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2007年3月

J開幕から3週間

2007/03/27(火)

 Jリーグが始まり、土曜・日曜が忙しくなりました。
 関西の4チームのうち、J1はガンバとヴィッセル。そしてJ2に京都サンガとセレッソ。それぞれ気になるところですが、ガンバはいまJのなかで最も得点 するコツを知っているチーム。いま風に言うなら「攻撃のコンセプトが固まっている」とか「全員がゴールへの共通のイマジネーションを持っている」となるの でしょう。
 したがって、ゲームは安心して見ていられるし、また、ゲーム中に「やっぱり!」と手を叩く思いの楽しさもあります。
 シジクレイが入って守備の軸がしっかりしたことが、このチームの強化効果の第1章でしたが、その彼は今年も元気なようです。

 ヴィッセルは、リーグ戦ここまで1勝1分け1敗。大久保嘉人が横浜F・マリノス戦(4-1)で2ゴールを挙げました。この試合を欠場した三浦淳宏のポジ ションに入ったのがうまくいった――ということですが、もともと彼は広く動くことで特徴の出せるプレーヤー。前で使ってゴールに背を向けるプレーよりも、 あちこち動いてプレーする方がトクな選手なのです。
 国見高校を出て2001年にセレッソに入り、スペインでの生活を含めてプロ生活も今年で7年目――この6月9日の誕生日で満25歳。まさに正念場のシーズンと言えるでしょう。

 おとといの日曜日には、J2で3連敗していたセレッソが同じ降格組の京都サンガに3-2で勝ち、初勝利しました。
 セレッソでは森島康仁(デカモリシ)の大きさと強引さ、苔口卓也の早さが、守りの面でも攻めの面でも効果的でした。19歳と21歳の若い2人のアタッカーの成長を見るのが、これからの私の楽しみのひとつとなります。

 全試合を見にはゆけないため、一部についてはスカイパーフェクトのビデオで見ることになりました。それぞれのホームチームに肩入れする画面はよく工夫し てあり、解説者もそのホームチームの関係者が多く、コメントもしっかりしたもの。テレビもまた進化したものだなと感じています。

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若くてハンサム、イビチャ・オシム ~ニムさんの古い一枚 ~

2007/03/22(木)

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 年に何回かの古いサッカーの仲間の集まり――3月の二水会――で、二村昭雄(にむら・あきお)さんが珍しいフォトを見せてくれた。
 1964年の東京オリンピックに参加していたユーゴスラビア代表が、早大相手に練習試合をしたときのもの。写真中央で腕組しているタテジマ(エンジに白 線2本)が二村さんご本人。そのすぐ後ろに顔が出ているのがユーゴ代表のCFで、今をときめくイビチャ・オシム現・日本代表監督――。

 二村昭雄・通称ニムさんは、京都の太秦小学校・蜂ヶ岡中学校・山城高校・早稲田大学で釜本邦茂のチームメイトで、学年は一年上。このとき、日本代表の釜本、森(孝慈)選手たちはオリンピック選手村に入っていて、この中にいなかったという。

 ニムさんは早大を釜本より一年早く卒業し、東洋工業(現・サンフレッチェ広島)に入って活躍した。
 ヒザから下の小さな振りで素早くパスを出せる上手な選手で、高校・大学のとき釜本のゴール量産を助けた。彼が高3のとき、全国高校選手権の決勝で修道高に敗れた(0-2)のは、前日の準決勝で足を傷め、パス能力を発揮できなかったのが大きい。

 62歳のいまは、フットサルコートにかかわる仕事のかたわら、Jリーグのマッチコミッショナーとして各試合をまわっている。写真をオシム監督に見せたところ、とても喜んでいたそうだ。

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木ノ原さんからの贈り物

2007/03/05(月)

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 サッカーマガジンなどで皆さんもおなじみの木ノ原句望(きのはら・くみ)さんから、写真が届きました。
 添え状には、「お元気ですか? ずっと渡しそびれ、送りそびれていた写真を送ります。ボンからフランクフルトの試合へ向かう車中で撮らせていただきました。とても賀川さんらしい絵だと、自画自賛の“カメラマン”です。ご笑納ください」とありました。

 ドイツでも原稿用紙にシャープペンシルを使って書いているところを、知らぬ間に撮ってくれたもののようです。
 大会中あちこちでよく会ったのですが、英語が上手で気の良くつく彼女との同行のときはとても気楽な旅になりました。

 木ノ原さんに初めてお会いしたのは、95年に日本代表がウェンブリーで試合をしたUMBRO CUPのとき。当時は英字紙ジャパンタイムズに勤め、いまはフリーランスでFIFA MAGAZINEに何度も寄稿する国際派でもあります。

 ドイツの夏の良い記念のフォトをありがとう、木ノ原さん!

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日経夕刊の「夕悠関西」に載る

2007/03/02(金)

 フィギアスケートの平松純子さんから電話がかかってきた。26日(月)付の日本経済新聞の夕刊に「賀川さんの記事が写真入りで大きく載っていたから」ということ。

 この1週間前の2月19日に同紙の編集委員さんが取材に来てくれて、まとめてくれたのがこれ。「夕悠関西」というページで、日本サッカーがもっともっと盛んになるため、Jの人気がもっと高まるためにも、関西勢よがんばれといった趣旨だった。

 不勉強で、日経の夕刊に「夕悠関西」というページがあるのを知らなかった。夕刊だから「夕」を使ったのだろうが、悠々なら、かつてある雑誌に大谷四郎さん(1918-1990)が「悠々と 急げ(日本サッカー)」という連載を書いていたのを思い出した。

 朝日新聞の記者であった大谷さんは、若いうちから「悠々」の似合う人だった。気短かな私が、この「夕悠」のタイトルのページに載るのも、歳のせい?(笑)

 電話をくれた平松さんは、すでに60歳に届き、いまやJOC委員でフィギアの会長、そして国際審判委員会のトップ。かつてフィギアの取材もしていた私とは、彼女が14歳のときに日本チャンピオンになって以来の長い付き合いだ。

 新聞に掲載された私のフォトが元気そうでいいと喜んでくれたが、実はこのとき、下の前歯のひとつが抜けていて、そのサシ歯を入れるのを忘れていた。本職のカメラマンの撮影だけに、笑った顔はまさに歯抜けジジイ――。
 人前に出るときには鏡で一度、自分の姿を確かめてから――という教訓を守らなかったことを後悔したが、もう遅かった。

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