ヨハン・クライフの“弟子”と“後輩”の戦いにクライフの心情を思う(上)
賀川:スペイン・サッカーでバルセロナFCが現在のようなスタイルに変わり、そして、それが今のスペイン代表の流儀のようになったのはヨハン・クライフがバルサの監督となってからでしょう。
――1992年のトヨタカップでバルセロナが欧州チャンピオンとして南米のサンパウロと戦いましたが、そのときの監督がクライフでしたね。
賀川:そう。試合は2-1でテレ・サンターナ監督のサンパウロが勝ったが、そのとき初めてバルサを見て、これはオランダサッカーだと、クライフの指導力に改めて感服したものだ。
――それまでトヨタカップにスペイン勢は来ていなかった。
賀川:ヨハン・クライフとオランダ代表が74年ワールドカップ(W杯)で世界に衝撃を与えた試合ぶり、中盤でのプレッシング(囲い込み)と第2列、3列の選手もチャンスにはどんどん飛び出して前へ上がってゆく、いわゆるトータル・フットボールは世界に広まっていったが、イタリアでは1980年代の末からACミランがアリゴ・サッキ監督によってオランダ流つまり現代流への変化が始まり、スペインではクライフのバルサでの変革によってリーグ全体にも浸透したといえるだろう。
――そのクライフの弟子によって変化し進歩したバルサ・モデルのスペインと、クライフの後輩というべきオランダ代表がはるばる欧州を離れた南アフリカで戦うというのも不思議な話ですね。
賀川:あまり古い話を持ち出すとみなさんは退屈されるだろうが、サッカーも、今の形のプレーが行なわれるようになったのにはきっかけがあり流れがある。そうした歴史に目を向けることもまたスポーツの楽しみですから。
――クライフはどんな気持ちで見ていたのでしょう。
賀川:「オランダは醜く低俗だった」と言っているらしい。
――バルセロナでは、今では「クライフがこう言った」というのがまるで昔の「孔孟の教え」のような感じもありますからね。
賀川:ボクは試合の中継テレビを見ながら、スペインのサッカーが長い間のオランダ、ドイツという先進的サッカーからの遅れをクライフによって新しくし、その基盤の上にさらに進化させたのに、オランダはクライフ時代に世界の先端をゆきながら32年ぶりでW杯決勝に進んだ今もクライフの時代をこえていないのではないか――という気がした。
もちろん、基礎技術などはずいぶん上がっていて、それぞれの選手たちは素晴らしいが、代表チームともなるとちょっともったいない気がする。
【つづく】
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