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東から届いた訃報

2007/02/24(土)

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第2回アジア大会当時の木村現選手(写真中央)
左は二宮洋一、右は岩谷俊夫(いずれも故人)

 東から訃報が届いた。

 木村現(きむら・あらわ=サッカー元日本代表)76歳。
 2月21日午前1時25分、神奈川県海老名市内の病院で死去。通夜は2月25日(日)午後6時から。葬儀告別式は2月26日(月)午前10時~11時。

 神奈川県大和市西鶴間6-1-5
 大和総合ホールで(仏式)。喪主は夫人の木村明子さん。

 古いサッカー人には、木村現の名は「俊足」の形容詞つきで記憶に残っている。昭和22年12月に西宮球技場で開催された第26回全国中等学校選手権大会 (現・高校選手権)は大戦による中断から復活した最初の大会だったが、このとき中国地方代表として出場した広島高等師範付属中学が圧倒的な強さで優勝し た。
 1回戦で東京の府立五中を5-0、準々決勝で小田原中学を4-0、準決勝で甲府中学を5-0で破り、決勝の対尼崎中(兵庫)も7-1の大差だった。

 この破壊力を見せ付けたFWの右サイドが木村と長沼健(現・JFA最高顧問)樽谷恵三のトリオで、木村が早いドリブルで守りを崩し、右から送るボールを樽谷あるいは長沼が決めた。

 このトリオは関西学院に進み、戦後の関学の黄金期の基礎を作り、また、木村、長沼は日本代表となり53年の西ドイツ・ドルトムント国際学生スポーツ週間 (現・ユニバーシアード)に参加し、さらに54年ワールドカップ予選、第2回アジア大会などで日本代表としてプレーした。

 大戦中の中断と戦後の経済の混乱期でサッカーのレベルアップの進みは遅く、国際舞台でも華やかな活躍は少なかったころ、天皇杯や東西対抗などで、彼の爆発的な突進力はとても魅力的だった。
 私より6年若く、気さくで明るい人がらで、学校の垣根を越えて先輩たちから愛されていた。
 いまの恵まれたサッカー環境の中で、彼のあの“早さ”を見てみたかったと思う。

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