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サンスポ時代の仲間たち

2011/05/31(火)

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 大阪サンケイスポーツ新聞の古い仲間のフォトです。第2列の左から3人目に長尾幸太郎さん(ながお・こうたろう、1975年から大阪代表)の顔があるので、74年か75年の集まりでしょう。

 中央(長尾さんから右へ2人目)が私の師匠であり、大阪でサンケイスポーツを発刊した初代編集長・木村象雷(きむら・しょうらい)さんです。
 1928年アムステルダム・オリンピックの水泳日本代表で、早大卒業後、スポーツ記者となり、同盟通信記者のときにベルリン・オリンピック特派員。戦後は産経新聞で、ヘルシンキ(1952年)メルボルン(1956年)ローマ(1960年)と、オリンピック3大会を特派員として取材した、文字どおりの“大記者”。1952年に入社した私が、新米記者のときに木村さんのような優れた記者で部長の下で働いたことは、まことに幸いだったとと今も感謝している。

 ここにいる仲間の多くは自らも若いときにスポーツに打ち込んだ人も多い。前列左端の今木二郎(いまき・じろう)さんは戦前の市岡中学・早大・満鉄(南満州鉄道の野球部があった)で知られた二塁手。その右隣りの南卓(みなみ・たく)さんは明大で秋山登投手と同世代。その後ろの列の左から2人目、丸岡邦康(まるおか・くにやす)は甲陽中学で別当薫(べっとう・かおる)とともに戦前の甲子園で活躍した等々。

 ほとんどは向こう岸にわたり、私と何人かが今もサンスポOB会でときどき顔を合わせている。

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