バンクーバーの冬季五輪。フィギアスケート佐藤コーチの殿堂入り(上)
右端、現役時代の佐藤信夫氏(バンクーバー五輪代表・小塚崇彦選手のコーチ)。
――テレビの冬季オリンピック放送がずいぶん賑やかですね。
賀川:NHKテレビの競技解説や滑降、ジャンプの科学的な分析などいろいろ趣向もあって、冬のオリンピック種目への理解も深まるだろう。
もともと、スキー、スケート、つまり雪の上と氷の上の競技は、スケートは室内リンクのできる前から観客席で見ることができたが、スキーは、ジャンプはともかくあとはコース全体を見ることのできないスポーツで、スキーヤーの多い割には“見るスポーツ”というわけではなかった。それがテレビによって滑降や回転、あるいは距離競技などもコース全体を見ることができるようになりとても面白くなった。
――カーリングなどという、日本では新しいスポーツも見るとずいぶん面白いですね。テレビといえばフィギュアスケートは視聴率も高いそうです。
賀川:戦前からフィギュアは冬季五輪の花と言われていたヨ。
――関西は昔からいいフィギュアスケーターが出ていましたよね。
賀川:日本でのスケートの発端は長野県の諏訪湖と言われていて、そこでの下駄スケートが有名。下駄の裏に鉄製のエッジをつけてね。神戸では外国人がスポーツを持ち込んだことはよく知られているが、六甲山上にある溜め池が冬に凍結するのに目をつけた外国人が六甲山上の池で滑り始めたのが起こりですヨ。
――へぇ、六甲の池で……
賀川:ボクも小学生のころ滑りましたヨ。八代池(やつしろいけ)というのが大きくて、父の貿易商仲間の外人さんの別荘の裏にある星野池というプライベートなリンクは氷の状態も良かった。
――1936年ベルリン・オリンピックと同じ年にドイツで冬季五輪があったとき、日本からは12歳の少女が出場したそうですね。
賀川:私と同じ年齢の、稲田悦子さん。皆、悦っちゃん(えっちゃん)と呼んでいた。大阪の商家のお嬢さんで、そのころ神戸市の新開地にできた神戸アイススケート場へ通っていた。
――オリンピックでは?
賀川:メダルや入賞とはゆかなかったが、11位か12位で、半分より上の方だったハズ(編集注:10位)。出場最年少というので話題になった。
――女子フィギュアの草分けですね。
賀川:いやいや悦っちゃんの前にも女子フィギュアは既に始まっていた。いまのISU(国際スケート連盟)の国際審判のトップにいる平松純子(旧姓・上野)さんのお母さんの上野衣子(うえの・きぬこ)さんや、プロコーチの佐藤信夫さんのお母さんもそうだった。
そうそう、サッカーの加納孝さん(第1、2回アジア大会日本代表)の夫人も、そのお姉さんも滑っておられたんですヨ。
――それはまたずいぶん古い話ですね。
【つづく】
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バンクーバーの冬季五輪。フィギアスケート佐藤コーチの殿堂入り(上)
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