で戦い1-5、12月11日、東京・国立では3-10だった。

     私には、ロシア人たちのボール扱いが柔らかで正確であるのが驚きだった。ロコモチフの選手たちは、日本のグラウンドの芝が良くないのに驚いたらしい。「立派なビルがこんなにたくさんある国に、どうして芝生のグラウンドが少ないのか」という者もいた。

     その頃ソ連のスポーツは“科学的トレーニング”ということになっていたから、日本の記者たちは、100メートルは何秒で走るのか――とか、選手の身長・体重等のデータを聞きたかったが、選手たちは、そういう数字はサッカーにはあまり関係ないといっていたのも面白かった。

     インサイドFW(攻撃的MF)にワレンチン・ブブキンというドリブルもパスもうまい選手がいたこと、センターフォワード(CF)のビクトル・ソコロフのポジショニングがうまく、いい位置取りからシュートを決めたことを覚えている。27歳のブブキンはオリンピック代表だといっていたが、身分が学生というのにも驚いたものだった。
     ちなみに、ロコモチフ・モスクワは今もロシアの1部リーグにいて、昨シーズンは5位、ことしも本田選手のCSKA(中央陸軍クラブ)よりは下で5位あたりにいるらしい。

     このプログラム(写真)は今のものに比べると貧弱だが、表紙はミンスクのスタジアムの写真にゴールネットの網目を組み合わせ、その上方左にロコモチフ(機関車)のマーク、右にJFAの三本足のカラスを入れている。
     日本選抜の監督は高橋英辰(ひでとき)、コーチは岩谷俊夫、マネジャーに岡野俊一郎、特別顧問デットマール・クラマーとある。5月2日に亡くなった八重樫茂生の名もあり、また、“キャプテン”川淵三郎やのちの“スイーパー”鎌田光夫の名も――。そして、30年代の選手に混じって40年代生まれの宮本輝紀が加わっていた。

     ロコモチフのチームの紹介記事やソ連のサッカー事情について、60年の遠征チームに帯同した中条一雄さん(当時・朝日新聞記者)が書いているのも懐かしい。そう、表紙のスタジアムもこの人の撮影とのことだ。

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