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神戸少年サッカースクール設立45周年、(社)神戸フットボールクラブ設立40周年(上)

2010/02/05(金)

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祝賀パーティ会場で
左から大仁邦彌JFA副会長、藤井さち代さん、前野正KFC理事長



――1月30日に、神戸のポートピアホテルで神戸フットボールクラブ(KFC)の40周年記念式典と祝賀パーティがありましたね。参加者が260人もあったとか……盛況でしたね。

賀川:そうネ。昨年には枚方フットボールクラブの40周年のパーティもあった。学校のクラブや企業のクラブとは別の形の、市民スポーツクラブが半世紀近くの歴史を持つようになってきたのですヨ。

――創設の発起人でもあり、「兵庫県サッカー友の会」のころからの関係者として、KFCのパーティは感慨ひとしおというところだったでしょう。

賀川:枚方の40年のときも古い仲間に会えて嬉しかったが、今度は神戸だからね――。同じテーブルにJFAの大仁邦彌副会長、クラブの植月正章会長、米田准三名誉会長、前野正理事長、細谷一郎副理事長、それから来賓のアシックス佐野俊之取締役、ニチレクの田淵和彦社長、クリムゾンフットボールクラブの叶屋宏一社長などの顔があった。
 植月さんはアシックス時代からの長いおつきあい。大阪女子マラソン以来ずーっと世話になっている。この人はオニツカタイガーのランニングシューズを世界的に広めた人だヨ。
 米田さんは神戸一中で私の3年下だが河本春男(故人)会長のあとを引き受けてもらって、ずいぶんクラブに尽くして頂いた人だ。

――メインテーブルですね。

賀川:そうだったネ。今ごろ気が付いている。まあ一番の年長者で、今のクラブでも顧問ということになっているのだが……。こうした市民クラブはそれを自分たちで運営するクラブ員の力が大切なのだが、たくさんの人々の応援やバックアップのおかげでもある。そうしたお世話になった人や昔からの仲間に会えたのは何よりだった。
 今度の40周年記念史にも書いておいたのだが、20周年のときに、KFCや神戸少年サッカースクールの由来について書いておいた。いずれ、このブログにも再録しておきたいと思っているが、そもそものスタートは「兵庫サッカー友の会」からなんだ。
 これは、加藤正信ドクターという旧制神戸一中(現・神戸高校)で私よりも12歳年長の先輩が、
「戦前の神戸や兵庫はサッカー王国で、全国大会でもずーっと勝っていた。日本代表選手もたくさん育った。この東京オリンピックを控えたサッカー興隆の好機に、もう一度、兵庫のサッカーを強く盛んにしたい」
と考え、自分たちのライバルであった御影師範学校(神戸大学教育学部、現・発達科学部)のOBたちの賛同を得て、大橋真平さん(故人)に幹事長を引き受けてもらって1963年12月29日、「兵庫サッカー友の会」を発足した。

――友の会というのは? 阪急友の会とか、大丸友の会みたいなもの?

賀川:そういうのがありましたネ。京都サッカー協会会長の藤田静夫さん(故人・日本サッカー協会会長)が一足早く京都で協会をバックアップするファンの組織をつくったことからヒントを得た。

――それで、何をしたのですか

賀川:友の会の目的に、“5つの夢”として、
(1)少年サッカーの育成
(2)国際サッカー場の創設
(3)芝生の少年サッカー場の創設
(4)クラブチームの編成・強化
(5)サッカー王国 兵庫・神戸の復活

という5項目を掲げた。
 役員などを決めて、神戸高校の同窓会館で設立総会をした。会員の申込み、登録は1,007人だったから、反響は大きかったといえるだろう。


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【つづく】

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