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サッカーのストライカーの技術と戦術

2006/10/19(木)

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写真左:初版本 表紙
写真右:第5刷 表紙

~ 故・風呂中斉氏の企画と情熱から生まれ、ワールドクラスのストライカーの本領を紹介 ~

「釜本邦茂 ストライカーの技術と戦術」が講談社のスポーツシリーズのひとつとして出版されたのが1977年10月20日。今から29年前のことだった。
東京オリンピック(1964年)で日本代表がアルゼンチンに勝ち、次のメキシコ大会で銅メダルを獲得した、いわば60年代黄金期にはサッカーの図書も数多く出版された。

なかでも講談社はスポーツシリーズのひとつとして「クラーマーのサッカー上達法」をはじめ指導書、啓蒙書を積極的に手がけてくれた。
その推進力となったのが故・風呂中斉(ふろなか・ひとし)氏だった。彼は東京教育大(現・筑波大)で今西和男(元・サンフレッチェ広島総監督)坂田信久 (元・東京ヴェルディ社長)各氏と同期のサッカー人。大記者・牛木素吉郎の秀作「サッカー世界のプレー」の3部作も、この人の企画のひとつ。

別掲の手紙の日付は昭和44年(1969年)1月だから、メキシコ・オリンピックの銅メダルの余韻のまだ覚めないとき。
前々から私に釜本の本を出版したいと言っていた同氏が送ってきた企画だった。
当時の私は、まだ24歳で現役の真っ最中だった彼の名で本を出すことにはためらいもあったし、彼のプレーを語るには別の考えがあった。
この企画書を持って、大阪へ訪ねてきた彼に、「釜本のプレーを分解写真で見せることによって、彼のプレーの本質を多くの人に見てもらう――というのなら」と答えた。

彼はすぐ検討しますとのことだったが、この1969年春に釜本は肝炎で入院し、しばらくプレーから離れることになった。
風呂中氏は、釜本の回復を待って、私の案どおりの企画を進め、1シーズン釜本の全試合に2人のカメラマンを動員し、その何百本の中から私が選んで完成した。
今日のように録画技術と機材が発達した時代からみればアイモ改造機、1秒間24コマ撮りで写した連続写真はいかにも古めかしいが、ビデオのスローやコマ送りとはまた別の面白みがある。

1977年10月の初版から82年までに5版を重ねたが、サッカーファンに釜本のフォームの美しさと、プレーのはじめから終わりまで(終わったあとも)ボールを注視しているところをお届けできたと思っている。
写真週刊誌の編集などでも活躍し、若いうちに去られた風呂中氏のサッカー図書にかける情熱を、いま改めて思う。

風呂中氏からの手紙も、あわせてご覧ください。

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