サッカーという名の戦争
『サッカーという名の戦争』(定価1700円)という本が、新潮社から出版された。著者は日本サッカー協会(JFA)の元専務理事・平田竹男(ひらた・たけお)氏。2002年から2006年までJFAの専務理事として日本代表の国際試合を取り仕切ってきた、いわばサッカーという世界最大のスポーツの国際舞台のウラの事情に通じた人が明かす、サッカー外交の裏舞台の話。副題も「日本代表、外交交渉の裏舞台」となっていて、アテネ五輪予選やドイツW杯アジア予選などの試合日程を組んでゆく話が分かりやすく克明に語られている。
ほとんどの国でその国のメジャースポーツとなっているだけに、サッカーでは各国とも代表の試合に勝とうとし、より有利な日程を組みたいと考えるなかで、公正公平なフォーマットを考え、しかも日本の不利にならないように交渉してゆく過程が見事に描かれていてとても面白い。
――平田竹男さんは大阪の出身でしたね。
賀川:1960年生まれで、小学生(大阪市立新森小路小学校)の頃からボールを蹴っていて、中学校(大阪市立旭東中学校)でサッカー部に入り、府立大手前高校でもずいぶん熱心だったらしい。
――ローマ五輪(1960年)に負けて、日本サッカーがどん底から64年の東京五輪、68年のメキシコ銅メダルへと急成長してゆくときが少年期ですね。
賀川:ご本人に言わせると、サッカーマガジンに私が連載していた「ワールドカップの旅」の愛読者だったらしい。いつだったカナ…JFAでばったり会ったとき、そんな話をしてくれましたヨ。
賀川:サッカーを通じて世界への興味を持ち、82年に横浜国立大学を卒業すると通商産業省(現・経済産業省)に入り、ハーバード大学のJ.F.ケネディスクールを88年に卒業している。通産省でしっかり仕事をしただけでなく、91年から外務省へ出向してブラジルの日本大使館一等書記官を務めたりしている。
――やり手ですね。
賀川:エネルギー政策なども担当したから、中東やカスピ海諸国にも顔が広い。2002年からJFAに入って専務理事として手腕をふるった。
――川淵三郎キャプテン(当時)の下でですね。
賀川:サッカーが好きで、外国相手のビジネスには手慣れている。言葉もできて交渉ごとはしっかりしているから、いい仕事をたくさんした。
実務がすごくできるというだけでなく、本当にサッカーが好きだし、サッカーを通じて世界と仲良くし、日本のことを世界に理解してもらおう、日本側もまたサッカーを通して世界を理解してほしいという夢を持っているようだ。
――賀川さんがこれまで書いてきたものと同じ志ですかね。
賀川:2002年W杯開催で日本のサッカーはそれまでとはまた別の広い世界、広い舞台へ出ることになった。2002 FIFA ワールドカップ KOREA/JAPANのおかげで、日本と韓国がぐっと近い国になったのはご存じの通りだが、スポーツ、特にサッカーの交流はとても大事なこと。それを知ってもらうためにも、読んで欲しい一冊でもある。
――JFAを退いたあと、早大の大学院スポーツ科学研究科を創設して、今はその教授ですね。
賀川:あの野球の桑田真澄(元投手)が学生になっているところでしょう。自分でも2004年に東大の工学系研究科の博士課程に入学、勉強して、東大工学博士となっているくらいだから…。その科学的手法をACL(アジアチャンピオンズリーグ)の改革のために用いたりもしたという。ボクたちの時代とは比べものにならないくらいに広がった日本サッカーにとっても、それを内側から見るにも外側から見るにもこの人のような視野は大切だろうネ。
――面白い人ですね。
賀川:この本の中に、そのキャリアも出てくる。そこも楽しい読みものですヨ。
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コメント
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こちらより、相互リンクしていただけると嬉しいです。
まだまだ、未熟なサイトですが、少しずつコンテンツを充実させていきたいと思ってます。
突然、失礼しました。
yy6xoGvx
投稿: hikaku | 2009年5月 4日 (月) 07時13分