チリ大地震
――南米・チリで大地震がありましたね。日本は津波の警戒が強調されたおかげというべきか、その割にはというべきか被害は少なかったですが、チリ国内は大変らしい。
賀川:阪神大震災の体験者としてはまったく、チリの人たちに同情しますよ。地震の恐ろしさとそのあとの苦労は本当に……。
チリの大地震といえば、私は1960年を思い出す。
――日本の三陸にも大津波がきたのでしょう?
賀川:その経験があるから、気象庁は今回ずいぶん警戒したのだが、この60年はサッカーとも関係があるんですヨ。
――というと
賀川:私たちには、1960年というのは日本サッカーの再出発の年です。ローマ・オリンピック予選で負け、60年ローマ大会に日本選手団が出てゆくなかにサッカーのチームはいなかった。64年東京オリンピックを控えているので、それまでメダルに遠いからといっていた競技も4年後を考えて大挙してローマへ行った。しかし大陸予選で敗れたサッカーは外れていた。
――ああ、そうでした。そこでデットマール・クラマーを招くことにした。
賀川:そう。そのローマ大会や、クラマーに日本代表選手たちがドイツで出会う前の5月22日(現地時間)にチリ大地震が発生し、その大津波が5月24日にやってきて北海道南岸から三陸にかけて大被害を受けた。三陸地方はリアス式海岸で、湾の奥まで津波が入り込んだ。4万6,214戸の家屋が破壊され、142人が亡くなった。
――記録を調べたら、地震そのものも、このときは(モーメント)マグニチュード9.5(表面波マグニチュード=8.5)で今回の8.8(気象庁マグニチュード=8.6)よりも大きく、チリでの被害もすごかった――今回の被害実態はまだつかめていないという――そうです。死者も2,000人をこえたとか。
賀川:私たちは日本の津波被害などに気を取られて、チリでの惨状についてはこのときはあまり知識はなかったが、首都サンチアゴでも建物が倒壊してすごいことだったらしい。
スタジアムも破壊した。ローマ・オリンピックへ選手団を送らないと決めたという記事をみて、それほどなのかと思ったのだが、そのチリは62年ワールドカップの開催国に決まっていた。これは開催返上も致し方ないかとみていたら、この年の10月のFIFA(国際サッカー連盟)総会で、チリは大会を開催すると約束した。
そのときの大会組織委員会のカルロス・ディットボーン会長の言葉が、「チリは全てを失った。だからこそW杯は開催する」だった。W杯の開催がチリ国民の希望となり、彼らを勇気づけるというのだった。
――大会は立派に運営され、62年大会はブラジルが優勝しました。
賀川:倒壊したスタジアムは新設され、4会場で16チームが戦い、チリは3位となった。この話は私たちに南米人のサッカーへの思い入れの深さを強く印象づけたものだ。
――東京オリンピックを控えて、クラマーさんを招いて代表強化を図りつつ、また世界へ目を開き始めた日本のメディアにとっても、チリ大会は格別ですね。
地震や津波が太平洋の向こうとつながっていることは今度のことでもよく分かりましたけれど、サッカーは地震や津波にもつながって話が出てくるものですね。
賀川:まあ、それほど世界中と関わりのあるスポーツ、ということでしょう。賀川サッカーライブラリー関連記事
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