大分トリニータの優勝。平松さん、溝畑社長、シャムスカ監督、おめでとう
11月1日、ナビスコカップの決勝で大分が優勝した。
このクラブの創始者・平松守彦 前大分県知事と、創設から関わってきた溝畑宏社長が抱き合うのをテレビの画面で見ながら、「良かったね、平松さん。良かったね、溝畑さん」と思わず声が出た。
平松前知事は、私と同じ大正13年(1924年)生まれ。3月のいわゆる早生まれだから、学年では私より一年上になる。大分中学から旧制五高(現・熊本大)を経て東大を卒業、昭和24年(1949年)に商工省(現・経済産業省)に入り、中央官庁で25年の経験ののち故郷の大分に戻って副知事となり、昭和54年(1979年)に知事に当選。以来6期24年務め、全国的にも有名な知事さんだった。
一村一品運動をはじめ、地方が自力で立ち上がるための県の仕事をリードし、九州の北部・大分という土地柄に沿って素晴らしい業績を生み出した平松さんにとっても、大分トリニータの創設とワールドカップの開催地誘致は地域の活性化のために重要なものだった。そのプロサッカークラブをつくることを推進したのが、当時、中央から大分県へ派遣されていた溝畑宏さんだった。
以来15年、サッカーというスポーツに馴染みの薄い土地での多くの苦労を克服し、徐々にステップを固め、県リーグからはじめたチームは九州リーグ、JFLへの昇格、Jリーグ加盟(J2、1999)に続いて2003年にJ1に入り、3年目の2005年9月に就任したシャムスカ監督のリードによってチーム力が伸び、下位争いから中位へ、そして上位を狙うところまでなってきた。
「大分は日本では西の端の方だが、ソウルにも上海にも北京にも近く、東アジア圏ではまことに好位置にある。したがって、ここでは常にアジア的な視点でものを見ることが大切」という平松さんの理念どおり、初期のクラブの基礎固めの時期から韓国サッカー界との交流が深いのも特徴だが、選手との契約はもちろん、スポンサー集め、観客へのアピールなど、全ての運営の実務に関わってきた溝畑さんが社長となって自らクラブの責任を負う形となって、いよいよトリニータの地盤が固まった。
その身丈に合った運営に沿ったシャムスカ監督のチームづくり、選手起用が若い選手を伸ばし、ベテランの力を発揮させて一つひとつの試合で勝ちを積み上げ、今年、ナビスコカップの決勝まで上がってきた。
しっかりした守りの上に立って、わずかな得点でも勝つ自信を持つようになったと選手たちは言っている。
名古屋と広島で活躍したウェズレイをこの攻撃陣にひき入れ、高松大樹という長身のストライカーが故障すると、その間にセレッソ大阪で試合に出ていないデカモリシこと森島康仁を借りてきて、その長所を生かした“やりくり”は見事という他はない。
1万人のサポーターが九州から大挙して国立競技場に押し寄せた決勝は、まさに今のトリニータのサッカーどおり。ボールの奪い合いでの強さ、衰えない動きの量で清水の鋭い攻めを封じ、サイドからのオーソドックスな攻めで後半中ごろに先制した。
それまでの右サイドからのクロスのほとんどが、低いボールでニアサイドを狙って相手DFにはね返されていた。ウェズレイのFKもそうだったから、単なるキックミスではなく、相手の高木、青山といった長身のCDFに対してニア狙いのようだった。
後半のゴールは、そのニア狙いではない、金崎が蹴った右からの高いボールがファーポストへ飛び、それを高松が見事なジャンプヘッドで決めた。今度は、相手のCDFを越えるクロスだった。監督からのヒントもあったかもしれないが、このあたりに今年の大分の選手たちの進歩を見る気がした。
相手が1点の挽回を図って攻めに出るならば、そのウラを狙うという常識ではあっても、決して容易ではない攻撃を成功させたのも、金崎からウェズレイへのパスだった。
金崎は前半にシュートもし、ゴールへの意欲を見せていたが、ここというチャンスでのパスも良かった。そのパスを目いっぱいで取ったウェズレイのシュートは、相手GKの下を狙って、ボールが浮かないようにボールの上方(ボールを地球に見立てると、赤道から上を蹴るという)をトゥ(つま先)で突くという、芸の細かいものだった。このあたりに、外国人選手でJリーグ最高得点(リーグ戦通算得点ランキング)を記録したこのストライカーの本領が表れていた。
選手の力量を発揮させるのが優れた監督であるということからゆけば、この日のシャムスカ監督もまた、優勝の功労者だろう。
たかがサッカー、たかがスポーツと言っても、今度の大分トリニータの優勝、九州の地方クラブがJのタイトルの一つを獲得したことは、これからの“地方の時代”を迎えるにあたってのエポック・メーキングな“事件”といえるだろう。
もちろん、このあともクラブの運営はそれほど易しいものではないにしても、トリニータは15年で一つの成功を得て、足場をつくることができた。
幸いなことに、いま九州をはじめ西日本の高校や若年層クラブのレベルは年々高くなっている。大分トリニータが、今後も地道な努力を続けることで、サッカーの根が広がり、クラブもまた繁栄への道を開けるのではないか――。
創設時の溝畑さんたちの苦労を思い、今後の10年を楽しみとしたい。
追伸
大分の宮明さんから、サロン2002のメーリングリストに喜びのメールが入りました。
皆さんの熱意で勝ち取った優勝、おめでとう。
大分で生まれた県民の皆さんの手づくりチームの優勝は、まことに素晴らしいことです。双葉山と稲尾投手、そして大分出身のノコさん(竹腰重丸)も、トリニータの頑張りを喜んでいることでしょう。
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コメント
宮明@大分です。
賀川さんに、このように大分トリニータのことを書いていただいて、
光栄の至りでございます。
やはり、「地方が元気にならねば日本は元気になりません・・・」
と内閣総理大臣 麻生太郎氏からの祝電に書いておりました。
プロ野球の日本シリーズやJリーグの優勝でも総理大臣からの祝電は
前例がないそうです。麻生総理もあの試合を見て感動したのでしょうか(笑)
これからもサッカーで大分を元気で笑顔の似合う街にしていきたいです。
よろしく、お願いいたします。
投稿: 宮明 透 | 2008年11月 6日 (木) 20時26分