中条一雄さんの『デットマール・クラマー 日本サッカー改革論』
古くからの記者仲間であり、サッカー人仲間でもある中条一雄(ちゅうじょう・かずお)さんが、『デットマール・クラマー 日本サッカー改革論』(ベールボールマガジン社、8月18日 第1版第1刷発行、定価1800円)という本を書いた。
その出版記念のセミナーとレセプションがビバ!サッカー研究会の手で8月2日、東京の国立競技場すぐ近くの日本青年館で開催された。
メキシコ五輪40周年記念シンポジウム「デットマール・クラマーを語る」の様子
左から後藤健生氏、中条一雄氏、岡野俊一郎氏、杉山隆一氏
セミナーは後藤健生さんの司会で、著者の中条さん、JFA最高顧問の岡野俊一郎さん、メキシコオリンピック銅メダリストの杉山隆一・静岡県協会副会長がそれぞれ、クラマーについて、あるいは当時の試合や練習について語った。
セミナーに集まったのは、やはり古い記者仲間の牛木素吉郎さんが主宰するビバ!サッカー研究会や“サロン2002”(中塚義実理事長)のメンバーたち。
中条さんは朝日新聞社でスポーツ記者として働き、定年後はフリーランスの記者。学生時代に熱中したサッカーをはじめ多くのスポーツ取材に関わってきた。
クラマーとは1960年に日本代表チームが欧州ツアーに出かけて初めてクラマーに会ったとき、このチームに帯同していた中条記者とも会っているから、日本のプレスとして最初にクラマーと顔を合わせ、以来48年のつきあい。
この本をつくるためにドイツ語の堪能な友人の協力を得て、ライト・イム・ウィンクルの自宅を何度も訪れ、本人の話を聞き出してまとめたもの。
日本のサッカーを大改革したクラマーについてはその直弟子を通して日本でも多くのことが語られているが、これはクラマーのサッカー生涯とともに日本とのかかわりを丹念に一冊にまとめたものとして類のないものといえる。
著書にサインをする中条氏
デットマール・クラマーという人は、指導者であり、サッカー教育の第一人者だが、そのサッカー談議の面白さでも私は当代随一だと思っている。いまでも私はときどき彼に会うが、その都度、面白いエピソードを聞くことになる。
昨年だったか、「いま、サッカーマガジンでストライカーシリーズを書いている。ちょうどフェレンツ・プスカシュです」と言うと、彼は、「54年のワールドカップでプスカシュたちが西ドイツ代表に決勝で敗れたとき、西ドイツ代表チームを誹謗し、しばらく西ドイツと彼は不仲になったが、何年か後にプスカシュが詫びて和解することになった」と言い、その話し合いの席の出席者や、座った位置などを克明に語ってくれた(クラマーも出席していた)。
また、その次に会った時、ゲルト・ミュラーを書いている――と言ったら、ミュラーの得点記録をよどみなく説明し、また、バイエルンのコーチをしていたとき、チームにいたオランダのマカーイが得点できなくて苦しんでいたとき、ミュラーは“動き回らず、ここというところで待つことが大事”とヒントを出し、そのあとゴールが増えた、などなど――。
この本にもあるが、クラマーの指導を受けながら、日本サッカーの歴史のなかではある時間、クラマーを「敬して遠ざける」という空気もあった。もうクラマーは古いなどというコーチたちもいたことを私は知っているが、だからといって、私はそうした人たちを責めようとは思わない。人は誰でも思い違いをするもの。そういう点でもクラマーの生涯を語ることは、サッカーの歴史を読むことにもなる。一読、再読をおすすめしたい。
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