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Stories「兵庫・神戸のサッカー」を更新
・神戸のサッカー
※このコラムは、2001年3月10日に行なわれた「YC&AC対KR&AC インターポートマッチ」のマッチデープログラム『Legend Of Football ~世紀を越えて蘇る日本サッカーのルーツ~』に掲載されたものです
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賀川浩について、ライター仲間が書いた記事を公開してゆくコーナー「Hiroshi Kagawa in the Press」。
日本有数のジャーナリスト、武智幸徳記者の記事を更新しました。
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高橋龍太郎・第3代JFA会長のページに、三男・彦也氏の写真を追加しました。
“ビール王”と称された企業人の高橋さんが会長就任を引き受けたのは、
「息子はサッカーのおかげで成長し、周囲から慕われ尊敬された」といい、
「そんなサッカーのために」という想いがあったからだとか――。
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Stories「兵庫・神戸のサッカー」を更新
・神戸サッカー物語 vol.1
・神戸サッカー物語 vol.2
・神戸サッカー物語 vol.3
※このコラムは、ヴィッセル神戸のオフィシャルマガジン『ViKING』で2004~05年に掲載されたものです
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――小柄な遠藤クンの話が出たから……。大型の平山相太はどうでしたか。開幕戦のマリノス戦でFC東京の決勝ゴールを取りました。
賀川:テレビで見たのは石川直宏のドリブルからのパスをうまくシュートした。広いスペースで相手のマークから少し離れていたが、来たボールはそう易しいというのではなかったのをうまく蹴った。
――まずは結果ですか。
賀川:彼には6月のW杯がある。1985年生まれ、マンチェスター・ユナイテッドのウェイン・ルーニーと同年代ですヨ。しかしここまで来るのにまわり道が多かった。18~22歳までの伸びる時期にどれだけ練習し、技術と体を蓄積したか、私はよく知らない。そういう点では、2010年のW杯には時間的に間に合わないかもしれない。
――それは、彼が国際舞台で活躍する力を備えるために、という意味ですね。
賀川:あのメキシコ・オリンピックの得点王の釜本邦茂でも、1968年冬のドイツでのデュアバル・コーチの個人指導を含む2ヶ月の特別研修期でステップアップしたのだからね。もちろん、彼はそれまで東京オリンピック直前からの5年間、ともかく練習し、体を絞り、大学の試合やJSL(日本サッカーリーグ)、そして代表の試合、それもアジア勢やヨーロッパのトップクラブ相手の試合といったレベルの違う相手との数多い経験を積み、杉山隆一たちの仲間とも連係プレーを磨いた。そういう環境から見れば、平山クンはいささか心細い育ち方だ。
――それでも期待するのですね。サッカーマガジンの今年の記者アンケートにも書いていましたよね。
賀川:それはそうですヨ。日本人には数少ない大型FWは天からの贈り物なんですから。それが一人前になってくれないということは、日本サッカー界にとっては損失だし、自らの選手育成能力を疑われることになると思う。
――本田圭佑についても、また聞きたいことがあります。次の機会にお願いしますね。
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――J開幕、ACL(AFCアジアチャンピオンズリーグ)などで目についたことはありましたか?
賀川:たくさんあったヨ。まあその一つは、鹿島の遠藤康(えんどう・やすし)だネ。
――ACLの対全北現代(9日、全州ワールドカップスタジアム)で決勝ゴールを決めた小柄な選手ですね。1988年4月7日生まれだから、もうすぐ22歳になる若い選手。
賀川:74年西ドイツ・ワールドカップ(W杯)のマスコットは、Tip&Tap(チップ・アンド・タップ)という2人の選手の格好をした人形だった。すらりとしたのと、ずんぐりした選手がドイツ代表の白ユニフォーム、黒パンツを着用していた。
――すらりとしたのがフランツ・ベッケンバウアーをモデルにしたもの、ずんぐりがゲルト・ミュラーのタイプといわれていたそうですね。
賀川:サッカー選手はずんぐり型とスラリ型、別のいい方をすれば長身もあれば短身もあるということだろうネ。
――遠藤はその小さい方の……
賀川:日本人は体格が小さいのを気にしている。といえば、ボクのような小柄な者がいうとオヤというかもしれないが、小さいということは欠点ではなく特徴なんですヨ。ノッポは長所というよりこれも背が高いという特色であるだけ。もちろん、いつも言っているように、ノッポの方が適したポジションもある。しかし短身の方が有利な場所や局面もある。
――遠藤クンのいいところは?
賀川:腰が低く重心が安定している。体がしっかりしていてバランスがいい。もちろん、Jの選手だから少年時代からボールに慣れ、適当な指導を受けて鹿島へ入ったハズだ。
テレビで見ただけだが、ボールをちゃんと止められるし、左足で強いキックができる。ACLの全北現代戦で奪った決勝ゴールは、ゴール前へ走り上がってパスを受けて、右足のサイドキックで流し込むように相手GKの左(GKの右手側)を抜いた。
見どころは滑りやすいピッチを駆け上がってボールを受け、小さなステップを踏み体勢を保ちながらトラップからシュートへ持っていった、バランスの良さとゴール前での度胸だね。
――平山相太や大迫勇也のような長身FWの成長を望む発言の多い賀川さんが、小型・遠藤康を誉めるとは……
賀川:70年W杯の得点王で、いまも点を取ることでは歴史的にも上の方だといわれているゲルト・ミュラーは身長1メートル75で、もちろん遠藤クンより大きいが、ドイツ人の中では大きくない方。そして彼の特徴は、胴長短足の体つきだ。ドイツ人は背が高くて足が長く、いわゆるカッコイイ青年が多いのだが、彼はずんぐりに見えて胴長。ただしこれが彼の重心の安定と彼特有の反転シュートなどにつながるプレーに生きているのですヨ。
――そういえば、ディエゴ・マラドーナの話にも、彼自身が小さいから自分のプレーがあるというような言葉がありますね。
賀川:マラドーナは、彼独特のボールタッチの精妙さがあって、この特色を発揮できる小さくても強い体があった。バルセロナのリオネル・メッシもそうだ。
このクラスまでゆくかどうかはともかく、遠藤クンはそういう“小さな大選手”と同じ小さく強くバランスのいい体を備えている。開幕の浦和戦でも後半に出てきて、1本いいドリブルシュートをしたのを見て、「これは」と見ていたら、終了近くに左サイドのスローインを受けて中央へライナーのクロスを送ってマルキーニョスのヘディングシュートの決勝ゴールを生みもした。これも、彼の短い足での素早いスイングからのキックができるからですヨ。まだまだ伸びるでしょう。もちろん、技術アップをさらに努力してほしい。
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――天候不順で、九州や神戸で3月に雪が降ったりしました。9日に等々力であったACL(AFCチャンピオンズリーグ)E組の川崎対北京国安は、試合中の降雪がピッチに積もるという状態でしたね。
賀川:春の大雪といえば、私たち古いサッカー人には1954年のW杯・アジア予選の日本対韓国第1戦(3月7日)が、前日、東京一帯を襲った大雪が残っていてひどいコンディションだった。
――最初の日韓戦ですね。
賀川:そう。韓国の李承晩大統領の有名な「負けたら玄界灘に身を投げろ」という激励があったというエピソードつきの試合です。
当時の明治神宮競技場は、いまの国立競技場になる前、メインはコンクリートのスタンドで、バックスタンドは土盛り芝生といったときのこと。降雪は止んだが、ピッチに積もった雪をシャベルでかき出して西側に積み上げてプレーした。雪が溶けて水たまりとなり、薄氷が張っているという状態だった。
――賀川さんはなにか、「試合をしたのが間違いだ」と書いたそうですね。
賀川:英国人の主審が、「こういう状態は選手の健康にもよくない。中止延期もあるよ」と勧告したんですヨ。
――それを、強行した。
賀川:のちにいろいろな話も出たが、そのころはサッカーやラグビーはどんなコンディションでも約束どおり試合をするのが当然のように考え、それが英国流スポーツだと思っていたらしい。
――それで1-5の大敗……
賀川:勝ち負けという視点からゆけばもちろん、健康の面でも中止して日を改めるべきだったと思っている。竹腰重丸さん、当時の代表監督でありJFA理事長であったノコさん(竹腰さんのこと)の決定らしいが、まあこれはミスだったろうネ。
何しろ、試合のはじめごろにスライディングしたDFの山路修が泥まみれになり、それがピッチの風で冷えて試合中、感覚が無かったというのだから。しかもこういう泥濘戦には弱い関西出身の選手を使ったからネ。
――若い長沼健、木村現といった関学の現役選手も登場して、長沼さんが先制ゴールを挙げたとか。
賀川:韓国側もはじめは動きが鈍かったが、それからバンバン攻め立てて前半1-2。後半に大きく3点を奪われた。
――選手たちは体が凍えたと?
賀川:こういう日の対策なんて誰も知らなかった。
――韓国側は?
賀川:彼らが日本に来る前、ソウル一帯はすごく寒く、地面が凍てついて練習できないぐらいだったという。
――その寒いところから来たのだから、まあ寒さに強いですね。それに対して日本代表は西日本、関西の選手だった。東京の泥土の試合は下手でしょう。
賀川:ボクの兄の太郎、二宮洋一さんといったベテランもいたが。彼らは雪上の試合の経験もあったが、寒さはちょっと別格だったらしい。山路選手は凍りついた泥と氷をハーフタイムにお湯をかけて落としたら、後半よけいに冷えたという。
太郎があとで韓国の選手に聞いた話では、韓国ではこういうときには靴の中に唐辛子を入れておくのだといっていたそうだ。
――キムチの国ですね。寒中の試合も知っていたわけだ。
賀川:まあ、そんな古い話を持ち出したのは「こんなこともあった」ということですヨ。
――その、雪の等々力でフロンターレはどうでした?
賀川:よく頑張ったヨ。しかし中村憲剛を故障で欠いているこのチームには苦しかったネ。こんな日にはサイドキックでパスをつなぐということは難しい。むしろ悪いコンディションを利用して、こちらは前を向いて走り、相手は自分のゴールへ向かって動かなければならないように持っていくのがいい。もちろん、そのときにボールの奪い合いで負けないぞという気迫が必要だがネ。
――そうなると、体格・体力もモノをいう。
賀川:もちろんそうだが、雪でボールが転がらないのだから、ロブ(高い)のボールを蹴る方が得なのだ。それにはボールの底を蹴る蹴り方をすべきだが、どういうものか、日本では今、プロの技術者なのにこういうキックができない。
――代表チームでも、右からのクロスが一番手前のDFをこえないですからね。
賀川:川崎には、ホームでありながら気の毒な試合だった。
3月9、10日 ACL日本勢の結果
3月9日
E組 川崎フロンターレ(日本) 1-3 北京国安(中国)
F組 全北現代(韓国) 1-2 鹿島アントラーズ(日本)
3月10日
G組 ガンバ大阪(日本) 1-1 河南建業(中国)
H組 浦項(韓国)2-1 サンフレッチェ広島(日本)
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――Jリーグが開幕しました。まず、4連覇を狙う鹿島アントラーズが浦和レッズを破った。興梠が早々に先制ゴールを決めて、途中で少し浦和の勢いに押されましたが、終わり頃に止め(とどめ)というべき2点目をマルキーニョスが決めました。
賀川:試合の流れを見ていると、鹿島はいま、小笠原満男とともにチームが一番いい状態にある。年長組、中堅に若い力がうまく組み合わされている。
浦和は、フィンケさんというのはドイツの有名な監督らしくて、これまでの浦和のやり方をボールをキープできるチーム――近ごろの言葉でいえばボールポゼッションというらしいが――にしたいようだ。しかし第1戦を見た限りでは、かつての堅守速攻の堅守の、一番大切なDFの中央部が人不足な感じがする。
――田中マルクス闘莉王が名古屋へ移りましたからね。
賀川:チームにどんな事情があったのかはよく分からないが、闘莉王は攻撃面で有名だが守りもうまい。体も大きくて強い。もちろん、欠点もある。しかし、鹿島戦の最初の失点は、興梠の速さとその速いスタートに合わせた小笠原のパス(左サイドでの切り返しからの斜めのスルーパス)の合作だが、CDFの位置からは察知できるプレーのハズ。これを簡単に興梠に走り込まれシュートを許したのは、やはり中央の守りの適任者を一人欠いたのが大きいと思う。
――日本では大型のCDFの育ちが遅いと、いつもいっていますね。
賀川:ガンバが、西野監督がきて強くなった。その攻撃力、中盤の構成力は大したものだが、実は2004年にシジクレイが加わって守りの中央部が安定してからですヨ。山口智の成長もあったからね。
■ガンバに連戦の疲れ
――そういえば、初戦で名古屋に負けたガンバ大阪では山口が故障で開幕試合は欠場でした。
賀川:ガンバが名古屋に負けたのは、試合が多いための疲労もあるだろうが、遠藤の頑張りは見ていて気の毒なくらいだった。そういうときこそ、中央部の守りがしっかりしないと。前方からのFWの守備が大切ではあるが、ノッポのFWの頭上へボールを上げられ、2人のDFが競りに行って相手にヘディングで狙った所へ落とされて玉田圭司に決められたのだから――。この名古屋のやり方は知っているハズで、昨年も同じ形で失点している。
――名古屋にはその闘莉王が大型DFラインに加わった。
賀川:サッカーは技術も大切だが、明らかに大型選手が必要な場所(ポジション)があり、大型がいた方が有利なポジションがある。ディフェンスの中央部は相手の長身がきても対等に競り合えるヘディングの強いディフェンダーを置くのはいまや常識でしょう。ここの増川隆洋はいまや高い球には自信満々だ。
――ガンバにも、中澤聡太、高木和道という長身のDFもいますが……
賀川:ボクも期待しているけれど、こういう地味な守りのポジションの選手の向上をサポーターのみなさんとともに励まし、見守ることも大切ですヨ。
――闘莉王の移籍で、CDFについてもう一度目を向けろということですか
賀川:監督やコーチはとっくに知っているハズだが、ここは日本選手の育ちにくいポジションなんですヨ。日本代表でも、バーレーン戦のメンバーを見ると中澤佑二と闘莉王の2人だけですからネ。
――注目の香川真司のいるセレッソは、大宮に負けました。
賀川:ここも、長いあいだ長身CDFなしで苦労してきた。ことしも苦労するだろう。気になる点はいろいろあるが、まあ、セレッソについては次の大阪ダービーを見てからとしよう。
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――1-0となった後も、チャンスはありましたね。
賀川:その前にも相当数あった。決定的とはいえないものでも、たとえば10分に左サイドから本田のスルーパスをもらった長友がゴールラインまで持ち込み短いクロスを送った場面があった。長友のリーチと速さからゆくと、この場面では彼はファーへ蹴れるかどうかだから、誰かが(岡崎になるかな)ニアに入るのが定石のハズ。そういう互いの暗黙の了解がボツボツできているころなのだが。これまではトップと左右のサイド、そして第2列の飛び出しなどがあまりできていなかった。
――それが、この試合ではそういうことが目につくほどチャンスも多く生まれそうになった、といえるのでしょうか。
賀川:いや、2月シリーズと違うのは中村俊輔と遠藤が揃っているというミソもあるね。まあ2月はコンディションが悪いからではあるが、やはりここというときに中村俊輔が絡むといい。
――関西人としては、遠藤のことを聞きたいですね。
賀川:実は遠藤保仁の素晴らしさはここのところちょっと恐ろしいほどですヨ。元旦の天皇杯もそうだったが、後方で攻撃展開のための発端をつくり、ときに間(ま)を稼ぎ、ときに自らが攻撃の締めくくりに現れる。その動きの広さ、巧妙さは、いまや随一だろう。サポーターのみなさんも技術指導に関わるコーチたちも、いまの遠藤のプレーを充分、頭の中に残してほしいと思っているくらいです。彼の攻撃展開は日本サッカーの“棋譜”として残ると思いますヨ。
――この試合でも、彼は長・短さまざまなパスを駆使しました。
賀川:ACLで水原とのアウェーで試合をして、中2日でゼロックスの試合を強敵・鹿島アントラーズと戦った。そのときに少し動きすぎじゃないかと心配したが、この試合でも90分しっかりプレーした。その間に、思わず手を叩くような場面が何回もあった。
後半の44分に、左サイドで本田の前へスルーパスを送った場面があった。日本側の動きが落ちていたときで、玉田が俊輔に代わって入ってきた。その本田へのパスがあまりにいいタイミングだったから、本田も懸命に走った。相手のファウルで倒されてFKとなったが、どちらかというと、かつては立ち止まってのプレーの多かった本田がオランダの経験を積み、CSKAモスクワに移ってロシアのトップ・リーグでのプレーで大きく動くようになってきた。それは彼にも日本代表にもいいことなのだが、その本田の意欲に合わせた遠藤の縦パスはおそらくゴールライン付近でのFKまで想定に入っていただろう。
パスそのもののキメの細かさは、タイムアップ直前の2点目に表れています。
――内田からのゴールライン近くからのクロスに、森本が飛び込み、彼に当たらずにゴール前に流れたのを本田がヘディングで決めたゴールですね。
賀川:ロスタイムに入ってすぐの右サイドでのプレーで、スローインから遠藤が縦にパスを出し、内田がそれに走り込みながらダイレクトでクロスを蹴った。遠藤のパスの強さといい、コースといい、申し分なかったから、内田は走った勢いをゆるめることなく余裕を持って正確に蹴り、それをニアで合わせようと森本が飛び込んだ。
――1点目は左サイド、2点目は右サイドから。1点目はファーを狙い、2点目はニアで合わせようとして、それがゴール正面へ流れる意外性あるボールとなって本田が決めたわけですね。
賀川:どちらもクロスのラインに2人、3人とプレーヤーが入ってくるのだが、クロスを蹴る者に余裕があれば精度も高まる。それには、そこへのパス、いわばラストパスの一つ手前のパスの質がモノをいう。俊輔や遠藤はマラドーナと同様にそこに絡んでもうまいプレーをする、ということです。
――不満な点は?
賀川:チームとしてはまだまだありますヨ。その前に本田圭佑にふれると――。
意欲的に、シュートを5本打った。前半は、松井のオーバーヘッドの空振りのあとこぼれ球の小さい左足の振りのシュートと、それから自分で持ってシュート。後半は俊輔からのクロスの競り合いヘディングシュート(GKが防ぐ)と左足のシュート。そしてゴールとなったヘッドがあった。本人も最後に入ったからホッとしたといっていた。シュートそのものについてはまだまだ上達の余地ありというところだろう。
――日本のシュートは17本ありました。バーレーンは8本。
賀川:いまの日本代表は攻めても点を取れないといわれているが、シュートの力を伸ばし、ゴール前で工夫をもっとすることですヨ。それでも、シュートをしなければ点にはならないから、積極的にシュートをすることは悪くない。
――森本貴幸は
賀川:後半の22分からで短い時間だったが、2点目に絡むなどゴール前のプレーはしっかりしている。彼のようにストライカーとしての技術や身のこなしを持っているプレーヤーが代表でもう少し多くの試合をこなせればいいと、誰もが思うだろう。
――ちょっと時期が遅いでしょうか
賀川:いくつかのプレーの感覚が仲間と合えば、本番の試合のたびにグングンよくなるという例もある。攻撃陣では、短い時間だったが玉田圭司が自分の特徴を発揮する役柄を覚え始めたようですネ。
岡崎も昨年に急速に伸びたあと、ここしばらく足踏み状態のようだったが、この試合のゴールでまた上向きになってくれそうだ。
――まずはよかったということですね。この次は海外組なしで、キリンチャレンジカップでセルビアと試合をします(編集注:岡田監督は、海外組を招集したい意向を示している)。
賀川:中村俊輔がJでどのように適応しコンディションをよくしてゆくか、遠藤が昨シーズンからの疲れがたまっているのかどうかなども、1ヶ月後にもう一度見られるわけですヨ。もちろん、2人だけでなく全選手もそうだが……。
――Jリーグの中で、代表が何をプラスしてゆくかも楽しみですね。
【了】
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AFCアジアカップ2011カタール予選
3月3日(愛知・豊田スタジアム)19:01
日本代表 2(1-0 1-0)0 バーレーン代表
――2-0で日本代表が勝ちました。
賀川:ドイツから長谷部誠、フランスから松井大輔、イタリアから森本貴幸、ロシアから本田圭佑が参加し、横浜F・マリノスへの移籍の決まった中村俊輔も加わり13人で戦った。いわゆる海外組にとっては最後のテストになる試合だった。個々のプレーヤーにも代表チーム全体にもいい結果が出たといえるでしょう。
――バーレーンと岡田監督の日本代表は5戦して3勝2敗。決してやりやすい相手ではありません。それに2-0で勝ったのですからね。ただし、主力の何人か、アフリカ系の選手が不参加だったという点もあります。
賀川:相手がどうであっても、こちらは自分たちがどれだけ機能的に動けるかが大切だ。久しぶりに俊輔と遠藤が揃って、それに伸び盛りの本田が上のランクのクラブに入り欧州チャンピオンズリーグの試合も経験したのが自信となっているようだった。松井も、ここのところ試合に出ているという感じがしたし、プレーの時間が少なかった森本も終了直前のゴールに絡んで、この前に見たときよりもさらにゴールへの意欲の強さを感じたヨ。海外組を含んで、全体に後半に動きが鈍ってしんどい場面もあったがね。
――一番よかったのは?
賀川:やっぱり俊輔だろうね。スペインで試合に出ていないし、ときたまテレビに映る彼の体が小さくなっているように感じていた。タイミングとして、この時期によく横浜に戻ってきたといえるかもしれない。俊輔らしいプレーが何本かあったが、前半の1点などは彼の精妙なパスから生まれたものですヨ。
――左から松井がクロスを上げて、それをファーで岡崎がヘディングした。
賀川:36分のこのチャンスの前に、得点を生む気配となりはじめていた。このチャンスは、
(1)中村がハーフウェーライン近くでボールを受け、相手一人に絡まれたがキープして中央の本田にパス
(2)自分は前進、本田はもう一度俊輔へ送った
(3)この本田のパスは帰陣する相手DFの間を通ってノーマークの俊輔に渡ったから
(4)俊輔は右へ振る気配をみせつつ、左足で縦にボールを送り込んだ
(5)これが左サイドを走り上がった松井にとって、自分の動きを止めることなく蹴れる――俊輔特有の――配慮のゆき届いたパスだったから
(6)松井は左足でファーポスト側へ高いボールを送った
(7)このクロスに対して遠藤がニアへ、長谷部が中央へ走り込み、ボールは彼ら、そしてその外にいたDFをもこえて岡崎の頭に届いた。
松井のいいクロスが生まれるために、中村の絡まれながらのドリブルと本田へのパス、そして本田からの相手の意表を突く俊輔へのパス、そして俊輔の松井への丁寧なパスが組み合わされている。
――サイドから攻めても、必ずしも常にいいクロスがゴール前の誰かの頭へ届くとは限りません。
賀川:その、サイドからのクロスの精度については別に譲るとして――。
クロスを出す者が、いい条件でボールをもらえば、いまの日本選手の技術でもいいボールを送れる可能性がある。この場面がそれで、長身選手の多い相手の上をこえてファーポスト側の仲間の頭へ落ちてきた。
――ゴールの正面とニアへ走った2人の動きも関連ありですね。
賀川:もちろん。こういう動きによって、相手DFのクロスに対するプレーも微妙に変わるからね。日本選手のいいところが集約され、こういうふうにすれば得点できる、という一つの形を確認できるゴールといえる。
【つづく】
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――少年サッカークラブの指導者たちは、自分のところの上手な子を送り込むのに抵抗はないのでしょうか?
賀川:多少はあるでしょうね。しかし全部のクラブがこの趣旨に賛同しているかどうかは別として、黒田コーチといまのヴィッセルのいいところは、そうした県下あるいは神戸市内の選手を送り出してきたクラブの指導者と連絡をよく取っていること、そして前回もそうだったが、こういう集まり(祝勝パーティ)にそういう指導者にも来てもらって、ともに喜びあおうという姿勢を続けていることですヨ。
――なるほど。黒田先生の本に「トモニイコウ」という言葉がありました。
賀川:トップチーム同様、ヴィッセルの若手育成は兵庫の全少年コーチたちと「トモニイコウ」というのだろうネ。
――で、賀川さんはその選手たちに何か話をしたんですか?
賀川:うん。長身の者、ガッシリした体の者、左利きの者といろいろなタイプのいい素材がいるようにみえた。少年期に教えたコーチたちによると、みなクラブの中でも上手で、サッカー好きだったという。選手たちに思い出を聞くと、負けた試合の口惜しかった話が多かったから、負けず嫌いなのだろう。
サッカーの素材としてはまず、今のところ申し分ないが、彼らには「ここまではよく頑張ったし、順調に伸びてきたハズだが、“選手”になるのはいよいよこれからですヨ」と言っておいた。実際、日本のサッカーはこうした下部の充実は素晴らしいが、選手になり、プロになるのは15歳から21歳までの練習と生活で決まることが多い。
――具体的にいうと
賀川:コーチや先生たちがたくさんおられたから、子どもたちの前では努力以外は特に言わなかったが――。これから体がしっかりし、足・腰も安定する時期に、彼らには基礎プレーの反復をして、精度・強度を高めてほしい。とくに日本人の場合はキックだね。もちろんシュートもその中に入る。
ここまではボールに慣れること、止めること、相手をかわすこと、そして蹴ることといった技を覚え、それはこの年齢として相当なレベルに達している。
だがここからは、その技が、体の強い相手と接触しながらできるか、急速なダッシュのあとできちんと踏みこんでシュートできるか、といったレベルでこなさなければならない。
ボールを浮かせて蹴るのは足のどの部分で、ボールのどこを蹴るのか。それも、10本蹴ってポイントへ8本届くようにするにはどうするのか――などなど、課題はいっぱい出てくる。昨年末、クラブのU-18の決勝を見たけれど、U-15からU-18の3年間の進歩は決して満足できるものではなかった。
ヴィッセルのU-15は、今、本当にいい線にきているけれど、彼らには、いよいよこれからのステップが大事となる。しかし、それは難しいことではなく、彼らがその気になればどんどんステップアップできると私には見えたヨ。
【了】
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――(2月)28日にヴィッセル神戸U-15の2冠のお祝いの会があって、賀川さんも出席したそうですね。どうでした?
賀川:ヴィッセル神戸のU-15が昨年度の第24回日本クラブユースサッカー選手権大会(U-15)で優勝したことは前にもお話ししたと思うが――
――こんどは高円宮杯でしたね。
賀川:そう。クラブユースと中学校チーム、つまり15歳以下の年齢層の日本選手権ということですヨ。それに優勝した。
1次リーグ3試合でまず、島原市立第一中学校(4-0)帝京FCジュニアユース(6-0)名古屋グランパスU-15(4-1)に3連勝。
――たしか、名古屋とは夏の準決勝でも対戦していますね。
賀川:そうだね。2-0だった。
今回は第2ラウンドのノックアウト・システムに入って、準々決勝がベガルタ仙台のジュニアユース(2-0)準決勝が柏レイソルU-15(延長3-1)決勝がコンサドーレ札幌のU-15(2-1)というスコアだった。
――つまり1次リーグから準々、準決、決勝の6試合に全部勝って、得点21、失点3。
賀川:8月のクラブユースは32チーム参加で決勝まで7試合。それを24得点2失点のスコア。
――1点差の試合もありましたが、平均すると1試合に3点取り、2試合で1点取られるというところ。なかなか強いです。
賀川:残念ながら、この少年たちのプレーをナマで見たわけではないのだが、クラブユースの優勝パーティのときにビデオをチラリと見た。今度も決勝のビデオを見せてもらった。一口にいって、個人技が揃っていて、ボールを奪ったときに1対1で相手を抜く自信がある。
――いい素材を選考して集めたんですね。
賀川:滝川第二高校でコーチ・監督としての実績を持つ黒田和生さんがヴィッセルの育成担当に入ってから、兵庫県協会のバックアップもあって、兵庫県下の少年サッカークラブからいい素材が集まるようになった。その選手たちが一つのチームとして練習してきたのだから、気心も分かっているし、互いの特徴も理解している。
――個人技だけでなく、チームプレーも良い?
賀川:ビデオを見ると、個人でキープすることも集団でキープすることも突破することもできる。決勝でも、ボールポゼッションはおそらく65対35くらいの差だっただろう。だから失点も少ない。
【つづく】
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――南米・チリで大地震がありましたね。日本は津波の警戒が強調されたおかげというべきか、その割にはというべきか被害は少なかったですが、チリ国内は大変らしい。
賀川:阪神大震災の体験者としてはまったく、チリの人たちに同情しますよ。地震の恐ろしさとそのあとの苦労は本当に……。
チリの大地震といえば、私は1960年を思い出す。
――日本の三陸にも大津波がきたのでしょう?
賀川:その経験があるから、気象庁は今回ずいぶん警戒したのだが、この60年はサッカーとも関係があるんですヨ。
――というと
賀川:私たちには、1960年というのは日本サッカーの再出発の年です。ローマ・オリンピック予選で負け、60年ローマ大会に日本選手団が出てゆくなかにサッカーのチームはいなかった。64年東京オリンピックを控えているので、それまでメダルに遠いからといっていた競技も4年後を考えて大挙してローマへ行った。しかし大陸予選で敗れたサッカーは外れていた。
――ああ、そうでした。そこでデットマール・クラマーを招くことにした。
賀川:そう。そのローマ大会や、クラマーに日本代表選手たちがドイツで出会う前の5月22日(現地時間)にチリ大地震が発生し、その大津波が5月24日にやってきて北海道南岸から三陸にかけて大被害を受けた。三陸地方はリアス式海岸で、湾の奥まで津波が入り込んだ。4万6,214戸の家屋が破壊され、142人が亡くなった。
――記録を調べたら、地震そのものも、このときは(モーメント)マグニチュード9.5(表面波マグニチュード=8.5)で今回の8.8(気象庁マグニチュード=8.6)よりも大きく、チリでの被害もすごかった――今回の被害実態はまだつかめていないという――そうです。死者も2,000人をこえたとか。
賀川:私たちは日本の津波被害などに気を取られて、チリでの惨状についてはこのときはあまり知識はなかったが、首都サンチアゴでも建物が倒壊してすごいことだったらしい。
スタジアムも破壊した。ローマ・オリンピックへ選手団を送らないと決めたという記事をみて、それほどなのかと思ったのだが、そのチリは62年ワールドカップの開催国に決まっていた。これは開催返上も致し方ないかとみていたら、この年の10月のFIFA(国際サッカー連盟)総会で、チリは大会を開催すると約束した。
そのときの大会組織委員会のカルロス・ディットボーン会長の言葉が、「チリは全てを失った。だからこそW杯は開催する」だった。W杯の開催がチリ国民の希望となり、彼らを勇気づけるというのだった。
――大会は立派に運営され、62年大会はブラジルが優勝しました。
賀川:倒壊したスタジアムは新設され、4会場で16チームが戦い、チリは3位となった。この話は私たちに南米人のサッカーへの思い入れの深さを強く印象づけたものだ。
――東京オリンピックを控えて、クラマーさんを招いて代表強化を図りつつ、また世界へ目を開き始めた日本のメディアにとっても、チリ大会は格別ですね。
地震や津波が太平洋の向こうとつながっていることは今度のことでもよく分かりましたけれど、サッカーは地震や津波にもつながって話が出てくるものですね。
賀川:まあ、それほど世界中と関わりのあるスポーツ、ということでしょう。賀川サッカーライブラリー関連記事
“熱情的サッカー国”チリ
チリ・サッカー小史
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※FUJI XEROX SUPER CUP2010 いい試合だったが得点が少ない(上)はこちら
――もう一人、宇佐美貴史(うさみ・たかし)選手について
賀川:平井と交代で登場したね。後半17分だったか。メンバーリストを見ると、平井と身長はほとんど変わらないらしいが、少しスリムで小さく見える。若手では上手だと評判のプレーヤーでしょう。
――ガンバの将来を担うと、多くの人が言っています。
賀川:うん。橋本からパスをもらって左足でシュートしたね。ちょっと足元にボールが入ったこともあり、ファーポストの外へ外れたが……。彼の角度のようだったが、もっといい形にして蹴ったらゴールになったと思う。
――あと少しで18歳という年齢ですが……
賀川:この程度できる選手には、この程度の要求は当然ですヨ。
――新顔といえば、鹿島では遠藤康(えんどう・やすし)が後半に、MFで出てきました。
賀川:フェリペ・ガブリエルに代わった彼は、自分からドリブルを仕掛けてシュートした。2本あったかナ。大きくはない(168センチ)がガッシリした、ディエゴ・マラドーナに似た体つきだ。いいプレーヤーがいるものだと感心したね。彼は25分間の出場で2本のシュート。シュートすればいいというものではないが、しなければ点を取れないもの。
――ずいぶん誉めますね。
賀川:天皇杯とリーグのチャンピオン同士。Jのトップのチームの顔合わせで、どちらもチャンスはつくるが得点シーンが少ない。今の日本代表の得点力不足をそのまま表しているような感じだったが、そうでもない若い選手を見て少しホッとした感じになったところですよ。
【了】
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FUJI XEROX SUPER CUP2010
鹿島アントラーズ 1(1-1、0-0、PK5-3)1 ガンバ大阪
――アントラーズがPK戦で勝ちました。PK戦は鹿島が先に蹴り、ガンバの一番手で蹴った遠藤保仁が失敗。そのあと3人は決めたが、鹿島が5人目まで全て成功したから、ガンバの5人目が成功しても5-4にしかならない。そこで鹿島最終のマルキーニョスが決めたところで5-3。終了となりました。
賀川:遠藤はこの試合のはじめからすごく積極的に動いた。相手が鹿島だから勝ちたいという意欲と、24日のACL、アウェーの対水原三星(0-0)でレギュラー2人が故障したというチーム事情もあったのだろう。早いうちに先制点を取ってリードしたいと考えていたハズだ。こんなに動いて最後まで持つのかなと思ったほどですヨ。
――ACLは鹿島も戦いましたが、23日でホームだったから、ガンバの方が条件は悪かったといえます。
賀川:そういうことも頭に入れて、遠藤は走り回っていたが、やはり動きは落ちて、後半の終盤は鹿島の攻勢となった。それでも、ともかくしのいだが、そうした無理も祟って、PKのときも疲労から感覚が鈍ったのかもしれない。
――いつものコロコロでなく、右上を狙いました。
賀川:ボールがバーをこえたとき、1994年ワールドカップ決勝のPK戦でイタリアの名手ロベルト・バッジョのPK失敗を思い出した。
――全体としてはいい試合でした。
賀川:Jではやはりトップランクのチームだからね。ただし、レベルの高いチームだから、もっとゴールの応酬のスリルがあっていいのだが……
――ガンバは明神智和の欠場もあって、ルーカスをMFに置き、FWにチョ・ジェジンと平井将生(ひらい・しょうき)をもってきました。新しい平井選手の印象はどうでした?
賀川:彼は水原とのACL戦にも出ていたネ。足が速くてとてもいい。もう少しよく見てみたいけれど、DFラインの裏へズカズカと入ってゆくところが頼もしい。ただし、シュートがどうかな。
一つ、後半に相手のミスからボールを取って左へドリブルして左へ流れて左足でシュートしたのがあった。ドリブルが大きくて、左足でしっかり叩こうとしたが左へ出てしまった。水原戦でも左足のシュートが、これはインでひっかけ気味だったが……
――87年12月4日生まれ、179センチ。Jの初出場は2008年4月27日です。
賀川:大きいとはいえないが、小型ではない。身体的資質としてはいいのだろうと思うが、スピードがあるのだから、左へ流れてのシュートにしても、自分の一番いい形にもってゆけるようになっていないと困る。まあ、どんどん試合に出ればそういうところが上手になるハズだがネ。本人がその気になり、コーチたちがいいヒントを出せば、すぐ点を取れるようになると思う。
【つづく】
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――中村俊輔選手が、横浜F・マリノスへ戻ってきましたね。本当はもっと早い時期に決まっていたハズのものが、今まで延びてしまったのは残念ですが。
賀川:ことしは日本でプレーしたいということらしかった。手違いというのか、うまくゆかなかった話はいろいろ伝わっている。だが、とりあえず、戻ってくるのは結構なことですヨ。本人のためにも日本代表のためにも、ネ。遅れたのはまったく“モッタイナイ”ことをしたのだが、まあこれから彼自身がコンディションを取り戻して南アフリカの本番を目指してほしい。
それからマリノスも。ビッグスタジアム――それも交通の便の良い――を持っていて、浦和レッズと並んで世界のビッグクラブの仲間入りできる基盤があるのだからね。俊輔のような有能で人気のあるプレーヤーを持つことでクラブの人気も高まるだろう。ビッグクラブへのステップを踏み出してほしい。
――かつての日本代表で、FKの名手――いわばこの点で俊輔の先輩格の木村和司が監督に就任したことも、クラブの前進への意欲の表れとみてよいでしょう。
賀川:フットボールクラブの経営というのは、経済も大事だが、まず良いチームをつくってファンとともに喜びあえる結果を出すこと。そのためには、中心となるべきファンに愛される選手を多く持つことが何よりですヨ。俊輔のように、ここで育って、海外でも尊敬されてきたプレーヤーを軸にいいチームをつくってほしい。現在、すでに相当な力を持つ選手もいるのだから――。
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――雪と氷の祭典、バンクーバーでの冬季オリンピックのNHK放送は、まったくすごい量でしたね。その終わりのころに、今度はチリ大地震と津波情報で日曜日はまる一日中、海面を眺めることになりました。
賀川:昔の冬のオリンピックは、スキーやスケートの種目も少なかったのが、このごろはずいぶん競技種目も増え、参加国も80をこえるまでになり、とても賑やかになった。
――といっても、日ごろ日本人にはなじみの薄い競技もあるのですが、オリンピックになると急に大々的に取り上げるのが面白くもあり不思議でもありました。
賀川:フィギュアスケートは、僕も少年時代に滑ったこともあるし、兄・太郎は神戸アイススケート場の場長さんが「毎日、私のところへ通わせてくれたらオリンピック選手にします」といったこともあるくらいで、我が家では父親も楽しんでいた。
――六甲山上の池で滑ったと、先日お聞きしましたね。
賀川:もっといろいろあるのだが……ここまでにしておこう。
NHKの、スキーのジャンプと滑走のときの選手の筋肉の使い方などの科学的分析は面白かったね。ジャンプの横風やスキー板を水平に保つところなども、映像の威力を発揮した。
――フィギュアでは、浅田真央、キム・ヨナ、両選手のおかげで日本中が採点法やジャンプの回転などに興味を持つようになったでしょう。これは将来のフィギュア界のためにも大きいことでしょうね。
賀川:一つには、採点法がここ何年かの間に大幅に改正されて、古い時代のように審判の主観が入るのが少なくなった。
――日本のフィギュアはジャンプ主義のところがありますね。
賀川:戦後に外国に追いつこうとしたころは、スタイルや演技といったところはどうしても損だから、スポーツ的なジャンプ、つまり回転数の多い難しい技で得点しようという感覚が強かった。前にもいった、佐藤信夫コーチの(選手時代の)3回転もそうだった。伊藤みどりさんもそうだった。スタイルや演技力でも外国人と変わらぬようになってきた現在でもまだその考えが残っているのかナ。
――一つにはスポーツだから難しいものへの挑戦というのがある?
賀川:うんと古い時代は、アメリカがスポーツ的、ヨーロッパが芸術的といったふうだった。いまは国や地域での傾向というよりフィギュアの指導者、コーチ、あるいは選手個人によってどちらを好むかということだろうね。
――いくら大技に成功しても、ミスをすれば減点されるということで結局、浅田選手の得点はキム・ヨナに追いつかなかった。
賀川:大技を狙うと、そこで自分の力を振り絞る。すると、そのあとのスケーティングにも響くということがある。サッカーでも前半にとばして動き回って後半足が止まると大変ですヨ。試合は90分だからね。
キムさんの方は、自分のできる範囲のことを完璧に余裕を持って――ということだろう。まあ、いろいろ楽しかったが、アジア勢がフィギュアでここまで充実したのも歴史的ですヨ。考えてみれば、バンクーバーつまりアメリカ大陸の西海岸というのは太平洋側と違って東洋への門戸だからね。
僕は74年のワールドカップの帰途、ニューヨークからモントリオールを経てカナダの空を横断してバンクーバーへ着いたとき、アジア人の多いのに驚いたことがある。
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