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強い体と強い心で歴史に残るMF八重樫茂生≪中≫ ~パーチョンを偲んで(2)~

2011/05/18(水)

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1956年メルボルン五輪予選、対韓国・第2戦のあと
抽選で本大会出場が決まり、歓喜の代表チーム
中央、メガネをかけているのは川本泰三コーチ



――メルボルン・オリンピックは早大在学中でしたね

賀川:1956年のメルボルン大会は南半球だから、本大会は12月、アジア予選は6月で相手は韓国だった。日本代表は1954年の第2回アジア大会のあと、戦中・戦前派から若手に切り替えて鴇田正憲岩谷俊夫(ともに第2回殿堂入り)とを残した。ボクが選手・八重樫のプレーを見たのはこのときが初めてだった。
 第1戦は、彼はCF(センターフォワード)だった。右前への大きな動きとそのあとのクロスで得点を生み出している。この試合は2-0で勝ったが、一国開催、同じ後楽園競輪場での第2戦は0-2で敗れた。内野が負傷して10人同様で(編集注:当時は交代がなかった)戦ったからね――。合計得点が2-2となり、延長戦は0-0。この延長戦で八重樫が持ち上がってシュートしてゴールしたのを、トロンケというフィリピン人の主審が韓国側のアピールを聞き、線審に確かめてオフサイドの判定にした。まあ最終的には抽選で日本が出場権を得たのだが……

――延長でも八重樫さんは頑張る力があったのですね

賀川:内野のケガで10人と同じ状態で、彼は攻守に動くことになったが、それでも気力をふりしぼってシュートまで持っていった。

――せっかく韓国から勝利をもぎ取ったけれど、本大会では1回戦で敗れました

賀川:この予選と本大会では川本泰三さんが監督をしていた。まあ選手たちは、今のように幼少期からボールに慣れているのと違って、まずボール扱いは上手ではなかった。走って頑張って、素晴らしい精神力で韓国に勝った。メルボルンではオーストラリアにノックアウト・システムの初戦で敗れた。0-2だった。

――相手は開催国だし体も強い。日本には勝たなければいけないと燃えていたでしょう

賀川:日本は大会直前に現地でユーゴなどと練習試合をして、まったく技術に違う相手との対戦で調子を狂わせた。そこへオーストラリアがラフプレーで日本選手を潰しに来た。八重樫は腫れあがるほど足を蹴られたという。まあそれをかわす術(すべ)も知らなかったのだから……。
 ボクはそのとき、相手を背にするプレーや半身(はんみ)で受けるプレーができていない彼は、CFよりもインサイド、つまりMFの方が適任だと思っていた。

――何といっても点を取れる選手が少ない頃でした

賀川:釜本(邦茂)が出現する前だからね。一人、いいCFの候補がいたけれど、結局代表に入らなかったこともある。

【つづく】

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