« 反転シュート、反転パス。日本サッカーの進歩の楽しさ | トップページ | 宮本征勝 初代鹿島監督を更新 ~日本サッカーアーカイブ~ »

大阪長居スタジアム

2009/10/10(土)

――朝日新聞の夕刊に面白い記事があったとか?

賀川:9月26日だったね。そのすぐ後で昔の仲間の集まりがあったときにも話題になった。「ぷらっと沿線紀行」という続きものらしい。

 長居スタジアムの最寄り駅であるJR阪和線の鶴ヶ丘駅に、セレッソ大阪の選手の写真やフラッグが飾られるようになったことから、長居競技場を阪和沿線の風景としてとらえた企画らしい(『ホームも本拠地(ホーム)JR鶴ヶ丘駅』)。
 川淵三郎JFA名誉会長も三国丘高校時代は阪和線で通学した一人だし、岡田武史日本代表監督も阪和線沿線の天王寺駅に近い天王寺高校の出身――そうした有名人を巧みにあしらった面白い読み物だったヨ。

――賀川さんと長居の関係も長いですよね。

賀川:そうだね。1964年の東京オリンピックのときに大阪市立長居陸上競技場が竣工したのだが、競技場であった一帯が、競技場と立派な公園になった。その競技場のこけら落としが、サッカーの東京五輪「5・6位決定 大阪トーナメント」だった。そのいきさつは私のウェブサイト(賀川サッカーライブラリ―)のなかにも記してあるが、近く、それの資料や大阪開催を決めた当時のFIFA会長サー・スタンレー・ラウスさんの写真などを加えてここに詳しく書きたいと思っている。
 長居と私とは、大阪女子マラソンの開催という思い出もあるし、ワールドカップの会場となるための屋根の話もあるな。

――長居には甲子園とはまた違う楽しみがある。常々言っていますね。

賀川:長居スタジアムは公園を含めて大スポーツセンターで、市内にこれだけのものがあるのは関西の宝物といえますからね。

――賀川さんの「長居スタジアム いま・むかし」。早く語ることにしましょう。

固定リンク | Jリーグ | コメント (0) | トラックバック (0)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大阪長居スタジアム:

コメント

コメントを書く