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西村章一さんと早川純生さん

2008/08/13(水)

080813

 中条さんの『デットマール・クラマー 日本サッカー改革論』の出版記念パーティーで、古い仲間に会った。
 ひとりは早川純生(はやかわ・すみお)さん。私より1学年下の戦中派で、湘南中学、学習院高等部、東大でサッカー選手。日本サッカーリーグ1部の日本鋼管チームの総監督を務めた時期もあった。

 ごく最近にも旧制湘南中学のことを書いたが、早川さんは5歳下の弟の忠生(ただお)さんとともに湘南のサッカー兄弟として活躍した。昭和15年(1940年)の全国中等学校選手権(いまの全国高校選手権)にも3年生のときにCFとして出場している。昭和17年(1942年)夏の第1回学徒振興会主催の全国大会にも出場している弟の忠生さんの方は慶応へ進み、姓が小林と変わり、日立に入って日本代表としても活躍した。
 1956年メルボルン五輪予選の対韓国の劇的な勝利は古いサッカー人の記憶に残るが、そのときのメンバーだった。

 私が早川さんに関心を持ったのは、純生さんが昭和17年の全国大会に出ていたとき、新聞に早川選手の父君が海軍軍人であるという記事が掲載され話題になったから。早川幹夫中将(1916-1944、レイテ作戦で戦死)は戦功のあった軍人で、日本海軍でも水雷戦の権威として知られていたという。

 その早川さんと話しているとき、西村章一さんが「久しぶり」と来てくれた。西村さんは古河電工サッカー部の創始者で、会社ではある時期、故・長沼健さんの上司でもあり1965年日本サッカーリーグ創設の中心メンバーの一人だった。
 3人がおしゃべりしているのを見つけて、寺尾晥次さんが「1枚撮っておきましょう」と写してくれたのがこのフォト。寺尾さんはテレビ東京がいち早くサッカーの放送を始めたときのプロデューサー。三菱ダイヤモンドサッカーや1970年ワールドカップなどの放映に力があった、サッカー普及の恩人のひとりだ。

 クラマーという、日本流にいえば大正生まれの本を大正生まれの中条さんが書いてくれた。そのパーティーのおかげで、大正生まれの早川さんをはじめ懐かしい顔にも会えた。

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