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ネルソン吉村 ~初めて"サッカーをするため"に日本へきた日系2世~

2006/10/26(木)

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ネルソン吉村こと、吉村大志郎(よしむら・だいしろう)は、ぼつぼつ定年を迎える団塊世代のオールド・ファンには懐かしい名前のハズ。1967年、19歳 でブラジルから、初めて「サッカーをするために」日本へやってきた日系2世は、ブラジル流のテクニックで人気者となり、彼よりも3歳年長の釜本邦茂ととも に企業チームのヤンマー・ディーゼルの黄金期を築き、当時のトップリーグであった日本サッカーリーグ(JSL)でのヤンマーの優勝(4回)に貢献した。

70年には日本国籍を取得し、76年に代表を退くまで、101試合に出場して10ゴール(Aマッチ45試合7得点)と活躍した。
80年に選手を辞めてヤンマーのコーチとなり、96年にチームがセレッソ大阪となってからも、スクールのコーチやスカウトを務めた。
明るく気さくで、誰からも好かれる彼の人柄に魅かれてヤンマーやセレッソへ入った選手も多い。

この写真は、彼の来日早々の1967年6月18日、駒沢競技場での日本対パルメイラスの試合を観戦に訪れ、デットマール・クラーマー(写真右)に紹介されたときのもの。
クラーマーは早速、ネルソンの腹の皮をつまんで、「脂肪はないネ。よろしい」と言った。

今でも憶えているのは、彼がヤンマーの尼崎工場で初めて練習した日のこと。
手ぶらで現れた彼に安達貞至コーチ(現・ヴィッセル神戸社長)が「クツはどうした」と聞くと、ネルソンは黙って自分のサッカーパンツの後ろのポケットから二つ折りにしたシューズを取り出した。初めて見る柔らかいシューズに、大笑いしたものだった。

柔らかいボール扱いから早速“ネコ”のニックネームがついた。当時の指導者たち(まだセルジオ越後も来日していなかった)には新鮮な驚きだった。
その胸のトラップのうまさに目をつけた釜本邦茂が、彼との練習によって、ボールを弾ませずに地面へすり落とすような技を身につけた。
のちに来日したセルジオ越後が、釜本の胸のトラッピングに感心して、自分も鏡の前で練習したというエピソードもある。また、メキシコ五輪の釜本のゴールの中には、胸のトラッピングからのシュートもある。

ヤンマーとセレッソと日本のサッカーに多くのものを残した吉村大志郎は2003年11月1日、56歳で去った。
彼の棺(ひつぎ)の前で、多くの男が涙した。
50年前の若いネルソンのフォトを前に、私は半世紀前の、日本サッカーが少しずつ前進していた希望に満ちた日々を思う。

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