« ガンバ3位、セレッソ、サンガのJ2降格とヴィッセルのJ1復帰。~ 大荒れのJ関西を振りかえる ~ | トップページ | レッズ優勝。三菱時代からの大先輩・岡野さんおめでとう »

亥年(いどし)と子年(ねどし)

2006/12/28(木)

06122801
写真:サッカーのルールを日本に初めて紹介した坪井玄道さん

忙しかった12月も今日で28日。あす12月29日は私の誕生日です。
1924年(大正13年)生まれ、干支はネズミです。年回りからゆくと来年は亥年(いどし)で、その次、2008年が子(ね)の年です。

子年(ねどし)のものは、動物のネズミになぞらえて勤勉であるとかチョコチョコ走り回るなどといわれます。
サッカー人では、みなさんご存知のJFA(日本サッカー協会)の川淵三郎キャプテンが1936年生まれで私より一回り下の子年です。
現役プレーヤーではモリシこと森島寛晃(セレッソ大阪)が1972年生まれで4巡年少の仲間。外国ではポルトガル代表フィーゴ(インテル)、また、ドイツ・ワールドカップを最後に現役を引退した元フランス代表ジダンも同じです。

神戸一中、神戸商大(現・神戸大)と、私の直系の先輩の大谷一二(おおたに・いちじ)さんも1912年生まれ。大谷さんは、ベルリンオリンピック(1936年)の日本代表の選に漏れたとき、多くの人が不思議に思ったほどの、日本サッカー史に残る名選手のひとりです。

いちばん古い子年は、何といっても坪井玄道さん(1852-1922)。1885年(明治18年)に「戸外遊戯法」という本を刊行し、その中でサッカーの ルールを日本で初めて紹介した人。いまの筑波大学の前身の東京高等師範学校の初代フートボール部長で、スポーツ全般の普及の大功労者です。
さきごろ、JFAのサッカー殿堂入りされたひとりですが、そのときのレセプションで田嶋幸三・専務理事に会ったら、「筑波大の校庭には坪井先生の銅像があって、いつもそばを通っていたのです」と学生時代を思い出していました。

ついでながら、来年2007年は、日本サッカーが大正6年(1917年)の第3回極東大会に出場して初めて国際試合をした年から、90年にあたります。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 亥年(いどし)と子年(ねどし):

コメント

コメントを書く