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月刊グランと高橋龍太郎さん

2008/05/28(水)

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 月刊グランの「このくに と サッカー」の連載は、2000年からはじまって8年間続けさせてもらっている。
 名古屋グランパスのファンに向けた雑誌で、中日新聞社出版開発局が発行元(http://www.so-net.ne.jp/grampus/media/grun/grun.html)。 前の編集長の木本恵也さんの、司馬遼太郎さん(故人)の「この国のかたち」のようなものをサッカーで書けないか――という勧めがあり、そのとき別のところ でそれに似たタイプの企画があったものだから、“人”でつづってゆくことに。日本サッカーの長い歴史のなかで、そのときどきに大きな仕事をし、のちにも影 響を及ぼした先輩や仲間のことを記しはじめた。

 ちょうど2005年からJFA(日本サッカー協会)が日本サッカー殿堂という表彰制度をつくって功労を称え、JFAミュージアムに掲額することになった。
 はじめは私自身に近い人たち、直接に会ったことのある人――あるいはその人に身近の方をこちらが取材できた――といった方面からはじめたのが、この“殿堂”との兼ね合いでさらに古い時代、さらに広い範囲の人に及ぶことになった。

 来月10日発行の月刊グラン用に書き上げたのは、第3代JFA会長の高橋龍太郎さん。この方は直接には取材していないが、昭和22年(1947年)の東 西対抗が展覧試合となったとき、試合後、選手たちの前へ昭和天皇と皇太子(今上陛下)が歩まれるときに先導役をされた。それを私はスタンドの上から走りお りて間近に見た。

 ビール王で財界の大物だった高橋さんが会長になられたいきさつは前から書いておきたいもののひとつだったから、グランへ原稿を送ってホッとしたところだ。

※これまでに掲載された「このくに と サッカー」は、こちらでお読みいただけます
 賀川サッカーライブラリー>STORIES>テーマ別>このくに と サッカー
 http://www.fcjapan.co.jp/scripts2/ksl/story_list.php

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