春の嵐
――天候不順で、九州や神戸で3月に雪が降ったりしました。9日に等々力であったACL(AFCチャンピオンズリーグ)E組の川崎対北京国安は、試合中の降雪がピッチに積もるという状態でしたね。
賀川:春の大雪といえば、私たち古いサッカー人には1954年のW杯・アジア予選の日本対韓国第1戦(3月7日)が、前日、東京一帯を襲った大雪が残っていてひどいコンディションだった。
――最初の日韓戦ですね。
賀川:そう。韓国の李承晩大統領の有名な「負けたら玄界灘に身を投げろ」という激励があったというエピソードつきの試合です。
当時の明治神宮競技場は、いまの国立競技場になる前、メインはコンクリートのスタンドで、バックスタンドは土盛り芝生といったときのこと。降雪は止んだが、ピッチに積もった雪をシャベルでかき出して西側に積み上げてプレーした。雪が溶けて水たまりとなり、薄氷が張っているという状態だった。
――賀川さんはなにか、「試合をしたのが間違いだ」と書いたそうですね。
賀川:英国人の主審が、「こういう状態は選手の健康にもよくない。中止延期もあるよ」と勧告したんですヨ。
――それを、強行した。
賀川:のちにいろいろな話も出たが、そのころはサッカーやラグビーはどんなコンディションでも約束どおり試合をするのが当然のように考え、それが英国流スポーツだと思っていたらしい。
――それで1-5の大敗……
賀川:勝ち負けという視点からゆけばもちろん、健康の面でも中止して日を改めるべきだったと思っている。竹腰重丸さん、当時の代表監督でありJFA理事長であったノコさん(竹腰さんのこと)の決定らしいが、まあこれはミスだったろうネ。
何しろ、試合のはじめごろにスライディングしたDFの山路修が泥まみれになり、それがピッチの風で冷えて試合中、感覚が無かったというのだから。しかもこういう泥濘戦には弱い関西出身の選手を使ったからネ。
――若い長沼健、木村現といった関学の現役選手も登場して、長沼さんが先制ゴールを挙げたとか。
賀川:韓国側もはじめは動きが鈍かったが、それからバンバン攻め立てて前半1-2。後半に大きく3点を奪われた。
――選手たちは体が凍えたと?
賀川:こういう日の対策なんて誰も知らなかった。
――韓国側は?
賀川:彼らが日本に来る前、ソウル一帯はすごく寒く、地面が凍てついて練習できないぐらいだったという。
――その寒いところから来たのだから、まあ寒さに強いですね。それに対して日本代表は西日本、関西の選手だった。東京の泥土の試合は下手でしょう。
賀川:ボクの兄の太郎、二宮洋一さんといったベテランもいたが。彼らは雪上の試合の経験もあったが、寒さはちょっと別格だったらしい。山路選手は凍りついた泥と氷をハーフタイムにお湯をかけて落としたら、後半よけいに冷えたという。
太郎があとで韓国の選手に聞いた話では、韓国ではこういうときには靴の中に唐辛子を入れておくのだといっていたそうだ。
――キムチの国ですね。寒中の試合も知っていたわけだ。
賀川:まあ、そんな古い話を持ち出したのは「こんなこともあった」ということですヨ。
――その、雪の等々力でフロンターレはどうでした?
賀川:よく頑張ったヨ。しかし中村憲剛を故障で欠いているこのチームには苦しかったネ。こんな日にはサイドキックでパスをつなぐということは難しい。むしろ悪いコンディションを利用して、こちらは前を向いて走り、相手は自分のゴールへ向かって動かなければならないように持っていくのがいい。もちろん、そのときにボールの奪い合いで負けないぞという気迫が必要だがネ。
――そうなると、体格・体力もモノをいう。
賀川:もちろんそうだが、雪でボールが転がらないのだから、ロブ(高い)のボールを蹴る方が得なのだ。それにはボールの底を蹴る蹴り方をすべきだが、どういうものか、日本では今、プロの技術者なのにこういうキックができない。
――代表チームでも、右からのクロスが一番手前のDFをこえないですからね。
賀川:川崎には、ホームでありながら気の毒な試合だった。
3月9、10日 ACL日本勢の結果
3月9日
E組 川崎フロンターレ(日本) 1-3 北京国安(中国)
F組 全北現代(韓国) 1-2 鹿島アントラーズ(日本)
3月10日
G組 ガンバ大阪(日本) 1-1 河南建業(中国)
H組 浦項(韓国)2-1 サンフレッチェ広島(日本)
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