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あの天覧試合の全関西チームのキャプテン・安居律さん

2006/10/15(日)

秋に入ってから訃報がつづいた。そのひとつ。
9月26日に兵庫県サッカー協会から「同協会参与の安居律(やすい・りつ)92歳が8月31日に死去し、8月16日に近親者で葬儀を行なったとの連絡をお受けしました。謹んで哀悼の意を表し、ご連絡いたします」とのファックスが届いた。

安居さんは、私には忘れることのできない先輩の1人である。
1915年(大正4年)生まれの神戸一中34回生(昭和8年度卒)で私より9歳年長。神戸一中ではサッカー部ではなかったが、金沢の旧制第四高等学校に 入ってからサッカーに打ち込み、旧制インターハイで活躍、京都大学(昭和14年度卒)では昭和11年から3年間(当時の大学は3年制)レギュラーのDF で、関西学生リーグ優勝1回、2位、3位、各1回、京大の第二期黄金時代を築いた。

太平洋戦争が終わって、サッカーは安居さんたち戦前派や私たち世代の戦中派を中心に関西でも1945年10月中旬から再出発した。
当時30歳の安居さんも、その中心のひとり。昭和22年4月3日、東京の明治神宮外苑競技場(現・国立競技場)で行なわれた東西対抗に関西のキャプテンと して出場し、学生主力の若い全関西チームをまとめてベルリン・オリンピック代表が主力の経験豊富な全関東と2-2の引き分けを演じた。

この試合には昭和天皇が皇太子明仁殿下(現・天皇)とともに観戦された。
戦災のなかから立ち上がろうとする国民に親しく接して励まそうという昭和天皇の“ご巡幸”のはじまりでもあった。
戦前の日本サッカーの黄金期から大戦のブランクを乗り越えて、戦後のサッカー再興へつなぎ、天覧試合のキャプテンを務めた得難い先輩が去ってしまった。

大戦の物不足をそのまま反映した、縦18cm、横13cmの黄ばんだプログラム表紙と二つ折りの片側に記載された全関西のメンバーを併載してお供えにかえることにした。

――おだやかな人柄で、後輩に温かかった先輩を偲んで―― 合掌

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