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2007年10月

ご無沙汰のお詫びと、日本サッカーアーカイブへのご協力のお礼

2007/10/09(火)

 猛暑が3ヶ月も続いた2007年の夏でしたが、みなさん、お変わりありませんか。

 30~35度が当たり前で熱中症が声高なうちは、私もさすがに用心をして外出を控えていました。子どものころから真夏の日中でも犬を連れて裏山に出かけ たり、少年期にはいまの現役選手と比べてもかなりきつい練習や試合をこなしたハズ。年をとってからも夏には多少の自信があったのですが、2000年と 2002年に二度「そけいヘルニア」の手術をして、同じウォーキングでも急な坂の上り下りを避けるようになって(楽しみが減少して)、80歳をこえるとさ すがにガタンと夏にも弱くなりました。

 最近、芦屋市民病院のバス停のベンチに腰かけていたとき、背中やオシリに痛みを感じました。体の肉がなくなっているためベンチの固さが堪えるのだと思って、ひとりで笑ってしまいました。
 そんな情けない夏でしたが、計画中のウェブサイト「日本サッカーアーカイブ」の準備が進み、9月中旬からオープンの運びとなったのはうれしいことです。
 サッカーミュージアムの協力を得て、これまで書いてきたもの、調べたもの、貯えた資料・写真・図書・パンフレット・プログラム・ポスターなどを整理したコンテンツです。

(1)「日本サッカー史」年表形式で日本の歩みを世界と対比しながら掲載
(2)「日本サッカー人物史」功労者、影響のあった人々で綴る人物サッカー史
(3)「バーチャルライブラリ」サッカーの図書、資料の目録を掲載 ※近日公開

 賢者は歴史に学ぶ――といいますが、スポーツ人にとっても、そのスポーツの発展の歩みを振り返ることはとても楽しく面白いことです。たとえば技術や戦術 の歩みについても、いまが一番新しく進んでいると考える方が多いようですが、いまの現象を捉えるだけでなくここに到った“流れ”をみることで、サッカーの 原理にも触れることができるハズです。

 外国のトップチームの監督やコーチはいずれも個性的で、自分に自信を持っている人が多いようですが、多くに共通しているのは技術の変遷、フォーメーションや戦術の移り変わりを歴史的な視野で捉えていることです。
 歴史を省みることの少なかった日本の戦後教育のなかで、サッカーもまた「古きをたずねる」ことを忘れていたようにみえます。

 日本サッカー協会がサッカーミュージアムを創設し、そこにサッカーの殿堂を設けて、功労のあった先人の表彰を行なうようになったのは、古きに学ぶという点で画期的な事業の一つでした。
 そうしたミュージアムの協力を得て、より多くの資料を発掘し、日本サッカーの歩みを正確な記録として残してゆきたいと考えています。

 第3項の「バーチャルライブラリ」については、日本各地の学校やクラブあるいはサッカー人それぞれのご家庭にある資料の索引からはじめ、どこにどういう資料があるかをインプットしたいと考えています。
 とりあえず私の手元にある図書資料の索引から始める予定。みなさまのご協力をお願いしたいところです。

 有難いことに、第1回の「日本サッカーアーカイブ」の立上げ報告とともにすぐに反応があり、筑波大学名誉教授・松本光弘先生(平成国際大学教授)から関 東大学リーグ創設時の大学連盟の記録のコピーを送っていただきました。大正12~昭和3年(1923~1928年)までの会議報告、試合記録が手書きで記 されたものを、B4版にコピーした160ページの膨大なものです。

 また、CROSPO仲間「赤シャツ」さんから、広島高等学校で戦後すぐの旧制インターハイで活躍した中条一雄、三野浜雄、お二人の写真が届きました。
 中条(ちゅうじょう)さんは朝日新聞の記者として長く働き、ご存知の方も多いでしょう。三野(みの)さんは若くに亡くなりましたが、体が大きくプレーもしっかりしたCH(センターハーフ)で、戦争直後のインターハイでの傑出したプレーヤーの一人でした。
 私は彼を初めて見たとき、安定したフォームでひざを高く上げ、前へ落ちてくるボールをボレーで柔らかく蹴り返したのを見て、バンカラで闘争心むき出しの激しいプレーが売り物のインターハイにもこうした上手な選手がいるのだと感嘆したことを思い出します。
 アーカイブの戦争直後のところで、ぜひ掲載させていただきたいPhotoです。

 また、わが兄・賀川太郎の家族からも多くの写真を送ってもらいました。戦後史を彩る貴重なピクチャーです。
 みなさん、ありがとう。赤シャツさん、ありがとう。

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